2012.05.08.17.07
狂王ことルートヴィヒ2世 (Ludwig II) は、ぼくの中では、彼とは別のふたりの王のイメージと直結している。
ひとりはヴラド3世 (Vlad III) であり、もうひとりはジル・ド・レイ (Gilles de Rais) である。
前者は串刺し公 (Vlad Draculea / Vlad Tepes) の異名をもつ上に、かの『ドラキュラ
(Dracula
)』 [ブラム・ストーカー (Bram Stoker) 1897年発表] のモデルにもなった人物であり、後者はジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc) と共に勇猛果敢な武勲をいくつも揚げた後に、己の城中での行為が異端 (Heresy) の咎を受け、後の青髭伝説 (La Barbe Bleue) を産み育んだそのヒトでもある。
もしも必要であるのならばこのふたりに加えて、チェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) を挙げてもよい。
彼の行方には、暗殺と毒殺 (Cantarella) と権謀術数 (Machiavellianism) が横行し、ニッコロ・マキャヴェッリ (Niccolo Machiavelli) に『君主論
(Il Principe)』 [1513年発表] を執筆させる起因となった、毒殺 (Cantarella) 王とも呼ぶべき人物である。
なにやら、殺伐とした血腥い人物の名前がさんにんも挙ってしまった。だからと言って、本稿の主人公であるルートヴィヒ2世 (Ludwig II) が、血塗れの人生を歩んだと言いたい訳ではない。むしろ、我が狂王の死は謎に包まれたままであって、加害者であるよりも前に、被害者である公算の方が大きいのだ。
ここに挙げたさんにんの王にしても、単純に、己の趣味や嗜好や使命に忠実に従ったまでの結果の表明が、串刺し公 (Vlad Draculea / Vlad Tepes) であったり青髭伝説 (La Barbe Bleue) であったり毒殺 (Cantarella) 王であっただけの事なのだ。
現に、ヴラド3世 (Vlad III) は異教徒や異民族を己の領土から排撃した名君であるし、ジル・ド・レイ (Gilles de Rais) はジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc) と共に祖国を救済した名将であるし、ニッコロ・マキャヴェッリ (Niccolo Machiavelli) は主著『君主論
(Il Principe)』 [1513年発表] において統治者の理想像としてチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) を観ているのだ。
そんな諸王の末席に我がルートヴィヒ2世 (Ludwig II) を加えたいと想うのは、あまりにも破天荒な妄想なのだろうか。彼もまた、王が王であるに相応しい趣味や嗜好や使命に忠実に従って、その生を全うした様に観えるのだけれども。
だけれども、それを妨げる大きな要因がひとつあるのだ。
ヴラド3世 (Vlad III)、ジル・ド・レイ (Gilles de Rais)、チェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia)、このさんにんは15世紀 (15th century) のヒトであるのに対し、我が狂王は、1845年に誕生し1886年に没した19世紀 (19th century) のヒトなのである。もう少し正確に言えばかの世紀末 (Fin de siecle) を活きたヒトなのである。
確かに、ルートヴィヒ2世 (Ludwig II) は、19世紀 (19th century) 末を彩る世紀末 (Fin de siecle) 文化を演出した重要な人物ではあるのだけれども、その立ち居振舞からどうしてもルネサンス (Renaissance) 以前、つまりヨーロッパ中世 (Middle Ages) の影の中に佇んでいる様に観えてしまって仕様がない。
だからこその、あのさんにんの王なのだ。尤も、この400年の遅延が、彼に血塗れの人生をもたらさずにすんだ、と断言して仕舞う事を可能としているのかもしれない。
ただ、そのふたつに引き裂かれたその肖像は、必ずしも彼だけのモノではない。彼が尊敬し援助を惜しまなかったリヒャルト・ワーグナー (Richard Wagner) の音楽そのものが、世紀末 (Fin de siecle) 的であると同時に、その眼差しがヨーロッパ中世 (Middle Ages) 以前の神話世界 (Germanic Mythology) に向けられているのだから、このアンヴィバレンツ (Ambivalent) は自明のモノとすべきものなのだ。
そう言えば、狂王が建設した幾つもの城、例えば、ノイシュヴァンシュタイン城 (Schloss Neuschwanstein) やヘレンキムゼー城 (Schloss Herrenchiemsee) やリンダーホーフ城 (Schlossanlage Linderhof) 等は、中世風の建築様式 (Medieval Architecture) を装いながらも実は決して実際のヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城郭とは似ても似つかないシロモノであったりするではないか。これらの城々は、確かにぼく達が想い描くヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々を引き写しているかの様に観えてしまうのだけれども、よおく考えてみればそのヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々とは、ディズニー映画 (Disney Movies) やその"実写化"のディズニーランド (Disney Land) のイメージなのだ。
