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2012.06.05.17.28

むま

夢魔 (NIghtmare) には、雌雄の区別があって、牡はインクブス (Incubus) といって女性の許に顕われ、牝はスクブス (Succubus) といって男性の許に顕われる。
インクブス (Incubus) もスクブス (Succubus) も、キリスト教 (Christianity) が信仰されている地域でその存在が信じられているので、ヨーロッパ (Europa) 各国の言語では、表記やその読み方は微妙に違う。
だからと言ってそれをあげつらって言っても煩が増すばかりなので、ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia)この頁にあるモノ、即ちインクブス (Incubus) とスクブス (Succubus) に、原則的に従う事にする。ちなみにこの欧文表記は英語圏 (English-speaking World) のモノで、仮名表記は仏語圏 (francophonie) のモノである様に思われる。
また、インクブス (Incubus) を淫夢魔スクブス (Succubus) を淫夢魔女とする日本語文献もある。

尤も彼らを、淫夢魔ないしは淫夢魔女と表記するのには理由がある。
彼らそれぞれは睡眠中の人間の許に顕われ、夢の中では、文字通りに夢の様な恋愛感情を抱かせ文字通りに夢の様な愛の交歓を交わす代わりに、実際にはそのモノと姦淫を果たすのである。
その結果、インクブス (Incubus) の被害者である女性はインクブス (Incubus) の仔を孕む事になり、スクブス (Succubus) の被害者である男性は、己の精を搾り取られる事になるのである。

一般的には、彼らの出自は悪魔 (Demon)、即ち、悪魔王サタン (Satan) を長とするヒエラルヒー (Hierarchie) の中にあって、その下層に属すると考えられている。
しかしながら、当然の様に異説も多い。

例えば、ルドヴィコ・マリア・シニストラリ (Ludovico Maria Sinistrari) は、その著書『デーモンの本性について [悪魔性] (Daemonialitas or, Incubi and succubi)』[1875年に完全版が発見、それ以前はごく一部のみしか知られていない] で、夢魔 (NIghtmare) は悪魔 (Demon) ではなくて、幽霊 (Ghost) のようなモノ [原文では、インプ (folletti) やゴブリン (duendes) とされている様だ] と規程している。
その幽霊 (Ghost) のようなモノとは、後になってアンドリュー・ジャクソン・デイヴィス (Andrew Jackson Davis) が提唱する、ディアッカ (Diakka) との類縁が推測される。

一般論として言えば、異説は異説であって、どこまでも通説にはなり得ないモノである。上の説もどこまで支持があるのだろうか。

だがしかし、逆に却ってその異説の方が、通説を越えて、新たなヴィジョンを魅せる場合もある。
この夢魔 (NIghtmare) に関してもその異説の語る事をもってすれば、彼らの存在が奈辺から顕われたのか、それを類推させ、彼らの正体がより明瞭になってくる様な感慨に陥らせるモノもある。

コラン・ド・プランシー (J. Collin de Plancy) の『地獄の辞典 (Dictionnaire Infernal)』 [1818年初版刊行 日本語版抄訳は1990年出版の1863年第6版の翻訳:床鍋剛彦 / 協力:吉田八岑のものがかつてあり、以下の記述はそれに拠る] では、次の様な記述がある。

●インクブス [淫夢魔] Incubes
<前略>そして悪魔学者によれば魔神スクブスの子であるとされている [スクブスの項参照]。
●スクブス [淫夢魔女] Succubes
<前略>ラビ [ユダヤの律法博士] のエリアスは言う。いくつかの文書によれば、アダムは130年間にわたって女悪魔たちの来訪を受け、彼女らは魔人や精霊、ラミー、亡霊、レムレス [ローマ神話の亡霊]、幽霊などを産んだという。<後略>

どうだろうか。ここだけに注視すれば、人類の祖であるアダム (Adam) と彼の許に顕われた悪魔 (Demon)、即ちスクブス (Succubus) 達との姦淫が、後々の世代へと続く夢魔 (NIghtmare)、インクブス (Incubus) とスクブス (Succubus) を誕生せしめたという事になるのである。
これは、イヴ (Eva) の前に誕生した女性、リリス (Lilith) が悪魔王サタン (Satan) の妻となって、いくつもの悪魔 (Demon) を孕み産み育てたという伝承と見事に相似形を成している。
否、それ以前に気付くべきモノがある。
リリス (Lilith) はアダム (Adam) の子を孕みも産みもしなかった。だから、我々と悪魔 (Demon) とは異なる血統のモノである。しかしそれに対し、我々と夢魔 (NIghtmare) とは、始祖を同じにする遠い類縁関係にあるという事なのだ。

アダム (Adam) とイヴ (Eva) を起源とする人類の系譜がある。そして、悪魔王サタン (Satan) とリリス (Lilith) を起源とする悪魔 (Demon) の系譜がある。さらに、アダム (Adam) とスクブス (Succubus) 達を起源とする夢魔 (NIghtmare) の系譜がある。
(The Lord) が己の姿に似せて創った人類というモノの本性、もしくはそこに脈々と流れる血の存在に気付かされるのではないだろうか。
つまり、我々は何故、夜に同衾するのか、と。

と、書き進めるとと熱心なキリスト教 (Christianity) 信者達にお叱りを受けてしまうかもしれない。
だが、キリスト教 (Christianity) を基にしたヨーロッパ (Europa) に根付くフォークロア (Folklore)、もしくは、ヨーロッパ (Europa) のフォークロア (Folklore) を吸収するかたちで発展したキリスト教 (Christianity) の、ひとつの解釈の在り方かもしれない。
つまり、ニンゲンとはなにか、という事なのである。

