2011.12.20.17.19
イアン・スチュワート (Ian Stewart) と言えば、古今東西有名無名森羅万象あまねくすべての [(C) 大槻 ケンヂ (Kenji Ohtsuki)] 同姓同名な人物がおられると思われるが、まぁ、ぼくが言うイアン・スチュワート (Ian Stewart) と言えば、このヒトしかいない。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) において、サポート・ピアニストとして活躍した彼である。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) 結成時の1963年当時、彼らはイアン・スチュワート (Ian Stewart) を含む6人編成のバンドだった。それがレコード・デヴューの直前に、マネージメントを行っていたアンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) から馘首を言い渡される。
その理由は、彼のルックスがバンドに相応しくないというものだった。

確かに上に掲載する当時の写真 [オリジナル画像はこちらに掲載されている。:念の為に書いておくけど画像左端がイアン・スチュワート (Ian Stewart) である] を観れば、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) の、言いがかりにも等しい発言には妙な説得力がある。
では、ホントにそれが理由なのかと問えば、流石にそれだけではないだろう。何故ならば、音楽性とは無縁のものがその理由ならば、ルックスの相応しい新メンバーの起用という選択肢もない訳ではない。
では何故、新しいピアニストのメンバー起用へと至らなかったのか。
しかも、ピアニストそのものが不要であるかと問えば、必ずしもそうではないのである。
と、いうのもイアン・スチュワート (Ian Stewart) 自身は、パーマネントなメンバーではなくなったものの、その後もサポート・ピアニスト兼ローディーとしてバンドのツアー活動に同道していくからだ。
そして、勿論、そこから先、発表され続けるザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のいくつもの作品のその制作に、1985年の彼自身の死まで関わり続ける事になるからなのだ。
客観的に観れば、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の様な立ち位置と言うのは、非常に危ういものがある。それは、バンドの方から観ても、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の方から観ても、だ。
同じバンドの中にいても、スポットのあたるモノとあたらないモノがあって、その差異が起因となって、バンドの中の音楽性やそれ以前の人間関係に軋轢が生じる、なぁんていう事はザラなのだ。
それが、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の場合、さらに一線を引かれて、その手前で差別化されてしまうのである。
単純に、己自身の身の上に、彼と同じ様な事態が引き起こされたら、と考え出したら、忸怩たる思いも沸き上がるし、些末な事態にでも拘泥してしまうだろう。
それにも関わらずに、永年イアン・スチュワート (Ian Stewart) がその微妙な場所に居続ける事が出来た理由は彼自身にある。音楽的な拘りがあったからだ。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のルーツが黒人音楽に根ざしているとはいえ、彼自身が興味があり演奏に関わりたいと想わせるモノは、そのごく一部の限られたものなのである。
だから、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) は常に、イアン・スチュワート (Ian Stewart) というピアニスト / キーボード・プレイヤーが傍らにいるのにも関わらずに、その演奏する楽曲に逢わせて、別のミュージシャンを起用する必要性があったのだ。しかもそれは、必要性というネガティヴな要素だけではなくて、可能性というポジティヴなモノも併せ持っているのだ。
ジャック・ニッチェ (Jack Nitzsche)、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ビリー・プレストン (Billy Preston)、イアン・マクレガン (Ian McLagan) ... 様々なピアニスト / キーボード・プレイヤーが起用されて参加し、それぞれにとっての名演を遺していく。
どの様にして、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) がイアン・スチュワート (Ian Stewart) の音楽性を踏まえながら、楽曲のもつ方向性にあわせてピアニスト / キーボード・プレイヤーを選定していたかという観点であれば、例えば『イッツ・オンリー・ロックン・ロール (It's Only Rock'n Roll)
』 [1974年発表] を聴くべきだろう。この作品では、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ビリー・プレストン (Billy Preston)、そしてイアン・スチュワート (Ian Stewart) という三名が参加している。しかも、過去数作品に参加していたホーン・セクションはいない。5人の正規メンバーと客演ピアニスト / キーボード・プレイヤーとの、それぞれの演奏とその楽曲を聴き比べるのには好都合だろう。
ちなみに、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャード (Keith Richard) の出逢いのきっかけがチャック・ベリー (Chuck Berry) のレコードであった様に、イアン・スチュワート (Ian Stewart) はブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) が出した新聞広告がバンド参加の契機だった。
その当時、ブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) が目指している音楽性がジミー・リード (Jimmy Reed) やマディ・ウォーターズ (Muddy Waters) であったのに対し、自身はルイ・ジョーダン (Louis Jordan) やワイノニー・ハリス (Wynonie Harris) だったと、イアン・スチュワート (Ian Stewart) は述懐していたそうだ。
大雑把な黒人音楽という括りではともかくとしても、ふたりの観点は、水と油とまでは言わないまでも、相当な隔たりがある。
だからと言って、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の嗜好がミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャード (Keith Richard) に近いかと言えば、むしろ、さらに遠い。
