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2012.08.16.10.27

『ほぼ日刊イトイ新聞』で『書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。永田泰大』を読む

躊躇う様な逡巡する様な、筆者、永田泰大のモノローグをじぃっと読んでいると、糸井重里のこの発言に不意をつかれる。

「糸井重里が、ぼくに言った。
『永田くんさ、仕事だと思って、撮っといて』」

この発言を足がかりにして、『ほぼ日刊イトイ新聞』 [以下『ほぼ日』と略] に掲載された『書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。永田泰大』 [以下『福島のこと』と略] を読んでみたいと思う。

なお、文中は、引用文以外は総て敬称を略させて頂いた。

福島のこと』の冒頭で、この福島行取材の概要はきちんと説明されている。
取材日は、3.11から約1年後の2012年3月5日。
訪れた場所は、相馬市から南相馬市へかけての海沿いの一帯。
取材に同道したのは、毎日新聞 斗ヶ沢秀俊ラジオ福島 大和田新の案内の下、京都三角屋 三浦史朗 [『ほぼ日気仙沼支局である『気仙沼のほぼ日』の内装を手掛ける] 、糸井重里と『ほぼ日』乗組員の小池花恵、そして同じく『ほぼ日』の乗組員でありこの記事の筆者、永田泰大である。

にも関わらずに、記事は総て永田泰大の主観を通じて語られているので、冒頭に掲げた糸井重里の発言には、吃驚させられる。
それは、ふたつの意味に於いて、だ。

ひとつは、何故、この福島行の主体ないしは主観を糸井重里にしなかったのだろうか、と言う点。つまり、『ほぼ日』の他の多くの記事同様に、糸井重里と他の同道者とが交わすことばの積み重ねという対談や対論という形式をなぜ、採らなかったのか、という疑問である。
しかも、糸井重里の発言は記事中、これとあともうひとつしか登場しない。
尤も、糸井重里の同道者の中に、毎日新聞ラジオ福島という、ふたりのメディア側の人物がいる事から、糸井重里をメインに据えた記事ないし報道は、そちらの方で発表されてしまっているという可能性は、ある。と、なると、新聞ないしはラジオという『ほぼ日』とは異なる媒体ではあるけれども、同種の記事掲載は、躊躇わせるモノがあるのかもしれない。

そして、もうひとつは糸井重里の発言にある「仕事だと思って」ということばは、今、初めて、そこに登場したのではないという事なのである。

「ぼくは、さっと自分の意識を遠ざけるようにしていた。そうしないと、冷静に仕事ができないからだ」

そして、この文章に呼応する様にして、「意識を遠ざけ」様とする記述が何度となく、登場する。

「自分の意識を、自分の身体からちょっと切り離す」
「心を切り離して身構える余裕がなかった。涙が出た」
「深く呼吸して、意識をすこし別の場所に離しながら」

何故ならば、「自分がなんのためにそこにいるのかということを考えれば、自然と態度は決まる。一時の感情に流されている場合ではない」からだ。
そして、この自覚を一言で言い表すと「仕事」という語句になるのだろう。

だから、糸井重里も発したのだ。

「永田くんさ、仕事だと思って、撮っといて」と。

だが、そんな事は永田泰大は、百も承知なのだ。何故ならば、糸井重里のこの発言が登場する直前に、自身の内心を、以下の様に描写しているのだ。

「身構えても、身構えても、気持ちがあふれ出してしまいそうになる。その度、意識を遠くへ切り離す」と。

自身の中では、「仕事」であるという意識の下で行動しているつもりであっても、他者から観れば、永田泰大のこころは相当に激しく揺さぶられている様に観えたのだろうか。
それとも、糸井重里自身も、永田泰大と同様、否、それ以上に揺さぶられていたのだろうか。

と、言うのは、糸井重里のその発言を聴いた永田泰大は、「それはカメラを持つぼくへの気遣い」と解しているのだけれども、むしろ、「仕事だと思って」ということばは、糸井重里自身に言い聞かせている様にも読めるからだ。

それ程に、揺さぶられているこころと隣り合わせにありながらも、「仕事だと思って」カメラを構えファインダーをのぞく永田泰大は、しかし、ある場所で、遂に、写真を撮れなくなってしまう。
そこはその日の最期の取材場所である、南相馬市萱浜地区にある上野敬幸宅での事である。

