2011.03.29.21.44
ラジオから聴こえて来たのは、片言の日本語だった。もう数十年も前の事だ。NHK-FMで放送していた、渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) の番組『ヤング・ジョッキー』だったと思う。彼が行って来た、ニュー・ヨーク (New York) 取材でのインタヴューを放送したものだった。
その片言の日本語を喋ったのは、ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) のメンバーである。バンドの存在を知ったのが、このインタヴューを通じての事なので、メンバーの誰が取材に応じたのかは記憶はないのだけれども、多分、エリック・ブルーム (Eric Bloom) だろう。
ニュー・ヨーク (New York) 出身の彼らは、当時の最新作『タロットの呪い (Agents Of Fortune)
』 [1976年発表] 収録のナンバー『死神 ([Don't Fear] The Reaper)』の大ブレイクで一躍、この日本でも注目されていたバンドである。この放送を聴いた翌日、馴染みのレコード店に足を運ぶと、『タロットの呪い (Agents Of Fortune)
』 [1976年発表] がレコード棚に収められてた。そのミステリアスなイラストは数ヶ月前に、大々的に店頭にディスプレイされていた事をようやく想い出して、そこで初めてバンド名と作品名が一致した。
その放送では、ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) という奇妙なバンド名のネーミングの由来や[直訳すると"青牡蠣大好き"!?]、その前作の成果を受けて制作が開始された新作について語っていた。そして、その新作には『ゴジラ (Godzilla)』という曲が収録されている事。さらには、その中で映画『ゴジラ
(Godzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1954年制作] のカタストロフ・シーンであるゴジラ銀座襲来 (Godzlla Attacked Ginza) を告げるアナウンスを、映画の台詞そのままに自らがナレーションをして収録する事を語っていた。
それをお披露目したのが、先の片言の日本語だったのである。

"Rinji news o moshiagemasu!
Rinji news o moshiagemasu!
Godzilla ga ginza hoomen e mukatte imasu!
Daishkyu hinan shite kudasai!
Daishkyu hinan shite kudasai!"
この時の驚きと複雑な心境は、今でも、忘れられない。ゴジラ (Godzilla) を代表とする東宝特撮映画 (Toho Science Fiction Movie Series) が、海外でも上映されていて、それが一部に熱狂的なファンがいる事は、知識としては知っていた。
エリック・ブルーム (Eric Bloom) のインタヴューが放送された当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったキッス (Kiss) の、中でもジーン・シモンズ (Gene Simmons) が熱烈なフリークで、彼のヴィジュアルとパフォーマンスがその影響下にある事も知っていた。
記憶は定かではないのだけれども、エリック・ブルーム (Eric Bloom) のインタヴューが放送されたその数週間か前、『ヤング・ジョッキー』では、そのジーン・シモンズ (Gene Simmons) のインタヴューが放送されたのではなかったのか。そして、彼もまた片言の日本語で番組冒頭のナレーションを行ったと記憶している。「コンバンハ。やんぐ・じょっきーノじーん・しもんずデス」と。
とは言うものの、東宝特撮映画 (Toho Science Fiction Movie Series) の原点であり、場合によっては聖典でもある映画『ゴジラ
(Godzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1954年制作] の台詞を諳んじられれば、誰でも吃驚する。
それがついこの間、席を並べたばかりの転校生であっても吃驚するが、台詞の暗誦を行ったのが、海外の有名ミュージシャンならば尚更だ。
封切られたばかりの映画の台詞ならば、誰も驚かない。既にもう当時、TV-CMで放送される新作映画の告知は、その映画の主要な台詞の抜粋ばかりだった。しかし、映画『ゴジラ
(Godzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1954年制作] は、当時にして既に20年以上も前の作品なのだ。
現在の様にヴィデオもDVDもない時代の事だ。何度も何度も映画館へ足を運んだりTVの深夜放送で観続けた結果なのか、オリジナルの脚本かもしくはそれに基づく研究書を手に入れたのか、それとも、フィルム本体を所有しているのか、いずれにしろ、そう容易く出来る作業ではないのだ。
それと同時に、これまでのぼくの半生 [と言っても当時のぼくは中学生だったのだけれども] を振り返らせるものでもあったのだ。
幼い頃から映画館に通って怪獣映画を観続けてきたぼくだけれども、もうそんな子供じみた [って実際子供なんだけど] 遊びはとっくに卒業して、今では洋楽のロックと呼ばれる音楽を聴いている、と思っていたのだけれども。
第一、当のゴジラ (Godzilla)・シリーズが第15作の映画『メカゴジラの逆襲
(Terror Of Mechagodzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1975年制作] で終止符を打って、永きの冬眠期に入っていたのである。彼が復活するのは映画『ゴジラ
