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2012.03.07.00.54

『ほぼ日刊イトイ新聞』で『ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。朝日新聞気仙沼支局篇』を読む

と、題名に書き出してみたものの、実は読むべきものはもうひとつある。同じく『ほぼ日刊イトイ新聞』 [以下『ほぼ日』と略] で連載されていた『佐々木俊尚 × 糸井重里 メディアと私 -おもに、震災のあと』 [以下『メディアと私』と略] である。

と、いうのはそれぞれの記事の中で語られている事柄が相互に呼応しているからである。
単純に言えば、『ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。朝日新聞気仙沼支局篇』 [以下『朝日新聞気仙沼支局篇』と略す] で語られている実際から抽出化されたモノが『メディアと私』で論理付けられている一方で、『メディアと私』で提唱されているモノが既に被災地で試みられていたと『朝日新聞気仙沼支局篇』で検証出来るのだ。

なお以下の文中、総て敬称略とさせてもらった。ご了承願いたい。

最初にネタばらしをしてしまえば、なぜ、『ほぼ日』のふたつの記事を読み比べたかと言うと、『朝日新聞気仙沼支局篇』の主役である、朝日新聞気仙沼支局掛園勝二郎が、佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) 曰くの「農耕型」の記者だからなのである。

「農耕型」の記者に関しては、『メディアと私』の第9回『これからのジャーナリズム』で、佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) によって、次の様な説明がされている。

「ネタ元とずーっとつき合って、めったなことでは書かない。<中略>書けるネタだけを、ぽつんぽつんと書いていく。まさに、畑に種を蒔いて育てて、実ったらちょっとだけ収穫させてもらう。」

この記事を読んだ際は、そんな記者はいるんだろうか、と思った。
"夜討ち朝駆け"や"パパラッチ (Paparazzo)"は、極端な例にしても、記者とは、佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) 曰くの「狩猟型」、つまり「ダーッと取材に行って、取材が終わったあとは草木も生えない<中略>ネタは獲ってくるけど、ぜんぜんフォローしてない。」の筈なのに。
と、ある典型を想い描いていたら、実は意外な人物が、己自身を「農耕型」と規程して自己申告し出したから、吃驚した記憶がある。

それは、TBSNEWS 23 X』のキャスター、松原耕二の発言である。
同じく『ほぼ日』の記事『松原耕二さんは、なぜ小説を書いたのだろう?』の第3回『 人間を描きたいと思い続けて、50年かけてたどり着いた小さな一歩』での事である。
「僕はジャーナリズムの仕事してて、いい記者には永久になれないなとどこかで思っています。」という発言を皮切りに語られる、ジャーナリストとしての、その姿勢は、明らかに「狩猟型」ではなくて「農耕型」のモノなのである。
松原耕二の取材手法が実際にどうなのかという点は判断保留にするにしても、その理想とする姿は「農耕型」であるというのだ。

ただ、この松原耕二の発言を読んだだけでは、単純に2種類の記者がいて、2種類の取材方法があるという理解を得るだけだ。
佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) 曰くの「狩猟型」と「農耕型」という二種類の分類が語られるその記事の表題『これからのジャーナリズム』と、どうやったら結びつける事が出来るのかは、よく解らない。
言えるのはひとつだけあって、3.11.の震災直後の現場にあって、「狩猟型」である佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) は「自分に語れるものがなにもない」という状態にあったという事なのである [第1回『当事者としての立ち位置。』]。

メディアと私』では、「狩猟型」である自身を引き合いにだしながら、「客観中立報道」を放棄した報道を行っていた河北新報寺島英弥の取材手法と、佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) の「当事者主義」が披露されていくのである。

そして今回の『朝日新聞気仙沼支局篇』で、掛園勝二郎が語る自身の被災体験を皮切りに語られているモノから、「当事者主義」を追試出来てしまうという事なのである。

それは一言で言えば河北新報寺島英弥の「ぼくらが被災者だから」 [第1回『当事者としての立ち位置。』] や掛園勝二郎の「あ、そうか、オレも被災者なんだ」 [第3回『新聞記者の習い性』] という意識の存在なのである。

ただ、それは3.11.を被災地で身をもって体験したという事だけではない。「あ、そうか、オレも被災者なんだ」 [第3回『新聞記者の習い性』] という意識の裏腹に、「自分や、まわりの人たちの気持ちなどを『なんとか伝えたい』と思うとき。」 [第3回『新聞記者の習い性』] があって初めて両立するモノなのである。
その認識を掛園勝二郎は「新聞記者として<中略>染みついた『習い性』」 [第3回『新聞記者の習い性』] と表現している。

だからもしかしたら、3.11.を体験した記者ならば誰しもが「当事者主義」を発揮出来るモノとは限らないのかもしれない。
佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) が「現地に取材に行くっていうよりも、混乱している情報をどうにかしようと」したのも、自身の「当事者主義」を発揮できる場所が現地ではなくて、ネット上にあるという理解があっての事なのだろう [第2回『インターネットの両極端な世界。』]。

客観中立報道」を放棄して己の主観のみで語り始めればよい、という事では、全然ないのである。

附記:
緊急時や緊迫時であったのにも関わらず、脚光を浴びたり注目されるのが、「農耕型」であるというのはどういう風に解釈すべきなのだろう。もしかしたら、逼迫した状況下では、最新の情報は意外と必要ではないという事なのだろうか。
確かに災害時には、家族や会社や愛すべきモノやヒトの安否確認が最大の関心になってしまうのかもしれないけれども、東京に溢れかえった帰宅難民の事を想えば、実は、具体的に眼に見えるモノや手が届くモノへの直接的なアプローチが最速にして最大に必要なコトなのかもしれない。
"津波てんでんこ"という言葉自体が、それ以外の総てを放棄しても、いまここに居る己自身の保全を謀れという意味だもの。

蛇足を承知でいえばこの附記での「農耕型」は、記者に限定したモノではないです。
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