2011.09.05.00.27
こんな夢をみた。

"Gauche The Cellist" from "The Printmaking Exhibition Of Many Orders" by Jun Hatanaka from the novel "Gauche The Cellist
" written by Kenji Miyazawa
その夢のなかでのぼくは、音大生なのである。しかも、日本ではなくて米国のどこか、異国の地にある。その音楽大学は、エリートを育て上げる事の他に、生涯学習にもちからを注いでいるらしく、様々な世代の学生が集っている。勿論、ぼくも含めて海外からの学生も多い。
そんな環境の中、ぼく自身はと言えば、どういう立場なのかははっきりとしていない。少なくとも、幼い頃から施された英才教育の成果の顕われとして、ここに辿り着いたというわけではなさそうである。かといって、人生の成すべきわざを総て成し終えて、遺りの短い人生を音楽にいそしもうとしている訳でもない。
逆に言えば、それだけ様々な世代がこの学校に集って音楽を学んでいると言える。己の身体の半分以上もある楽器を抱え込んで駆け回っているこどももいれば、世の中の趨勢に全く無頓着な才気走った若者もいれば、楽譜の束を手にした老人達の合唱隊もいる。
キャンパスには共通のテーゼである音楽という括りはあるものの、へたな地方都市よりも、様々な世代、様々な人種、様々な国籍が溢れているのである。
ぼくはその音大でチェロを学んでいる。大学のはずれのどこかにある寮の自室には、巨大なコントラバスもあって、こちらは学業とは別の、趣味で演っている様である。完全防音 [の筈の] 自室で、現代音楽や前衛音楽もどきの不協和音だらけの演奏をしては、悦に入っている。弓を思いっきり弾きあてて、高音域の悲鳴を鳴らすのが、ことの外、お気に入りのようである。
そして、肝心のチェロはと言えば、自室にはない。それは、大学の校舎内の地下にある保管室にある。大学は相当広いので、毎日毎日、楽器を自室と教室を往復させる手間を省く為に、その保管室はある。真面目な学生の殆どは、自室と保管室にそれぞれの楽器をおいて、必要に応じて、使い分けている。
勿論、たったひとつの愛器を抱えて往復しているものもあるが、彼らだって、週末になれば、その保管室に愛器を預けて、街に繰り出す事もある。あとは週明けの講義に間にあう様に、身ひとつで保管室に預けものをとりに来ればいいのである。
ぼくはそんなシステムを利用して、学校に己の楽器を預けっぱなしにしている。チェロは、身体の半分くらいを占める楽器としては大きい方の部類になるけれども、それだってたかが知れている。
ありとあらゆるモノがパーカッションとなる打楽器奏者や、そこに据えられている楽器を演奏するしか術のないピアニストや、頭の中だけに音楽を奏でさせている作曲学部のモノならならば、誰も文句を言う筋合いではない。
だが、たかだか半人前のチェリストごときが、たったひとつの楽器を預けっぱなしにして手ぶらで、寮と教室を往復するのは、ぼくぐらいのものなのである。
だがぼくに言わせてもらえば、地下にある保管室から楽器を受け取り、それを抱えて練習場や教室に向かうには、結構、骨が折れる。エレヴェーターはあるにはあるが、常に満員だ。それに大楽器の搬入出が優先されるから、滅多な幸運がなければ乗る事も出来ない。自ずと、階段を使う事になる。
階段は、広く、緩やかで、そして薄暗い。そこを様々な世代や人種や国籍のヒトビトが昇り降りする。講義や授業は一斉に始り一斉に終わる。決まった時間中は閑散としている廊下や階段は、ほんの一瞬の間、部屋部屋から吐き出された学生達で埋め尽くされてしまう。
だから、チェロは、中途半端な巨きさでもって、不利益をかこうのである。
そんなある日、ぼくに一通の招待状が届けられる。
今年は何年か一度にやってくる大統領選挙の年で、全国各地でそれに付随した催し物が開かれる。この街では、各候補者を招いた討論会が開かれる予定なのだ。その招待なのである。
外国人留学生であるぼくには勿論、選挙権はない。だから、招待される謂れはないのだけれども、それを訝しがるのは勿体ない。と、いうのは、この手の催し物は、候補者の主張を聴いたり、己の支持者を支援する為にあるのではない。むしろ、それを口実に様々なイヴェントが開かれるのである。特に、討論会の前後では、そのステージでそれぞれの候補者を応援するミュージシャンやアーティストのパフォーマンスを楽しめるのである。
日本のそれよりも遥かにこの国の選挙が盛り上がるのは、それがあるからであって、むしろ、選挙を口実としたお祭り騒ぎが、殆どの有権者の期待するものとなっている。
だから、間違って届いたであろうこの招待状を、ぼくも利用させてもらう事にする。
当日に会場に入ってびっくりしたのは、ぼくの指定席である。
屋内スタジアムを解放したそこには、ステージを取り囲む様に客席が並び、席によっては、候補者や出演者の後方から臨む場所もある。さらに、ステージ上にも、数層にわたる雛壇があり、候補者や彼らの直近の支持者や街の有力者がそこに居並ぶ事になっている。
