2012.04.10.17.14
ロールケーキ (Roll Cake) の美味しい喰べ方と言えば、恵方巻 (Ehomaki) 喰いに限るね、と断言したら、どれ程の賛同が得られるのだろう。
大概の方々には、受け入れられないかもしれない喰べ方かもしれないけれども、ロールケーキ (Roll Cake) と言えば、恵方巻 (Ehomaki) 喰いにしくモノはないのだ。
恵方巻 (Ehomaki) 喰いと言っておきながらも、恵方、すなわち、良き方角を捜して向いて食す、という様な事はしない。
両の腕でそれを支持するのか、それとも片腕でよしとするかは本人次第だ。後者の場合、空いている方の腕を腰にあてれば、爽快感が顕われるかもしれない。
いずれにしてもただ、全長数十センチ、直径十数センチに及ぶ円柱状のそれを鷲掴みに掴み、端から端まで只管、喰い倒すまでである。
モノがモノだけに、無言で貪り喰らう事は必至だ。少なくともシルエットにして観て観れば、その摂取過程にある姿勢は、毎年二月は節分の日 (Setsubun) に喰らう太巻 (Futomaki) の際のそれと、大差ないだろう。
ちなみに、関西の特定の地方の催しだった恵方巻 (Ehomaki) が、太巻 (Futomaki)という商品そのものやその過程に使用される必須の食材の、製造や販売に関わる様々な業種の、様々な思惑が絡みあって、そのひとつの成果としてメディアに取り上げられて、全国区になる数年前よりも、その遥かに昔からぼくは、この恵方巻 (Ehomaki) 喰いでロールケーキ (Roll Cake) を食してきたのである。
そこのところは、一応、強く自己主張しておきたい。
そもそもの始まりは、上京したての学生時代の貧乏生活なのだ。
それ以前は、ロールケーキ (Roll Cake) なぞ見向きもしなかった。
幼い頃はチョコレートケーキ (Chocolate Cake) がマイ・フェイヴァリット・シング (My Favorite Things)であって、ヴィジュアル的に大人しいロールケーキ (Roll Cake) は幼児にとってはモノ足らないモノなのだ。あたまの上に生拉麺 (Ramen) を載せた様なモンブラン (Mont Blanc) と同じくらいに避けていた。
否、ヴィジュアル面に関してのみではない。
幼児であったぼくにとっては、ケーキ (Cake) という食品の主要部分を成す、スポンジケーキ (Sponge Cake) やカステラ (Castella) やパンケーキ (Pancake) の部分は、単なるエクスキューズなのである。あれは、単に土台でしかなく、器や皿と同等のものなのだ。
ケーキの上層部や周縁部に塗り重ねられていたり、トッピングされている、バタークリーム (Buttercream) やホイップ・クリーム (Whipped Cream) やチョコレートクリーム (Ganache) やジャム (Jam) や苺 (Garden Strawberry) がケーキ (Cake) を食べる眼目であって、それだけ喰べられれば、ぼくは満足だったのだ。
だから、上層部や周縁部にあるそれらだけをきれいにこそぎ落としてそれだけを喰べ、スポンジケーキ (Sponge Cake) やカステラ (Castella) やパンケーキ (Pancake) で出来た部位をそっくりそのまま喰べ遺した事もかつてはあった。
そして、親に想いっきり呵られた。

にも関わらずに、ロールケーキ (Roll Cake) を受容したのは、貧乏生活があったからだ。そして、というか、にも関わらずに、というか、当時は大飯喰らいだったのだ。
甘いモノは喰べたいし、しかも、腹一杯喰らいたいし、でも、カネには限りがある。
そこで、時折、西友 (Seiyu Group) で安売りされるロールケーキ (Roll Cake) を購う習慣がついたのだ。確か、当時の価格で¥168だったと記憶している。
このロールケーキ (Roll Cake) に1ℓの牛乳 (Milk Carton 1l) とカイワレダイコン (Chinese Radish Sprout) を買って、一食分としていた。
ちょっと経済的に余裕がある時は、それに加えて一番安い肉材の鶏皮 (Chicken Skin) を購った。炒めてコリコリにさせたそれは、満腹感には程遠いものの、食感が豊かになった様な気がした。
五大栄養素 (Nutrient) を頭の中に想い描いて、この三点セットないしは四点セットがあれば、その総てを網羅出来ていると思ったものだった [上記掲載画像は、こちらから]。
そして、そのロールケーキ (Roll Cake) を今でいう [と言うか、さっきから言い続けている] 恵方巻 (Ehomaki) 喰いで喰うのは、その当初からだった。