ところで、写真を撮るべき立場にありながら、しかも、撮るべき場面に遭遇しながらも、それが出来なかったという記載は、永田泰大には、それ以前にもあった。
丁度、1年前の記事『福島の特別な夏。 第93回全国高等学校野球選手権福島大会』 [以下『特別な夏』と略] に、二度も登場している。ひとつは『#12 聖光学院対須賀川』の回で、もうひとつは『#18 第93回全国高等学校野球選手権大会』の回で。
そうして、その度毎に、永田泰大は、何故、出来なかったのか、何故しなかったのかを考察し逡巡し堂々巡りをしているのだけれども、今回、カメラを向けられなかった理由は、別のモノである様だ。

その玄関先にある祭壇に飾られてあった家族の写真を観たからである。その地域で半壊ながらも、一軒だけ遺った家屋の主、上野敬幸は、「ご両親と、8歳のお嬢さんと、3歳の息子さん、4人を亡くされて」いるのである。
永田泰大は、その時の心情をこう綴っている。

「個人的な話になるけれども、ぼくにもふたりの子どもがいる。男の子と女の子で、年齢も写真の子どもたちに近い」
「自分の感情を突き動かしたのは、写真のまわりある、子ども用のオモチャだった」
「うちにもある。それをぼくは知っている。そう、どこにでもある、子ども用のオモチャだった」

そして、ここでのこころの揺らめきは、ぼくには、この記事が掲載される前日まで連載されていた企画記事『にわかファンのにわかファンによるにわかファンのためのオリンピック企画 観たぞ、ロンドンオリンピック!』 [以下『観たぞ、ロンドンオリンピック!』と略] の最終回『男子400mリレー決勝、マラソン、アテネを超える38個めのメダル、そして、閉会式!』のどんづまりの最期の文章を憶い出させるのだ。

「最後に、キス&クライで、カメラに向かってメッセージを告げるスケーターよろしく個人的な感想をひと言だけ述べさせてもらうなら、超・子どもと遊びたい!」

それぞれの記事にあるふたつのことばは、ベクトルは180度も違う様に観えながらも、実はどちらも同じ想いの発露である。

だから、この祭壇での一件の後に控えている上野敬幸の独白が、非常に重く響いて来るのではないだろうか。

では、と言って、次に続くべき上野敬幸の独白をここで紹介したり分析したり論評したりするのは、ぼくには躊躇われる。
と、言うか、荷が重い。
と、言うか、ぼくのことばで綴るよりも、実際に、本文に当たって、個人個人で上野敬幸のことばを噛み締めてもらうべきだと、考えている。

言い訳ついでに、責任転嫁のきらいがない訳でもないけれども、上野敬幸の独白に対しては、本来的にはことばのプロである筈の糸井重里ですら、ありきたりで差し障りのない平々凡々のことばしか、発言出来ていないのである。
勿論、記事の執筆から編集の過程で、実際には雄弁に語られたかもしれない糸井重里の発言が、削除され割愛された可能性が、ない訳ではない。
ただ、もしそうであるならば、この記事の執筆者であり、編集者である永田泰大の意図としては、読者には、上野敬幸のことばだけに注視して、その重みをきちんと引き受けて欲しいという意図がある筈なのだ。
と、同時に、糸井重里の、ありきたりで差し障りのない平々凡々のことばでしかないそれが、逆説的に、重いものとなって、響いてくるのだ。

だから、上野敬幸の独白について、駄文を連ねる代わりに、最初の方で問題提起しながらも、状況分析だけで放置してある事を、考えてみたいと想う。
それは、何故、この福島行の主体ないしは主観を糸井重里にしなかったのだろうか、と言う点である。

3.11.以降、『ほぼ日』では何度となく、報道に携わるモノやメディア側にたつモノが登場し、従来的な取材や従来的な報道では立ち行かないモノがある事を、そして、それに代わりうる新しい取材や新しい報道の可能性を、それぞれの言葉で語ってきた。

佐々木俊尚×糸井重里 メディアと私。 -おもに、震災のあと。』での佐々木俊尚
ゼロから立ち上がる会社に学ぶ東北の仕事論。朝日新聞気仙沼支局 篇』での朝日新聞気仙沼支局掛園勝二郎
ゼロからはじめるジャーナリズム オランダ人ジャーナリスト、ヨリス・ライエンダイクさんと。』でのヨリス・ライエンダイク (Joris Luyendijk) 。