その一方で、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の馘首は、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) の立場に立てば、ある意味で仕様がない、行わなければならない采配でもあった様だ。
先ず、彼はザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) に出逢う前は、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の下で働いていたのだ、つまり、ザ・ビートルズ (The Beatles) を成功させるための彼の采配を総て観ていたのだ。
恐らくそこでの経験を踏まえてザ・ビートルズ (The Beatles) の方法論に学ばなければならないモノがあると同時に、ザ・ビートルズ (The Beatles) にないモノでもって彼らに拮抗し、ファンを魅了させる必要がザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) にはあると、考えたたのではないだろうか。
そして、残念ながらイアン・スチュワート (Ian Stewart) にはそれがなかったのだろう。それは、単純なミテクレだけの問題ではないと思う。
アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) がザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) に採った施策は、ジャガー=リチャード (Jagger-Richards) 体制を全面に押し出す事である。それはそのまま、レノン=マッカートニー (Lennon-McCartney) に抗する事でもあると同時に、レノン=マッカートニー (Lennon-McCartney) にはないモノを全面にフィーチャーすべき事であった。
そして、それはバンドの内実的には、それまで実質的なリーダーであったブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) を失墜させる事であり、彼の早すぎた死を招く遠因になるのだけれども、そこまで語るには時計の針を進めすぎる。何故ならば、バンドを追われたモノが生き遺り、バンドに遺ったモノが早くに逝く、そんな因縁話にしかならないからだ。
つまり、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) の施策の第一歩が、ヴィジュアル面で劣ると同時に、必ずしもコマーシャルな音楽性をもっていないイアン・スチュワート (Ian Stewart) の馘首へとなったのである。
次回は「と」。
附記:
本来ならば、ここで聴くべき彼の作品群を紹介すべきなのかもしれない。
遺作として『ダーティ・ワーク (Dirty Work)
』 [1986年発表] の隠しトラックである『キー・トゥ・ハイウェイ (Key To The Highway)』だろうか。それとも、『ダウン・ザ・ロード・アピース (Down The Road Apiece)』[『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ! (The Rolling Stones, Now!)
』収録 1965年発表] だろうか。
あえて挙げるならば、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の作品ではない。
レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) の『ロックン・ロール (Rock And Roll)}』 [『レッド・ツェッペリン IV (Led Zeppelin IV)
』収録 1971年発表] と自身の名が冠された『ブギー・ウィズ・ステュー (Boogie with Stu)』 [『フィジカル・グラフィティ (Physical Graffiti)
』収録 1975年発表] の方が、解りがいいかもしれない。
ちなみに、なぜ、イアン・スチュワート (Ian Stewart) がこれらの楽曲に参加しているかと言うと、当時の彼はモービル・ユニット (Rolling Stones Mobile Studio) の管理運営を一任されていて、レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) がそのレコーディングに際し、モービル・ユニット (Rolling Stones Mobile Studio) を起用した、という経緯があるからなのだ。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) において、サポート・ピアニストとして活躍した彼である。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) 結成時の1963年当時、彼らはイアン・スチュワート (Ian Stewart) を含む6人編成のバンドだった。それがレコード・デヴューの直前に、マネージメントを行っていたアンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) から馘首を言い渡される。
その理由は、彼のルックスがバンドに相応しくないというものだった。

確かに上に掲載する当時の写真 [オリジナル画像はこちらに掲載されている。:念の為に書いておくけど画像左端がイアン・スチュワート (Ian Stewart) である] を観れば、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) の、言いがかりにも等しい発言には妙な説得力がある。
では、ホントにそれが理由なのかと問えば、流石にそれだけではないだろう。何故ならば、音楽性とは無縁のものがその理由ならば、ルックスの相応しい新メンバーの起用という選択肢もない訳ではない。
では何故、新しいピアニストのメンバー起用へと至らなかったのか。
しかも、ピアニストそのものが不要であるかと問えば、必ずしもそうではないのである。
と、いうのもイアン・スチュワート (Ian Stewart) 自身は、パーマネントなメンバーではなくなったものの、その後もサポート・ピアニスト兼ローディーとしてバンドのツアー活動に同道していくからだ。
そして、勿論、そこから先、発表され続けるザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のいくつもの作品のその制作に、1985年の彼自身の死まで関わり続ける事になるからなのだ。
客観的に観れば、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の様な立ち位置と言うのは、非常に危ういものがある。それは、バンドの方から観ても、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の方から観ても、だ。
同じバンドの中にいても、スポットのあたるモノとあたらないモノがあって、その差異が起因となって、バンドの中の音楽性やそれ以前の人間関係に軋轢が生じる、なぁんていう事はザラなのだ。
それが、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の場合、さらに一線を引かれて、その手前で差別化されてしまうのである。
単純に、己自身の身の上に、彼と同じ様な事態が引き起こされたら、と考え出したら、忸怩たる思いも沸き上がるし、些末な事態にでも拘泥してしまうだろう。