独りで購ってきて独りで喰うのだから、わざわざ、斬り分けるのは手間だし意味がない。そう言えば、食材って刃物があたると味が落ちるんだっけ、とかいう変な小理屈もついてきたかもしれない。
いや、それ以前に、ちょっと小銭に余裕がある時に購う、これも西友 (Seiyu Group) の寿司バイキング (Sushi Buffet) の影響もあるかもしれない。そこでバイキング・スタイル (Buffet) で販売されている手巻き寿司 (Hand-rolled Sushi) は、通常の一口サイズには斬り分けられていないのだ。あれを三割引だか半額引だかの投げ売りの時間帯で購ってきて喰うぼくは、そのまま一口で貪り喰う習慣がいつしかついていた。
だから、同じ形態のロールケーキ (Roll Cake) も、その仁義 (Le Cercle Rouge) に従ったまでの事なのかもしれない。
ところで、ロールケーキ (Roll Cake) は、スポンジケーキ (Sponge Cake) の部分とバタークリーム (Buttercream) の部分で出来ている。しかもそれが、文字通りにロール状に前者が後者を巻き取った形で形成されている。だから、それを輪切りにすれば、どこを斬ってもロールケーキ (Roll Cake) で、その主成分の配分や構成や構造は、大枠的には変わらない。
ここが、同様に二種類の食材だけで構成されている鯛焼 (Taiyaki) や銅鑼焼 (Dorayaki) と違うところだ。
しかも、ただ只管に同一素材だけで構成されている、均一で中庸なカステラ (Castella) や羊羹 (Yokan) とも違う。
さらに言えば、斬り分けるポジショニングで、上に載っているトッピング素材の質や多寡が変わるホールケーキ (Whole Cake) とは対極にあるモノなのだ。お誕生日会で幼心に遺恨と禍根を遺すのは、主宰者の無自覚な斬り分け方が、その発端である事は否定出来ない。
つまり、なにが言いたいのかと言うと、いつでもどこでも、喰えば、同じ味が保証されている。非常に民主主義 (Democracy) 的なタベモノなのである。そう言う事なのである。
と、同時に、それを恵方巻 (Ehomaki) 喰いすれば、いつまでも同じ味が続くのだ。同じ味覚のクォリティが最初から最期まで保証されているのである。
これを至福と表現する向きもあるだろうし、実際にそんな感興に到達してしまう時もある。
しかし、大概は、いつまでも続く味に飽きてしまうのだ。
それはどうしようもない。
大抵は、遺り三分の一になった時に、それはやってくる。
遺せばいいという意見は、この場合、却下される。喰い残された断片は無惨なかたちをしているし、後刻、それを喰べようとすると、残念な気持ちに襲われるのだ。
昨夜の喰い遺しのクリスマス・ケーキ (Christmas Cake) が非常にやるせない想いをさせる様に、喰いちらかした後のロールケーキ (Roll Cake) は後刻、無惨な醜態でしかない。
尤も、それ以前に、味には飽きているが、喰い足りてはいないのだ。
こんなときはどうするのか。
ちゃんと解決策はある。
当時の友人のひとりは、そんな時はバター (Butter) かマーガリン (Margarine) を塗れば、相対的に甘みがまして味覚も変わると主張したけれども、それは邪道だと思う。
これまで、喰らってきた方角を90度向きを変えて、喰いつけばいいのだ。つまり、輪切りの円柱に対して、水平方向から向かっていたその先を、垂直方向に変えて喰うのである。
こうすると、自然に、スポンジケーキ (Sponge Cake) の部分とバタークリーム (Buttercream) の部分の成分比が変わり、甘味も旨味も変化する。
これだけの事なのに、その変わった喰感と味覚は、ちょっと感動する。
ここまで読んできておきながら、未だにロールケーキ (Roll Cake) の恵方巻 (Ehomaki) 喰いに抵抗がある方も、いるかもしれない。
でも、例えばそんな方でも、それまで輪切りで食してきたロールケーキ (Roll Cake) を、その斬る向きを90度変えて斬り分けて、食してみたら如何だろうか。
民主主義 (Democracy) 的な味覚を饗してきたそれが、突然に、専制君主 (Absolute Monarchy) の様な振舞を魅せるのだ。スポンジケーキ (Sponge Cake) の味覚しかない残念なものもあれば、殆どバタークリーム (Buttercream) しかない甘みに甘みを載せた様なものも登場するのである。
次回は「き」。
ロールケーキ (Roll Cake) は別名スイスロール (Swiss Roll) と呼ばれる。
と、言うか、実はロールケーキ (Roll Cake) は和製英語 (Wasei-eigo) に近く、英語圏ではスイスロール (Swiss Roll) と呼ぶべきモノなのである。
