2012.10.30.10.22
チャック・ベリー (Chuck Berry) のその凄さと偉大さを語るのに、その言説の、枚挙に暇はない。
ジョン・レノン (John Lennon) の「ロックンロールに別の名前を与えるとすれば、それは『チャック・ベリー』だ (If you tried to give rock and roll another name, you might call it 'Chuck Berry'.)」は、その最たるモノだし、これでもう既に充分な気もする。
それとも、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャーズ (Keith Richards) の、運命的な再会のきっかけがチャック・ベリー (Chuck Berry) のレコードであり、その3年後の1963年に、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) がチャック・ベリー (Chuck Berry) のカヴァー『カム・オン (Come On)』でデヴューしたと、記してみようか。
大袈裟に言えば、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の50年に渡る歴史の発端が、チャック・ベリー (Chuck Berry) なのであり、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャーズ (Keith Richards) に引導を渡したのがチャック・ベリー (Chuck Berry) なのである。
だが、本当は、そんな彼を巡る発言の羅列や、彼を巡るエピソードの羅列はいらないのだ。
しかし、それは音楽は語る必要はない、ただ聴けば解る、という様な [ぼくの文章のあちらこちらに登場する] 常套句とは、幾分、趣が違う。
それは例えば、次の様なモノなのだ。
チャック・ベリー (Chuck Berry) のコンサートでは、彼のバックで演奏するミュージシャンは総て、現地調達なのである。しかも、その現地調達のミュージシャンと音合わせもリハーサルも殆どしない。
しかし、それで充分なのである。
何故ならば、参加メンバーの、誰もが彼を知っているし、誰もが彼の音楽を知っているからなのだ。
だから、チャック・ベリー (Chuck Berry) は、ギター一本を抱えて、たった一人で世界中をツアーして廻る事が可能なのである。
もしかすると、"ギターを持った渡り鳥"とは小林旭 (Akira Kobayashi) の事ではなくて、チャック・ベリー (Chuck Berry) を指して発すべき言葉かもしれない。
そして、そんな彼の在り方に異を唱えたのが、キース・リチャーズ (Keith Richards) であり、と同時に、チャック・ベリー (Chuck Berry) の一世一代の、文字通りのハレの場を用意したのが、彼なのである。
1986年に、彼の故郷であるセントルイス (St. Louis) で生誕60周年記念コンサート (A Celebration Concert For Chuck Berry's Sixtieth Birthday) が開催される。この年は、彼が還暦を迎えた年であるばかりではなく、ロックの殿堂 (The Rock And Roll Hall Of Fame And Museum) 入りを果たした年でもある。
その模様は、そのコンサートのドキュメントである映画『ヘイル! ヘイル! ロックンロール
(Hail! Hail! Rock 'N' Roll)』 [テイラー・ハックフォード (Taylor Hackford) 監督作品 1987年制作] で観る事が出来る。
その映画を観れば、彼の音楽の素晴らしさと同時に、如何に、彼の音楽が愛されていると同時に、多大なる影響を放ったかを知る事が出来る。
先のキース・リチャーズ (Keith Richards) を筆頭に、この映画に彼のバック・バンド・メンバーとして出演したミュージシャン / アーティストの名を並べてみよう。
キース・リチャーズ (Keith Richards : g & bvo)、ジョニー・ジョンソン (Johnnie Johnson : p)、チャック・リーヴェル (Chuck Leavell : org)、ボビー・キーズ (Bobby Keys : sax)、ジョーイ・スパンピナート (Joey Spampinato : b & bvo)、スティーヴ・ジョーダン (Steve Jordan : dr & bvo)、イングリッド・ベリー (Ingrid Berry : bvo)、エリック・クラプトン (Eric Clapton : g & vo)、ロバート・クレイ (Robert Cray : g & vo)、リンダ・ロンシュタット (Linda Ronstadt : vo)、ジュリアン・レノン (Julian Lennon : vo)、エタ・ジェイムズ (Etta James : vo)
だが、そのコンサートがハレの舞台であるだけに、どうしてもケの部分が不明瞭になってしまうのも、否定出来ないだろう。
観方によっては、映画『ヘイル! ヘイル! ロックンロール
(Hail! Hail! Rock 'N' Roll)』 [テイラー・ハックフォード (Taylor Hackford) 監督作品 1987年制作] は、チャック・ベリー (Chuck Berry) の映画であるよりも、彼の為に最善最良最高の場を設けようとするキース・リチャーズ (Keith Richards) の映画にもなりえるのだ。
