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2012.08.21.17.25

みろくぼさつ

弥勒菩薩 (Maitreya) を初めて観、知ったのは、いつの事だろう。
切手の蒐集熱に浮かされて、集め出した切手のその中に、彼の姿を発見した時だろうか。
だとしたらそれは額面50円で流通していた普通切手 [第4次ローマ字入り切手 19741976年流通] に描かれた中宮寺 (Chugu-ji Temple) の木造菩薩半跏像 (Miroku Bosatsu At Chugu-ji Temple) に他ならない。
それとも、習い始めた歴史の教科書のその中に、彼の姿を発見した時だろうか。
だとしたら、丁度、歴史というモノに興味をもった結果、親に購ってもらった全22巻の歴史百科事典に違いない。その分冊のひとつを収める函には、広隆寺 (Koru-ji) の木造弥勒菩薩半跏像 (Miroku Bosatsu At Koru-ji Temple) が表紙に印刷されてあったからだ。

いずれのどちらにしても、小学校の高学年の頃の事だ。
だが、そこで観た半跏思惟 (Bangasayusang) という独特の造型と、その姿の中にたたえられている笑み (Archaic Smile) が、ひとつのイメージとなって結びつくのは、もう少し先の事である。

その時とは、萩尾望都 (Moto Hagio) が描いた漫画『百億の昼と千億の夜 (Ten Billion Days And One Hundred Billion Nights )』 [光瀬龍 (Ryu Mitsuse) 原作 週刊少年チャンピオン 19771978連載] に彼が登場した際である。
そこでは、半跏思惟 (Bangasayusang) や笑み (Archaic Smile) だけではなく、菩薩 (Bodhisattva) としての彼の最大の特徴である、56億7千年後 (5,670,000,000 Years Later) の遠い未来に顕われる救世主という側面もきちんと描写されていたのだ。

物語の中では、阿修羅王 (Asura) に導かれるままに、悉多達太子 (Siddhartha) が兜率天 (Tushita) の一隅に安置されている弥勒菩薩 (Maitreya) の像にまみえる。そして、その偉容と彼の帯びている救世の任に圧倒されて平伏す悉多達太子 (Siddhartha) に対して、己の抱く疑念を阿修羅王 (Asura) が説くのだ。
物語は、その疑念の正体を追求する、永い永い追跡の旅として、そこから語り始められるのである。

つまり、56億7千年後 (5,670,000,000 Years Later) にナニが起きるのか、そして、それを約束する彼の真意はどこにあるのか、世に説かれている終末観の謎を追求し糾弾しようとする、阿修羅王 (Asura) と悉多達太子 (Siddhartha) の果てしのない旅が始るのだ。

だから、弥勒菩薩 (Maitreya) とは別の語り口で、終末観を説き、最後の審判 (The Last Judgment) を持って、人類に警鐘を鳴らすナザレのイエス (Iesus Nazarenus) にも、ふたりは遭遇する。否、逢うだけではない。対峙し、敵対するのだ。
何故ならば、彼は弥勒菩薩 (Maitreya) の一派に属す婢、走狗なのだから。

これまでの習い慣れ親しんで来た世界観や常識が、この物語では疑われ、異を唱える様に、語られ続ける。

しかも、この漫画が連載されている頃は、パンク・ムーヴメント (Punk Mivement) の真っただ中にあって、常識や道徳が、この物語の外部でも異論ありとされていた最中だったのである。

だから、その年の春に行われた、奈良 (Nara)~京都 (Kyoto) への修学旅行の、2泊3日の旅程の中日がクラス毎の自由スケジュールだったのを利用して、ぼくは、中宮寺 (Chugu-ji Temple) と広隆寺 (Koru-ji) を見学先の候補地として提案し、ものの見事にねじ込ませる事に成功したのである。
勿論、敢て書くまでもないけれども、そのふたつの寺には、弥勒菩薩 (Maitreya) の像が安置されている。

ぼくとしては、たとえそれが物語上のモノであるとは言え、自身の仮想敵を一度、拝む必要があると、考えていたのだ。阿修羅王 (Asura) と悉多達太子 (Siddhartha) が、弥勒菩薩 (Maitreya) の像を観に、兜率天 (Tushita) へ向かったのと同じ動機だ。

images
56億7千年後 (5,670,000,000 Years Later)、阿修羅王 (Asura) と悉多達太子 (Siddhartha) の前に弥勒菩薩 (Maitreya) が遂にその本性を顕わす、その時に向けて [掲載画像はこちらから]。

中学三年の頃の事である。

附記:
興福寺 (Kohfukuji) に安置されている乾漆八部衆立像のうちの阿修羅像 (Asura From Eight Legions, Eight Deva Guardians Of Buddhism) に相見えるのはもっと後、大学に進学してからの一人旅での時である。

次回は「」。
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