2011.12.13.17.22
平仮名で書かれたタイトルだけ読んでもなんの事か解らないかもしれない。でも、それがこの連載のルールだから致し方ない [ご興味のある方は連載第一回のこちらをご覧下さい]。
ちゃんと丁寧に正式な表記で表すと次の様なものになる。
『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』。
この"作品"の紹介記事を書こうとしている訳だけれども、そのものに触れる前に、いつもの様に遠回りをする。
ロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) が女性ボディビルダー (Female Bodybuilders) の草分け、リサ・ライオン (Lisa Lyon) を撮影した一連の作品群がある。『Lady リサ・ライオン (Lady Lisa Lyon)』という作品集として纏められている。
その中に『やや下方から撮影したリサ・ライオン 1982 (Lady Lisa Lyon viewed slightly from below, 1982.)』という作品がある。
2003年に開催された『ロバート・メイプルソープ展』のポスターにも起用された作品である。
鍛え上げられたリサ・ライオン (Lisa Lyon) がボディビル独特のあのポージング (Posing Of Bodybuilding) をしているのだけれども、何故だか、彼女の顔は白くて長いローブ状のもので隠されている。
筋骨隆々の四肢と、豊かな胸とそれに続く緩やかなカーヴを描く腰と、本来ならばひとつの肉体に同時に存在しえない様なそれぞれが、危うい均衡の上に、美しい調和を担っている。
その肉体に潜む美そのものを顕わしたいと望むならば、その上に載る頭部と表情は隠されて呵るべきかもしれない。
しかし、他の作品群を観れば解る様に、リサ・ライオン (Lisa Lyon) のその頭部と表情は、決して、彼女自身の肉体に劣るものではない。むしろ、危うい調和を魅せる肉体美をさらに止揚 (Dialektische Aufhebung) するかの様なモノがそこに存在している筈なのだ。
そういう意味では、不思議な作品なのである。謎が潜む作品なのである。
しかも、この作品がたたえている不思議さや謎は、他のロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) 作品には観られないモノなのである。
と、いうよりもそもそも、彼の作品には元来、不思議や謎は存在しない。そんなものが介入し得ない程に、敢然としてそこにあるからだ。肉体やフォルムや筋肉やオブジェや表皮や背景や性器や構図は、分ち難く、動かし難く、そこに厳然とある。彼の作品を観るモノは、それを受容するか拒絶するしかないのである。
そういう意味でも、不思議な作品なのである。謎が潜む作品なのである。
その不思議さを解明し、謎を解く手がかりとなるのが、『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』という"作品"なのではないだろうか。
この作品を知ったのは、伊藤俊治 (Toshiharu Ito) 監修の写真集『Nude 2』である。
当時の気鋭から既に重鎮から半ば神話化された人物まで、十数名の写真家による作品が収められている写真集だ。
その巻末に『Best 50 Books On The Nude Photograph』というコーナーがあり、タイトルどおり錚々たるヌード写真集が50冊紹介されている。そして、その中の一冊が、この"作品"を収めた写真集『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』であり、その中の代表的な一葉として、この"作品"が掲載されていたのである。
後に伊藤俊治 (Toshiharu Ito) は自著『Holy Body 聖なる肉体』の第1章『奇形の医学 19世紀医学写真についての考察』に於いて、あらためてこの"作品"とそれを収めた写真集について詳細に語っている。否、語っているどころではない、この"作品"を本の表紙にまで起用しているのだ [尚、本稿のタイトルにも援用している『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] 』という長い表記は、この書物でのものに準じている]。
『Best 50 Books On The Nude Photograph』と『奇形の医学 19世紀医学写真についての考察』とに書かれている事を纏めると、次の様になる。
医学博士スタンリー・B・バーンズ (Stanley B. Burns)) の私的コレクションである、1839年から1920年代にかけて撮影された医学写真8,000点の中から、写真家ジョエル・ピーター・ウィトキン (Joel-Peter Witkin) が編集した写真集が『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』である。1987年に刊行された。