それにも関わらずに、永年イアン・スチュワート (Ian Stewart) がその微妙な場所に居続ける事が出来た理由は彼自身にある。音楽的な拘りがあったからだ。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のルーツが黒人音楽に根ざしているとはいえ、彼自身が興味があり演奏に関わりたいと想わせるモノは、そのごく一部の限られたものなのである。
だから、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) は常に、イアン・スチュワート (Ian Stewart) というピアニスト / キーボード・プレイヤーが傍らにいるのにも関わらずに、その演奏する楽曲に逢わせて、別のミュージシャンを起用する必要性があったのだ。しかもそれは、必要性というネガティヴな要素だけではなくて、可能性というポジティヴなモノも併せ持っているのだ。
ジャック・ニッチェ (Jack Nitzsche)、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ビリー・プレストン (Billy Preston)、イアン・マクレガン (Ian McLagan) ... 様々なピアニスト / キーボード・プレイヤーが起用されて参加し、それぞれにとっての名演を遺していく。
どの様にして、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) がイアン・スチュワート (Ian Stewart) の音楽性を踏まえながら、楽曲のもつ方向性にあわせてピアニスト / キーボード・プレイヤーを選定していたかという観点であれば、例えば『イッツ・オンリー・ロックン・ロール (It's Only Rock'n Roll)
ちなみに、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャード (Keith Richard) の出逢いのきっかけがチャック・ベリー (Chuck Berry) のレコードであった様に、イアン・スチュワート (Ian Stewart) はブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) が出した新聞広告がバンド参加の契機だった。
その当時、ブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) が目指している音楽性がジミー・リード (Jimmy Reed) やマディ・ウォーターズ (Muddy Waters) であったのに対し、自身はルイ・ジョーダン (Louis Jordan) やワイノニー・ハリス (Wynonie Harris) だったと、イアン・スチュワート (Ian Stewart) は述懐していたそうだ。
大雑把な黒人音楽という括りではともかくとしても、ふたりの観点は、水と油とまでは言わないまでも、相当な隔たりがある。
だからと言って、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の嗜好がミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャード (Keith Richard) に近いかと言えば、むしろ、さらに遠い。
その一方で、イアン・スチュワート (Ian Stewart) の馘首は、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) の立場に立てば、ある意味で仕様がない、行わなければならない采配でもあった様だ。
先ず、彼はザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) に出逢う前は、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の下で働いていたのだ、つまり、ザ・ビートルズ (The Beatles) を成功させるための彼の采配を総て観ていたのだ。
恐らくそこでの経験を踏まえてザ・ビートルズ (The Beatles) の方法論に学ばなければならないモノがあると同時に、ザ・ビートルズ (The Beatles) にないモノでもって彼らに拮抗し、ファンを魅了させる必要がザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) にはあると、考えたたのではないだろうか。
そして、残念ながらイアン・スチュワート (Ian Stewart) にはそれがなかったのだろう。それは、単純なミテクレだけの問題ではないと思う。
アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) がザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) に採った施策は、ジャガー=リチャード (Jagger-Richards) 体制を全面に押し出す事である。それはそのまま、レノン=マッカートニー (Lennon-McCartney) に抗する事でもあると同時に、レノン=マッカートニー (Lennon-McCartney) にはないモノを全面にフィーチャーすべき事であった。
そして、それはバンドの内実的には、それまで実質的なリーダーであったブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) を失墜させる事であり、彼の早すぎた死を招く遠因になるのだけれども、そこまで語るには時計の針を進めすぎる。何故ならば、バンドを追われたモノが生き遺り、バンドに遺ったモノが早くに逝く、そんな因縁話にしかならないからだ。
つまり、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) の施策の第一歩が、ヴィジュアル面で劣ると同時に、必ずしもコマーシャルな音楽性をもっていないイアン・スチュワート (Ian Stewart) の馘首へとなったのである。
次回は「と」。
附記:
本来ならば、ここで聴くべき彼の作品群を紹介すべきなのかもしれない。
遺作として『ダーティ・ワーク (Dirty Work)
あえて挙げるならば、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の作品ではない。
レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) の『ロックン・ロール (Rock And Roll)}』 [『レッド・ツェッペリン IV (Led Zeppelin IV)
ちなみに、なぜ、イアン・スチュワート (Ian Stewart) がこれらの楽曲に参加しているかと言うと、当時の彼はモービル・ユニット (Rolling Stones Mobile Studio) の管理運営を一任されていて、レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) がそのレコーディングに際し、モービル・ユニット (Rolling Stones Mobile Studio) を起用した、という経緯があるからなのだ。
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