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2007.10.16.21.42

りきいしとおるのてーま

語頭に「り」がつく文字はニ度目の登場。ちなみに前回はこちらです。頭に最初によぎった単語は「りずむあんどぶるーす」だけれども、文字変換して「リズム・アンド・ブルースRhythm and Blues)」にしちゃうとあまりに大ネタです。そこでしばし立ち止まって出て来た単語が「りきいしとおるのてーま」。
今回はそれを漢字変換した「力石徹のテーマ」について。当初の「りずむあんどぶるーす」も、多少は関係ある言葉です。


力石徹のテーマ」は、作詞:寺山修司、作曲:八木正生、唄:ヒデ夕樹によるもので、勿論これはTVアニメ『あしたのジョー』のエンディング・テーマとして創られたものです。しかしながら、当初からエンディング・テーマを想定して編み出された曲なのかどうかという事に関しては、若干、疑問が残ります。
と、いうのはこの力石徹初登場シーンでの使われ方を観れば[聴けば]解る様に、ファンファーレ調のトランペットによるその主旋律が、力石徹の登場を告げるモチーフとして作品内で煩雑に使用されているからです。しかも、それがえらくかっこいい。そして、物語が進展し、矢吹丈力石徹との対決[そしてそれは少年院ではなくてプロボクサーとして]が、次第に避けられぬ宿命的な色彩を帯びるに従って、この主旋律は力石徹標題音楽Programmmusik)的な位置付けを得て、さらに整理されて劇中の挿入歌となり、遂にはエンディング・テーマへと昇格していきます。
つまり『あしたのジョー』という物語が、矢吹丈丹下段平の疑似親子の物語[「泪橋を逆に渡る」物語]から矢吹丈力石徹の対決の物語に変質していったからではないのでしょうか?[ちなみに当初のエンディング・テーマは丹下段平を主題にした「ジョーの子守唄」:こちらではオープニング・ナンバー「あしたのジョ-」に続いて聴く事が出来ます]
例えば、矢吹丈との対戦の為に力石徹が過酷な減量が不可避となったのは、原作者高森朝雄こと梶原一騎の原稿を誤読した作画担当のちばてつやが、矢吹丈よりも力石徹を頭ひとつ大きな体格に描いてしまったからだ、という有名なエピソードがあります。この逸話が教えてくれる事は、制作スタッフ間の中で、力石徹は必ずしも大きな存在ではなかったという事です。つまり、矢吹丈少年院内で、ボクシングに目覚める為の動機という認識でしかなかったのでしょう。しかし、そう解読されても仕方ないでしょう。何故ならば、丹下段平のお節介とも言えるボクシングBoxing)通信講座に反発しながらも、矢吹丈が「あしたのために その1:ジャブ」や「あしたのために その2:右ストレート」を学習せざるを得ないのは、彼の眼前の、学んだ結果としてのジャブJab)や右ストレートstraight punch)の具体的な標的として、力石徹が存在していたからです。
と、いう具合に『あしたのジョー』論を書いて行くと、どんどん本論からずれてしまうので、軌道を修正します。あくまでも本稿の目的は「力石徹のテーマ」、音楽です。音楽の話をしましょう。

先ず序章としてのグルーヴ感たっぷりのボトムの利いた重いベース・リフ、これだけを聴いただけで、白木邸の広大な庭をランニングする彼の顔と白く吐き出される息が思い出されますし、その重いアンサンブルを貫き通す様なハイトーンのブラス・セクションの嘶きは、少年院における矢吹丈との最初の対戦の前の、あの「第一ラウンド・・・じゃねぇ・・・一分間だ! このノータリンを二度とリングに立てねぇ様にするまでの時間だ!」というKO宣言を思い出させます。
そして、寺山修司の乱調一歩手前の歌詞を正面から受け止めて唄いあげるヒデ夕樹の歌唱は随分とカッコ良い。それは、矢吹丈を主題に据えたオープニング・ナンバー「あしたのジョー」との対比で観れば、野卑に対しての洗練、都会的なスリリング感という事になります。それは、オープニング・ナンバーを唄った尾藤イサオに対するヒデ夕樹、つまりは矢吹丈に対しての力石徹、という事になるのだけれども、それはあくまでも比較論での話。大きな括弧でくくってしまえば、ボクシングBoxing)でしか己のアイデンティティを確認出来ない不幸な男達の音楽です。
それをきちんと書こうとすると、今度は寺山修司論になったり、戦後焼跡文化論になったり、そんな男どもを愛してしまった女達[「林紀子篇」「白木葉子篇」]の説話論へと傾いたりして、また、新たな脇道へと引きずり込まれそうになってしまうから、ここでは、ほんのサワリだけを書いて止しときます。
つまり、酒や涙や女や波止場を唄うブルースぢゃなくて、ここで聴けるブルースはミシシッピMississippi River)のデルタ・ブルースThe Delta blues)に直結するものかもしれない、という事です。マディ・ウォーターズMuddy Waters)やハウリン・ウルフHowlin' Wolf)と比較してしまうとミもフタもないかもしれないけれども、彼らを聴いてコビーしまくっていた60'sの英国のバンド達と聴き比べると良いと想います。
そしてそれを如実に現しているのが、洗練された都会的なリズム・アンド・ブルースRhythm and Blues)である「力石徹のテーマ」だと想うのです。後年、スタックス・サウンドThe Sounds Of Stax)を聴いた時に得た既視感[というか正確には既聴感?]は、一体なんだったのか?という事で辿り着いた答のひとつが、この曲だったのでした。
例えて言えば、オーティス・レディング(Otis Redding)やサム & デイヴ(Sam & Dave)の様な、あの感じ。個人的には『ブルース・ブラザース(The Blues Brothers)』の映画の中にぽぉんと放り込んで、演奏してもらっても違和感はないと思いますが、如何でしょう?

次回は「」。
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