その一隅になぜだか、ぼくの指定席がある。間違えるのにもほどがある。
しかも、ぼくの席は、保守派でならしている与党現職の国会議員の側なのだ。
ぼくは選挙権もない外国人であるので、無党派層を決め込んでいて、時折、友人達と交わすそんな話題にも一切、関わらない事にしている。だが、あえて言えば、保守派でも与党支持でもないのは確かで、そこに席があるのは、非常に困る。もしもぼくを見知ったものが、その席にいるぼくを観て、どう思うのか。ろくでもない事態に巻き込まれないとは限らない。
どうしたものだろう。いっそ、係員に打ち明けて間違った招待状であると告げようか、それとも、適当な口実をみつくろって席だけでも一般席に変えてもらおうか。しかし、自身で判断出来ずにぐずぐずしている場合はいつも、モノゴトがあらかじめ用意されていた方向へと突き進んで行くばかりなのである。
気がついたら、招待席に居心地の悪そうに座っているぼくがいる。辺りを見回すと、その現職はもちろん、大統領候補にさえ話かけられそうな場所である。あぁ、ぼくがテロリストだったならば、絶好の機会と場所を提供されたと思うだろう。
席に座ってあらかじめ手渡されていた候補者の一覧や、それぞれの主張が盛り込められたパンフレットを眺めている。手持ち無沙汰だし、しかも、居心地が悪い。
すると、席の後方からぼくの名前を呼ぶモノがいる。ふりかえってみると、見知らぬ男性だ。終始、笑顔を絶やさないそれで彼の職業が観てとれる。
ぼくの眼の前にやって来て、握手を求めてくる。
「よく来てくれましたね、今日は存分に楽しんで下さい、彼の為にも」
そう言って、未来の大統領を目指すモノの座席を指差した。
ぼくはしどろもどろに応対しながら、適当な相槌ばかりをうっている。
彼は、ある人物の最近の業績を誉め讃えているけれども、それは他の誰かであってぼくぢゃあない。しかし、彼にとっては、その人物はぼくに相違ないのである。
会場にアナウンスが流れて、開演の時間になった事を知らせる。
「ホントに今日はよく来てくれました、存分に楽しんで下さい、彼の為にも」
出逢った時と同じ台詞を吐いて、彼は己の場所まで戻る。その際に、バックステージ・パスを渡される。ある時間になったら、楽屋裏に来て、ある人物に逢って欲しい、そう小声で囁くのだ。
会場の照明が少しずつ落とされて、音楽と歓声が次第に会場を包んでいく。

The Poster for the movie "Nashville" directed by Robert Altman

"Gauche The Cellist" from "The Printmaking Exhibition Of Many Orders" by Jun Hatanaka from the novel "Gauche The Cellist
その夢のなかでのぼくは、音大生なのである。しかも、日本ではなくて米国のどこか、異国の地にある。その音楽大学は、エリートを育て上げる事の他に、生涯学習にもちからを注いでいるらしく、様々な世代の学生が集っている。勿論、ぼくも含めて海外からの学生も多い。
そんな環境の中、ぼく自身はと言えば、どういう立場なのかははっきりとしていない。少なくとも、幼い頃から施された英才教育の成果の顕われとして、ここに辿り着いたというわけではなさそうである。かといって、人生の成すべきわざを総て成し終えて、遺りの短い人生を音楽にいそしもうとしている訳でもない。
逆に言えば、それだけ様々な世代がこの学校に集って音楽を学んでいると言える。己の身体の半分以上もある楽器を抱え込んで駆け回っているこどももいれば、世の中の趨勢に全く無頓着な才気走った若者もいれば、楽譜の束を手にした老人達の合唱隊もいる。
キャンパスには共通のテーゼである音楽という括りはあるものの、へたな地方都市よりも、様々な世代、様々な人種、様々な国籍が溢れているのである。
ぼくはその音大でチェロを学んでいる。大学のはずれのどこかにある寮の自室には、巨大なコントラバスもあって、こちらは学業とは別の、趣味で演っている様である。完全防音 [の筈の] 自室で、現代音楽や前衛音楽もどきの不協和音だらけの演奏をしては、悦に入っている。弓を思いっきり弾きあてて、高音域の悲鳴を鳴らすのが、ことの外、お気に入りのようである。
そして、肝心のチェロはと言えば、自室にはない。それは、大学の校舎内の地下にある保管室にある。大学は相当広いので、毎日毎日、楽器を自室と教室を往復させる手間を省く為に、その保管室はある。真面目な学生の殆どは、自室と保管室にそれぞれの楽器をおいて、必要に応じて、使い分けている。
勿論、たったひとつの愛器を抱えて往復しているものもあるが、彼らだって、週末になれば、その保管室に愛器を預けて、街に繰り出す事もある。あとは週明けの講義に間にあう様に、身ひとつで保管室に預けものをとりに来ればいいのである。
ぼくはそんなシステムを利用して、学校に己の楽器を預けっぱなしにしている。チェロは、身体の半分くらいを占める楽器としては大きい方の部類になるけれども、それだってたかが知れている。
