2011.12.14.01.59
もし『気仙沼のほぼ日』をマネジメントのテキストとして読んだら『ほぼ日』にマーケティングを学べるだろうか。
しかも、はじまったばかりの現在進行形のものなので、具体的な結論は呈示出来ません。
『気仙沼のほぼ日』自身が結論は呈示し得ていないという意味ではなくて、ぼく自身の個人的な視点であっても、という意味です。ぼくがぼく自身の、単純な疑問文を投げかけるだけです。
また、ぼく自身はと言えば、経営コンサルタントや企画プランナーといった、マネジメント (Business Management) やマーケティング (Marketing) を生業としているモノではありません。
だから、単純に可能性を考える事が精一杯なので、もしも、マネジメント (Business Management) やマーケティング (Marketing) のプロフェッショナルな方が、これをお読みになったら噴飯モノかもしれません [逆に、疑義や異議などありましたならば、いろいろとご教授願いたいのです]。
と、前説をでっち上げたところで、本論に入ります。
はじめに3.11.があった。
と、いうところから書き出してしまうと、震災の物語にも、絆の物語にもなってしまう。
否、実際にも、復興の為でもあるし、絆を繋ぐ為でもある。でも、そればかりに囚われると、ある時代の、特殊な場所の物語にも、特別なヒトビトの物語にもなってしまう。
勿論、それを神話化して語り継ぐ事も出来るだろうし、次の世代の為の教訓にもなるだろう。
でも、それよりも、もっとナマ臭い代わりに、現実的で具体的で普遍的、もしかしら、今からすぐにでも応用し活用出来る視点が得られるのかもしれない。そんな次元まで引き下げて、観る事は出来ないだろうか。
3.11.以降、『ほぼ日刊イトイ新聞』 [以下『ほぼ日』と略す] は、震災からそこからの復興をテーマにして、いくつものコンテンツを取材し作成し発表して来た。そのいくつかは『できることをしよう。―ぼくらが震災後に考えたこと
そして、『ほぼ日』はその延長線上として、11月1日に『気仙沼のほぼ日』という支社を気仙沼市 (Kesennuma City) に設け、活動を開始、と同時に『ほぼ日』のコンテンツ内として『気仙沼のほぼ日』の連載を始めたばかりなのである。
以上が、現状までのざっくりとした [ざっくりとしすぎた??] 経緯であり、そのコンテンツを観れば、今現在行われている事と、その前駆的な記事である四編の『東北の仕事論』を読む事が出来る。
では、読んでみて下さい。
こちらが『気仙沼のほぼ日』です。
さて、コンテンツとしての『気仙沼のほぼ日』を、現時点で読んだぼくの印象は次の通り。
先ず、気仙沼市 (Kesennuma City) であった事を伝える事。気仙沼市 (Kesennuma City) で行われている事を伝える事。そして、気仙沼市 (Kesennuma City) で行おうとしている事を伝える事。
これが総てです。
その一方で、気仙沼市 (Kesennuma City) に対しての具体的な行動を、読者に促す為のコンテンツが続くものと思われる。
現在、『1日目午前編』と『1日目午後編』として、二回に分けて掲載されている『はじめての気仙沼』は、その最初のもので、現在の気仙沼市 (Kesennuma City) の観光案内となっている。
つまり、具体的な行動というのは、現時点では、実際に観に来る、という事なのである。
もう一回繰り返すけれども、3.11.云々を除外して、このコンテンツを読んでみれば、地場産業の紹介と観光客誘致なのである。
このヴィジョンまで簡略化 / 抽象化して観てみれば、そんなに特殊な事や特別な事はしていないと思う。
だから、例えばの暴論としては、このコンテンツで行っている事を応用し活用して、よその場所でも地域活性化は出来るのだろうか、という事は、考えてみるべきではないだろうか。
被災地だからこそ出来るアプローチなのか、気仙沼市 (Kesennuma City) という地域に震災以前から根付いている特性があって初めて可能なアプローチなのか、それとも『ほぼ日』だから出来る事なのだろうか。
例えば。
砂漠のど真ん中に湧き出る泉を開拓して各地域を結ぶ重要な補給基地として活性化出来ないだろうか。例えば、絶海の孤島に産業を根付かせると同時に一級のリゾート地にならないだろうか。
そんな思考実験と観てしまうのは、不謹慎であると断罪されてしまうのかもしれないけれども。
でも、そおゆう視点で、『気仙沼のほぼ日』という支社の動きを追ってみるのも、何か得るモノがあるかもしれない。そんな気がするのだ。
少なくとも、『ほぼ日』でなければ出来ない事というのは、今現在ではたったひとつしか見出せない。
それは『気仙沼においでよ』[作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子] という作品を産み出させて、無料配信させる事である。
地元紙『三陸新報』や『港のスズメさん便り』といった、地元からの情報提供は、交渉力と実行力の問題だし、担当者ナカバヤシ氏が書き進めている記事だって、純粋にスタッフ・ワークの賜物でしかない。
つまり、やろうとすればそれなりのものが出来上がるだろうし、その結果その程度のものにしかならないかもしれないし、逆に言えば、それ以上のものを目指す事も可能かもしれない。
さらに言えば、嫌な表現になってしまうけれども、『ほぼ日』にしか出来ないのならば、『ほぼ日』への業務委託や発注という事も視野に入れたって言い訳だ。
高校野球部の女子マネージャーがピーター・ドラッカー (Peter Ferdinand Drucker) を読んでマネジメントを学
復興支援とかヒトとヒトとの繋がりという視点以外のヴィジョンを持って、『気仙沼のほぼ日』から学び取れる事は、たくさん、ある様な気がしてならない。
あらためて書くけれども、普遍的で応用力のあるモノとして、つまり、たった今からでも"わたし"が"わたし"自身のモノとしてつかえる、そんな解読は出来ないだろうか。
附記:
この拙文を書きながら頭の中にふと、浮かんだのは、上勝町 (Kamikatsu) は株式会社いろどりの『そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生
- 関連記事
-
- 『ほぼ日刊イトイ新聞』で、"特別掲載 短編『新宿鮫』" 大沢在昌『霊園の男』を読む (2012/01/12)
- 『ほぼ日刊イトイ新聞』で『クリストさんとの短い対話』を読む (2011/12/22)
- もし『気仙沼のほぼ日』をマネジメントのテキストとして読んだら『ほぼ日』にマーケティングを学べるだろうか。 (2011/12/14)
- 『ほぼ日刊イトイ新聞』で第93回全国高等学校野球選手権福島大会を追った記事『福島の特別な夏。』を読む:拾遺篇 (2011/08/31)
- 『ほぼ日刊イトイ新聞』で第93回全国高等学校野球選手権福島大会を追った記事『福島の特別な夏。』を読む:甲子園大会篇 (2011/08/14)