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2011.04.05.23.25

すろーたーはうすふぁいぶ

随分昔にTVで放映された映画版『スローターハウス 5 (Slaughterhouse-Five)』 [ジョージ・ロイ・ヒル (George Roy Hill) 監督作品 1972年制作] を想い出しながら、その小説版『スローターハウス 5 (Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death)』 [カート・ヴォネガット (Kurt Vonnegut) 原作 1969年発表] を読んだのもかなり昔の事になる。
だけれども、何故だか、この物語は、ずうっとこころの片隅にあって、ふとした折りに、物語に何度も登場する語句「そういうものだ (So It Goes)」と共に湧き上がるのである。

最初にこの物語を知ったのは、映画が公開された1972年の事だと思う。ある映画雑誌の片隅に掲載されていた。丁度、その年のアカデミー賞 (Academy Awards) 間近の時期だったのだろうか、それとも年末号だったのだろうか、いつもの様に記憶は曖昧だ。しかし、その年を飾る注目作品・話題作品のひとつとして、この映画のスティール写真とスタッフとキャストのクレジットが掲載されていた、と思う。

そして、そのちいさなスティール写真が、不思議な佇まいをみせていたのだ。

満天の星が輝く夜空を背景に、一面の砂漠。そこにぽつんとバックミンスター・フラー (Buckminster Fuller) を想わせる半球上のドームがある。そのドームは透明で、室内は丸見えだ。
そこには家具調度が整然と並べられていて、そのなかにベッドがひとつ。
男女がふたり、ベッドにいる。彼らはそのベッドから上半身を起こし、満面の笑みを浮かべながら、それぞれの腕を大きく振っている。
まるで、彼らはその半球上のドームを凝視める観客の歓声に応えているかの様だ。

彼らの挙動や、彼らの周囲のひとつひとつは、一見普通の佇まいだけれども、それらが集合して、一枚の写真として観ると、どこかに違和感がある。
今ならば、タイトルの『スローターハウス5 (Slaughterhouse-Five)』を翻訳してみて、そこからさらに大きな違和感を得るかも知れないが、まだ、ぼくは小学生だ。『スローターハウス5 (Slaughterhouse-Five)』という名前のホテルかアパートメント [当時、団地 (Danchi) 住まいだったから、住居がナンバリングされている事自体は、当然のものの様に受け止めている] で、そこを舞台としたコメディかミュージカルなんだろうなぁとばかり思っていた。

これが、この物語との出逢いである。

それから数年の後になって、TV放映された映画版を体験するのである。その頃には、既に知識として、この物語が、ある一風変わった時間旅行者 (Time Traveller) を扱ったSFに分類されている事は知っていた。
主人公は、ある事件を契機にして、時間の束縛から逃れ、様々な己の人生の曲面を何度も行き来するのである。
と,書くとホントに、単なる時間旅行者 (Time Traveller) ものと誤解されかねない。
主人公には、その時間を選ぶ能力はない。また、今いる時間から逃れる能力もない。ある年のある場所のある瞬間を生きたその一瞬後には、べつの年のべつの場所のべつの瞬間を生きている。そうして、何度も何度も、同じ時の同じ場所の同じ瞬間を、再び、否、三度、否、何度も何度も、生きることになる。
だから、常に戸惑い翻弄されている。
しかも、本人に"時"と"場所"を選ぶ権限はないどころか、その瞬間にあり得たかもしれないもうひとつの選択肢を選ぶ能力も権限もない。つまり、その年のその場所のその瞬間で諾と発言してしまえば、再び、否、三度、否、何度も何度も、その瞬間を生きる度に、諾と発言するしかない。
主人公には、"未来"を切り開く事も、"運命"を自らの意思で選び採る事も、"歴史"を改竄する事も、出来ない。
だから、自らの死をも、何度も何度も体験するし、彼の死の後も、彼を主人公に据えた物語は続くのである。
そしてその結果、主人公はある種の達観に到達しているのである。だから、物語自体は、陰惨でも混沌でもなく、不思議な明るさに満ちているのである。

これは一体、なんなのかと問えば、映画版を体験したものは、きっとこういうだろう。
これは"映画"である。"映画"そのものである。但し、編集される前の、と。
それが理由かどうかは解らないけれども、映画版は、カンヌ国際映画祭審査員賞 (Festival International du Film de Cannes Prix du Jury) を受賞している。

確かにこれは"映画"である。あらためて解説する必要もないと思うけれども、念の為に書き添えておくと、"映画"の撮影は、物語の時間軸に沿って行われるものは殆どない。北野武 (Takeshi Kitano) の初監督作品『その男、凶暴につき (Violent Cop)』 [1989年制作] が、物語の進行状況に即して撮影して行ったという、誰でもが知っているエピソードは、それが映画制作において異例な作業手順だからこそ、語り継がれているのである。
あるシーンを撮影する為にスタッフ等によって手配された現場に、その場に相応しい衣装やらメイクやらをおし着せられた俳優が投じられて初めて、"映画"は撮影されてゆくのである。映画の登場人物の死がクランク・イン (Crank In) で、その登場人物の出生シーンがクランク・アップ (Crank Up) であっても、なんら不思議ではないのだ。
だから、映画版で観る事の出来る主人公の数奇な人生は、編集前の映画の断片集と観れば、なんの不思議もなく、そしてそれをそのまま呈示する為の前提が、SF的な時間旅行者 (Time Traveller) の物語という設定なのだ、と思ってしまっても差し支えないかもしれない。