勿論、その実際は逆で、ディズニー映画 (Disney Movies) やディズニーランド (Disney Land) が、ヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々を模す素振りを観せながら、中世風の建築様式 (Medieval Architecture) では決してない、狂王の城々を引き写して魅せているのである。
だから、その一方で、実際のヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々、例えばヴラド3世 (Vlad III) のブラン城 (Castelul Bran) やジル・ド・レイ (Gilles de Rais) のティフォージュ城 (Chateau de Tiffauges) やチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) のサンタンジェロ城 (Castel Sant'Angelo) を観てみれば、それらが魅せる光景との落差は決して小さくはないのだ。
つまり、ヨーロッパ中世 (Middle Ages) の絵空事でありヴァーチャルな中世である狂王の城々から、更なる絵空事でありヴァーチャルな映像やアミューズメント・パークが誕生しているのである。
ある意味で、彼は産まれる時代を間違えた男であり、遅れてやってきた男ではあるのだけれども、それと同時に、どこかに似非や紛い物、贋作が潜んでいるのである。
キッチュ (Kitsch) とかキャンプ (Camp) とかいう語句は、彼が活きた時代にはまだ産まれてはいなかったけれども、彼が造り遺したモノの総ての、そこにある様式や美のどこかにキッチュ (Kitsch) やキャンプ (Camp) が潜んでいる様な気がしてならないのだ。
ノイシュヴァンシュタイン城 (Schloss Neuschwanstein) やヘレンキムゼー城 (Schloss Herrenchiemsee) やリンダーホーフ城 (Schlossanlage Linderhof) をキッチュ (Kitsch) でキャンプ (Camp) と一言で片付けてしまうと、各方面から相当なクレームを受けて相違なさそうなのだが、それらの城が模したオリジンとされるヴェルサイユ宮殿 (Chateau de Versailles) やトリアノン宮殿 (Le Grand Trianon) と、ディズニー映画 (Disney Movies) の映像美やディズニーランド (Disney Land) のアミューズメントの間にそれらの城々を置いたら、一体、どちらに近いのか。
それは狂王の城々が、王の為の居住空間であったり、城本来の目的である要塞としての使命を持つ代わりに、彼を愉しませるのを第一義としてある事を考えれば自明だろう。
だから、たまたま彼が王という地位に産まれてしまったから城を造る事が出来たのであり、まかり間違えれば、あの郵便配達夫フェルディナン・シュヴァル (Joseph Ferdinand Cheval) が建てた理想宮 (Palais ideal) の様に、自身の入手した素材で自身の肉体を駆使して、己の"城"を築いたのかもしれない。
と、言う事は、我が国で言えば、二笑亭を建てた渡辺金蔵にも通じてしまうのか。
次回は「ひ」。

附記 1.:
ルートヴィヒ2世 (Ludwig II) という王の、確信犯的な存在を教えてくれたのは、澁澤龍彦 (Tatsuhiko Shibusawa) のいくつもの著作物だったのだけれども、そこで書かれているいくつもの事象と、例えばTV番組の紀行モノで探訪される彼の城々とを、一直線に結びつける事は、ぼくにとっては困難な出来事だった。
つまり、対象に向ける視線の、その目配せがあまりにも異なっているのだ。
本来ならば、それを中庸化させて、ひとつの像に焦点化させてくれるモノのひとつとして、王の生涯を実際の城々を背景にして追った映画『ルードウィヒ / 神々の黄昏
(Ludwig)』 [ルキーノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti) 監督作品 1972年制作 上記掲載画像はこちらから] があるのだろうけれども、ぼくはちいさなTVの画面で体験してしまっている。
あの作品は、巨大スクリーンの中でしか、映画としての機能を果たせないのかもしれない。
だから、ある時に訪れた某精神科の研究所の一角に、でかでかと狂王の肖像があったのには、随分と驚かされたモノだ。そこに彼の肖像画があるという事が、もしも世間一般的な彼のパブリック・イメージだとしたら、澁澤龍彦 (Tatsuhiko Shibusawa) やルキーノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti) が教えてくれた彼の人物像との隔たりは随分と大きなモノなのだ。
そして、勿論それはTV番組の紀行モノで得た知識と関心を持って、現地を訪れるモノとも、大きく隔たっている。
