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2012.06.18.17.05

中村草田男『友揺れる』と御中虫『関揺れる』を繋ぐ"点と線"

俳人中村草田男の句集『銀河依然』 [1953年発表] に次の様な作品があると言う。

「夏陽炎日本海邊友揺れる」

小川春休の、或る日の或る時のツイートで書かれているモノを、偶然に発見したのであった。

あらかじめ申し添えておくと、小川春休はぼくにとってのフォロワーでもないし、ぼくは小川春休にとってのフォロワーでもない。
ぼく自身が日常に読み漁り、読み耽っている、ツイッターの検索の過程で偶然に遭遇したのである。

だから、中途半端な引用の仕方をするよりも、そのツイート全文をここで引用した方が、下手な誤解やあらぬ詮索の咎を避けられ得ると想われる。
なにせ、これから書こうとする事柄は、もしかしたら、中村草田男御中虫、[と小川春休] 自身それぞれと、それぞれの支持層に批難や顰蹙を買わないとは限らないモノにならないとは保障出来ないからだ [敢て二重否定の構文を二重に重ねてみた]。

と、いう訳で、そのツイートの全文は、以下の通りである。

「夏陽炎日本海邊(へん)友搖れる(中村草田男『銀河依然』) 何となく、関揺れるを思い出したり。虫さんどうしてますかね…。 」[2012.06.04. 18:36:58 付]

このツイートの前後を見渡しても、この句に関する言及もないし、「虫さん」に関する記述もないので、このツイートをした小川春休には、そこに書かれたモノ以上のモノを意図するモノはないと想う。
だから、これ以降はぼくの勝手な推測であり、思索であって、言うまでもなく文責はぼく自身にある。

と、言うのがちょっと永くなってしまった前置きである。また、順番は後先になってしまったが、本稿中総て、敬称略とさせて頂いた。
御了承願う次第である。

御中虫の句集『関揺れる』を含めて、この俳人とその作品に関しては既に何度か取り上げてきた [ここここここここかな??]。
その中でもここでは、句集『関揺れる』の為に創造された、所謂、捏造季語「関揺れる」を取り上げて、ぼく自身の勝手な季語論を綴ってみた。
ただ、それだけでは言い尽くせない事もいくつもあって、ぼく自身の中にも不明瞭なモノはいくつも遺っている。
その中のひとつについて、ここでは綴ってみたいと想う。

それは、何故、捏造季語「関揺れる」が必要とされてきたのか、という点なのである。

とは言うものの、その殆どの理由は、ブログ『虫日記R6』のこの頁で、俳人自らの言葉で語られている。

被災者である俳人、関悦史 [最新句集は、その震災時の作品も含めた『六十億本の回転する曲がつた棒』] による所謂、揺れツイートだ。
3.11.以降、地面が揺れて、俳人関悦史が揺れて、揺れツイートが綴られて配信され、それを受信した御中虫のこころが揺さぶられた、そおゆう次第である。
その揺さぶられたこころの蠢く様が125句の連作『関揺れる』を産み出す動機のひとつとなった。

そこまではいい。

だが、それ以上の事を知りたいと想って読み進めて行くと、途中で求めるべきモノを観喪ってしまう。
しかも、観喪ったその場所で、さらなる論理的な整合性を御中虫の綴る文章に求めようとすると、そこには飛躍があるし、その為の御中虫自身の跳躍もある。
助走はない。突然に出し抜けに飛んでいる。
だから、恐らく、ぼく達の大半はその着地点を、観誤ってしまっているのかもしれないのだ。

つまり、揺れる関悦史と彼の揺れるツイートが主題であったとしても、それは必ずしも捏造季語「関揺れる」が産み落とされなければならない理由にはならない。そおゆう事なのである。
捏造季語「関揺れる」は必要条件かもしれないが、十分条件である事を満たす、その説明が観あたらないのである。
しかもその点に関しては、御中虫自身は、なにも語ってもいない。
だから、ぼくも含めて殆どの読者は、その理由を、句集『関揺れる』のもうひとつの動機に求める事になってしまう。

