2012.06.26.17.08
源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の一の家臣、武蔵坊弁慶 (Benkei) にはふたつの貌がある様に想われる。
ひとつには、♪京の五条の橋の上♪の唄い出しで知られる唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] で知られるエピソードでの武蔵坊弁慶 (Benkei) である。
このエピソードが伝えるモノは、例え、怪力無双であり強力勇猛な怪力乱心であったとしても、智慧とそれに裏付けられた俊敏さには叶わないというモノである。
そんなエピソードは古今東西、様々なかたちを採って語られている。
例えば、『オデュッセイア (Odysseia)』 [ホメロス (Homeros) 作 紀元前8世紀〜6世紀頃成立] では単眼の巨人キュクロープス (Cyclops) がオデュッセウス (Odysseus) に出し抜かれ、『旧約聖書 (Vetus Testamentum)』 [作者不詳 紀元前10世紀から1世紀頃成立] では巨人ゴリアテ (Goliath) を一投の元に打倒した若き日のダビデ (David) が語られ、『イングランド民話集 (English Fairy Tales)』 [ジョセフ・ジェイコブス (Joseph Jacobs) 編 1890年発表] の一編『ジャックと豆の木 (Jack And The Beanstalk)』 では天空に住まう巨人 (Giant) のはなをあかした少年ジャック (Jack) が描かれ、『御伽草子 (Otogizoshi)』 [作者不詳 18世紀頃成立] では一寸法師 (The One-Inch Boy) が姫を襲う鬼 (Oni) どもを撃破し、『一休頓知話』 [作者不詳 17世紀頃成立] では桔梗屋利兵工 (Rihei Kikyouya) が橋の上に掲げた難題を、小坊主時代の一休宗純 (Ikkyu) が見事に解決してしまうのである。
ある意味で、『大男総身に智慧が回りかね (Seldom is a long man wise ,or a low man lowly.)』という諺を身を以て体現しているのが、上に例示したモノ達であり、牛若丸 (Ushiwakamaru) に翻弄される武蔵坊弁慶 (Benkei) も、その中のひとりでしかない。
だからと言って、それとは逆の意味の諺『小男の知恵は回っても知れたもの (Seldom is a long man wise ,or a low man lowly.)』を例示する様なエピソードは、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) と武蔵坊弁慶 (Benkei)、このふたりの逸話に限らず、古今東西、聴いた記憶も読んだ記憶もないのだ。
そう言えば、向こう脛 (Shin) やアキレス腱 (Achilles' Tendon) や中指の第一関節 (First Knuckle Joint of Middle Finger) を弁慶の泣所と言うが、これも上のエピソードから産み落とされたことばかもしれない。何故ならば、向こう脛 (Shin) やアキレス腱 (Achilles' Tendon) や中指の第一関節 (First Knuckle Joint of Middle Finger) を一打で仕留めるのには、彼よりも随分とちいさいモノでなければならぬからだ。
だが、そんな智慧の廻らぬ大男の象徴の様な男とは無縁の人物像が、武蔵坊弁慶 (Benkei) には、ある。
それは、歌舞伎 (Kabuki)『勧進帳 (Kanjincho)』 [作詞:三代目並木五瓶 (Namiki Gohei III) 作曲:四代目杵屋六三郎 (Kineya Rokusaburo IV) 1702年初演] で描かれた剛胆な策略家の姿であり、弁慶の立ち往生という成句で象徴される忠臣の姿である。
そこには、言うまでもなく、唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] で唄われている様な間の抜けた大男の姿は、影もかたちも観えないのだ。
そして、その様な全く異なる貌でもって顕われるモノは、彼以外にはちょっと、見当たらないのである。
例えば、キュクロープス (Cyclops) はたったひとつしかない眼を喪い、ゴリアテ (Goliath) はその場で命を喪い、天空の巨人 (Giant) は地上に墜落し、鬼 (Oni) どもは大事な打出の小槌 (Uchide No Kozuchi) を奪われ、やり込められてしまった桔梗屋利兵工 (Rihei Kikyouya) はその後も、一休宗純 (Ikkyu) を亡き者にしようとして虎視眈々とその機会を狙い続けるのである。
誰も己を打ち負かしたモノの軍門に下りもしない。ましてや、そのかつての己の敵の為に忠義を尽くそうと言うのは、あり得ないのである。
否、全くないという訳ではない。訳ではないが、その殆どの物語は、武蔵坊弁慶 (Benkei) 以降の時代のモノではないだろうか。
つまり、武蔵坊弁慶 (Benkei) の物語を祖型とした物語の構造が、語られ続けているのである。
