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2011.08.14.00.08

『ほぼ日刊イトイ新聞』で第93回全国高等学校野球選手権福島大会を追った記事『福島の特別な夏。』を読む:甲子園大会篇

あらかじめ断っておきます。以下の文章は、『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載された『福島の特別な夏。』を読んだ事を前提にしてあります。
ご了承願います。

ちなみにぼくが書いた、この連載への感想は以下の頁にあります。
なお、こちらの駄文群は必読ではありませんので、ご随意に願います。

福島県大会篇
甲子園大会篇 この記事です。
拾遺篇

福島県大会での優勝候補の筆頭であった聖光学院甲子園進出決定をもって、本来ならば、この連載は終了する筈でした。にも関わらずに、永田泰大記者が彼らの甲子園での戦いをも取材するとの宣言によって、この連載は一時の中断を挟んで、延長戦を向かえる事になります。

だから、この連載を愉しみにしていた読者の方々は、連載の再開は、開会式の翌日であると、踏んでいた筈です。
もしも、その読みに違いがあるとしたら、開会式当日にある聖光学院の初戦『#14 聖光学院対日南学園』を含めたものとなるのか、それとも、その記事は翌日以降での掲載に廻し、『福島の特別な夏。』の遠景にある筈の『第93回全国高等学校野球選手権開会式をじっくりと記事にするのではないか、と思っていたのに違いありません。

しかし、大方の予想を裏切って連載開始の初回記事は、開会式当日に『ほぼ日刊イトイ新聞』で発表されました [このサイトは"ほぼ毎日"午前11時に更新されます。時間的には開会式まっただ中です]。
それが、『#13 飯館村、南相馬市、いわき市』です。
何故、永田泰大記者がそこに向かったのかは、記事本文中で自身が表明しています。

「この連載には、どうしても軸が2本ある。いや、軸が2本あるからこそ、この連載ははじまって、こうして続いているともいえる」

しかし、それを誰もがみな受け入れる事が出来るのでしょうか。少なくとも、ぼくは奇異に感じたし、何故このタイミングでそれをその日に発表しなければならないのか、それが理解出来ませんでした。

前回、ぼくは以下の様に記しました。
「<前略>日々、己の中にある葛藤やぶれをそのまま綴って行きます [例としては、『#12 聖光学院対須賀川』で書かれている黙祷の件が挙げられます]。そして、綴りながらも、いつのまにか、記事は、スポーツそのもの野球そのもの、と言うか、高校野球そのものへとその視点が収斂していくのが解ります」

だから、思ったのです。福島県大会での成果を一旦ご破算にして、最初の一からやり直すつもりなのだろうか、と。
例えば、『福島の特別な夏。』を敷衍して『東北の特別な夏。』とか『被災地の特別な夏。』という切り口にしようというのだろうか、そんな危惧さえはらんでいる様に観えます。

いや、『東北の特別な夏。』とか『被災地の特別な夏。』という視点が悪いというのではないのです。その視点に危険性を見出してしまったのには、理由があるのです。

ぼくには、聖光学院斎藤智也監督の次の言葉 『#03 聖光学院』 が引っ掻かっているのです。

「いちばん怖いのはね、震災があったからこそ、ぼくらは今年勝たなきゃいけないっていうふうに震災を利用して傲慢になることです。<中略>その勢いにあやかるのは許せない」

斎藤智也監督のこの発言は選手達に向けられたものだけれども、それと同時に、彼らの野球を観るぼく達にも向けられて発せられたのものではないだろうか、と思えていたのです。
そして、それは同時に斎藤智也監督のこの発言を面と向かって聴いている永田泰大記者そのヒトにも向けられているのではなかったのか、と邪推しているのです。

2本ある軸のうちの1本が本番を迎える。だからこそ、遺りのもう1本の現在を見据えておくのだというのが永田泰大記者の論旨だとしたら、その視野が陥りやすい罠を斎藤智也監督が明快に指摘しているのではないでしょうか。

「傲慢」になるのはなにも選手だけではない、彼らの活躍を報道するメディアも「傲慢」になるし、彼らを応援するファンや観客も「傲慢」になり得るのです。

そんな危険性を孕んで、甲子園大会篇は始ります。初戦の『#14 聖光学院対日南学園』の次の回は『#15 警戒区域 その1』でした。
そして、第2回戦で敗退した聖光学院の夏の終り『#16 聖光学院対金沢』では、次の様な文章で綴られ始めるのです。

「終わりは急にやってくる。こんなに急に終わりがやってくるなんて、思ってもみなかった。」

勿論、公平な取材や公正な報道を、永田泰大記者に、最初から求めてはいません。地方大会からずっと追いかけて来たチームならば、なにもなくても、そのチームを応援しあわよくば優勝を願うのは、当然の心理です。また、そのぐらいの気概がなければ、内容のある面白い記事は書けないでしょう。

ただ、あえて永田泰大記者に問い質したいのは、そこに「傲慢」はありませんでしたか、という事だけなのです。

#16 聖光学院対金沢』の最終に次の様に永田泰大記者は記しています。

「書き残したことが、まだ、いくつかあるので、お盆が明けたころにでも、すこし、更新をして、ぼんやりと終わりたいと思います」

その「書き残したこと」が今、一番読みたいのです。

なお、ぼくが期待しているのは、次の様なものです。
ほんのつかの間の休息をとる為に、クルマの座席に座り込んで、カーラジオをつけてみる。そこからは甲子園からの実況が流れていた...と、言う様な。
もしもそんな事が実際にあったとしたら、その時の永田泰大記者の心象は、いかばかりのものだったのでしょう。

次回『拾遺篇』に続きます。

附記:
例えとして相応しいのかどうか悩ましいのだけれども、あえて書いてみる。
それは、陸前高田の被災松と五山送り火の薪を巡るゴタゴタだ。
この問題の矛先は、その対応が二転三転する受け入れ側に向けられている様だけれども、ぼくが知りたいのはその発端の引き金を引いた方の責任だ。
つまり、被災松を京都の送り火に使ってもらいましょうという立案は、どこから産まれてどこが筋道を立てて、ニュースで観る様なゴタゴタを生じせしめたのか、という事なのだ。
逆に言えば、そもそも論でしかないのは承知だけれども、被災松を地元の被災者達に無償提供して、追悼の意を込めてお盆に燃やしましょう、という発想でもよかった筈なのだ。
恐らく、善意が善意を呼んで、その善意の連なりが京都へと向かい、五山送り火へと向かったのだろうけれども、そこに"甘え"はなかったのだろうか。
上の記事本文に登場した「傲慢」とは、そういうものだとぼくは理解している。
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