ジョエル・ピーター・ウィトキン (Joel-Peter Witkin) の名前を挙げれば、彼を知るモノからすれば、どの様な傾向の"作品"が収められているのか、自ずと知れてしまうかもしれない。
だから、ここで彼の経緯を紹介して『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』の内容を予断させる様な周辺材料を提供するのは控えようと思う。
ぼく自身がこの"作品集"を所有していない事に加えて、それとは別のところに今回取り上げたい"作品"『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』があるからなのだ。
撮影者であるメイソン衛兵司令ことオスカー・G・メイソン (Oscar G. Mason) についてはぼくは詳しくは知らない [ネット検索すればある程度の情報は入手出来ると思う]。
被写体である女性は、撮影当時、20代前半。8歳の時にこじらせた猩紅熱 (Scarlet Fever) によって象皮症 (Elephantiasis) に罹患し、その後の感染や症状の悪化によって、撮影時の様な姿となってしまった。
1878年ニューヨーク (New York) での撮影である。

『Best 50 Books On The Nude Photograph』では、非常に小さい図版だったけれども、それでもそこにある肉体がどの様なものかは、すぐに理解出来る。
そして、その時からぼくにとっては不思議な魅力と忘れ去る事の出来ない印象が、そこにあったのだ。
先ずは、下肢の異様さに誰でも眼を奪われると思う。しかし、その次の瞬間に気づくのは、その上半身の美しさだ。
それは、顔面を黒々と覆い隠すヴェールの存在によって、ことさらに強調される。頭部を覆う黒いヴェールから次第に視線を下へと降ろしてみるがいい。
黒い紡錘状をなすヴェールの下には、豊満なふたつの乳房と上半身を形作るゆるやかな美しいカーヴが幾重にもある。二の腕の描くそれ、腰が描くそれ、下腹から性器へかけてのそれ、そして勿論ふたつの胸のそれも。しかも、そのいくつもある緩やかな曲線の美しさは、何故だか、そのまま、異様な形状の筈の下半身にまで及んでいる様に観えてしまうのである。
そして、もしもあなたが上から下への視線の移行とは逆に、肥大した下肢を起点にしてそこから視線を徐々にあげていけば、恐らく、全く異なるモノが観えてしまうのに違いないのだ。
上に書いた様な感興を、誰もが味わえるのかというと、ぼくには少し自信がない。最初から、拒否感や拒絶反応を抱いてしまうヒトも中にはいるだろうし、それを咎める必要はぼくにはない。
ただ、個人的な体験と見解として、次の事だけは書き留めておかせて欲しい。
先に挙げた伊藤俊治著『Holy Body 聖なる肉体』での表紙では、この"作品"と並んで、書物のタイトルでもある「聖 Holy」という文字が躍り、その印象に引きずられて、贖罪とか挺身とか犠牲とか冒涜とか、宗教的な感興にまつわる言葉を想い描いてしまったのである。
つまり、神々しいまでに彼女の身体が光り輝いて観え、と同時にそれとは全く逆の、邪な意思が蠢いている様に観てしまうのである。
ここまで読んでくれば、最初にロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) の『やや下方から撮影したリサ・ライオン 1982 (Lady Lisa Lyon viewed slightly from below, 1982.)』の事から話題を切り出したのか、その理由は、解ってもらえるだろう。
勿論、引用とかパロディとか、稚拙な言説を吐きたい訳ではない。
そもそも『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』の刊行が1987年で、ロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) がリサ・ライオン (Lisa Lyon) を撮影したのが1982年なのである。ジョエル・ピーター・ウィトキン (Joel-Peter Witkin) による編集とその刊行の前に、彼は既にその作品を発表し終えているのである。
"作品"そのもののは1878年の撮影だから、ロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) の眼には既知のものだったのかもしれない。しかし、それを引用やパロディと認知する知識や情報が、彼の作品を観るモノに既にあったのかどうか。
ただ、『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』を観た後に、『やや下方から撮影したリサ・ライオン 1982 (Lady Lisa Lyon viewed slightly from below, 1982.)』を観れば、当時のリサ・ライオン (Lisa Lyon) の肉体に潜むいくつものモノに気づかされてしまうのは否定出来ないと思う。
少なくともぼく達は当時、リサ・ライオン (Lisa Lyon) の肉体、もしくは、女性ボディビルダー (Female Bodybuilders) の肢体を、その様なものとして観る視線をもっていたのに違いないのだ。