(The Return Of Godzilla )』 [橋本幸治 (Koji Hashimoto) 監督作品 1984年制作]、まだ、8年も後の話である。
だからぼく自身も彼とはとっくの昔におさらばしてしまったと思っていた。
そしてその結果、これまで己を育んだ世界とは異なるところへと向かったとばかり思っていたのだ。つまり、己自身の趣味嗜好に断絶があって、これまでと異なる別世界へと飛び込んだ、と思っていたのだけれども。
結局それは、お釈迦様 (Gautama Buddha) の掌の中を広大な世界だと信じて駆け回っていた孫悟空 (Sun Wu Kong) の様なものなのだった。
ぼくは変わっていないし、成長もしていない。そして、もしかしたら、これから先も,同じだろう。と、そんな気がしたのだ。
もちろん、それとは全く逆の想いもある。
ぼくは間違ってなんかいない。ぼくは正しいのだ、と。
しかし、それをいちいち説明する必要はあるだろうか!?
そして、それから数ヶ月後にブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) の新作『スペクターズ (Spectres)
』 [1977年発表] が発表されて、『ヤング・ジョッキー』でも紹介された。勿論、その収録曲である『ゴジラ (Godzilla)』もきちんと放送された。数ヶ月前のインタヴューの通り、ゴジラ銀座襲来 (Godzlla Attacked Ginza) を告げるアナウンスもきちんと収録されていた。楽曲を紹介した渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) 自身は、インタヴューの時の方が巧かった様だと笑っていたが。
これがぼくのブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) との出逢いである。
1967年にニュー・ヨーク (New York) で結成された彼らは、ロック史的にはみっつの点で重要である。
ひとつは、ブレインとして評論家のサンディ・パールマン (Sandy Pearlman) がイニシアティヴを発揮した点である事。バンド独自の世界観である、オカルト嗜好 (Occultism) やクトゥルフ神話 (Cthulhu Mythos) への傾倒は、彼がバンドにもたらしたものだ。バンドとの距離やその関わり方や度量や功罪は、それぞれ異なるのだけれども、MC5 (MC5) に対してのジョン・シンクレア (John Sinclair)、セックス・ピストルズ (Sex Pistols) に対してのマルコム・マクラレン (Malcolm Mclaren) と相通じるものがある。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) におけるアンディ・ウォーホル (Andy Warhol) やスティーリー・ダン (Steely Dan) におけるゲイリー・カッツ (Gary Katz) やマイルス・デイヴィス (Miles Davis) におけるテオ・マセロ (Teo Macero) も加えてたい欲求もふと沸き上がるけれども、音楽性が違いすぎるから割愛しよう。
ひとつは、ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) を標榜した最初のバンドである事。ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) という詞自体は、ステッペンウルフ (Steppenwolf) の『ワイルドで行こう (Born To Be Wild)』で初めて認められるものだけれども、その語句を自身のサウンド・プレゼンスとして引用したのは、彼らが初めてである。ジャンルとして定着した現在のヘヴィ・メタル (Heavy Metal) のイメージで、彼らの音楽に触れると違和感を感じるかも知れない。ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) が当初意図したものは、現在の音楽ジャンルのひとつとして認識されているものとはべつのものだ。サウンドではなくて、ひとつの美意識、ひとつの思想 [というと大仰になってしまうのだけれども] なのである。それを知りたければ、例えばスティーリー・ダン (Steely Dan) の由来となったスティーリー・ダン III ヨコハマ (Steely Dan III From Yokohama) が登場する『裸のランチ
(Naked Lunch
)』[ウィリアム・S・バロウズ (William S. Burroughs) 著 1959年発表] でも繙いてみるのがいいだろう。
ひとつはニュー・ヨーク (New York) 出身のバンドである事。音楽シーンの拠点としてニュー・ヨーク (New York) を注目させたのは、マルコム・マクラレン (Malcolm Mclaren) が仕掛けたニューヨーク・ドールズ (New York Dolls) を別にすれば、彼らやキッス (Kiss) があったからに他ならない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) はどうした??という問いもあるかもしれないが、商業的な意味でのニュー・ヨーク (New York)・シーンが育まれたのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) の存在によるのではない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) を源泉とする地下水脈はニューヨーク・パンク (New York Punk) という激流を喚起したが、それだって、ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) は無縁ではないのだ。彼らの第四作であるライヴ・アルバム『地獄の咆哮 (On Your Feet Or On Your Knees)