何故、武蔵坊弁慶 (Benkei) に限って、そんなふたつの貌があるのだろうか。
恐らく、彼が二重の意味で敗者である事にあるのではないだろうか。
つまり、ひとつは悲劇的な英雄としての色彩を帯びた、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の家臣である事による、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) 自身に向けられる判官贔屓 (Typically Japanese Sympathy For The Underdog) の反射を受けての輝きであり、もうひとつはその源義経 (Minamoto no Yoshitsune) に破れた事の結果としての、武蔵坊弁慶 (Benkei) 自身への判官贔屓 (Typically Japanese Sympathy For The Underdog)、このふたつの照射を得ての結果ではないだろうか。
つまり、武蔵坊弁慶 (Benkei) とは、二重の判官贔屓 (Typically Japanese Sympathy For The Underdog) の許に存在しているのである。悲劇の主人公である牛若丸 (Ushiwakamaru) こと源義経 (Minamoto no Yoshitsune) を支え続けた彼は、その源義経 (Minamoto no Yoshitsune) に負けたというもうひとつの悲劇的色彩を、常に帯びているのだ。
実際に起こった歴史的事実か否かは別にして、恐らく物語の生成過程からみれば、先ず最初に、歌舞伎 (Kabuki)『勧進帳 (Kanjincho)』 [作詞:三代目並木五瓶 (Namiki Gohei III) 作曲:四代目杵屋六三郎 (Kineya Rokusaburo IV) 1702年初演] や弁慶の立ち往生が成立し、その後に、唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] 的なる物語が産み出されたのではないだろうか。
ちなみに唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] での様に、牛若丸 (Ushiwakamaru) と武蔵坊弁慶 (Benkei) が遭遇した場所を五条大橋としたのは、『日本昔噺』 [巌谷小波1894〜1896年発表] が最初。『御伽草子 (Otogizoshi)』 [作者不詳 18世紀頃成立] の『弁慶物語 (The Story Of Benkei, A Tragic Warrior.)』では北野神社 (Kitano-Tenmangu) 境内、『義経記 (Gikeiki)』 [作者不詳 14世紀頃成立] では清水観音 (Kiyomizudera) 境内とされている。
個人的には、牛若丸 (Ushiwakamaru) が僧籍となる事を嫌い、幼少期よりそれまで己が養育されていた鞍馬寺を出奔し、奥州平泉 (Hiraizumi) は藤原秀衡 (Fujiwara no Hidehira) の庇護下に入るまで [この間に彼は自ら元服 (Genpuku) し源義経 (Minamoto no Yoshitsune) を名乗るのだ] の、彼のパトロンとしての役割を果たしていたモノをシンボライズさせたモノではないか、と想っている。
つまり、彼に武芸を教えたとされる鞍馬の天狗 ( Tengu at Mt. Kurama) 的な存在だ。
となると、武蔵坊弁慶 (Benkei) そのモノは虚構の存在なのだろうか。
彼が実在したのか、それとも非在の人物なのか、それをきちんと裏付けられるモノは今のところなにもないのだ。

上記掲載画像は、月岡芳年 (Tsukioka Yoshitoshi) 描く連作『月百姿 (Hundred Phases Of The Moon)』 [1885〜1896年発表] の中のひとつ、『大物海上月 弁慶 (Benkei Against A Full Moon)』。
平家滅亡 (Battle Of Dan-no-ura) の年である1185年、源頼朝 (Minamoto no Yoritomo) との対立から朝敵として追われる事となった源義経 (Minamoto no Yoshitsune) 郎党は、西国での再起を図る為に九州行きを謀る。河尻の戦いで勝利した後に摂津国大物浦から船団を率い、九州へと向かうが、途中、暴風雨に遭遇し、その企ては頓挫してしまう。
その時の模様を描いたのが、この作品。つまり、月岡芳年 (Tsukioka Yoshitoshi) による能楽 (Nohgaku)『船弁慶 (Funa benkei)』 観世小次郎信光 Kanze Kojiro Nobumitsu) 作 16世紀頃成立] の独自解釈なのである。
次回は「い」。
附記 1. :
日本で三番目に敷設された官営幌内鉄道 (Horonai Railway) [手宮 (Temiya)〜札幌 (Sapporo) 間 1880年開通] を奔った機関車は、1号機を義経號、2号機を辨慶號といい、同型機ながら、後者の方に人気があったと言う。幼い頃に、その鉄道敷設の物語を漫画化させた読切り作品を少年向けの週刊漫画雑誌で読んだ記憶が朧にあるが、そこでも最期に登場する機関車は辨慶號だったと憶えている [作画家も作品名も不明です]。
