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2011.11.29.17.24

ろとのつま

ソ連邦 (СССР) [当時] 全域が突如として、白熱の光に覆われるという怪現象を受けて、米空母 (The US Navy Aircraft Carriers) から調査偵察の為に艦載機 (Carrier-based Aircraft) が緊急発進する。編隊を組んで飛ぶ彼らには、その光の中は、なにも観えない。果敢にも白熱の光の中に突入した全機は総て、謎の言葉だけを遺して消失する。唯一逃れた艦載機 (Carrier-based Aircraft) の搭乗員は ...。

と、いうのは『デビルマン (Devilman)』 [永井豪 (Go Nagai) 作 19721973週刊少年マガジン連載] の物語も大詰め、あいつぐクライマックス・シーンの、そのひとつである。

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帰艦を果たした唯一の艦載機 (Carrier-based Aircraft) から降り立った搭乗員は、全身が輝くばかりに白く発色していた。その異様な光景に飛行甲板 (Flight Deck) 上の整備士達が怯むや否や、白い搭乗員は見る見るうちに崩れ去っていく。その後に遺るのは砂状の、巨大な白い柱である。
事態の異様さに呑まれ事態の異常さに恐怖する整備士達の、その中にあって一人が、白い柱に近寄る。彼には確信があったのだろうか。彼はある一節を唱えながら、その砂の一塊を掴み、口に含む。
[上記掲載画像はこちらで『白柱と化すパイロット (The Pilot Dissolves Into A Statue Of Salt)』とタイトルされて掲載されていた]

この『デビルマン (Devilman)』という作品は、ぼくが週刊少年マガジンでの連載開始時から最終回まで、毎週読み続けて来た作品である。勿論、KCコミックとして発売される度に買い求めたし、何度も何度もそれを貪る様に読んだ作品である。
多分、そんな風に完全にリアルタイムで追い続け振り切られずに読破出来たのは、恐らくこの作品が最初だと思う。
だから、連載中は解明されぬままに伏せられていたいくつもの謎も、KCコミックでの再読などを通じていくつかは独力で、得心の行く様な結論に辿り着く事が出来たのである。つまり、作品の中の幾つもの伏線の存在をぼくは、ずうっと追い求めていたのである。
しかし、中にはいつまで立っても合点がいかぬ挿話や、物語全体の中から浮き上がり整合感の欠けるエピソードもあって、そのひとつが、上に記した、白い柱の物語だったのだ。

口に含むや否や彼は悟り、大声を発した。
「塩だ。塩の柱だ」

今となっては、謎でもなんでもない。
彼が唱えていたのは、『旧約聖書創世記 ("The Book Of Genesis" from "The Old Testament")』の18〜19章 (Chapter 18 And 19) の中に出て来る『ソドムとゴモラ (Sodom And Gomorrah)』の物語のごく一部、ロトの妻 / エシェット・ ロット (Lot's wife) の身に興った悲劇のシーンなのである。
キリスト教 (Religio Christiana) に明るいモノであれば、彼の口から漏れる章句と彼の発した叫びによって、そこで描写されている一切を理解したのに違いないのだ。
勿論、このエピソードの発端となった白熱の光の正体も。

作品を読んだ当時、小学校中学年だったぼくがその悲劇を知らなかったというのは、世間一般的に納得のいく話だろうか。
勿論,クリスマス (Christmas) は知っている。イエス・キリスト (Yhoshuah ha-Mashiah) という人物が誕生した際の物語だ。そしてその逆の、彼の死も知っている。何度目かのリヴァイバル上映を親子揃ってみた映画『ベン・ハー (Ben-Hur)』 [ウィリアム・ワイラー (William Wyler) 監督作品 1959年制作] でも描かれていた。それに、いきつけの床屋に何冊も据えられた『ゴルゴ13 (Golgo 13)』 [さいとう・たかを (Takao Saito) 作 1969年より ビッグコミック連載] のその主人公の名は、彼の死に際にちなんだものではなかったか。
そんな風にして『新約聖書 (The New Testament)』の世界にぼく達は馴染んだものの、『旧約聖書 (The Old Testament)』の世界にはなかなか触れる機会はなかった様に思う。あえて書けば『バビル二世 (Babel II)』 [横山光輝 (Mitsuteru Yokoyama) 作 19711973週刊少年チャンピオン連載] くらいだろうか。映画『天地創造 (The Bible: In The Beginning)』 [ジョン・ヒューストン (John Huston) 監督作品 1966年制作] をTV放映で観るのも、もっと後の事だった筈だ。
少なくともぼくは、『ソドムとゴモラ (Sodom And Gomorrah)』という物語を、永井豪 (Go Nagai) によって教えられた様なものなのである。