つまり、長谷川櫂の句集『震災句集』への異議申し立てという動機である。長谷川櫂の句集『震災句集』が125句で成立しているがために、連作『関揺れる』が同じ句数である125句が求められていた、それと同様の理由なのだ。
長谷川櫂と彼の作品に対して、正々堂々と「ちっさくても、実弾投げようぜ!実弾を!」と言う為には、俳句という表現の形式に添わねばならない。その為に装備されたのが、捏造季語「関揺れる」なのである。

と、言う様な理解の方法を、ぼくは捏造季語「関揺れる」に対して採っていたし、御中虫とその作品を支持するモノもまた、同様の理解をしていたのではないかと想う。
連作『関揺れる』という作品の経緯を知らない方の為に申し添えておくと、敢て言えば、長谷川櫂の句集『震災句集』が前提条件として存在していなければ、自身の動機を評論ではなくて実作 [これが先の「実弾」である] として表現し作品化するのには、必ずしも俳句という形式を選ばなければならない理由は、御中虫にはないのだ、と書いておけばいいだろう。

だが、そんな総てを長谷川櫂の句集『震災句集』にその責を負わす様な解釈の方法で自身の決着をつけておいたとしても、なんとなく居心地が悪いのも否定出来ない。第一に、ぼく自身、長谷川櫂の句集『震災句集』に負うべきモノも追うべきモノも、一切ないからだ。
と、いう戯言はともかく、きちんと説明すると、辞書的な意味や教科書的な説明からは排除されたり否定されたりするけれども、季語のない句は、それ程、珍しいモノでも新しいモノでもないからだ。
しかも、御中虫の様な作風の俳人ならば、季語のない句を、否定も排除もしない筈なのだ。
だから、どうしても句集『関揺れる』の為に、捏造季語「関揺れる」を創作し、それを声高に主張したのは、やはり"敢て"俳人にそうさせた、もうひとつの動機、別の動機がある様な気がしてならなかったのである。

そして、そのひとつの解が、冒頭に掲げた中村草田男の句なのではないだろうか。

「夏陽炎日本海邊友揺れる」

この作品が世評、どおゆう評価を得ているのかは解らない。
中村草田男の数多くの作品の中で、どおゆう位置づけにあるのかは解らない。
ただ、言えるのは、この句を創った俳人は、揺れる友を観ているのではない、という事なのである。彼が観ているのは、陽炎、友の揺れるまぼろしなのである。

そおゆう意味では、連作『関揺れる』の125句総てがまぼろしから産まれたモノなのだ。
地面は実際に揺れている、それに揺すぶられて関悦史は身もこころも揺れている、だが、それを御中虫は実際に観た訳でも体験した訳でもない。それでも、俳人のこころは揺さぶられているのだ。

だからと言って、長谷川櫂の句集『震災句集』の成立過程を御中虫なりの手法でなぞってみた [つまり、長谷川櫂は被災者でもなく現地へ赴く事もなく句作したのだから] 、という理解は、やっぱり下世話すぎるのだ。

そんなモノとは違う次元にあるのだ。

最初は、それを例証する為に、中村草田男の句を本歌取りした様な作品を幾つか選出出来るのではないかと想いながら、125句を読み返してみたけれども、あまり、それは意味がない行為だった。
似た様な素振りを魅せる句もあれば、全然異なる相貌の句もある。だからと言って、それを選り分けたり間引いたりしても、白と黒の間にあるグラデーションの領域に境界線を引く様な行為でしかない。ぼくにとっての白は、あなたにとっては黒かもしれず、あなたにとっての白は、ぼくにとっての黒なのかもしれないのだ。
だからぼくが摘み取ったいくつかの句を呈示するよりもむしろ、連作『関揺れる』125句のひとつひとつのその前に、読者それぞれが、中村草田男の句を置いて照射させてみるべきだと想う。
恐らく、今まで自身の中にあった125句それぞれの解釈のどこかに、新たな輝きをもったモノが顕われるのに違いないのだ。

そしてさらに、憶い出すべきなのは、中村草田男が産んだとされる季語「萬緑」ではないだろうか。

「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」(『火の鳥』所収 1939年)

