2007.10.07.21.14
悪魔を憐れむ歌(Sympathy For The Devil)
先ずは、本家ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のライブ演奏をお聴き下さい。目下のところの、最新ツアーであるところの2007.1.10.はワイト島音楽祭( Isle of Wight Festival 2007)でのライブです。
絶えず打ち鳴らされるパーカッシヴなサウンド[ミック・ジャガー(Mick Jagger)曰くのサンバ(Samba)のリズムだけれども、どう聴いてもその祖先であるアフリカン・ビート(Afro Beat)にしか聴こえません]と、ひたすら高揚感を煽るコーラス・ワークで。常にザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のコンサートでも、最高潮の熱気を換気してくれるのが、この楽曲です。だから、他のアーティストも、己のライブが頂点に達した処で爆発させる、ロック・クラシックスとして活用しています。
ここで紹介したジョン・ボン・ジョビ(Jon Bon Jovi)もそう。だけれども、何故か己の楽曲である「キープ・ザ・フェイス
その一方で、U2(U2)の、「バッド
この辺になると、事前に練り込まれたアレンジなのか、それとも、ヴォ-カル・インプロヴィゼーションなのか、判別がつき辛いところ。
まぁ、どっちでもいいぢゃんという声も聴こえて来そうですが、アーティストがその楽曲にどのような位置づけをしているのか、という点で、そのカヴァーされた楽曲が、いつどこでどのような状況によってカヴァーしたのか、それによっては、全く新しい意味をその曲に齎す場合もあるのです。
そういう意味では、異形のロック・バンド、ジェーンズ・アディクション(Jane's Addiction)の、「ロックンロール
歌詞のモチーフであるところの、悪魔(Daemon)による独白という設定に忠実に従えば、こういうヴォ-カルの個性に重きをおいたアプローチは半ば必然かも知れません。と、いうかペリー・ファレル
また、そういう歌詞だからこそ、ゴシック・ホラー(Gothic Horror)のサウンド・トラック(Sound Tracks)にもなり得るわけです。ここで紹介したのは、『Vフォー・ヴェンデッタ


「ジョンはヨーコを愛している、ジョンソンは毛沢東を愛している(John Loves Yoko.Lyndon loves Mao.)」とか書き殴られた薄汚れた便所の落書きをあしらったジャケット・デザインが、レコード会社に拒否されて、真っ白いジャケットで、1968年に登場したのが、この『ベガーズ・バンケット(Beggars Banquet
"1968年はいろいろな意味で世界が騒然としていた。新たなターニングポイントにあたっていたことはあきらかだった。パリのカルチェラタンは火が噴いていたし、泥沼化していたベトナム戦争ではついにニクソンが北爆を停止せざるをえなくなっていた。キング牧師は暗殺されて黒人運動は怒りの絶頂に達していたし、その逆にソンミでは大虐殺がおこなわれていた。"(from 『「ゲバラ日記」:千夜千冊』by 松岡正剛)
そんな1968年の熱さを封印した楽曲なんです、元来は。
だから、1968年をモチーフにした映像作品の制作を意図したジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)が、彼らに白羽の矢を当てたのも当然の話。彼らの楽曲制作のドキュメンタリー(Documentary)を装いつつも、そこで唄われる歌詞を繰返し繰り返し反復させて、そのイメージを当時のリアルな縮図として再構築したのが、映画『ワン・プラス・ワン / 悪魔を憐れむ歌
その様な楽曲の成り立ちを知っていれば、その手法を手っ取り早く今の時代に引き合わせた映像作品も出来てしまったりします。単純にこの画像に登場する、数々の為政者の行いの意味を問うという、ただそれだけの作品だけれども。
そして、1968年の熱さを所謂サンバ(Samba)のリズムで体現化したのが本家ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)だとしたら、1980年代の東欧情勢(Revolutions of 1989)を踏まえたと思しき、冷酷で硬直したビートでこの曲を再現したのが、旧ユーゴスラビア(Yugoslavia)[現スロヴェニア(Republic of Slovenia)]出身のライバッハ(Laibach)でした。
つまり、悪魔(Daemon)による独白という一人称の歌詞に仮託して、世界や時代の暗部を照射して次から次へとダメ出しするという方法論は、この楽曲においても、未だに有効なのです。
しかも、この楽曲は騒然とし渾沌としたコンサート会場で、本来ならばそれをさらに煽り増長させるべきテーマを持つにも関わらず、演奏を中断させられてしまった楽曲です。しかも、中断によってその酷い状況を改善させる事も出来ずに、徒に問題を先延ばしさせて、さらなる"悲劇"をそこに呼び込んでしまう"悪魔に魅せられた(Sympathy From The Devil)"歌でもあるのです。
1969年、オルタモントの悲劇(Altamont Free Concert)と呼ばれる事件での事です(映画『ギミー・シェルター
しかしながら、悪魔(Daemon)というあまりに分かりやすいキャラクターの登場によって、安手のゴシック・ロマン(Gothic Romance)まがいの主題歌に堕しているの事実ですし、パーッカッシブなビートと雄叫びにも似たコーラス・ワークからライブ向きの楽曲へと変貌しているのも事実です。音楽が創られた最初の動機から離れて逝ってしまうのは、それは全ての楽曲の持つ宿命ですし、様々なアーティストの様々な解釈を誘発する事によって、その楽曲が延命していく訳です。
そして、だからこそ、この楽曲は封印される事なく、今現在でもロック・クラシックとして長命を図る事が出来たのです。つまりは、「だがこの哀れなクソガキに何が出来る? ロックンロールバンドでうたうこと以外に(Well, then what can a poor boy do / Except to sing for a rock n roll band)」という事です。尤も、このフレーズはここで取り上げた楽曲ではなくて、同じアルバムに収録された「ストリート・ファイティング・マン
と、いう訳で、冒頭に掲げた最新のライヴ映像に本稿は、フィードバック(Feedback)します。
p.s.:映画『ワン・プラス・ワン / 悪魔を憐れむ歌
またそれとは全く別の方向性で、この曲独特のビート感を引用したダンス・ミュージックも、発見出来ず。いくつかの試みもあるにはありますが、単にオリジナルの音質に摺りよったものばかりでした。
このふたつのいずれかの方向性を指し示した、かっこいい解釈を発見出来ていれば、この拙文も異なるものとなったでしょう。
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