附記 2. :
ひさうちみちおの未完の大作に『義経の赤い春』 [1987年発表] という漫画がある。牛若丸 (Ushiwakamaru) と武蔵坊弁慶 (Benkei) が相見えるその舞台裏を、虚々実々に描き出した作品なのだけれども、膨大な頁数を費やして、ふたりの対決シーンで幕を閉じてしまう。実は、その先が読みたいのだ。
附記 3. :
その同じ時代を描いた漫画作品で、それぞれに共通する登場人物が多数登場する作品に、手塚治虫 (Tezuka Osamu) の『火の鳥 乱世編
(Phoenix Turbulent Times)』 [1978〜1980年 マンガ少年連載] がある。
永遠の命をもつ火の鳥 (Phoenix) を巡る物語ならば本来、平清盛 (Taira no Kiyomori) のエピソードに終始すべき処を、物語は源平合戦 (Genpei War) を追い続けて、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の奥州平泉 (Hiraizumi) への遁走とその死までも描く。
そして、そこで物語を牽引するのは、己の望まぬまま源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の家臣に登用された、茫洋とした田舎者の大男、武蔵坊弁慶 (Benkei) こと飯盛山の弁太 (Benta From Mt. Iimori) である。
附記 4.:
それよりも、『ドラえもん (Doraemon)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio) 作 1969〜1996年 小学館学年別学習雑誌連載] のしずかちゃんの本名は、源静香 (Shizuka Minamoto) という。素直に読めば、それはそのまま、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) と悲劇的な別れを遂げざるをえなかった静御前 (Shizuka Gozen) を連想させる。もしかしたらあの4人組 [ドラえもん (Doraemon) を入れると5人組] は、その祖型に源義経 (Minamoto no Yoshitsune) 一党が念頭にあるのだろうか。勿論、剛田武ことジャイアン (Takeshi Goda aka Gian) が武蔵坊弁慶 (Benkei) の役どころだ。
そちらの方が、気になって仕方ない。特に、本編であるTV版からも相当隔たったキャラクター設定のされている映画版を観ると。
ひとつには、♪京の五条の橋の上♪の唄い出しで知られる唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] で知られるエピソードでの武蔵坊弁慶 (Benkei) である。
このエピソードが伝えるモノは、例え、怪力無双であり強力勇猛な怪力乱心であったとしても、智慧とそれに裏付けられた俊敏さには叶わないというモノである。
そんなエピソードは古今東西、様々なかたちを採って語られている。
例えば、『オデュッセイア (Odysseia)』 [ホメロス (Homeros) 作 紀元前8世紀〜6世紀頃成立] では単眼の巨人キュクロープス (Cyclops) がオデュッセウス (Odysseus) に出し抜かれ、『旧約聖書 (Vetus Testamentum)』 [作者不詳 紀元前10世紀から1世紀頃成立] では巨人ゴリアテ (Goliath) を一投の元に打倒した若き日のダビデ (David) が語られ、『イングランド民話集 (English Fairy Tales)』 [ジョセフ・ジェイコブス (Joseph Jacobs) 編 1890年発表] の一編『ジャックと豆の木 (Jack And The Beanstalk)』 では天空に住まう巨人 (Giant) のはなをあかした少年ジャック (Jack) が描かれ、『御伽草子 (Otogizoshi)』 [作者不詳 18世紀頃成立] では一寸法師 (The One-Inch Boy) が姫を襲う鬼 (Oni) どもを撃破し、『一休頓知話』 [作者不詳 17世紀頃成立] では桔梗屋利兵工 (Rihei Kikyouya) が橋の上に掲げた難題を、小坊主時代の一休宗純 (Ikkyu) が見事に解決してしまうのである。
ある意味で、『大男総身に智慧が回りかね (Seldom is a long man wise ,or a low man lowly.)』という諺を身を以て体現しているのが、上に例示したモノ達であり、牛若丸 (Ushiwakamaru) に翻弄される武蔵坊弁慶 (Benkei) も、その中のひとりでしかない。
