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2012.04.09.23.44

『松岡正剛の千夜千冊:番外録1462夜 [2012年4月09日号] 関揺れる 御中虫著を読む

揺さぶられる。しかも、非常に激しくだ。
なにを?と問われれば「こころ」とか「たましい」とか、平凡で穏便なことばも浮かばない訳ではないが、そんな生易しいものではない。
むしろ、「こころ」や「たましい」ではない方。己の内面にあるナニカではなくて、そんなモノに作用しているのではない。
もっと直接的で暴力的なモノがぼくを直接、揺さぶっている様なのだ。つまり、胸ぐらを掴まれて揺さぶり続けられている様な、羽交い締めにされて振り回され続けている様な、そんな感覚なのである。

それは、松岡正剛の『千夜千冊』の番外録『1462夜 御中虫 関揺れる』に紹介されている御中虫の句集『関揺れる』の事なのである。

俳句という表現の門外漢であるぼくにとっては、それは「関揺れる」ということばのつらなりが産み出す、そのヴァリエーションが延々と書かれているのに過ぎない。ただ、それだけなのに、いや、むしろ、それだけだからこそ、そこに連なることばの響きが、おそろしい程におおきく、おそろしい程につよいのである。

あえて再び書くけれども、俳句なのである。たかだか17文字に過ぎない。しかも、そこに必ず「関揺れる」が顕われるから、12文字のヴァリエーションでしかないのだ。

一句読む度に、「関揺れる」が顕われる。そして、次の句に眼を写せば、さっきとは異なる「関揺れる」が顕われる。そして、その次にはきっとまた新たな「関揺れる」が顕われるだろう。

こういう表現でいいのか、そして、それと同様に、こういう表現がこの駄文を読んでいるあなたにどれ程通用するのか解らないのだけれども。
ぼくには、次の様な印象がある。

まるで、「関揺れる」ということばが、この俳句群で詠われている世界の、世界観を決定している様に、ぼくには思えるのだ。
ここで言う世界観とは俳人の目線が捉えたモノ、という意味ではない。俳人が作品に込めた、独自のヴィジョン、という意味でもない。
それよりもそれを乗り越えた、もっと向こうにあるモノだ。

つまり、SFやホラーやファンタジーといったジャンルに必須のもの、作品世界を形成すると同時に、場合によっては、一旦、現実世界からの流入を遮断させるモノの事である。

バイオレンスジャック』[永井豪著] に無法地帯を出現させる為、もしくは、『漂流教室』[楳図かずお著] が果てしない未来の終末を描く為、それぞれに地震が起きなければならなかった様に、ここで紹介されている俳句の総てには、「関揺れる」の5文字が登場する必要があるのではないだろうか。

どうやら、ぼくは俳句の連作と看做して読んでいるのではないのかもしれない。きっと、ある種の極限状況を描いた小説や映画の、その断章をひたすら読み続けている、そんな状況に近いのかもしれない。

と、いうのは、この俳句が初めて紹介された前夜『1461夜 外岡秀俊 3・11複合被災』で読んだ際、「関揺れる」の関とは、東北地方とそれ以西を分ける奥州三関、すなわち白河の関勿来関そして鼠ヶ関の事だと誤解していたからだ。
その第一印象に引き摺られてぼくは、東北地方とそれ以西を分断するおおきなちからの物語と、まるで『吉里吉里人』[井上ひさし著] の様な分断から始る再生の物語を、幻視していた様なのである。

ところが、実際は、「関揺れる」の関とは俳人の関悦史の事なのである。その俳人の関悦史がどうして「関揺れる」になったかは、松岡正剛が次の様に纏めている。

「①虫と関とはちょっとした知り合いだ。②虫は、関が「揺れる」を連発してツイートしていることにひとかどの関心をもった。③その一方で、虫は長谷川櫂の『震災句集』があまりにキモイので、ずっとがまんならない日々を送っていた。④そこで虫は、長谷川櫂の句集に収録されている数ぶんの“震災俳句”を作ると決めた。⑤それには「関揺れる」を新たな“捏造季語”として俳句するべきだと思った。⑥こうして2012年2月24日、虫は一気に震災俳句を揺れツイートした。」

[本来ならば、上の①から⑥の経緯は全文掲載なぞせずに、己自身の言葉で要約すべきなのだろうけれども、上の文章の独特のオフ・ビートな間合いが巧く再現出来そうにない。そして、大事な事は、その間合いは必ずしも松岡正剛だけのものではなくて、御中虫関悦史とそしてもしかしたら長谷川櫂とに触発されて出来上がったモノかもしれないのだ。]

関悦史の「揺れる」ツイート [そのものではないが、その時季に読んだ句は句集『六十億本の回転する曲がつた棒』に採録されている様だ] や、長谷川櫂の『震災句集』がどんな作品なのかは『1462夜 御中虫 関揺れる』で松岡正剛がきちんと紹介している。ぼく自身がここで「あまりにキモイ」とされた長谷川櫂の『震災句集』を断罪する必要はないだろう。

ただ注目したい点は、御中虫自身が被災者ではないという点だ。そして、「関揺れる」の俳句群を創る契機が、関悦史の「揺れる」ツイートや長谷川櫂の『震災句集』、つまり他者の創作物にあったと言う点なのだ。現実と共鳴しているのではなくて、むしろ、非現実の方と共鳴しているのである。

つまり、ルイス・キャロル (Lewis Carroll) やレーモン・ルーセル (Raymond Roussel) の様に。

附記:
1462夜 御中虫 関揺れる』の頁に『関揺れる』の出版元邑書林による『御中虫著『関揺れる』ブログ』と題されたブログがリンクされている。ちょっとしたメイキング・オブ『関揺れる』として読む事も出来る、スタッフ・サイドの視点から観た同時進行のドキュメンタリーなのだ。

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