神の使いがある日、ソドム (Sodom) に暮すロト (Lot) の許に顕われ、神がソドム (Sodom) を滅ぼすと伝える。 (Lot's wife) とそのふたりの娘 (His Daughters) 達を連れて逃げろと言うのである。そして、逃げる際には決して振り向いてはいけない、と。それを聴いたロト (Lot) は家族を連れてソドム (Sodom) から逃げ出すのだが、ロトの妻 / エシェット・ ロット (Lot's wife) だけは使いの教えに背き、ふと、振り返ってしまう。
天から降り注ぐ硫黄と火によって滅び逝くソドム (Sodom) を目の当たりにした彼女は、その結果、塩の柱 (A Pillar Of Salt) と化してしまうのだ。

以上が、ロトの妻 / エシェット・ ロット (Lot's wife) のエピソードである。
この挿話は『見るなのタブー』に分類されている類型のひとつであって、『鶴の恩返し / 鶴女房 (Yuzuru)』での機織り部屋や『浦島太郎 (Urashima Taro)』での玉手箱や『舌切り雀 (Shita-kiri Suzume)』での土産のつづらも、これと同じものである。
そして、洋の東西を問わず、伊弉諾 / 伊邪那岐 (Izanagi) にしろオルフェウス (Orpheus) にしろ冥界に渡ったモノが必ず告げられるタブーなのである。しかも、その禁を犯してみてしまったが為に、これまで自由に往き来出来ていた此岸と彼岸は閉ざされてしまい、生者は決して訪なう事が出来なくなってしまうのである。
逆に言えば、冥府の成立の遠因を物語るモチーフでもあるし、死後の世界の有様を誰しもが納得し得るタブーなのである。

そんな類型から類推すれば、『ソドムとゴモラ (Sodom And Gomorrah)』も神の怒りをかった地という以前に、生者の立ち入りを禁じられた地、冥府に相当する様な存在である、と考える事も出来るかもしれない。

随分前のぼくならば、そんな結論に達していただろう。
ユダヤ民族 (Jew) の始祖、アブラハム (Abraham) の甥であるロト (Lot) の物語は、伊弉諾 / 伊邪那岐 (Izanagi) やオルフェウス (Orpheus) 等の冥界下りの物語のヴァリエーションではないか、そんな解釈である。

でも、3.11を知ってしまったぼくは、どうしても『津波てんでんこ』という言葉を憶い出してしまう。

古く昔から遺っているこのことばの教えに従って、数多くの生徒の命が救われた命もあったと同時に、そのことばを嫌な意味で裏付けてしまったような悲劇もあったと聴いているからだ。
この言葉をまもり助かった釜石市立釜石東中学校の生徒達のエピソードの裏には、この言葉を知らなかったり忘れてしまったりまもらなかったり無視したりしたその結果、喪われてしまった生命も多い筈なのだ。
なぜならば、助かったモノの物語にしろ喪われたモノの物語にしろ、それを語り継ぐ事が出来るのは、今現在、生き延びて来たモノだけだからだ。そして、彼らはそれらを雄弁に語る事も出来る一方で、口を一切つぐんで黙してしまう事も出来るのだ。それが生存者の権利であり、義務でもある。
救われたモノの幸運はともかくとしても、喪われたモノの不幸は如何様にも語り得る。彼らが"後ろを振り返"ってしまった、もしくは、"後ろを振り返"らざるを得なかった理由や不始末を責める必要はないのだ。むしろ、ヒトであるならばこそ、我々誰しもが"後ろを振り返"るのに違いない。何故ならば、己の後ろにあるのは、地位や名誉や財産であり、またその一方で、己のかけがえのないヒトや己が護るべきヒトがそこにいるからなのだ。