最近のぼくは、ローソンストア100 (Lawson Store 100) で販売されているモノを購う事が多いが、その一個¥100も商品名はスイスロール (Swiss Roll) だし、現在、西友 (Seiyu Group) でも販売している山崎製パン (Yamazaki Baking Co., Ltd.) のモノも商品名はスイスロール (Swiss Roll) だ [その山崎製パン (Yamazaki Baking Co., Ltd.) のスイスロール (Swiss Roll) が当時、ぼくが喰べていたモノと同じかどうかは解らない]。
何故、スイスロール (Swiss Roll) と呼ばれるかは、不明であって、必ずしもスイス (Helvetia) が原産国という訳でもないらしい。
よっつの言語が公用語 (Official Language) として使われているそのスイス (Helvetia) では、仏語圏ではガトーロール (Gateau roule) だし、独語圏ではルーラード (Roulade) だし、伊語圏ではトロンケット (Tronchetto) だし、だけれども、もうひとつの公用語 (Official Language) であるロマンシュ語 (Rumantsch) ではなんと呼んでいるのかは解らない。でも、きっとおそらく"スイス (Helvetia) の〜"という形容句はつかないと思うのだ。
それはきっと、そうだろう。
琉球王国 (The Kingdom Of The Ryukyus) を経て中国大陸から、救荒作物としてもたらされた甘藷 (Sweet Potato) を薩摩藩 (Satsuma Domain) は唐芋 (Sweet Potato)と呼び慣わしていて、享保の大飢饉を体験した江戸幕府 (Tokugawa Shogunate ) =徳川吉宗 (Tokugawa Yoshimune) の命によって青木昆陽が栽培する事になった、薩摩藩 (Satsuma Domain) から取り寄せたその唐芋 (Sweet Potato) を、栽培の成功以来、それを薩摩藷 (Sweet Potato) と呼ぶ慣わす様になったのだ。
だから、例え、スイス (Helvetia) 原産であったとしても、自国の産品を自国名で呼び倣わす謂れはない筈なのだ。
大概の方々には、受け入れられないかもしれない喰べ方かもしれないけれども、ロールケーキ (Roll Cake) と言えば、恵方巻 (Ehomaki) 喰いにしくモノはないのだ。
恵方巻 (Ehomaki) 喰いと言っておきながらも、恵方、すなわち、良き方角を捜して向いて食す、という様な事はしない。
両の腕でそれを支持するのか、それとも片腕でよしとするかは本人次第だ。後者の場合、空いている方の腕を腰にあてれば、爽快感が顕われるかもしれない。
いずれにしてもただ、全長数十センチ、直径十数センチに及ぶ円柱状のそれを鷲掴みに掴み、端から端まで只管、喰い倒すまでである。
モノがモノだけに、無言で貪り喰らう事は必至だ。少なくともシルエットにして観て観れば、その摂取過程にある姿勢は、毎年二月は節分の日 (Setsubun) に喰らう太巻 (Futomaki) の際のそれと、大差ないだろう。
ちなみに、関西の特定の地方の催しだった恵方巻 (Ehomaki) が、太巻 (Futomaki)という商品そのものやその過程に使用される必須の食材の、製造や販売に関わる様々な業種の、様々な思惑が絡みあって、そのひとつの成果としてメディアに取り上げられて、全国区になる数年前よりも、その遥かに昔からぼくは、この恵方巻 (Ehomaki) 喰いでロールケーキ (Roll Cake) を食してきたのである。
そこのところは、一応、強く自己主張しておきたい。
そもそもの始まりは、上京したての学生時代の貧乏生活なのだ。
それ以前は、ロールケーキ (Roll Cake) なぞ見向きもしなかった。
幼い頃はチョコレートケーキ (Chocolate Cake) がマイ・フェイヴァリット・シング (My Favorite Things)であって、ヴィジュアル的に大人しいロールケーキ (Roll Cake) は幼児にとってはモノ足らないモノなのだ。あたまの上に生拉麺 (Ramen) を載せた様なモンブラン (Mont Blanc) と同じくらいに避けていた。
否、ヴィジュアル面に関してのみではない。
幼児であったぼくにとっては、ケーキ (Cake) という食品の主要部分を成す、スポンジケーキ (Sponge Cake) やカステラ (Castella) やパンケーキ (Pancake) の部分は、単なるエクスキューズなのである。あれは、単に土台でしかなく、器や皿と同等のものなのだ。
