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2011.12.27.17.21

となりのととろ

この映画を観た時点からの感想で、折に触れてこの作品に話が及ぶ度に言及しているのだけれども、いまだかつて賛意を得られた試しはない。
これは話すタイミングが悪いのか [まぁ、旧い映画に話題が触れる時は大概が、酒席なのだけれども]、それとも議論をふきかける相手が悪いのか。
だからここはモノは試しで、不特定多数の方々が閲覧可能なこの場所に、素面の状態で、書き綴ってみようと思った次第なのだけれども。

つまりは、こおゆう事だ。

宮崎駿 (Hayao Miyazaki) の映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] の、後半のエピソード、ネコバス (Catbus) が登場するあの物語は、不必要なのではないか。

という事なのです。

と、いうかネコバス (Catbus) どころの話ではない。ぼく個人としては、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) がトトロ (Totoro) 達に出逢えたシーンで終わってしまってもよいし、いっその事、トトロ (Totoro) 達が登場しないままで、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) があの家とあの町とあの風景を縦横無尽に駆け回る、ただそれだけのエピソード集でも充分だと思っている。

というのは、物語の構造を"起承転結"の枠組みで考えれば、映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] という作品は、"起"と"承"で充分に語り尽くされている気がするからなのだ。その一方で、"転"と"結"となるネコバス (Catbus) のエピソードは、映画を終わらせる為の方便としか思えないからなのだ。
つまり、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) とそしてトトロ (Totoro) 達の物語は映画が終わったその後も、まだまだ先へと続くモノなのだけれども、映画というものは、どこかで一旦、エンディングを向かえなければならない。
そんな不条理にも似た、とは言っても、至極全うな、物理的にも時間的にも経済的にも、裏付けられた理由があるからなのだ。

映画は、フィルムが総て巻き取られた時点で終わってしまうものだし、それに向けてそこに映し出されているモノを収斂させなければならない。巻き取られてしまったリールが虚しくカタカタカタカタと音を立てる前に、エンドマークは暗闇に映し出される必要があるのだ。

[ノスタルジックな映画の意匠の方が解りやすいと思って、こんな比喩をしてみた。現在の映画を廻る環境にあわせて、総てのデータ情報が読み取られ再生が終了する前に云々と言い直してみてもいいのだけれども。]

ここで宮崎駿 (Hayao Miyazaki) 作品の特徴のひとつとして、結末部分が弱い、さもなければ、映画の帳尻をあわせる為だけの結末しか描かれていない、という指摘をしてみたいという誘惑に駆られてしまうのだけれども、いつもそこは酒席で、さらなる顰蹙をかってしまう部分だから、ここから先へは進まない事にする。
いつもは酔いの勢いで語り口がつい暴走してしまうけれども、流石に今回は素面だ。危険 [!?] を察知して、ぴたりと立ち止る事が出来る。

映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] の本来ならばあり得べき物語の終りは、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) がトトロ (Totoro) 達と逢えなくなってしまう事、それ以外には考えられないのだ。つまり、ふたりが成長しオトナになってしまった時点が真のエンディングであるし、本来ならば、そこまで、この物語は語り続けられるべきであると思う。
幼いメイ (Mei Kusakabe) にとっては、まだまだ先の話で、彼女の執行猶予期間 (Moratorium) はまだまだ長いだろうけれども、長女であるサツキ (Satsuki Kusakabe) にその時が来るのは、もうまもなくの様な気がする。

異界に旅立った少女はいつかは異界を去って此界に帰って来なければならない。
チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンことルイス・キャロル (Lewis Carroll aka Charles Lutwidge Dodgson) が書いたふたつのアリス・リデル (Alice Pleasance Liddell) の物語、『不思議の国のアリス (Alice's Adventures In Wonderland)』 [1865年発表] でも、『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』 [1871年発表] でも、アリス・リデル (Alice Pleasance Liddell) は夢から覚醒めてしまう。
ジェームス・マシュー・バリー (J. M. Barrie) が書いた『ピーター・パンとウェンディ (Peter Pan And Wendy)』 [1911年発表] でも、ウェンディ (Wendy) はネバーランド (Neverland) を去らなければならない。
それは絶対的で、例えば火星シリーズ (Barsoom) [エドガー・ライス・バローズ (Edgar Rice Burroughs) 作 1912年開始] のジョン・カーター (John Carter) の様に、異界に旅立った少年が此界を去って異界の住人となってそこで覇を争う様にはいかないのだ。
只何れにしろ、異界と此界を縦横無尽に行き来できる幸福な時代は、例え誰であろうとも、少女であろうが少年であろうが、そんなに永い時間を誰も担保してくれないのである。
いつかどこかの時点で、望む望まざるとに関わらず、いずれの世界に棲むべきなのか、その決断を迫られる。その時が来るのだ。

だが映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] では、ご覧の通りなのだ。
ネコバス (Catbus) での一夜の冒険を終えたふたりには、昨日と同じ世界が保証されているのである。

それはなぜか。

答えは解っているのだ。

つまりこの作品は映画『火垂るの墓 (Grave Of The Fireflies)』 [野坂昭如 (Akiyuki Nosaka) 原作 高畑勳 (Isao Takahata) 監督作品 1988年制作] の併映作品として制作されたからだ。
現在の視点からすると、ヒトによっては、主と従が逆転している様な印象を抱くかもしれないのだけれども、作品発表当時は、野坂昭如 (Akiyuki Nosaka) の同名小説『火垂るの墓 (Grave Of The Fireflies)』 [1967年発表] を原作とするその映画の制作決定があって初めて動員と制作費回収のメドがついて、映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] にゴー・サインが出たらしいのだ [この辺りの経緯は切通理作著『宮崎駿の<世界>』に詳しい]。
前作である映画『天空の城ラピュタ (Laputa: Castle In The Sky)』 [1986年制作] やさらにその前作の映画『風の谷のナウシカ (Nausicaa Of The Valley Of The Wind)』 [1984年制作] での成功はあったものの、まだ当時は宮崎駿 (Hayao Miyazaki) はブランド化しておらず、その一方で、日本の、昭和30年代の光景 を舞台としたファンタジー映画は、少なくともビジネス的には成功が危ぶまれていた、というのである。