それらさえも捨てて逃げろという為には、もしくは、それらを捨てて逃げても誰もその非を咎められずにすます為には、余程のおおきな強制力が必要なのだ。
それが『津波てんでんこ』という言葉なのである。
[裏読みすれば、それ以外の時はお互いに助けあって活きろ決して見捨てるなという地域社会の戒めが透けて観える。と、同時に ... いや、ここから先は黙っていよう。もう既に書いた。]

その強制力となるものが、もしかしたら、ロト (Lot) の家族に神の使いから告げられた、逃げる際には決して振り向いてはいけないという言葉なのではないだろうか。神の教えならばまもらねばならぬ、神のお告げならばやぶる訳にはいかない、という意味だ。

だから、3.11.には、『津波てんでんこ』の戒めを破ってしまった数多くの、名も無きロトの妻 / エシェット・ ロット (Lot's wife) 達が大勢いたのではないか。と、そんな哀しい結論にぼくは辿り着いてしまうのだ。

そして、塩の柱 (A Pillar Of Salt) のエピソードに続けて語られる、ロト (Lot) とふたりの娘 (His Daughters) との近親相姦 (Incestus) を読めば、『日本沈没 (Japan Sinks)』[小松左京 (Sakyo Komatsu) 作 1973年発表] で、摩耶子が小野寺に語る八丈島 (Hachijo Town) の丹那婆伝説にそのまま繋がってしまうのだ。
その小説では、たった一人の妊婦だけを遺して、津波 (Tsunami) で壊滅した八丈島 (Hachijo Town) が、彼女と彼女の息子との近親相姦 (Incestus) によって甦るという伝説が語られているのである [こちらで詳しく紹介されています]。
ずうっとぼくは、作者小松左京 (Sakyo Komatsu)の創作か、もしくは、世界各地に伝わる洪水伝説 (Flood Myth) を引用して、八丈島 (Hachijo Town) の伝説に設定したものとばかり思っていた。その小説の中で語られるその伝説は、沈み逝く日本列島 (Japanese Archipelago) とそこに住まうヒトビトの再生を祈るモノとして語られるからだ。

いや、実際に語るべきはその逆だ。今来た途を遡って文章にすべきだろう。
日本沈没 (Japan Sinks)』に引用されている八丈島 (Hachijo Town) の丹那婆伝説を筆頭に、洪水伝説 (Flood Myth) が伝わる世界各地には、それに付随して近親相姦 (Incestus) を経た後の復興の物語が遺されているのである、と。

ロト (Lot) とその妻 / エシェット・ ロット (Lot's wife) の挿話に潜む、津波 (Tsunami) を語るいくつかの言葉との相似形を、どうやって解釈したらいいのだろう。

旧約聖書 (The Old Testament)』で描かれる世界に津波 (Tsunami) はそぐわないのではないかと思われる方もいるかもしれない。
しかし、『ソドムとゴモラ (Sodom And Gomorrah)』が描かれている創世記の、その随分前の章句に、ノアの方舟 (Noah's Ark) が登場した事を憶い起こしてもらいたい。
ノアの方舟実在説 (Searches For Noah's Ark) 等を弄ぶつもりはないのだけれども、『旧約聖書 (The Old Testament)』が描くその世界には『ソドムとゴモラ (Sodom And Gomorrah)』の物語が語られるそれ以前に、既に水による大きな災害が描写されているのだ。

それは、古代から伝わる洪水の記憶の積み重ねなのかもしれない。
災厄によって破滅する共同体と、そこからあたかも『津波てんでんこ』の様に逃げて生き延びたヒトビトとの。

次回は「」。
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