そして彼らの発言に呼応する様にして『ほぼ日』が独自に行ったモノは、ひとつは『東北の仕事論』という連載企画であり、それをさらに押し進める為に設けられたのが気仙沼支局『気仙沼のほぼ日』という場所であり、そこから発せられる『気仙沼のほぼ日』というコンテンツなのだ。
勿論、それら以外にも様々な復旧 / 復興への取組みをしていて、その全容は『東日本大震災のこと。「ほぼ日」は、こう考えました。』で確認出来る。

つまり、『福島のこと』もその一貫、永田泰大自身による、独自の取材であり独自の報道なのであろう。
従来的な取材や従来的な報道ではない、それに代わりうる新しい取材や新しい報道への、永田泰大の試みなのだ。

それを今回の記事に則して書いてみると、従来の取材や報道では「仕事だと思って」「自分がなんのためにそこにいるのかということを考えれば、自然と態度は決まる。一時の感情に流されている場合ではない」のかもしれないが、それが必ずしも総ての取材や報道に当て嵌まるとは限らない。
と、言えるのかもしれない。
時として、「感情に流されている」ままに、取材対象に向き合い、時として、「なんのためにそこにいるのか」を忘れてしまった「自分」さえも報道すべき場合も、あるのかもしれない。
と、言い換えられるのかもしれない。

それぞれの立場や体験で、3.11以降の取材や報道の在り方を語っていた、佐々木俊尚掛園勝二郎ヨリス・ライエンダイク (Joris Luyendijk) は、今回の記事を、どの様にして読むのだろうか。

と、同時に、前年に掲載された『特別な夏』の拾遺篇でもあるのではないだろうか。
何故ならば、上野敬幸の発言には、次の様なモノがあるからだ。

「『復興』は、たしかに、大切なことです。でも、福島県で『復興』っていうと、やっぱり放射能に関してのことでね。津波被害に対しての『復興』っていうふうには、やっぱり、言ってないからね」

昨年の『特別な夏』の、主役は福島で行われる高校野球大会だけれども、影の主役は放射能汚染なのだ。福島がフクシマだからこそ、あの記事は産まれたのだ。
そおゆう意味では、当初、予定されていた「3月11日」に掲載されるよりも、今、この時期に発表されるのが相応しい様に、ぼくには思える。

附記:
ほぼ日』での永田泰大での「仕事」と言われて頭に浮かぶのは、『観たぞ、ロンドンオリンピック!』の様な、読者からの投稿を基にひとつの記事にしたてあげるモノや、『糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの 今日のダーリン』を基に纏めあげた書籍群である。
前者は、恐らく膨大な量の投稿を瞬時に採用不採用を判断すると同時に、採用コメントに最短で最小で最適でしかも快い笑いを誘うことばで切り返す。
後者は、糸井重里が綴った365日の文章の中から選りすぐりの、こころの奥底に響くことばを一冊の書物に纏め上げる。
そのどちらも、瞬時の判断、剃刀の刃の様な煌めき、快刀乱麻のひらめきが、休む事なく脳内に響き渡っている様に思える。
にも関わらずに、『福島のこと』や『特別な夏』では、そんな思考回路とは全く逆のモノが働いている様に思える。慎重だし丁寧だし、観方によっては愚鈍にも思えてしまうその文章の運びは、同一人物なのだろうか、という程にも、異なって観える。
しかも、これは3.11.以降のモノではなくて、永田泰大に本来的に備わっているモノの様なのだ。
と言う事は、永田ソフト名義で連載されていた『怪録テレコマン!』の最終回『たんぽぽ』という記事を読めば、立ち所に理解出来る筈だ。自身の子供の入園式のエピソードが綴られるそれは、そっくりそのまま『福島のこと』に照応されている。
と、言う事は、逆に言うと、『観たぞ、ロンドンオリンピック!』も糸井重里書籍群も、慎重で丁寧で観方によっては愚鈍にも思える行程、同じ様な思考回路を経て、編集されているのかもしれない。
永田泰大の記事への接し方が、これから、変わっていきそうだ。
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