2012.08.02.23.44
『ほぼ日刊イトイ新聞』 で『マイケル・サンデルさんと自由に話した午後。 お金と野球と『夏服を着た女たち』。』を読む
インタヴュアーとして定評のある糸井重里 (Shogesato Itoi) と、『ハーバード白熱教室 (Justice With Michael Sandel)』で知られるマイケル・サンデル (Michael Sandel) と、言わば、ふたりの聞き上手による対談が『ほぼ日刊イトイ新聞』 [以下『ほぼ日』と略] で読めると聴いて、あなたはどんなモノを想像しますか?
と、記事冒頭で自問自答しながら、そのこころに浮かんだモノを大事に大事にしながら読んでいくと、なんとなく、想い描いたモノと違う会話がそこにある。
そんな体験をしたのは、ぼくだけなのだろうか。
と、書くと、未読の方に悪印象を抱かせてしまうかもしれないから、まずはこころをまっさらにして、記事を読んでみて下さい。計7回に分けて連載された記事は、それぞれのタイトルをクリックすると読む事が出来ます。
マイケル・サンデルさんと自由に話した午後。 お金と野球と『夏服を着た女たち』。 全7回
[以下『自由に話した午後』と略]
#1 哲学を現実の政治につなげる。
#2 二塁手の役割。
#3 お金について話すのは難しい。
#4 仕事というものの範囲。
#5 『夏服を着た女たち』
#6 みんながわかりあう場所。
#7 お金に対する信頼。
また、いつもの様に、引用文を除く本文中では敬称略とさせて頂きます。
拙文冒頭で、"想い描いたモノ"と書いた以上は、恐らく誰しもが、では、お前はナニを"想い描いた"のか、と問い糾したいのに違いない。
だけれども、その問いへの答を言うのには窮してしまっているぼくもいる。
と、言うのは、ぼく自身がふたりの対談に期待していたのは、ナニを語るかではなくて、どのようにして語るのかという点に尽きるからなのだ。
だから『自由に話した午後』のサヴ・タイトルに列挙されてある様な、『お金』や『野球』や『夏服を着た女たち』 (The Girls In Their Summer Dresses) [アーウィン・ショー (Irwin Shaw) 著] であろうとなかろうと、それは対談者が好きに選べばよい事なのである。と、いうのは、ぼくが興味があるのは、その『お金』や『野球』や『夏服を着た女たち (The Girls In Their Summer Dresses)』 [アーウィン・ショー (Irwin Shaw) 著] が、どの様なかたちで対話のテーマとして顕われ、対談者が語るべき動機として共有され、それぞれの同意もしくは差異をお互いが認識出来たのか、というその流れを観てみたかったからである。
と、言うのは、ぼくの頭の中に同じく『ほぼ日』で連載された、テドエックストーキョー (TedxTokyo) のパトリック・ニューウェル (Patrick Newell) と糸井重里 (Shogesato Itoi) との対談『日本の人たちのいいところ。 パトリック・ニュウエルさんと話した「これからの価値観」と「学び」の話。』があったからなのだ。
ここでのふたりの会話は非常にスリリングなのだ。
と、いうのは己の眼の前にいる対談者に対して、発したいことばがある時に、そのことばを語る土俵を造る様なかたちで、一見そのことばとは無縁と思われる様な質問がぽんと、飛び出してくるのだ。そしてその質問に対する答を受ける様なかたちで、自身が発したいホントのことばがようやく姿を顕わすのである。
この『日本の人たちのいいところ。 パトリック・ニュウエルさんと話した「これからの価値観」と「学び」の話。』の連載を読みながら、なるほどね、言いたい事がある場合は、先ず先に相手に喋らせちゃえばいいんだな、と半可通な得心をしていたのが、ぼくなのである。
という前段があっての、この『自由に話した午後』の登場なのである。
マイケル・サンデル (Michael Sandel) もしくは糸井重里 (Shogesato Itoi) はどの様な手法、対話の妙技をぼく達に魅せてくれるのだろうか、という気分だったのである。
マイケル・サンデル (Michael Sandel) と糸井重里 (Shogesato Itoi) の対話は、ウォーターゲート事件 (Watergate Scandal) の話から始る。それがマイケル・サンデル (Michael Sandel) が現在の職業に就く遠因となっているからだ。この事件を映画化した『大統領の陰謀
(All The President's Men)』 [アラン・J・パクラ (Alan J. Pakula) 監督作品] でのシーンを想い返しながら、ここで語るマイケル・サンデル (Michael Sandel) の話を反芻すると、妙な昂揚感に包まれる。何故ならば、この映画の主人公の様な、ジャーナリストへの憧憬があるとマイケル・サンデル (Michael Sandel) が語るからだ [『#1』]。
と、ここまでは順調な滑り出し [勿論読者であるぼくにとって] なのだけれども、これが『#2』になると、妙な展開になってくる。
マイケル・サンデル (Michael Sandel) が、少年時代の「メジャーリーグで二塁手になる」夢を語りだした途端に、何故だか、糸井重里 (Shogesato Itoi) が語るべき人物よりも先回りして、野球=ベース・ボールに於ける二塁手の役割を滔々と解説するのである。