と、書き綴っていけば、再び熱心なキリスト教 (Christianity) 信者達から疑義を申し渡されるかもしれない。そんな極端な民間信仰を引用してもらっては困る、と。
確かに、上で紹介した様なモノは、少なくとも旧約聖書 (Vetus Testamentum) と新約聖書 (Novum Testamentum) そのいずれにも記述はされてはいない。だが、少なくとも、夢魔 (NIghtmare) の存在そのものは重要な宗教的議案のひとつであった事は否定出来ないのである。

例えば、フレッド・ゲティングズ (Fred Gettings) の『悪魔の事典 (Dictionary Of Demons A Guide To Demons And Demonologists In Occult Lore)』 [1988年出版 日本語版は大瀧啓裕訳のものがある] には、次の様な記述がある。

●インクブス Incubus
<前略>トマス・アクィナス [13世紀] はその『三位一体論』で、自在にインクブスにもスクブスにもなりうる両性的デーモンの概念に、十分な説得力をもたせている。<以下略>

スコラ哲学 (Scholasticism) の巨人トマス・アクィナス (Thomas Aquinas) が、その主著のひとつである『ボエティウス三位一体論注解 (Super Boetium De Trinitate)』 [1250年代成立] において、論考を進めているのである。あだや疎かにも無視は出来ないのではないだろうか。単純に、ヨーロッパ (Europa) 各地域に偏在するフォークロア (Folklore) のひとつとして、夢魔 (NIghtmare) の問題を片付ける訳には行かないし、少なくとも、トマス・アクィナス (Thomas Aquinas) の時代には、看過ならざるモノであったのだ。

ひとつには、具体的かつ実際的な問題として、様々な原因によって [というかたったひとつの原因か] 孕み産まれてしまう私生児の問題があった。
子を産む筈ではない娘や産まれる筈のない子をどう処遇すればよいのか。その犯人=父親を捜し追求すべきなのか、それとも、犯人=父親の正体を隠匿せざるを得ないなにかの事情があるのか。
しかも、処女懐胎 (Virgin Birth Of Jesus) というレトリックが許されるのは、聖母マリア (Maria) ただひとりだ。
いずれにせよ、その便法の為に世に登場したのが、夢魔 (NIghtmare) なのである。
と、言う事はちょっと頭を巡らせれば、誰でも解る。

と、同時にもうひとつ。

やはり、夢そのものが謎であり、不安であり、恐怖の源だから、なのである。
なぜ、夜が怖いのか、なぜ、怖い夜を体験するのか。
なぜ、それが夜明けと共に消え去るのか。
いままでのあの体験はなんだったのか。
そしてそれをそのまま忘却して、日常に立ち還るべきなのか。
それとも、その夢に拘泥し、いつまでも微睡んでいたいのか。

そんな源である、夢の正体を、なんらかの具体的なかたちを与えなければ、誰しもが、こころ休まらない。
覚醒めた朝に、あれは夢だったと己を安心させる為には、夢そのものに自立した姿を与える必要があるのに違いないのだ。

その結果、誕生したのが夢魔 (NIghtmare)、インクブス (Incubus) とスクブス (Succubus) なのである。

ヨハン・ハインリヒ・フュースリー (Johann Heinrich Fussli) の作品に『夢魔 (The Nightmare)』と題されたふたつの作品がある。そのひとつ『夢魔 (The Nightmare)』は1781年制作でデトロイト美術館 (Detroit Institute Of Fine Arts) に収蔵されていて、もうひとつの『夢魔 (The Nightmare II)』は17901791年制作で個人の所有に帰属している。
いずれも、仰向けに眠っている筈の女性の胸元の上に、小鬼 (Goblin) がしゃがみ込んでいる。その結果、彼女は小鬼 (Goblin) の重さ故にか、夢にうなされ、夢に苛まされている。
夢とは、特に悪夢というモノはこれだよ、と、とても明確に現実的にしてかつ物理的なモノとして描いてあって、このふたつの作品を観る大概のモノは、胸元に佇む小鬼 (Goblin) こそが夢魔 (NIghtmare) だと解釈する。
例えば、ケン・ラッセル (Ken Russell) は映画『ゴシック (Gothic)』 1986年制作] でこの絵画作品をそのまま実体化させて、レマン湖畔 (Lac Leman) での"悪夢"の一夜を演出したのは、そんな誤解に則っているからなのだ [この作品に関しては、こちらケン・ラッセル (Ken Russell) 追悼の記事で既に言及済みです]。

しかし、そうではないのだ。その脇に控える狂える馬こそが、夢魔 (NIghtmare) の実体なのである。
夢のもつ禍々しさは、この馬に総て収斂されている。

なぜ、ここに馬がいるのか。そして、なぜ、その馬が発狂しているのか。
ここで、この狂える馬が象徴するモノがなんであるかを解説するのは控える。
その代わりに、次の様な事を、こっそりと耳許で囁いてあげよう。

例えば。
ライナー・マリア・リルケ (Rainer Maria Rilke) が『マルテの手記 (Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)』 [1910年出版] で微細に詳述した『貴婦人と一角獣 (La Dame a la licorne)』をきみは観た事はないかい。
例えば、映画『ブレード・ランナー (Blade Runner)』 [リドリー・スコット (Ridley Scott) 1982年制作] で、リック・デッカード (Rick Deckard) [演:ハリソン・フォード (Harrison Ford)] が観た夢を想い出してみた事はないかい。

images
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Do androids dream of electric sheep?)
リック・デッカードは一角獣の夢をみるのか? (Does Rick Deckard dream of living unicorn?) [掲載画像はこちらから]

次回は「」。
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