だからと言って、それとは逆の意味の諺『小男の知恵は回っても知れたもの (Seldom is a long man wise ,or a low man lowly.)』を例示する様なエピソードは、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) と武蔵坊弁慶 (Benkei)、このふたりの逸話に限らず、古今東西、聴いた記憶も読んだ記憶もないのだ。
そう言えば、向こう脛 (Shin) やアキレス腱 (Achilles' Tendon) や中指の第一関節 (First Knuckle Joint of Middle Finger) を弁慶の泣所と言うが、これも上のエピソードから産み落とされたことばかもしれない。何故ならば、向こう脛 (Shin) やアキレス腱 (Achilles' Tendon) や中指の第一関節 (First Knuckle Joint of Middle Finger) を一打で仕留めるのには、彼よりも随分とちいさいモノでなければならぬからだ。
だが、そんな智慧の廻らぬ大男の象徴の様な男とは無縁の人物像が、武蔵坊弁慶 (Benkei) には、ある。
それは、歌舞伎 (Kabuki)『勧進帳 (Kanjincho)』 [作詞:三代目並木五瓶 (Namiki Gohei III) 作曲:四代目杵屋六三郎 (Kineya Rokusaburo IV) 1702年初演] で描かれた剛胆な策略家の姿であり、弁慶の立ち往生という成句で象徴される忠臣の姿である。
そこには、言うまでもなく、唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] で唄われている様な間の抜けた大男の姿は、影もかたちも観えないのだ。
そして、その様な全く異なる貌でもって顕われるモノは、彼以外にはちょっと、見当たらないのである。
例えば、キュクロープス (Cyclops) はたったひとつしかない眼を喪い、ゴリアテ (Goliath) はその場で命を喪い、天空の巨人 (Giant) は地上に墜落し、鬼 (Oni) どもは大事な打出の小槌 (Uchide No Kozuchi) を奪われ、やり込められてしまった桔梗屋利兵工 (Rihei Kikyouya) はその後も、一休宗純 (Ikkyu) を亡き者にしようとして虎視眈々とその機会を狙い続けるのである。
誰も己を打ち負かしたモノの軍門に下りもしない。ましてや、そのかつての己の敵の為に忠義を尽くそうと言うのは、あり得ないのである。
否、全くないという訳ではない。訳ではないが、その殆どの物語は、武蔵坊弁慶 (Benkei) 以降の時代のモノではないだろうか。
つまり、武蔵坊弁慶 (Benkei) の物語を祖型とした物語の構造が、語られ続けているのである。
何故、武蔵坊弁慶 (Benkei) に限って、そんなふたつの貌があるのだろうか。
恐らく、彼が二重の意味で敗者である事にあるのではないだろうか。
つまり、ひとつは悲劇的な英雄としての色彩を帯びた、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の家臣である事による、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) 自身に向けられる判官贔屓 (Typically Japanese Sympathy For The Underdog) の反射を受けての輝きであり、もうひとつはその源義経 (Minamoto no Yoshitsune) に破れた事の結果としての、武蔵坊弁慶 (Benkei) 自身への判官贔屓 (Typically Japanese Sympathy For The Underdog)、このふたつの照射を得ての結果ではないだろうか。
つまり、武蔵坊弁慶 (Benkei) とは、二重の判官贔屓 (Typically Japanese Sympathy For The Underdog) の許に存在しているのである。悲劇の主人公である牛若丸 (Ushiwakamaru) こと源義経 (Minamoto no Yoshitsune) を支え続けた彼は、その源義経 (Minamoto no Yoshitsune) に負けたというもうひとつの悲劇的色彩を、常に帯びているのだ。
実際に起こった歴史的事実か否かは別にして、恐らく物語の生成過程からみれば、先ず最初に、歌舞伎 (Kabuki)『勧進帳 (Kanjincho)』 [作詞:三代目並木五瓶 (Namiki Gohei III) 作曲:四代目杵屋六三郎 (Kineya Rokusaburo IV) 1702年初演] や弁慶の立ち往生が成立し、その後に、唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] 的なる物語が産み出されたのではないだろうか。
ちなみに唱歌『牛若丸』 [作者不詳 『尋常小学唱歌 [一]』初出 1911年] での様に、牛若丸 (Ushiwakamaru) と武蔵坊弁慶 (Benkei) が遭遇した場所を五条大橋としたのは、『日本昔噺』 [巌谷小波1894〜1896年発表] が最初。『御伽草子 (Otogizoshi)』 [作者不詳 18世紀頃成立] の『弁慶物語 (The Story Of Benkei, A Tragic Warrior.)』では北野神社 (Kitano-Tenmangu) 境内、『義経記 (Gikeiki)』 [作者不詳 14世紀頃成立] では清水観音 (Kiyomizudera) 境内とされている。