そおゆう意味に於いても、串刺し公 (Vlad Draculea / Vlad Tepes) のヴラド3世 (Vlad III) と、青髭伝説 (La Barbe Bleue) のジル・ド・レイ (Gilles de Rais) と、毒殺 (Cantarella) 王のチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) と、相通じる点があるのかもしれない。
附記 2.:
そしてこの駄文が、いつも以上に論点が定まらずに飛躍や省略と重複と蛇行に満ちているとしたら、それこそが狂王ルートヴィヒ2世 (Ludwig II) に感応した賜物なのかもしれない。
ひとりはヴラド3世 (Vlad III) であり、もうひとりはジル・ド・レイ (Gilles de Rais) である。
前者は串刺し公 (Vlad Draculea / Vlad Tepes) の異名をもつ上に、かの『ドラキュラ
もしも必要であるのならばこのふたりに加えて、チェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) を挙げてもよい。
彼の行方には、暗殺と毒殺 (Cantarella) と権謀術数 (Machiavellianism) が横行し、ニッコロ・マキャヴェッリ (Niccolo Machiavelli) に『君主論
なにやら、殺伐とした血腥い人物の名前がさんにんも挙ってしまった。だからと言って、本稿の主人公であるルートヴィヒ2世 (Ludwig II) が、血塗れの人生を歩んだと言いたい訳ではない。むしろ、我が狂王の死は謎に包まれたままであって、加害者であるよりも前に、被害者である公算の方が大きいのだ。
ここに挙げたさんにんの王にしても、単純に、己の趣味や嗜好や使命に忠実に従ったまでの結果の表明が、串刺し公 (Vlad Draculea / Vlad Tepes) であったり青髭伝説 (La Barbe Bleue) であったり毒殺 (Cantarella) 王であっただけの事なのだ。
現に、ヴラド3世 (Vlad III) は異教徒や異民族を己の領土から排撃した名君であるし、ジル・ド・レイ (Gilles de Rais) はジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc) と共に祖国を救済した名将であるし、ニッコロ・マキャヴェッリ (Niccolo Machiavelli) は主著『君主論
そんな諸王の末席に我がルートヴィヒ2世 (Ludwig II) を加えたいと想うのは、あまりにも破天荒な妄想なのだろうか。彼もまた、王が王であるに相応しい趣味や嗜好や使命に忠実に従って、その生を全うした様に観えるのだけれども。
だけれども、それを妨げる大きな要因がひとつあるのだ。
ヴラド3世 (Vlad III)、ジル・ド・レイ (Gilles de Rais)、チェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia)、このさんにんは15世紀 (15th century) のヒトであるのに対し、我が狂王は、1845年に誕生し1886年に没した19世紀 (19th century) のヒトなのである。もう少し正確に言えばかの世紀末 (Fin de siecle) を活きたヒトなのである。
確かに、ルートヴィヒ2世 (Ludwig II) は、19世紀 (19th century) 末を彩る世紀末 (Fin de siecle) 文化を演出した重要な人物ではあるのだけれども、その立ち居振舞からどうしてもルネサンス (Renaissance) 以前、つまりヨーロッパ中世 (Middle Ages) の影の中に佇んでいる様に観えてしまって仕様がない。
だからこその、あのさんにんの王なのだ。尤も、この400年の遅延が、彼に血塗れの人生をもたらさずにすんだ、と断言して仕舞う事を可能としているのかもしれない。
ただ、そのふたつに引き裂かれたその肖像は、必ずしも彼だけのモノではない。彼が尊敬し援助を惜しまなかったリヒャルト・ワーグナー (Richard Wagner) の音楽そのものが、世紀末 (Fin de siecle) 的であると同時に、その眼差しがヨーロッパ中世 (Middle Ages) 以前の神話世界 (Germanic Mythology) に向けられているのだから、このアンヴィバレンツ (Ambivalent) は自明のモノとすべきものなのだ。
そう言えば、狂王が建設した幾つもの城、例えば、ノイシュヴァンシュタイン城 (Schloss Neuschwanstein) やヘレンキムゼー城 (Schloss Herrenchiemsee) やリンダーホーフ城 (Schlossanlage Linderhof) 等は、中世風の建築様式 (Medieval Architecture) を装いながらも実は決して実際のヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城郭とは似ても似つかないシロモノであったりするではないか。これらの城々は、確かにぼく達が想い描くヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々を引き写しているかの様に観えてしまうのだけれども、よおく考えてみればそのヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々とは、ディズニー映画 (Disney Movies) やその"実写化"のディズニーランド (Disney Land) のイメージなのだ。