』 [1975年発表] では、パティ・スミス (Patti Smith) が咆哮しているのだ。そして、彼女の咆哮とともに、『ワイルドで行こう (Born To Be Wild)』のカヴァー演奏が始るのである。
つまり、以上のみっつの点は、脈絡がありすぎるくらいに大きな結節で繋がれているのである。
次回は「す」。
ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) の『ゴジラ (Godzilla)』登場以前には、久保田麻琴と夕焼け楽団 (Makoto Kubota & The Sunset Gang) の『サンセット・ギャング
』 [1973年発表] が、"ぼくのふたつ"を結びつける唯一のものだった。だが、何故、彼らが己のアートワークにゴジラ (Godzilla) を起用したのか、その理由は未だにわからない。ぼくが彼らを聴く様になったのは、女性ヴォーカリストのサンディー (Sandii) を起用してサンディー & ザ・サンセッツ (Sandii & The Sunsetz) と改名して以降のことなのだ。
その片言の日本語を喋ったのは、ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) のメンバーである。バンドの存在を知ったのが、このインタヴューを通じての事なので、メンバーの誰が取材に応じたのかは記憶はないのだけれども、多分、エリック・ブルーム (Eric Bloom) だろう。
ニュー・ヨーク (New York) 出身の彼らは、当時の最新作『タロットの呪い (Agents Of Fortune)
その放送では、ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) という奇妙なバンド名のネーミングの由来や[直訳すると"青牡蠣大好き"!?]、その前作の成果を受けて制作が開始された新作について語っていた。そして、その新作には『ゴジラ (Godzilla)』という曲が収録されている事。さらには、その中で映画『ゴジラ
それをお披露目したのが、先の片言の日本語だったのである。

"Rinji news o moshiagemasu!
Rinji news o moshiagemasu!
Godzilla ga ginza hoomen e mukatte imasu!
Daishkyu hinan shite kudasai!
Daishkyu hinan shite kudasai!"
この時の驚きと複雑な心境は、今でも、忘れられない。ゴジラ (Godzilla) を代表とする東宝特撮映画 (Toho Science Fiction Movie Series) が、海外でも上映されていて、それが一部に熱狂的なファンがいる事は、知識としては知っていた。
エリック・ブルーム (Eric Bloom) のインタヴューが放送された当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったキッス (Kiss) の、中でもジーン・シモンズ (Gene Simmons) が熱烈なフリークで、彼のヴィジュアルとパフォーマンスがその影響下にある事も知っていた。
記憶は定かではないのだけれども、エリック・ブルーム (Eric Bloom) のインタヴューが放送されたその数週間か前、『ヤング・ジョッキー』では、そのジーン・シモンズ (Gene Simmons) のインタヴューが放送されたのではなかったのか。そして、彼もまた片言の日本語で番組冒頭のナレーションを行ったと記憶している。「コンバンハ。やんぐ・じょっきーノじーん・しもんずデス」と。
とは言うものの、東宝特撮映画 (Toho Science Fiction Movie Series) の原点であり、場合によっては聖典でもある映画『ゴジラ
それがついこの間、席を並べたばかりの転校生であっても吃驚するが、台詞の暗誦を行ったのが、海外の有名ミュージシャンならば尚更だ。
封切られたばかりの映画の台詞ならば、誰も驚かない。既にもう当時、TV-CMで放送される新作映画の告知は、その映画の主要な台詞の抜粋ばかりだった。しかし、映画『ゴジラ
現在の様にヴィデオもDVDもない時代の事だ。何度も何度も映画館へ足を運んだりTVの深夜放送で観続けた結果なのか、オリジナルの脚本かもしくはそれに基づく研究書を手に入れたのか、それとも、フィルム本体を所有しているのか、いずれにしろ、そう容易く出来る作業ではないのだ。
それと同時に、これまでのぼくの半生 [と言っても当時のぼくは中学生だったのだけれども] を振り返らせるものでもあったのだ。
幼い頃から映画館に通って怪獣映画を観続けてきたぼくだけれども、もうそんな子供じみた [って実際子供なんだけど] 遊びはとっくに卒業して、今では洋楽のロックと呼ばれる音楽を聴いている、と思っていたのだけれども。
第一、当のゴジラ (Godzilla)・シリーズが第15作の映画『メカゴジラの逆襲
だからぼく自身も彼とはとっくの昔におさらばしてしまったと思っていた。
そしてその結果、これまで己を育んだ世界とは異なるところへと向かったとばかり思っていたのだ。つまり、己自身の趣味嗜好に断絶があって、これまでと異なる別世界へと飛び込んだ、と思っていたのだけれども。
結局それは、お釈迦様 (Gautama Buddha) の掌の中を広大な世界だと信じて駆け回っていた孫悟空 (Sun Wu Kong) の様なものなのだった。
ぼくは変わっていないし、成長もしていない。そして、もしかしたら、これから先も,同じだろう。と、そんな気がしたのだ。
もちろん、それとは全く逆の想いもある。
ぼくは間違ってなんかいない。ぼくは正しいのだ、と。
しかし、それをいちいち説明する必要はあるだろうか!?