ケーキの上層部や周縁部に塗り重ねられていたり、トッピングされている、バタークリーム (Buttercream) やホイップ・クリーム (Whipped Cream) やチョコレートクリーム (Ganache) やジャム (Jam) や苺 (Garden Strawberry) がケーキ (Cake) を食べる眼目であって、それだけ喰べられれば、ぼくは満足だったのだ。
だから、上層部や周縁部にあるそれらだけをきれいにこそぎ落としてそれだけを喰べ、スポンジケーキ (Sponge Cake) やカステラ (Castella) やパンケーキ (Pancake) で出来た部位をそっくりそのまま喰べ遺した事もかつてはあった。
そして、親に想いっきり呵られた。

にも関わらずに、ロールケーキ (Roll Cake) を受容したのは、貧乏生活があったからだ。そして、というか、にも関わらずに、というか、当時は大飯喰らいだったのだ。
甘いモノは喰べたいし、しかも、腹一杯喰らいたいし、でも、カネには限りがある。
そこで、時折、西友 (Seiyu Group) で安売りされるロールケーキ (Roll Cake) を購う習慣がついたのだ。確か、当時の価格で¥168だったと記憶している。
このロールケーキ (Roll Cake) に1ℓの牛乳 (Milk Carton 1l) とカイワレダイコン (Chinese Radish Sprout) を買って、一食分としていた。
ちょっと経済的に余裕がある時は、それに加えて一番安い肉材の鶏皮 (Chicken Skin) を購った。炒めてコリコリにさせたそれは、満腹感には程遠いものの、食感が豊かになった様な気がした。
五大栄養素 (Nutrient) を頭の中に想い描いて、この三点セットないしは四点セットがあれば、その総てを網羅出来ていると思ったものだった [上記掲載画像は、こちらから]。
そして、そのロールケーキ (Roll Cake) を今でいう [と言うか、さっきから言い続けている] 恵方巻 (Ehomaki) 喰いで喰うのは、その当初からだった。
独りで購ってきて独りで喰うのだから、わざわざ、斬り分けるのは手間だし意味がない。そう言えば、食材って刃物があたると味が落ちるんだっけ、とかいう変な小理屈もついてきたかもしれない。
いや、それ以前に、ちょっと小銭に余裕がある時に購う、これも西友 (Seiyu Group) の寿司バイキング (Sushi Buffet) の影響もあるかもしれない。そこでバイキング・スタイル (Buffet) で販売されている手巻き寿司 (Hand-rolled Sushi) は、通常の一口サイズには斬り分けられていないのだ。あれを三割引だか半額引だかの投げ売りの時間帯で購ってきて喰うぼくは、そのまま一口で貪り喰う習慣がいつしかついていた。
だから、同じ形態のロールケーキ (Roll Cake) も、その仁義 (Le Cercle Rouge) に従ったまでの事なのかもしれない。
ところで、ロールケーキ (Roll Cake) は、スポンジケーキ (Sponge Cake) の部分とバタークリーム (Buttercream) の部分で出来ている。しかもそれが、文字通りにロール状に前者が後者を巻き取った形で形成されている。だから、それを輪切りにすれば、どこを斬ってもロールケーキ (Roll Cake) で、その主成分の配分や構成や構造は、大枠的には変わらない。
ここが、同様に二種類の食材だけで構成されている鯛焼 (Taiyaki) や銅鑼焼 (Dorayaki) と違うところだ。
しかも、ただ只管に同一素材だけで構成されている、均一で中庸なカステラ (Castella) や羊羹 (Yokan) とも違う。
さらに言えば、斬り分けるポジショニングで、上に載っているトッピング素材の質や多寡が変わるホールケーキ (Whole Cake) とは対極にあるモノなのだ。お誕生日会で幼心に遺恨と禍根を遺すのは、主宰者の無自覚な斬り分け方が、その発端である事は否定出来ない。
つまり、なにが言いたいのかと言うと、いつでもどこでも、喰えば、同じ味が保証されている。非常に民主主義 (Democracy) 的なタベモノなのである。そう言う事なのである。
と、同時に、それを恵方巻 (Ehomaki) 喰いすれば、いつまでも同じ味が続くのだ。同じ味覚のクォリティが最初から最期まで保証されているのである。
これを至福と表現する向きもあるだろうし、実際にそんな感興に到達してしまう時もある。
しかし、大概は、いつまでも続く味に飽きてしまうのだ。
それはどうしようもない。
大抵は、遺り三分の一になった時に、それはやってくる。
遺せばいいという意見は、この場合、却下される。喰い残された断片は無惨なかたちをしているし、後刻、それを喰べようとすると、残念な気持ちに襲われるのだ。