だから、この映画を観ただけでは、彼を知る事にはならない。
ぢゃあ、チャック・ベリー (Chuck Berry) のケを観たければなにを観るべきなのか。
ぼくは、、お互いにとって鬼っ子的存在な、映画『真夏の夜のジャズ
(Jazz On A Summer's Day)』 [バート・スターン (Bert Stern) 監督作品 1960年制作] こそ、それに相応しいと思う。
彼はこの映画の中で『スウィート・リトル・シックスティーン (Sweet Little Sixteen)』を唄い演奏しているのだ。
ここで、お互いという表現をつい使ってしまった。お互いのその一方は、勿論チャック・ベリー (Chuck Berry) 本人である事は誰にも解ると想う。では、そのもう一方は、と言えば、疑問符が湧くかもしれない。ぼくはこの場合、ジャズ (Jazz) を指して、使っている。
ジャズ (Jazz) のドキュメンタリーにも関わらず、何故、チャック・ベリー (Chuck Berry) が登場するのか。否、それ以前に、そのドキュメントの主題である、1958年に開催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバル (Newport Jazz Festival) に何故、チャック・ベリー (Chuck Berry) が招聘されたのか。
つまりは、そおゆう事である。
不明な点や不審な点は、いくらでもでてくる。
いくらもでてくるけれども、恐らくは、黒人達から産まれたジャズ (Jazz) の、その新しい潮流のひとつとして、チャック・ベリー (Chuck Berry) が着目されたのだろう、という様な推測は、自ずと立つのだ。

なにせこの1958年と言う年は、前々年の『ロール・オーバー・ベートーヴェン (Roll Over Beethoven)』、前年の『ロック・アンド・ロール・ミュージック (Rock And Roll Music)』に続いて、彼が『ジョニー・B. グッド (Johnny B. Goode)』を発表した年なのである。
所謂、極めつけのロック・クラシックスが幾つも幾つも彼から産み出された年なのである [上の掲載画像はそんな絶頂期である1958年に発表された彼のアルバム『チャック・ベリー・イズ・オン・トップ (Chuck Berry Is On Top)
』そのオリジナル・ジャケット]。
しかしだからと言って、自ずとそれは立つのだけれども、如何ともし難い面持ちが、随所に立ち顕われている様な気がするのは、ぼくだけではないだろう。
例えば、ぼくがこの映画のリヴァイヴァル上映を観た際に入手した映画パンフレットには、こんな言葉が並んでいるのだ。
「ロック界の貴公子、チャック・ベリー」
もしかすると、この映画が日本で封切られた1960年当時の、惹句をそのまま引用しているのかもしれない。
しかし、いまだかつて、ぼくの知り得た範囲内では、チャック・ベリー (Chuck Berry) を貴公子呼ばわりするのは、この映画を紹介するその文章 [と、その言葉を真に受けて引用するジャズ・ジャーナリスト諸氏の文章] の中だけなのだ。
否。否。否。そればかりではない。
映画を観れば解る様に、彼の周囲に佇むミュージシャンの、薄ら寒さには、誰だって、気づく筈だ。
ちゃんとしたクレジットがないから断言出来ないけれども、恐らく、ステージ上にあるのは、錚々たるかつてのエリントニアン (Ellingtonian) の面々であって、チャック・ベリー (Chuck Berry) は彼らの演奏途中に客演した恰好なのだろう。
気持ちのいい処に、最小限のショットを放っているのが、ジョー・ジョーンズ (Jo Jones) である事は解るけれども、本来ならば、共にエイト・ビートを刻むべきベーシストはなにをやっているのだろうか。
独りチャック・ベリー (Chuck Berry) に絡みソロ・パートをも受け持つクラリネット奏者ルディ・ラザフォード (Rudy Rutherford) はいるものの、彼自身、どこまで本気なのかは解らない [と、言うのは、この映画以外で、ルディ・ラザフォード (Rudy Rutherford) の演奏を聴いた事がないというぼくの不勉強さに尽きているのだけれども]。
だからと言って、ステージ上に居並ぶ彼らを責める気には、ぼくにはないのだ。
何故ならば、この映画を何度も観ているぼく自身ですら、ここではない他の演奏シーンで、ジョー・ジョーンズ (Jo Jones) を筆頭に彼らを観たいところなのだ。
[そして余談だけれども、ジョー・ジョーンズ (Jo Jones) と言えば、若き日のチャーリー・パーカー (Charles Parker) のエピソードで損な役回りで登場しているヒトなのだ。そのエピソードは、チャーリー・パーカー (Charles Parker) の伝記映画『バード
(Bird)』 [クリント・イーストウッド (Clint Eastwood) 監督作品 1988年制作] でも描かれていて、それを想うと、よくジョー・ジョーンズ (Jo Jones) はチャック・ベリー (Chuck Berry) のバックを引き受けたなぁ、とぼくには思えてしまうのだ。]
しかし、その様な場ですらも、意に解せずに、太々しくも、いつも通りに唄い演奏しきってしまうのが、チャック・ベリー (Chuck Berry) なのだ。
