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2012.07.31.17.01

なめくじ

でんでんむしむし かたつむり♪『かたつむり』 [作詞:吉丸一昌 作曲:不詳 1911尋常小学唱歌 上掲載] と唄われている様に、ユーモラスで親しみのある存在として認知されている蝸牛 (Snail) に対して、その類種である蛞蝓 (Slug) の一般的な認識は、むしろ、それとは逆の方向を向いている様に想われる。

樹々の裏々や木陰の葉々で蝸牛 (Snail) を発見した子供達は、歌で唄われている様に、彼の一対の触覚をつついたり、彼の往く先を妨害したり、ひいては貝殻に閉じ篭ってしまった彼をポケットの中に放り込んで自宅へと持ち帰ってしまう。
その後の彼の運命はどうなるのかは知らない。
ポケットの中に仕舞われたままになっている彼を発見した母親の、度量の問題で総ては決定される様に思われるのだ。
大声で悲鳴を揚げるのか、己の子供に元の場所へ戻せと命ずるのか、黙って彼を飼育出来る環境を整えるのか。その総ては、彼女の許容範囲のおおきさで決定されるのだ。
だが、これが蛞蝓 (Slug) ともなると、勝手が違う。もしもその母親が、土間の片隅や庭の縁石にでも発見すればその途端に、黙って彼に食塩を投じ、抹殺してしまうのである。

喩えに揚げた例は極端にしても、あながち、蝸牛 (Snail) と蛞蝓 (Slug) に対する認識は、得てして上の様なものだろう。

陽に対する陰、善に対する悪、是に対する非、諾に対する否。

農業や園芸の観点から観ると、いずれも、育てている食物の葉を喰い荒らす害虫である訳なのだけれども。

生物学的に観れば、完全に陸棲生物となった時点で、貝殻を放棄した蛞蝓 (Slug) の方が未だにそれに依存している蝸牛 (Snail) よりも進化して観えるのだけれども、実際のところはどうなのだろう。貝殻を棄てきれなかったおかげで、棲息可能な場所は広がって観える蝸牛 (Snail) の方が、こと生存という点に於いても、蛞蝓 (Slug) よりは遥かに優位に観えるのだ。

今回は、そおゆうお話です。

手塚治虫 (Tezuka Osamu) の『火の鳥 未来編 (Phoenix Future)』 [19671968COM連載] の最終局面に突然に、蛞蝓 (Slug) のエピソードが登場する。
人類が滅び、地球上のありとあらゆる生命が死に絶えた後の事である。永い永い時を経て、地球はかつて辿った生命の誕生の物語を、まるでフィルムを巻き戻したかの様に再演を始める。
しかし、ひとつだけ異なるモノがある。知的生命体として文明を開いたのが、脊椎動物 (Vertebrate) でも哺乳類 (Mammal) でも霊長類 (Primate) でも、そして勿論、人類 (Humans) でもないのだ。
蛞蝓 (Slug) が智慧を得て進化し、文化を育み、文明を築くのである。

ぼくが初めてこの部分を読んだ際、虫酸が奔って吐き気に襲われた事を憶えている。とにかく、気持ちが悪いのだ。

描かれているエピソード自体は、実は大したモノではない。単純に、人類 (Humans) の誕生と発展とをそのまま蛞蝓 (Slug) に転嫁して描いているだけであるし、彼らが滅亡を迎えるべきエピソードもそんなに特殊なモノではない。恐らく、この作品が発表された当時に警鐘として鳴らされていた、来るべき人類滅亡のシナリオのそのひとつを踏襲しただけの様に思われる [似た様な物語は当時、幼かったぼく自身ですら様々なメディアから発表されている物語で体験済みだ]。
敢て言えば、最期の生き遺りとなった蛞蝓 (Slug) が、己の創造主と会話する際の言葉ぐらいが手塚治虫 (Tezuka Osamu) らしいと言えば言えなくもないが、これだってかなり使い古されたクリシェでしかない様に想える。

images
手塚治虫 (Tezuka Osamu) ならではの独創性とオリジナリティはむしろ、そんな常套句を語るのに蛞蝓 (Slug) をもってした、という点にあるのではないだろうか [上記掲載画像は、こちらから。蛞蝓 (Slug) 文明のパースペクティヴ]。

と、理性的に分析出来たとしても、やっぱり、生理的には受け付けられないのだ、ぼくは。
あそこで描かれている直立した蛞蝓 (Slug) というヴィジュアル、その一点だけで、ぼくは嫌悪感に苛まされ、不愉快なモノが躯の奥底からこみ上げてくるのである。
一体全体に、こんな想いをしているのは、ぼくだけなのだろうか。

しかも、この蛞蝓 (Slug) だけではない。同じ様な設定や描写は、手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作品に何度となく登場するのだ。

例えば『火の鳥 宇宙編 (Phoenix Universe)』 [1969COM連載] に登場する流刑惑星での、動物相 (Fauna) と植物相 (Flora) の生態が全く逆転した世界 [以前ここでその冒頭部を取り上げてある]。
例えば『火の鳥 復活編 (Phoenix Resurrection)』 [1970COM連載] で相貌失認 (Prosopagnosia) を起こし、有機体 (Organisms) と無機体 (Inorganic Compound) が逆転して観えてしまう主人公の主観 [以前ここで取り上げてある]。
例えば『アラバスター (Alabaster)』 [19701971週刊少年チャンピオン連載] での、物質を透明化させるF光線の威力。
挙げていけば暇がない程にいくつもあがる。
特に短編連作の『ザ・クレーター (The Crater)』 [19691970週刊少年チャンピオン連載] にはそんな描写ばかりが執拗なくらいに登場するのである。

何故なのだろう。
あくまでも個人的な生理的な嫌悪だから、ぼくのこの感覚が総て、他の人々にも該当するかどうかは、心許ない。
だけれども、例えば、他の漫画家の描く恐怖や怪奇や畏怖といったモノとは、異質なモノを、感ずるのだ。

その理由を、手塚治虫 (Tezuka Osamu) 自身のペンタッチや描写力に求めたり、彼の出自に遡って医学者としての観点にすがる事も出来るのかもしれない。

でも、それだけでは語りきれないモノも出て来るのではないだろうか。
そしてそれを手塚治虫 (Tezuka Osamu) の内面に潜む闇として、判断保留にする事も出来るのだ。

ところで、何故、手塚治虫 (Tezuka Osamu) は、『火の鳥 未来編 (Phoenix Future)』 [19671968COM連載] において蛞蝓 (Slug) に文明を持たせる設定にしたのだろうか。
これまでにも、ありとあらゆる知性体を産み出してきた彼なのだから、どう考えても、敢て、蛞蝓 (Slug) に文明を持たせたと、考えざるを得ない。
伊達や酔狂だけで、蛞蝓 (Slug) が登場する理由はないのだ。

と、煽ってはみたモノの、答は実は既にあるのだ。
この漫画が連載が開始された前年、『ウルトラQ (Ultra Q)』 [1966年放送 TBS系列] が放送されていて、その『宇宙からの贈りもの (A Present From Space)』 [監督:円谷一 脚本:金城哲夫 特技監督:川上景司] には、火星 (The Mars) から送り込まれた巨大蛞蝓 (Slug)、火星怪獣ナメゴン (Namegon aka The Mars Monster) が登場するのである。
きっと、手塚治虫 (Tezuka Osamu) はこの番組への対抗心から蛞蝓 (Slug) に文明を持たせたのに違いない。

次回は『』。
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