次回は「い」。
ちゃんと丁寧に正式な表記で表すと次の様なものになる。
『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』。
この"作品"の紹介記事を書こうとしている訳だけれども、そのものに触れる前に、いつもの様に遠回りをする。
ロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) が女性ボディビルダー (Female Bodybuilders) の草分け、リサ・ライオン (Lisa Lyon) を撮影した一連の作品群がある。『Lady リサ・ライオン (Lady Lisa Lyon)』という作品集として纏められている。
その中に『やや下方から撮影したリサ・ライオン 1982 (Lady Lisa Lyon viewed slightly from below, 1982.)』という作品がある。
2003年に開催された『ロバート・メイプルソープ展』のポスターにも起用された作品である。
鍛え上げられたリサ・ライオン (Lisa Lyon) がボディビル独特のあのポージング (Posing Of Bodybuilding) をしているのだけれども、何故だか、彼女の顔は白くて長いローブ状のもので隠されている。
筋骨隆々の四肢と、豊かな胸とそれに続く緩やかなカーヴを描く腰と、本来ならばひとつの肉体に同時に存在しえない様なそれぞれが、危うい均衡の上に、美しい調和を担っている。
その肉体に潜む美そのものを顕わしたいと望むならば、その上に載る頭部と表情は隠されて呵るべきかもしれない。
しかし、他の作品群を観れば解る様に、リサ・ライオン (Lisa Lyon) のその頭部と表情は、決して、彼女自身の肉体に劣るものではない。むしろ、危うい調和を魅せる肉体美をさらに止揚 (Dialektische Aufhebung) するかの様なモノがそこに存在している筈なのだ。
そういう意味では、不思議な作品なのである。謎が潜む作品なのである。
しかも、この作品がたたえている不思議さや謎は、他のロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) 作品には観られないモノなのである。
と、いうよりもそもそも、彼の作品には元来、不思議や謎は存在しない。そんなものが介入し得ない程に、敢然としてそこにあるからだ。肉体やフォルムや筋肉やオブジェや表皮や背景や性器や構図は、分ち難く、動かし難く、そこに厳然とある。彼の作品を観るモノは、それを受容するか拒絶するしかないのである。
そういう意味でも、不思議な作品なのである。謎が潜む作品なのである。
その不思議さを解明し、謎を解く手がかりとなるのが、『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』という"作品"なのではないだろうか。
この作品を知ったのは、伊藤俊治 (Toshiharu Ito) 監修の写真集『Nude 2』である。
当時の気鋭から既に重鎮から半ば神話化された人物まで、十数名の写真家による作品が収められている写真集だ。
その巻末に『Best 50 Books On The Nude Photograph』というコーナーがあり、タイトルどおり錚々たるヌード写真集が50冊紹介されている。そして、その中の一冊が、この"作品"を収めた写真集『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』であり、その中の代表的な一葉として、この"作品"が掲載されていたのである。
後に伊藤俊治 (Toshiharu Ito) は自著『Holy Body 聖なる肉体』の第1章『奇形の医学 19世紀医学写真についての考察』に於いて、あらためてこの"作品"とそれを収めた写真集について詳細に語っている。否、語っているどころではない、この"作品"を本の表紙にまで起用しているのだ [尚、本稿のタイトルにも援用している『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] 』という長い表記は、この書物でのものに準じている]。
『Best 50 Books On The Nude Photograph』と『奇形の医学 19世紀医学写真についての考察』とに書かれている事を纏めると、次の様になる。
医学博士スタンリー・B・バーンズ (Stanley B. Burns)) の私的コレクションである、1839年から1920年代にかけて撮影された医学写真8,000点の中から、写真家ジョエル・ピーター・ウィトキン (Joel-Peter Witkin) が編集した写真集が『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』である。1987年に刊行された。
ジョエル・ピーター・ウィトキン (Joel-Peter Witkin) の名前を挙げれば、彼を知るモノからすれば、どの様な傾向の"作品"が収められているのか、自ずと知れてしまうかもしれない。