昨夜の喰い遺しのクリスマス・ケーキ (Christmas Cake) が非常にやるせない想いをさせる様に、喰いちらかした後のロールケーキ (Roll Cake) は後刻、無惨な醜態でしかない。
尤も、それ以前に、味には飽きているが、喰い足りてはいないのだ。
こんなときはどうするのか。
ちゃんと解決策はある。
当時の友人のひとりは、そんな時はバター (Butter) かマーガリン (Margarine) を塗れば、相対的に甘みがまして味覚も変わると主張したけれども、それは邪道だと思う。
これまで、喰らってきた方角を90度向きを変えて、喰いつけばいいのだ。つまり、輪切りの円柱に対して、水平方向から向かっていたその先を、垂直方向に変えて喰うのである。
こうすると、自然に、スポンジケーキ (Sponge Cake) の部分とバタークリーム (Buttercream) の部分の成分比が変わり、甘味も旨味も変化する。
これだけの事なのに、その変わった喰感と味覚は、ちょっと感動する。
ここまで読んできておきながら、未だにロールケーキ (Roll Cake) の恵方巻 (Ehomaki) 喰いに抵抗がある方も、いるかもしれない。
でも、例えばそんな方でも、それまで輪切りで食してきたロールケーキ (Roll Cake) を、その斬る向きを90度変えて斬り分けて、食してみたら如何だろうか。
民主主義 (Democracy) 的な味覚を饗してきたそれが、突然に、専制君主 (Absolute Monarchy) の様な振舞を魅せるのだ。スポンジケーキ (Sponge Cake) の味覚しかない残念なものもあれば、殆どバタークリーム (Buttercream) しかない甘みに甘みを載せた様なものも登場するのである。
次回は「き」。
ロールケーキ (Roll Cake) は別名スイスロール (Swiss Roll) と呼ばれる。
と、言うか、実はロールケーキ (Roll Cake) は和製英語 (Wasei-eigo) に近く、英語圏ではスイスロール (Swiss Roll) と呼ぶべきモノなのである。
最近のぼくは、ローソンストア100 (Lawson Store 100) で販売されているモノを購う事が多いが、その一個¥100も商品名はスイスロール (Swiss Roll) だし、現在、西友 (Seiyu Group) でも販売している山崎製パン (Yamazaki Baking Co., Ltd.) のモノも商品名はスイスロール (Swiss Roll) だ [その山崎製パン (Yamazaki Baking Co., Ltd.) のスイスロール (Swiss Roll) が当時、ぼくが喰べていたモノと同じかどうかは解らない]。
何故、スイスロール (Swiss Roll) と呼ばれるかは、不明であって、必ずしもスイス (Helvetia) が原産国という訳でもないらしい。
よっつの言語が公用語 (Official Language) として使われているそのスイス (Helvetia) では、仏語圏ではガトーロール (Gateau roule) だし、独語圏ではルーラード (Roulade) だし、伊語圏ではトロンケット (Tronchetto) だし、だけれども、もうひとつの公用語 (Official Language) であるロマンシュ語 (Rumantsch) ではなんと呼んでいるのかは解らない。でも、きっとおそらく"スイス (Helvetia) の〜"という形容句はつかないと思うのだ。
それはきっと、そうだろう。
琉球王国 (The Kingdom Of The Ryukyus) を経て中国大陸から、救荒作物としてもたらされた甘藷 (Sweet Potato) を薩摩藩 (Satsuma Domain) は唐芋 (Sweet Potato)と呼び慣わしていて、享保の大飢饉を体験した江戸幕府 (Tokugawa Shogunate ) =徳川吉宗 (Tokugawa Yoshimune) の命によって青木昆陽が栽培する事になった、薩摩藩 (Satsuma Domain) から取り寄せたその唐芋 (Sweet Potato) を、栽培の成功以来、それを薩摩藷 (Sweet Potato) と呼ぶ慣わす様になったのだ。
だから、例え、スイス (Helvetia) 原産であったとしても、自国の産品を自国名で呼び倣わす謂れはない筈なのだ。
- 関連記事
-
- よごれつちまつたかなしみに (2012/04/24)
- きんぐじょー (2012/04/17)
- ろーるけーき (2012/04/10)
- るねまぐりっとのぴれねーのしろ (2012/04/03)
- なだーる (2012/03/27)