そして、それから数ヶ月後にブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) の新作『スペクターズ (Spectres)
これがぼくのブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) との出逢いである。
1967年にニュー・ヨーク (New York) で結成された彼らは、ロック史的にはみっつの点で重要である。
ひとつは、ブレインとして評論家のサンディ・パールマン (Sandy Pearlman) がイニシアティヴを発揮した点である事。バンド独自の世界観である、オカルト嗜好 (Occultism) やクトゥルフ神話 (Cthulhu Mythos) への傾倒は、彼がバンドにもたらしたものだ。バンドとの距離やその関わり方や度量や功罪は、それぞれ異なるのだけれども、MC5 (MC5) に対してのジョン・シンクレア (John Sinclair)、セックス・ピストルズ (Sex Pistols) に対してのマルコム・マクラレン (Malcolm Mclaren) と相通じるものがある。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) におけるアンディ・ウォーホル (Andy Warhol) やスティーリー・ダン (Steely Dan) におけるゲイリー・カッツ (Gary Katz) やマイルス・デイヴィス (Miles Davis) におけるテオ・マセロ (Teo Macero) も加えてたい欲求もふと沸き上がるけれども、音楽性が違いすぎるから割愛しよう。
ひとつは、ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) を標榜した最初のバンドである事。ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) という詞自体は、ステッペンウルフ (Steppenwolf) の『ワイルドで行こう (Born To Be Wild)』で初めて認められるものだけれども、その語句を自身のサウンド・プレゼンスとして引用したのは、彼らが初めてである。ジャンルとして定着した現在のヘヴィ・メタル (Heavy Metal) のイメージで、彼らの音楽に触れると違和感を感じるかも知れない。ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) が当初意図したものは、現在の音楽ジャンルのひとつとして認識されているものとはべつのものだ。サウンドではなくて、ひとつの美意識、ひとつの思想 [というと大仰になってしまうのだけれども] なのである。それを知りたければ、例えばスティーリー・ダン (Steely Dan) の由来となったスティーリー・ダン III ヨコハマ (Steely Dan III From Yokohama) が登場する『裸のランチ
ひとつはニュー・ヨーク (New York) 出身のバンドである事。音楽シーンの拠点としてニュー・ヨーク (New York) を注目させたのは、マルコム・マクラレン (Malcolm Mclaren) が仕掛けたニューヨーク・ドールズ (New York Dolls) を別にすれば、彼らやキッス (Kiss) があったからに他ならない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) はどうした??という問いもあるかもしれないが、商業的な意味でのニュー・ヨーク (New York)・シーンが育まれたのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) の存在によるのではない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) を源泉とする地下水脈はニューヨーク・パンク (New York Punk) という激流を喚起したが、それだって、ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) は無縁ではないのだ。彼らの第四作であるライヴ・アルバム『地獄の咆哮 (On Your Feet Or On Your Knees)
つまり、以上のみっつの点は、脈絡がありすぎるくらいに大きな結節で繋がれているのである。
次回は「す」。
ブルー・オイスター・カルト (Blue Oyster Cult) の『ゴジラ (Godzilla)』登場以前には、久保田麻琴と夕焼け楽団 (Makoto Kubota & The Sunset Gang) の『サンセット・ギャング
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