fc2ブログ

2012.12.11.14.49

らゔじょんれのんのあい [二番目の文字は、平仮名「う」に濁点]

同名異曲はいくらでもあるかもしれないけれども、ここで取り上げるのは、ジョン・レノン (John Lennon) の曲『ラヴ / 愛 (Love)』。
1970年発表の『ジョンの魂 (John Lennon / Plastic Ono Band)』に収録されていて、そのアルバムの紹介記事は既にこちらで発表済みだ。

この曲を聴いて、例えばこんな文章を書いてみせるのは、非常に簡単な事なのだ。

images
3年前の、ザ・ビートルズ (The Beatles) 在籍時代、彼は『誰にも必要なもの、それが愛なんだ (Love Is All You Need)』と唄った。
1967年発表のザ・ビートルズ (The Beatles) のシングル『愛こそはすべて (All You Need Is Love)』 [アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー (Magical Mystery Tour)』収録] の一節である [原詩はこちら訳詞はこちらで読める] 。
その当時のヒッピー・ムーヴメント (Hippie Movement) に代表される時代の気分、そのままを反映したかの様な、一見、お気楽な歌詞は、それをさらに増長させるかの様に、その時代を象徴する曲となった。
この時、作者であるジョン・レノン (John Lennon) の視線と、この曲を聴くファンの視線とは、全く同じモノであり、全く同じモノを観ていた筈だ。
だが、それから僅かに3年後、同じく愛 (Love) を主題とした『ラヴ / 愛 (Love)』は、全く違う。同じ愛 (Love)、しかもその普遍性を主題としたモノでありながら、あくまでもその視線は個=ジョン・レノン (John Lennon) のモノでしかなく、他のナニモノかがそれを共有するのは難しい。
何故ならば、ここで唄われているモノは、オノ・ヨーコ (Yoko Ono) そのものへの愛 (Love)、もしくはオノ・ヨーコ (Yoko Ono) という存在そのものなのだから。

と、まぁ、こんな具合。
あまりにも図式的な視点だから、ちょっとつまらない。

だから、ここまで書いて来た事は総て棚上げにして、全然、違う事を書いてみる。
もしも、上に書いた文章なり論考なりが必要とされるのであるならば、誰かにあげてしまっても構わない。

では仕切り直してみましょう。

歌詞を観る。原詩はこちらで読める。
一見、愛 (Love) という抽象的な存在を、さらに抽象的な語句に置換させている様に読める。
愛 (Love) とはなにか。この単純にして素朴な、だけれどもとても難解な問いかけに対して、たったひとつの単語だけで、ずばりと語りきっている。
と、いう様に読める。

確かにそうさ。
でも、もっと大事な事をみんな忘れてしまっている。

第1連と第2連を比べてみよう。
前者では、うたわれている愛 (Love) が、漠然とした抽象的な存在であるのに対して、後者ではより具体的な、というよりも、愛 (Love) が実体をもった存在へと変化している。
もしくは、次の様に言い換える事も出来るかもしれない。
前者から後者へと移ろうに従って、愛 (Love) もしくは愛 (Love) の対象へと、詩の読み手自身が、次第に接近しているのだ。

だから、第3連でうたわれている愛 (Love) と、それ以前に綴られている愛 (Love) とは、同じモノではないのだ。

否。
ここでうたわれている、愛 (Love)、もしくは愛 (Love) の対象、さらに言い直せばそれは、オノ・ヨーコ (Yoko Ono) 自身の事であって、それ以外のナニモノでもない。その事実は変わらない。
だけれども、それがジョン・レノン (John Lennon) 自身にとって、どういうモノなのかは、如実に変化しているのだ。もしかしたら、進化もし、深化もしているのかもしれない。

非常に下世話な表現をしてしまえば、恋に恋い焦がれている状態をうたったモノを第1連と看做せるのならば、己のなかに内在する、ある人物への感情に自覚的になったモノが第2連なのだ。

そして、その第1連と第2連の辿り着く先が第3連なのである。
愛 (Love)、もしくは愛 (Love) の対象、さらに言い直せばそれは、オノ・ヨーコ (Yoko Ono) 自身をジョン・レノン (John Lennon) が獲得したその瞬間であり、ふたりが文字通りに、同一化した時なのである。

さらに言えば、同一化し、その結果、同じモノを共有しあえるふたりが、これから先、孕み産み育んでいくモノが愛 (Love) である。それをより明確に呈示しているのが、最終連なのである。
つまり、ここでも愛 (Love) というモノが、変化しているのだし、進化しているとも深化しているとも表現する事が出来るだろう。

まだ隔靴掻痒の様な気がする。
でも、もしかしたら、同じ現象をなんどもなんども重複して言い連ねているだけなのかもしれない。

だけれども、つまり、鬱陶しいし、煩わしいかもしれないけれども、別の視点で綴ってみる。

それは、うたわれている愛 (Love) 、もしくは愛 (Love) の対象、さらに言い直せばそれは、オノ・ヨーコ (Yoko Ono) 自身の視座にたって、この詩を眺めてみる事なのだ。

第1連では恐らく、己は、その他大勢の一人、もしくは選択肢のなかのひとつの様なモノなのだ。だが、これが第2連では、直接、己に、しかも己一人だけに向けて、凝視めもし、語りかけてもいる。
しかし、第3連を経ての最終連では逆に、最早、己を観てはいないのかもしれない。何故ならば、総てを共有しあったその後では、己と同じモノを観ているからなのだ。
ふたりが向き合って対峙し、互いに凝視めあい、言葉を交わしているのではない。同じ方向へ向けて、ふたりは共に、視線を向け、そこへと言葉を発しているのである。

ぼくの言いたい事が、解ってもらえるだろうか。

この曲は、愛 (Love) をシンプルな言葉だけで語ったモノでもないし、オノ・ヨーコ (Yoko Ono) への愛 (Love) をシンプルな言葉だけで綴ったものでもない。
そんなスタティックで、抽象的で、普遍化出来る様な代物ではないのだ。
むしろ、それとは逆で、ダイナミックでドラマティックな、ジョン・レノン (John Lennon) の内心の蠢きとそれを正直に示した、彼の行動の記録なのである。
そして、それ故に、そこから先の、ふたりの意思と行動を補完するモノなのである。この作品の発表以降、彼らが執った行動と発したメッセージは、総てここを起点にしているのに違いない。

さて、問題は、ここから先。
上に綴った様な解釈の許で、日本語訳を試みなければならないとしたら、どんな訳詞が出現するのであろうか、という事なのである。

次回は「」。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/997-22a23b0f

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here