そんなビジネス面だけではない。
映画の中の世界観や状況設定も、映画『火垂るの墓 (Grave Of The Fireflies)』 [野坂昭如 (Akiyuki Nosaka) 原作 高畑勳 (Isao Takahata) 監督作品 1988年制作] と映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] は相似形だったり対照的だったりしているのだ。
映画『火垂るの墓 (Grave Of The Fireflies)』 [野坂昭如 (Akiyuki Nosaka) 原作 高畑勳 (Isao Takahata) 監督作品 1988年制作] の主人公である兄妹、清太 (Seita) と節子 (Setsuko)、もう一方の主役である姉妹、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe)、そしてそれぞれの彼らを取り巻くオトナ達のあり方。
この辺りをつきあわせれば、ふたつの作品が相互に共鳴しあう様な構造を持っている事に気づくだろう。

だから、死んで異界の住人となった清太 (Seita) と節子 (Setsuko) との対比という視点で観れば、映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] のエンディングも納得がいくものなのかもしれない。異界の住人となってしまった清太 (Seita) と節子 (Setsuko) は此界を見守り、その一方で、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) は未だ活きていて、此界に留まったままで、異界の住人達と戯れる事が出来るのだから。

と言う様な個人的な見解の落ち着きどころはあるにはあるのだけれども、やはり、映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] 単体の作品としてみれば、ネコバス (Catbus) が森を疾駆するクライマックスは不要のものなのだ。
ぼくはただ、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) が棲む世界の、果てしなき終りのない日常だけを、観ていたいのだ。

それは何故か。

それはぼく自身が、異界から此界へ還って来ざるを得ない少女であるよりも、此界を捨てて異界に旅立ちたい少年でありたいからです。

次回は「」。

附記:
映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] のキャッチコピーは、『このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。』というものである。
これは当初、糸井重里 (Shigesato Itoi) [映画本編では、サツキ (Satsuki Kusakabe) とメイ (Mei Kusakabe) の父親である草壁タツオ (Tatsuo Kusakabe) の声をあてている] が書いた『このへんな生きものは、もう日本にはいないのです。たぶん。』を、宮崎駿 (Hayao Miyazaki) が手直ししたものである。
どちらが良いか? と尋ねれば、様々な見解が顕われる筈だ。
でも、恐らく、宮崎駿 (Hayao Miyazaki) による最終案であり現行の『このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。』の方を、支持する声の方が高い様な気がする。ヒトは永遠に喪われてしまったモノと、もしかしたらどこかで出逢えるかもしれないモノと、そのどちらを愛おしみ慈しむだろうか、という疑問とその答えである。
だが、映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] には、もうひとつのキャッチコピーがある。『忘れものを、届けにきました。』である。このキャッチコピーは、併映作品である映画『火垂るの墓 (Grave Of The Fireflies)』 [野坂昭如 (Akiyuki Nosaka) 原作 高畑勳 (Isao Takahata) 監督作品 1988年制作] との共通のキャッチコピーである。
雑な言い方をすれば、『このへんな生きものは、もう日本にはいないのです。たぶん。』ないしは『このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。』の上位概念とも、大見出しともヘッド・コピーとも呼べる位置づけになるのが『忘れものを、届けにきました。』なのである。
だから、ここに登場する「忘れもの」とはなんなのかという解釈や、「忘れもの」をそれぞれの作品の中にどの様な位置づけとして観るか、そしてそれを踏まえて、その下位にあるべき作品単体のキャッチコピーのいずれが相応しいのかという判断は、別れると想うし、さらに議論を呼ぶべきものだと想う。
さらに加えれば、映画『となりのトトロ (My Neighbor Totoro)』 [1988年制作] のキャッチコピーに相対峙する映画『火垂るの墓 (Grave Of The Fireflies)』 [野坂昭如 (Akiyuki Nosaka) 原作 高畑勳 (Isao Takahata) 監督作品 1988年制作] のキャッチコピーは『4歳と14歳で、生きようと思った。』 [こちらも糸井重里 (Shigesato Itoi) 作] 。このキャッチコピーの存在も無視する訳にはいかないだろう。

では、みっつのキャッチコピーが形成すべきトライアングルの位置に相応しいことばは、はたしてどれであろうか。

これは単純にキャッチコピーの作文の問題ではない。むしろ、ファンタジーをどの様なものと解釈し、どうあるべきかという、それぞれのヴィジョンを問うべきものなのである。
さらに言えば、『4歳と14歳で、生きようと思った。』を念頭にいれれば、それぞれの死生観を問うモノにもなり得てしまうのだ。

images
尤も、上の映画ポスターを観れば解る様に、そのふたつのキャッチコピーが並べられたポスターには、サツキ (Satsuki Kusakabe) でもメイ (Mei Kusakabe) でもない少女が、雨降る中、トトロ (Totoro) とともにバスを待っている。
これを観れば、映画のプロットが完成する随分前に、キャッチコピーが発注されたと看做す事が出来る。だから、どちらのキャッチコピーが優れているかなんて問う事は、そんな状況下でコピーライトせざるを得なかった糸井重里 (Shigesato Itoi) にとっては、随分と分の悪い話なのである。
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