個人的には、牛若丸 (Ushiwakamaru) が僧籍となる事を嫌い、幼少期よりそれまで己が養育されていた鞍馬寺を出奔し、奥州平泉 (Hiraizumi) は藤原秀衡 (Fujiwara no Hidehira) の庇護下に入るまで [この間に彼は自ら元服 (Genpuku) し源義経 (Minamoto no Yoshitsune) を名乗るのだ] の、彼のパトロンとしての役割を果たしていたモノをシンボライズさせたモノではないか、と想っている。
つまり、彼に武芸を教えたとされる鞍馬の天狗 ( Tengu at Mt. Kurama) 的な存在だ。
となると、武蔵坊弁慶 (Benkei) そのモノは虚構の存在なのだろうか。
彼が実在したのか、それとも非在の人物なのか、それをきちんと裏付けられるモノは今のところなにもないのだ。

上記掲載画像は、月岡芳年 (Tsukioka Yoshitoshi) 描く連作『月百姿 (Hundred Phases Of The Moon)』 [1885〜1896年発表] の中のひとつ、『大物海上月 弁慶 (Benkei Against A Full Moon)』。
平家滅亡 (Battle Of Dan-no-ura) の年である1185年、源頼朝 (Minamoto no Yoritomo) との対立から朝敵として追われる事となった源義経 (Minamoto no Yoshitsune) 郎党は、西国での再起を図る為に九州行きを謀る。河尻の戦いで勝利した後に摂津国大物浦から船団を率い、九州へと向かうが、途中、暴風雨に遭遇し、その企ては頓挫してしまう。
その時の模様を描いたのが、この作品。つまり、月岡芳年 (Tsukioka Yoshitoshi) による能楽 (Nohgaku)『船弁慶 (Funa benkei)』 観世小次郎信光 Kanze Kojiro Nobumitsu) 作 16世紀頃成立] の独自解釈なのである。
次回は「い」。
附記 1. :
日本で三番目に敷設された官営幌内鉄道 (Horonai Railway) [手宮 (Temiya)〜札幌 (Sapporo) 間 1880年開通] を奔った機関車は、1号機を義経號、2号機を辨慶號といい、同型機ながら、後者の方に人気があったと言う。幼い頃に、その鉄道敷設の物語を漫画化させた読切り作品を少年向けの週刊漫画雑誌で読んだ記憶が朧にあるが、そこでも最期に登場する機関車は辨慶號だったと憶えている [作画家も作品名も不明です]。
附記 2. :
ひさうちみちおの未完の大作に『義経の赤い春』 [1987年発表] という漫画がある。牛若丸 (Ushiwakamaru) と武蔵坊弁慶 (Benkei) が相見えるその舞台裏を、虚々実々に描き出した作品なのだけれども、膨大な頁数を費やして、ふたりの対決シーンで幕を閉じてしまう。実は、その先が読みたいのだ。
附記 3. :
その同じ時代を描いた漫画作品で、それぞれに共通する登場人物が多数登場する作品に、手塚治虫 (Tezuka Osamu) の『火の鳥 乱世編
永遠の命をもつ火の鳥 (Phoenix) を巡る物語ならば本来、平清盛 (Taira no Kiyomori) のエピソードに終始すべき処を、物語は源平合戦 (Genpei War) を追い続けて、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の奥州平泉 (Hiraizumi) への遁走とその死までも描く。
そして、そこで物語を牽引するのは、己の望まぬまま源義経 (Minamoto no Yoshitsune) の家臣に登用された、茫洋とした田舎者の大男、武蔵坊弁慶 (Benkei) こと飯盛山の弁太 (Benta From Mt. Iimori) である。
附記 4.:
それよりも、『ドラえもん (Doraemon)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio) 作 1969〜1996年 小学館学年別学習雑誌連載] のしずかちゃんの本名は、源静香 (Shizuka Minamoto) という。素直に読めば、それはそのまま、源義経 (Minamoto no Yoshitsune) と悲劇的な別れを遂げざるをえなかった静御前 (Shizuka Gozen) を連想させる。もしかしたらあの4人組 [ドラえもん (Doraemon) を入れると5人組] は、その祖型に源義経 (Minamoto no Yoshitsune) 一党が念頭にあるのだろうか。勿論、剛田武ことジャイアン (Takeshi Goda aka Gian) が武蔵坊弁慶 (Benkei) の役どころだ。
そちらの方が、気になって仕方ない。特に、本編であるTV版からも相当隔たったキャラクター設定のされている映画版を観ると。
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