この句で中村草田男が「萬緑」ということばを用い、以後、これが季語として定着して行ったと言う。
しかも、「萬緑」ということばは中村草田男の創作ではなくて、王安石の漢詩『咏柘榴詩』の一節、「万緑叢中紅一点、動人春色不須多」に典拠を求める事が出来るそうだ。

王安石の詩に依拠して中村草田男が句作を行い、その結果として新しい季語「萬緑」が産まれた。
それと同じ様に、中村草田男の句に依拠して御中虫が句作を行い、その結果として新しい季語「関揺れる」が産まれる。

つまり、ぼく達の視点から観れば、捏造季語「関揺れる」が季語として認知される為にはなんらかの典拠が求められる筈であるし、御中虫の立場からすれば捏造季語とは言いながら、なんらかの出典があるべきことばを用いて、捏造の季語を創作する必要性が迫られていた、のに、違いないのだ。

だからもし仮に、捏造季語「関揺れる」の典拠を、中村草田男の句に求める事が出来るとしたら、俳句の中における季語、その生成過程を観守る事になるのかもしれないのだ。
その結果、句集『関揺れる』とは離れた別の場所で、捏造季語「関揺れる」が、御中虫自身、もしくはそれ以外の他の俳人に詠み込まれたりしたら、どうなるのだろうか。
特殊な環境と特殊な条件下での使用を求められていることばが、一般性や普遍性を獲得していく、その経緯を観続ける事になるのかもしれないのだ。
捏造季語「関揺れる」の典拠を求める事 [それは必ずしも中村草田男の句でなくてもよいモノかもしれないけれども] の意義とは、そんなことばの生成過程の可能性を拡げる行為ではないかと、ぼくには想える。

ここで再び断っておくけれども、今、書き進めている事柄は、単なる推理や推測の積み重ねでしかない。
単純に、句集『関揺れる』の脇に中村草田男の句をサヴ・テクストとして置いてみたら、一体、どんな解釈が出来るのだろうか、そんな稚戯にも似た試みにすぎない。

ぼくが主張したいのは、御中虫中村草田男の句を本歌取りしたとか、剽窃したとか、参照したとか、そおゆうレベルの事ではないのだ。
第一、捏造季語「関揺れる」の創造主である御中虫自身が、ここまでぼくが書き綴ってきた事を一蹴してしまえばそれでお仕舞いの話だ。
またそれとは逆に、もしも仮に御中虫自身が否定したとしても、共時性とか、元型論とか、集合的無意識とか、そんな曖昧であやふやな言説を弄して、己の正当性を主張してしまう事も出来てしまうかもしれないのだ。

そんな表層的なモノではない。

御中虫の、一見、粗雑で乱暴で突拍子もない様に観える俳風に、実は別の側面があるかもしれない、その相貌が、中村草田男という俳人の作風を照射する事で観えるのではないか、という、その思考実験なのである。
ラヂカルでアナーキーでヴァイオレンスな作風の裏に隠れているモノは一体ナニか。
守旧的なホトトギス派とも、それとは一線を画す新傾向句とも、その両方ともに対して距離を採った中村草田男の、人間探求派と称せられたその俳風を受け継ぐモノが御中虫にはあるのではないか、ふと、そんな気にさせられるのである。

そしてそれはサイト『詩客 SHIKAKU』掲載の四ッ谷龍による『人間を知りたければ御中虫を読め』と『赤い新撰 バケツ 「御中虫の百句」 (四ッ谷龍 / 選)』とを読んだ所以なのでもある。

附記 1.:
ところで、季語「萬緑」を調べて行くと、その作例として次の句が紹介されている [例えばこちら]。
「万緑やどの道をどう行かうとも」 [長谷川櫂初雁』所収 2006年]
これに関して、ぼくはどうこういう筋合いにはないと想う。きちんと評価出来るヒトがきちんと論説してくれればいい、のだ。

附記 2.:
この拙文を書くきっかけとなるツイートをした、小川春休には感謝しております。
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