ここは、通常のインタヴューならば、例え、質問者が回答者よりも詳しい知識があったとしても、回答者自身が語るべきところの筈である。
この論調はここだけでは収まらなくて、全体の基調が常にこの調子で展開している様に、ぼくには思われる。
常に糸井重里 (Shogesato Itoi )がマイケル・サンデル (Michael Sandel) の先駆けをして、議論を拡大させようとしているのである。
ぢゃあ、糸井重里 (Shogesato Itoi)がマイケル・サンデル (Michael Sandel) に対して、己の度量を見せつけようとしてるかというと、必ずしもそうではないだろう。
例えば、『#3』で、『ほぼ日』でかつて行った矢沢永吉 (Eikichi Yazawa) との対論『お金のことを、あえて。』を次の様にあっさりと語りきってしまうのである。
「地方で貧しい育ち方をしたロックスターがいて、その人はお金持ちになりたいって言って、ほんとうになった人なんだけど、その人と、『お金ってなんでしょうね』っていうテーマでお客さんの前で話をしました」
そこには、嘘も誇張もないのだけれども、こんな単純なことばでよく己自身と『ほぼ日』のキャリアを斬り捨てられるなぁと、感心したりもするのである。
だから、対談とは言いながら、それぞれの対話者がもう一方の対話者を凝視めて語り合うというよりも、旧知の間柄のふたりが、同じ光景を観ながら、語っている、そんな風にも読めるのである。
その結果、読み終わってみると、マイケル・サンデル (Michael Sandel) という人物のひととなりやその人物が抱いているヴィジョンよりも、『#4』以降で語られる、これから糸井重里 (Shogesato Itoi) がやろうとしている事や『ほぼ日』というメディアが目指している方向性の方が、強く印象に残っている、そんな対談なのである。
それは、糸井重里 (Shogesato Itoi) がマイケル・サンデル (Michael Sandel) という鏡に己自身を投影させてみた結果なのか、それとも、マイケル・サンデル (Michael Sandel) 自身が巧みに誘導して糸井重里 (Shogesato Itoi) に自己を語らせたその結果なのか、その何れであるか、どちらに功罪があるのか、ぼくには解らない。
尤も、どちらがどちらを利用したとかされたとか、そんな程度の問題ではないとは思うのだけれども。
それは『#4』の後半に顕われるマイケル・サンデル (Michael Sandel) の執拗な質問攻撃 [?] を読めば解るだろう。そこでは、どこまでを"仕事の範疇"と考えるのかという、非常に細かい、と同時に、その人物の職業観なり人生観なりを伺い知る事が出来る様な、質問をマイケル・サンデル (Michael Sandel) が糸井重里 (Shogesato Itoi) に投げかけているのである。
勿論、その点に関する両者の同意と差異をお互いが知る事によって、この対談が成立しているのである。
と、記事冒頭で自問自答しながら、そのこころに浮かんだモノを大事に大事にしながら読んでいくと、なんとなく、想い描いたモノと違う会話がそこにある。
そんな体験をしたのは、ぼくだけなのだろうか。
と、書くと、未読の方に悪印象を抱かせてしまうかもしれないから、まずはこころをまっさらにして、記事を読んでみて下さい。計7回に分けて連載された記事は、それぞれのタイトルをクリックすると読む事が出来ます。
マイケル・サンデルさんと自由に話した午後。 お金と野球と『夏服を着た女たち』。 全7回
[以下『自由に話した午後』と略]
#1 哲学を現実の政治につなげる。
#2 二塁手の役割。
#3 お金について話すのは難しい。
#4 仕事というものの範囲。
#5 『夏服を着た女たち』
#6 みんながわかりあう場所。
#7 お金に対する信頼。
また、いつもの様に、引用文を除く本文中では敬称略とさせて頂きます。
拙文冒頭で、"想い描いたモノ"と書いた以上は、恐らく誰しもが、では、お前はナニを"想い描いた"のか、と問い糾したいのに違いない。
だけれども、その問いへの答を言うのには窮してしまっているぼくもいる。
と、言うのは、ぼく自身がふたりの対談に期待していたのは、ナニを語るかではなくて、どのようにして語るのかという点に尽きるからなのだ。
だから『自由に話した午後』のサヴ・タイトルに列挙されてある様な、『お金』や『野球』や『夏服を着た女たち』 (The Girls In Their Summer Dresses) [アーウィン・ショー (Irwin Shaw) 著] であろうとなかろうと、それは対談者が好きに選べばよい事なのである。と、いうのは、ぼくが興味があるのは、その『お金』や『野球』や『夏服を着た女たち (The Girls In Their Summer Dresses)』 [アーウィン・ショー (Irwin Shaw) 著] が、どの様なかたちで対話のテーマとして顕われ、対談者が語るべき動機として共有され、それぞれの同意もしくは差異をお互いが認識出来たのか、というその流れを観てみたかったからである。