彼の貴重な若かりし日の映像、である以上に、ケの舞台に立つ彼、通常業務中の彼を観る事の出来る映像なのである。
ちなみに、ぼくが個人的に好きな、チャック・ベリー (Chuck Berry) を語る名言は、これだ。
「母さんが言うのさ『あなたとエルヴィスは最高だけど、あなたはチャック・ベリーじゃあないのよねぇ ([My mama] said, 'You and Elvis are pretty good, but you're no Chuck Berry.')』」 by ジェリー・リー・ルイス (Jerry Lee Lewis)
次回は「り」。
ジョン・レノン (John Lennon) の「ロックンロールに別の名前を与えるとすれば、それは『チャック・ベリー』だ (If you tried to give rock and roll another name, you might call it 'Chuck Berry'.)」は、その最たるモノだし、これでもう既に充分な気もする。
それとも、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャーズ (Keith Richards) の、運命的な再会のきっかけがチャック・ベリー (Chuck Berry) のレコードであり、その3年後の1963年に、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) がチャック・ベリー (Chuck Berry) のカヴァー『カム・オン (Come On)』でデヴューしたと、記してみようか。
大袈裟に言えば、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の50年に渡る歴史の発端が、チャック・ベリー (Chuck Berry) なのであり、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャーズ (Keith Richards) に引導を渡したのがチャック・ベリー (Chuck Berry) なのである。
だが、本当は、そんな彼を巡る発言の羅列や、彼を巡るエピソードの羅列はいらないのだ。
しかし、それは音楽は語る必要はない、ただ聴けば解る、という様な [ぼくの文章のあちらこちらに登場する] 常套句とは、幾分、趣が違う。
それは例えば、次の様なモノなのだ。
チャック・ベリー (Chuck Berry) のコンサートでは、彼のバックで演奏するミュージシャンは総て、現地調達なのである。しかも、その現地調達のミュージシャンと音合わせもリハーサルも殆どしない。
しかし、それで充分なのである。
何故ならば、参加メンバーの、誰もが彼を知っているし、誰もが彼の音楽を知っているからなのだ。
だから、チャック・ベリー (Chuck Berry) は、ギター一本を抱えて、たった一人で世界中をツアーして廻る事が可能なのである。
もしかすると、"ギターを持った渡り鳥"とは小林旭 (Akira Kobayashi) の事ではなくて、チャック・ベリー (Chuck Berry) を指して発すべき言葉かもしれない。
そして、そんな彼の在り方に異を唱えたのが、キース・リチャーズ (Keith Richards) であり、と同時に、チャック・ベリー (Chuck Berry) の一世一代の、文字通りのハレの場を用意したのが、彼なのである。
1986年に、彼の故郷であるセントルイス (St. Louis) で生誕60周年記念コンサート (A Celebration Concert For Chuck Berry's Sixtieth Birthday) が開催される。この年は、彼が還暦を迎えた年であるばかりではなく、ロックの殿堂 (The Rock And Roll Hall Of Fame And Museum) 入りを果たした年でもある。
その模様は、そのコンサートのドキュメントである映画『ヘイル! ヘイル! ロックンロール
その映画を観れば、彼の音楽の素晴らしさと同時に、如何に、彼の音楽が愛されていると同時に、多大なる影響を放ったかを知る事が出来る。
先のキース・リチャーズ (Keith Richards) を筆頭に、この映画に彼のバック・バンド・メンバーとして出演したミュージシャン / アーティストの名を並べてみよう。
キース・リチャーズ (Keith Richards : g & bvo)、ジョニー・ジョンソン (Johnnie Johnson : p)、チャック・リーヴェル (Chuck Leavell : org)、ボビー・キーズ (Bobby Keys : sax)、ジョーイ・スパンピナート (Joey Spampinato : b & bvo)、スティーヴ・ジョーダン (Steve Jordan : dr & bvo)、イングリッド・ベリー (Ingrid Berry : bvo)、エリック・クラプトン (Eric Clapton : g & vo)、ロバート・クレイ (Robert Cray : g & vo)、リンダ・ロンシュタット (Linda Ronstadt : vo)、ジュリアン・レノン (Julian Lennon : vo)、エタ・ジェイムズ (Etta James : vo)
だが、そのコンサートがハレの舞台であるだけに、どうしてもケの部分が不明瞭になってしまうのも、否定出来ないだろう。
観方によっては、映画『ヘイル! ヘイル! ロックンロール
だから、この映画を観ただけでは、彼を知る事にはならない。