ありとあらゆるモノがパーカッションとなる打楽器奏者や、そこに据えられている楽器を演奏するしか術のないピアニストや、頭の中だけに音楽を奏でさせている作曲学部のモノならならば、誰も文句を言う筋合いではない。
だが、たかだか半人前のチェリストごときが、たったひとつの楽器を預けっぱなしにして手ぶらで、寮と教室を往復するのは、ぼくぐらいのものなのである。
だがぼくに言わせてもらえば、地下にある保管室から楽器を受け取り、それを抱えて練習場や教室に向かうには、結構、骨が折れる。エレヴェーターはあるにはあるが、常に満員だ。それに大楽器の搬入出が優先されるから、滅多な幸運がなければ乗る事も出来ない。自ずと、階段を使う事になる。
階段は、広く、緩やかで、そして薄暗い。そこを様々な世代や人種や国籍のヒトビトが昇り降りする。講義や授業は一斉に始り一斉に終わる。決まった時間中は閑散としている廊下や階段は、ほんの一瞬の間、部屋部屋から吐き出された学生達で埋め尽くされてしまう。
だから、チェロは、中途半端な巨きさでもって、不利益をかこうのである。
そんなある日、ぼくに一通の招待状が届けられる。
今年は何年か一度にやってくる大統領選挙の年で、全国各地でそれに付随した催し物が開かれる。この街では、各候補者を招いた討論会が開かれる予定なのだ。その招待なのである。
外国人留学生であるぼくには勿論、選挙権はない。だから、招待される謂れはないのだけれども、それを訝しがるのは勿体ない。と、いうのは、この手の催し物は、候補者の主張を聴いたり、己の支持者を支援する為にあるのではない。むしろ、それを口実に様々なイヴェントが開かれるのである。特に、討論会の前後では、そのステージでそれぞれの候補者を応援するミュージシャンやアーティストのパフォーマンスを楽しめるのである。
日本のそれよりも遥かにこの国の選挙が盛り上がるのは、それがあるからであって、むしろ、選挙を口実としたお祭り騒ぎが、殆どの有権者の期待するものとなっている。
だから、間違って届いたであろうこの招待状を、ぼくも利用させてもらう事にする。
当日に会場に入ってびっくりしたのは、ぼくの指定席である。
屋内スタジアムを解放したそこには、ステージを取り囲む様に客席が並び、席によっては、候補者や出演者の後方から臨む場所もある。さらに、ステージ上にも、数層にわたる雛壇があり、候補者や彼らの直近の支持者や街の有力者がそこに居並ぶ事になっている。
その一隅になぜだか、ぼくの指定席がある。間違えるのにもほどがある。
しかも、ぼくの席は、保守派でならしている与党現職の国会議員の側なのだ。
ぼくは選挙権もない外国人であるので、無党派層を決め込んでいて、時折、友人達と交わすそんな話題にも一切、関わらない事にしている。だが、あえて言えば、保守派でも与党支持でもないのは確かで、そこに席があるのは、非常に困る。もしもぼくを見知ったものが、その席にいるぼくを観て、どう思うのか。ろくでもない事態に巻き込まれないとは限らない。
どうしたものだろう。いっそ、係員に打ち明けて間違った招待状であると告げようか、それとも、適当な口実をみつくろって席だけでも一般席に変えてもらおうか。しかし、自身で判断出来ずにぐずぐずしている場合はいつも、モノゴトがあらかじめ用意されていた方向へと突き進んで行くばかりなのである。
気がついたら、招待席に居心地の悪そうに座っているぼくがいる。辺りを見回すと、その現職はもちろん、大統領候補にさえ話かけられそうな場所である。あぁ、ぼくがテロリストだったならば、絶好の機会と場所を提供されたと思うだろう。
席に座ってあらかじめ手渡されていた候補者の一覧や、それぞれの主張が盛り込められたパンフレットを眺めている。手持ち無沙汰だし、しかも、居心地が悪い。
すると、席の後方からぼくの名前を呼ぶモノがいる。ふりかえってみると、見知らぬ男性だ。終始、笑顔を絶やさないそれで彼の職業が観てとれる。
ぼくの眼の前にやって来て、握手を求めてくる。
「よく来てくれましたね、今日は存分に楽しんで下さい、彼の為にも」
そう言って、未来の大統領を目指すモノの座席を指差した。
ぼくはしどろもどろに応対しながら、適当な相槌ばかりをうっている。
彼は、ある人物の最近の業績を誉め讃えているけれども、それは他の誰かであってぼくぢゃあない。しかし、彼にとっては、その人物はぼくに相違ないのである。
会場にアナウンスが流れて、開演の時間になった事を知らせる。
「ホントに今日はよく来てくれました、存分に楽しんで下さい、彼の為にも」
出逢った時と同じ台詞を吐いて、彼は己の場所まで戻る。その際に、バックステージ・パスを渡される。ある時間になったら、楽屋裏に来て、ある人物に逢って欲しい、そう小声で囁くのだ。
会場の照明が少しずつ落とされて、音楽と歓声が次第に会場を包んでいく。

The Poster for the movie "Nashville" directed by Robert Altman
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