だから、ここで彼の経緯を紹介して『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』の内容を予断させる様な周辺材料を提供するのは控えようと思う。
ぼく自身がこの"作品集"を所有していない事に加えて、それとは別のところに今回取り上げたい"作品"『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』があるからなのだ。
撮影者であるメイソン衛兵司令ことオスカー・G・メイソン (Oscar G. Mason) についてはぼくは詳しくは知らない [ネット検索すればある程度の情報は入手出来ると思う]。
被写体である女性は、撮影当時、20代前半。8歳の時にこじらせた猩紅熱 (Scarlet Fever) によって象皮症 (Elephantiasis) に罹患し、その後の感染や症状の悪化によって、撮影時の様な姿となってしまった。
1878年ニューヨーク (New York) での撮影である。

『Best 50 Books On The Nude Photograph』では、非常に小さい図版だったけれども、それでもそこにある肉体がどの様なものかは、すぐに理解出来る。
そして、その時からぼくにとっては不思議な魅力と忘れ去る事の出来ない印象が、そこにあったのだ。
先ずは、下肢の異様さに誰でも眼を奪われると思う。しかし、その次の瞬間に気づくのは、その上半身の美しさだ。
それは、顔面を黒々と覆い隠すヴェールの存在によって、ことさらに強調される。頭部を覆う黒いヴェールから次第に視線を下へと降ろしてみるがいい。
黒い紡錘状をなすヴェールの下には、豊満なふたつの乳房と上半身を形作るゆるやかな美しいカーヴが幾重にもある。二の腕の描くそれ、腰が描くそれ、下腹から性器へかけてのそれ、そして勿論ふたつの胸のそれも。しかも、そのいくつもある緩やかな曲線の美しさは、何故だか、そのまま、異様な形状の筈の下半身にまで及んでいる様に観えてしまうのである。
そして、もしもあなたが上から下への視線の移行とは逆に、肥大した下肢を起点にしてそこから視線を徐々にあげていけば、恐らく、全く異なるモノが観えてしまうのに違いないのだ。
上に書いた様な感興を、誰もが味わえるのかというと、ぼくには少し自信がない。最初から、拒否感や拒絶反応を抱いてしまうヒトも中にはいるだろうし、それを咎める必要はぼくにはない。
ただ、個人的な体験と見解として、次の事だけは書き留めておかせて欲しい。
先に挙げた伊藤俊治著『Holy Body 聖なる肉体』での表紙では、この"作品"と並んで、書物のタイトルでもある「聖 Holy」という文字が躍り、その印象に引きずられて、贖罪とか挺身とか犠牲とか冒涜とか、宗教的な感興にまつわる言葉を想い描いてしまったのである。
つまり、神々しいまでに彼女の身体が光り輝いて観え、と同時にそれとは全く逆の、邪な意思が蠢いている様に観てしまうのである。
ここまで読んでくれば、最初にロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) の『やや下方から撮影したリサ・ライオン 1982 (Lady Lisa Lyon viewed slightly from below, 1982.)』の事から話題を切り出したのか、その理由は、解ってもらえるだろう。
勿論、引用とかパロディとか、稚拙な言説を吐きたい訳ではない。
そもそも『医学写真傑作集 (Masterpieces Of Medical Photography, Selections From The Burns Archive)』の刊行が1987年で、ロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) がリサ・ライオン (Lisa Lyon) を撮影したのが1982年なのである。ジョエル・ピーター・ウィトキン (Joel-Peter Witkin) による編集とその刊行の前に、彼は既にその作品を発表し終えているのである。
"作品"そのもののは1878年の撮影だから、ロバート・メイプルソープ (Robert Mapplethorpe) の眼には既知のものだったのかもしれない。しかし、それを引用やパロディと認知する知識や情報が、彼の作品を観るモノに既にあったのかどうか。
ただ、『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』を観た後に、『やや下方から撮影したリサ・ライオン 1982 (Lady Lisa Lyon viewed slightly from below, 1982.)』を観れば、当時のリサ・ライオン (Lisa Lyon) の肉体に潜むいくつものモノに気づかされてしまうのは否定出来ないと思う。
少なくともぼく達は当時、リサ・ライオン (Lisa Lyon) の肉体、もしくは、女性ボディビルダー (Female Bodybuilders) の肢体を、その様なものとして観る視線をもっていたのに違いないのだ。
次回は「い」。
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