ぢゃあ、チャック・ベリー (Chuck Berry) のケを観たければなにを観るべきなのか。
ぼくは、、お互いにとって鬼っ子的存在な、映画『真夏の夜のジャズ
彼はこの映画の中で『スウィート・リトル・シックスティーン (Sweet Little Sixteen)』を唄い演奏しているのだ。
ここで、お互いという表現をつい使ってしまった。お互いのその一方は、勿論チャック・ベリー (Chuck Berry) 本人である事は誰にも解ると想う。では、そのもう一方は、と言えば、疑問符が湧くかもしれない。ぼくはこの場合、ジャズ (Jazz) を指して、使っている。
ジャズ (Jazz) のドキュメンタリーにも関わらず、何故、チャック・ベリー (Chuck Berry) が登場するのか。否、それ以前に、そのドキュメントの主題である、1958年に開催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバル (Newport Jazz Festival) に何故、チャック・ベリー (Chuck Berry) が招聘されたのか。
つまりは、そおゆう事である。
不明な点や不審な点は、いくらでもでてくる。
いくらもでてくるけれども、恐らくは、黒人達から産まれたジャズ (Jazz) の、その新しい潮流のひとつとして、チャック・ベリー (Chuck Berry) が着目されたのだろう、という様な推測は、自ずと立つのだ。

なにせこの1958年と言う年は、前々年の『ロール・オーバー・ベートーヴェン (Roll Over Beethoven)』、前年の『ロック・アンド・ロール・ミュージック (Rock And Roll Music)』に続いて、彼が『ジョニー・B. グッド (Johnny B. Goode)』を発表した年なのである。
所謂、極めつけのロック・クラシックスが幾つも幾つも彼から産み出された年なのである [上の掲載画像はそんな絶頂期である1958年に発表された彼のアルバム『チャック・ベリー・イズ・オン・トップ (Chuck Berry Is On Top)
しかしだからと言って、自ずとそれは立つのだけれども、如何ともし難い面持ちが、随所に立ち顕われている様な気がするのは、ぼくだけではないだろう。
例えば、ぼくがこの映画のリヴァイヴァル上映を観た際に入手した映画パンフレットには、こんな言葉が並んでいるのだ。
「ロック界の貴公子、チャック・ベリー」
もしかすると、この映画が日本で封切られた1960年当時の、惹句をそのまま引用しているのかもしれない。
しかし、いまだかつて、ぼくの知り得た範囲内では、チャック・ベリー (Chuck Berry) を貴公子呼ばわりするのは、この映画を紹介するその文章 [と、その言葉を真に受けて引用するジャズ・ジャーナリスト諸氏の文章] の中だけなのだ。
否。否。否。そればかりではない。
映画を観れば解る様に、彼の周囲に佇むミュージシャンの、薄ら寒さには、誰だって、気づく筈だ。
ちゃんとしたクレジットがないから断言出来ないけれども、恐らく、ステージ上にあるのは、錚々たるかつてのエリントニアン (Ellingtonian) の面々であって、チャック・ベリー (Chuck Berry) は彼らの演奏途中に客演した恰好なのだろう。
気持ちのいい処に、最小限のショットを放っているのが、ジョー・ジョーンズ (Jo Jones) である事は解るけれども、本来ならば、共にエイト・ビートを刻むべきベーシストはなにをやっているのだろうか。
独りチャック・ベリー (Chuck Berry) に絡みソロ・パートをも受け持つクラリネット奏者ルディ・ラザフォード (Rudy Rutherford) はいるものの、彼自身、どこまで本気なのかは解らない [と、言うのは、この映画以外で、ルディ・ラザフォード (Rudy Rutherford) の演奏を聴いた事がないというぼくの不勉強さに尽きているのだけれども]。
だからと言って、ステージ上に居並ぶ彼らを責める気には、ぼくにはないのだ。
何故ならば、この映画を何度も観ているぼく自身ですら、ここではない他の演奏シーンで、ジョー・ジョーンズ (Jo Jones) を筆頭に彼らを観たいところなのだ。
[そして余談だけれども、ジョー・ジョーンズ (Jo Jones) と言えば、若き日のチャーリー・パーカー (Charles Parker) のエピソードで損な役回りで登場しているヒトなのだ。そのエピソードは、チャーリー・パーカー (Charles Parker) の伝記映画『バード
しかし、その様な場ですらも、意に解せずに、太々しくも、いつも通りに唄い演奏しきってしまうのが、チャック・ベリー (Chuck Berry) なのだ。
彼の貴重な若かりし日の映像、である以上に、ケの舞台に立つ彼、通常業務中の彼を観る事の出来る映像なのである。
ちなみに、ぼくが個人的に好きな、チャック・ベリー (Chuck Berry) を語る名言は、これだ。
「母さんが言うのさ『あなたとエルヴィスは最高だけど、あなたはチャック・ベリーじゃあないのよねぇ ([My mama] said, 'You and Elvis are pretty good, but you're no Chuck Berry.')』」 by ジェリー・リー・ルイス (Jerry Lee Lewis)
次回は「り」。
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