勿論、その実際は逆で、ディズニー映画 (Disney Movies) やディズニーランド (Disney Land) が、ヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々を模す素振りを観せながら、中世風の建築様式 (Medieval Architecture) では決してない、狂王の城々を引き写して魅せているのである。
だから、その一方で、実際のヨーロッパ中世 (Middle Ages) の城々、例えばヴラド3世 (Vlad III) のブラン城 (Castelul Bran) やジル・ド・レイ (Gilles de Rais) のティフォージュ城 (Chateau de Tiffauges) やチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) のサンタンジェロ城 (Castel Sant'Angelo) を観てみれば、それらが魅せる光景との落差は決して小さくはないのだ。
つまり、ヨーロッパ中世 (Middle Ages) の絵空事でありヴァーチャルな中世である狂王の城々から、更なる絵空事でありヴァーチャルな映像やアミューズメント・パークが誕生しているのである。
ある意味で、彼は産まれる時代を間違えた男であり、遅れてやってきた男ではあるのだけれども、それと同時に、どこかに似非や紛い物、贋作が潜んでいるのである。
キッチュ (Kitsch) とかキャンプ (Camp) とかいう語句は、彼が活きた時代にはまだ産まれてはいなかったけれども、彼が造り遺したモノの総ての、そこにある様式や美のどこかにキッチュ (Kitsch) やキャンプ (Camp) が潜んでいる様な気がしてならないのだ。
ノイシュヴァンシュタイン城 (Schloss Neuschwanstein) やヘレンキムゼー城 (Schloss Herrenchiemsee) やリンダーホーフ城 (Schlossanlage Linderhof) をキッチュ (Kitsch) でキャンプ (Camp) と一言で片付けてしまうと、各方面から相当なクレームを受けて相違なさそうなのだが、それらの城が模したオリジンとされるヴェルサイユ宮殿 (Chateau de Versailles) やトリアノン宮殿 (Le Grand Trianon) と、ディズニー映画 (Disney Movies) の映像美やディズニーランド (Disney Land) のアミューズメントの間にそれらの城々を置いたら、一体、どちらに近いのか。
それは狂王の城々が、王の為の居住空間であったり、城本来の目的である要塞としての使命を持つ代わりに、彼を愉しませるのを第一義としてある事を考えれば自明だろう。
だから、たまたま彼が王という地位に産まれてしまったから城を造る事が出来たのであり、まかり間違えれば、あの郵便配達夫フェルディナン・シュヴァル (Joseph Ferdinand Cheval) が建てた理想宮 (Palais ideal) の様に、自身の入手した素材で自身の肉体を駆使して、己の"城"を築いたのかもしれない。
と、言う事は、我が国で言えば、二笑亭を建てた渡辺金蔵にも通じてしまうのか。
次回は「ひ」。

附記 1.:
ルートヴィヒ2世 (Ludwig II) という王の、確信犯的な存在を教えてくれたのは、澁澤龍彦 (Tatsuhiko Shibusawa) のいくつもの著作物だったのだけれども、そこで書かれているいくつもの事象と、例えばTV番組の紀行モノで探訪される彼の城々とを、一直線に結びつける事は、ぼくにとっては困難な出来事だった。
つまり、対象に向ける視線の、その目配せがあまりにも異なっているのだ。
本来ならば、それを中庸化させて、ひとつの像に焦点化させてくれるモノのひとつとして、王の生涯を実際の城々を背景にして追った映画『ルードウィヒ / 神々の黄昏
あの作品は、巨大スクリーンの中でしか、映画としての機能を果たせないのかもしれない。
だから、ある時に訪れた某精神科の研究所の一角に、でかでかと狂王の肖像があったのには、随分と驚かされたモノだ。そこに彼の肖像画があるという事が、もしも世間一般的な彼のパブリック・イメージだとしたら、澁澤龍彦 (Tatsuhiko Shibusawa) やルキーノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti) が教えてくれた彼の人物像との隔たりは随分と大きなモノなのだ。
そして、勿論それはTV番組の紀行モノで得た知識と関心を持って、現地を訪れるモノとも、大きく隔たっている。
そおゆう意味に於いても、串刺し公 (Vlad Draculea / Vlad Tepes) のヴラド3世 (Vlad III) と、青髭伝説 (La Barbe Bleue) のジル・ド・レイ (Gilles de Rais) と、毒殺 (Cantarella) 王のチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia) と、相通じる点があるのかもしれない。
附記 2.:
そしてこの駄文が、いつも以上に論点が定まらずに飛躍や省略と重複と蛇行に満ちているとしたら、それこそが狂王ルートヴィヒ2世 (Ludwig II) に感応した賜物なのかもしれない。
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