と、言うのは、ぼくの頭の中に同じく『ほぼ日』で連載された、テドエックストーキョー (TedxTokyo) のパトリック・ニューウェル (Patrick Newell) と糸井重里 (Shogesato Itoi) との対談『日本の人たちのいいところ。 パトリック・ニュウエルさんと話した「これからの価値観」と「学び」の話。』があったからなのだ。
ここでのふたりの会話は非常にスリリングなのだ。
と、いうのは己の眼の前にいる対談者に対して、発したいことばがある時に、そのことばを語る土俵を造る様なかたちで、一見そのことばとは無縁と思われる様な質問がぽんと、飛び出してくるのだ。そしてその質問に対する答を受ける様なかたちで、自身が発したいホントのことばがようやく姿を顕わすのである。
この『日本の人たちのいいところ。 パトリック・ニュウエルさんと話した「これからの価値観」と「学び」の話。』の連載を読みながら、なるほどね、言いたい事がある場合は、先ず先に相手に喋らせちゃえばいいんだな、と半可通な得心をしていたのが、ぼくなのである。
という前段があっての、この『自由に話した午後』の登場なのである。
マイケル・サンデル (Michael Sandel) もしくは糸井重里 (Shogesato Itoi) はどの様な手法、対話の妙技をぼく達に魅せてくれるのだろうか、という気分だったのである。
マイケル・サンデル (Michael Sandel) と糸井重里 (Shogesato Itoi) の対話は、ウォーターゲート事件 (Watergate Scandal) の話から始る。それがマイケル・サンデル (Michael Sandel) が現在の職業に就く遠因となっているからだ。この事件を映画化した『大統領の陰謀
と、ここまでは順調な滑り出し [勿論読者であるぼくにとって] なのだけれども、これが『#2』になると、妙な展開になってくる。
マイケル・サンデル (Michael Sandel) が、少年時代の「メジャーリーグで二塁手になる」夢を語りだした途端に、何故だか、糸井重里 (Shogesato Itoi) が語るべき人物よりも先回りして、野球=ベース・ボールに於ける二塁手の役割を滔々と解説するのである。
ここは、通常のインタヴューならば、例え、質問者が回答者よりも詳しい知識があったとしても、回答者自身が語るべきところの筈である。
この論調はここだけでは収まらなくて、全体の基調が常にこの調子で展開している様に、ぼくには思われる。
常に糸井重里 (Shogesato Itoi )がマイケル・サンデル (Michael Sandel) の先駆けをして、議論を拡大させようとしているのである。
ぢゃあ、糸井重里 (Shogesato Itoi)がマイケル・サンデル (Michael Sandel) に対して、己の度量を見せつけようとしてるかというと、必ずしもそうではないだろう。
例えば、『#3』で、『ほぼ日』でかつて行った矢沢永吉 (Eikichi Yazawa) との対論『お金のことを、あえて。』を次の様にあっさりと語りきってしまうのである。
「地方で貧しい育ち方をしたロックスターがいて、その人はお金持ちになりたいって言って、ほんとうになった人なんだけど、その人と、『お金ってなんでしょうね』っていうテーマでお客さんの前で話をしました」
そこには、嘘も誇張もないのだけれども、こんな単純なことばでよく己自身と『ほぼ日』のキャリアを斬り捨てられるなぁと、感心したりもするのである。
だから、対談とは言いながら、それぞれの対話者がもう一方の対話者を凝視めて語り合うというよりも、旧知の間柄のふたりが、同じ光景を観ながら、語っている、そんな風にも読めるのである。
その結果、読み終わってみると、マイケル・サンデル (Michael Sandel) という人物のひととなりやその人物が抱いているヴィジョンよりも、『#4』以降で語られる、これから糸井重里 (Shogesato Itoi) がやろうとしている事や『ほぼ日』というメディアが目指している方向性の方が、強く印象に残っている、そんな対談なのである。
それは、糸井重里 (Shogesato Itoi) がマイケル・サンデル (Michael Sandel) という鏡に己自身を投影させてみた結果なのか、それとも、マイケル・サンデル (Michael Sandel) 自身が巧みに誘導して糸井重里 (Shogesato Itoi) に自己を語らせたその結果なのか、その何れであるか、どちらに功罪があるのか、ぼくには解らない。
尤も、どちらがどちらを利用したとかされたとか、そんな程度の問題ではないとは思うのだけれども。
それは『#4』の後半に顕われるマイケル・サンデル (Michael Sandel) の執拗な質問攻撃 [?] を読めば解るだろう。そこでは、どこまでを"仕事の範疇"と考えるのかという、非常に細かい、と同時に、その人物の職業観なり人生観なりを伺い知る事が出来る様な、質問をマイケル・サンデル (Michael Sandel) が糸井重里 (Shogesato Itoi) に投げかけているのである。
勿論、その点に関する両者の同意と差異をお互いが知る事によって、この対談が成立しているのである。
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