images
映画版を観た当時、そんな事を考えたのかどうかは今となっては憶えていないのだけれども [てか、まぁ考えていない、ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard) を観る事も蓮實重彦 (Shigehiko Hasumi) を読む事も、この映画版を体験した数年後の事なのだ]、マイケル・サックス (Michael Sacks) が演じる主人公ビリー・ピルグリム (Billy Pilgrim) の奇妙な生は、軽妙にして洒脱な描写に徹底していて、主人公が抱えている内面の深刻さとは無縁の痛快さに満ちていた、と思う。
動物園の動物よろしく、トラルファマドール星 (Tralfamadore) にある動物園に、ひとつがいの人類として公開展示されている、考えようによっては人間の尊厳をも奪われてしまっている状況をも、軽やかに描かれているのだ。
ちなみに、彼と同様に公開展示されているメスの人類は、ポルノ映画スターのモンタナ・ワイルドハック (Montana Wildhack) [演:ヴァレリー・ペリン (Valerie Perrine)] なのだ。彼らをここに展示したトラルファマドール星人 (Tralfamadorian) の考えている事は,至極、単純極まりないのだ。
そしてそのシーンこそが、ぼくが観た一枚のスチール写真に他ならない [上に掲載したものは、そのものずばりのスチール写真ではないけど、同一シーンからのワンカットである]。

ただ、この印象でもって、原作である小説版にあたると、かなりの違和感を抱くに違いない。
主人公が、この特殊な能力を得、奇妙な生をおくる発端となった、ドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) が大きな重荷となって、読者にのしかかってくるのだ。
第二次大戦の西部戦線 (The Western Front Of The European Theatre Of World War II) に従軍した主人公ビリー・ピルグリム (Billy Pilgrim) は、道に迷ったところをドイツ軍 (German Army) に捕らえられて、代用監獄に収容される。彼が収容された場所は、本来は屠殺場であり、その名を第5屠殺場 (Schlachthof Funf / Slaughterhouse-Five) という。つまり、物語のタイトルは、ここに依拠している。
そこで捕囚生活を送る最中、ドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) に遭遇してしまうのである。
ドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) そのものが、都市に対する無差別空爆であり、25,000人もの生命と歴史的な建造物が喪われたばかりでなく、既に大戦の趨勢は決しており、行う必要はなかったとされる攻撃である。
考えようによっては、ヨーロッパのヒトビトにとっては、ヒロシマ・ナガサキ (Hiroshima Nagasaki) に匹敵するか、もしくはそれよりも重い意味をもつモノかも知れない。
しかも、主人公は、味方からの攻撃に曝されて、逃げ惑う羽目に追い込まれてしまうのである。

勿論、映画版でもこのドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) のエピソードは克明に描写されている筈なのだが、それ以降の彼の一生の方が面白い上に、観た時は、かなり昔の事なので、記憶が不鮮明なのだ。
だがそれ以上に、小説版では、この体験が常に主人公のこころを捕らえ、その体験こそが文字通りの彼の奇妙な人生の出発点となっている事に執着しているのだ。
小説版は、常にドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) での体験に戻っている。解りやすい表現を試みるならば、ドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) での体験が綴られていく物語の過程に何度も何度も、主人公がこれから遭遇するであろう未来が、カットインされている。そんな印象さえ抱けるのである。
そして、その何度も何度も体験するドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) での出来事が、主人公の内面を徐々に生成していった様にも読める。彼にとって、そこでの体験とその後に得る"時間旅行者 (Time Traveller)"としての能力は、悲劇でも喜劇でもない。「そういうものだ (So It Goes)」この一言ですんでしまうものなのだ。こんな、ある種の悟りにも似た境地に達する為の"試練"がドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) という体験なのだ。
しかも、彼が到達する事になるヴィジョンを彼に啓示するきっかけを与えたのが、トラルファマドール星人 (Tralfamadorian) との出逢いなのである。

ところで,小説版を読んで気づかされた事がひとつある。
ドレスデン大空襲 (Luftangriffe auf Dresden) での体験以降の彼の人生は綴られてゆくが、この時以前の彼の人生に"戻る"事はないのだ。
彼の出生児や幼少期には、彼は二度と遭遇しない。
それは確か、映画版でも同じだ。

主人公ビリー・ピルグリム (Billy Pilgrim) は大空襲の最中、屠殺場でもあり、代用監獄でもある、第5屠殺場 (Schlachthof F?nf / Slaughterhouse-Five) で孕まれ産まれたモノなのである。

ここから先を書き進めると、物語を離れて、とっても残酷な事を書いてしまいそうだから、ここでやめておく。
それは、いまここに生きている、数限りないビリー・ピルグリム (Billy Pilgrim)、彼らの物語について、なのだが。

次回は「」。
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2011.04.07.20.23 |from あなたのサックスの音が90日で人に認められる音になる方法!!

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