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2011.03.08.21.44

ごむごむのみ

ワンピース (One Piece)』 [原作は尾田栄一郎 (Eiichiro Oda) マンガ版は週刊少年ジャンプ1997年より連載 アニメ版はフジテレビ系列で1999年より放映 映画版は ... まぁ各自適当に調べてくれたまえ] の主人公モンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) は、何故、ゴム人間 (A Rubberman) なのか。
それは、童謡『赤い鳥小鳥」 [作詞:北原白秋 (Hakushu Kitahara) 作曲:成田為三] で唄われている鳥達よろしく、ゴムゴムの実 (The Gum-Gum Fruit) を喰べたからである。

ぢゃあ、なんでまた一体、ゴムゴムの実 (The Gum-Gum Fruit) なんだろう? という事を、いつもの様に、ある事ない事書き連ねて、考えてみようという次第なのである。

と、いうのは、敵味方入り乱れて、人間離れした登場人物が次から次へと登場するからなのである。悪魔の実 ( A Devil Fruit : renamed Cursed Fruit) を喰べた能力者は勿論の事、常人 [能力者の反意語という意味で今、創った。物語中では別の言い方もあるかもしれないけど] ですら、高い戦闘能力と生命力を保持しているモノばかりが、この物語の世界を跋扈しているのだ。
だから、なにも、ゴム人間 (A Rubberman) を主人公に据える必要はないだろう、と思えてしまえる時もあるのだ。

例えば、彼の兄であるポートガス・D・エース (Portgas D. Ace) は、メラメラの実 (The Flame-Flame Fruit) を喰べた炎人間。ゴム人間 (A Rubberman) よりも遥かに主人公らしいし、炎の属性を備えたスーパー・ヒーローを主人公に据えた物語なんぞは、いくらでも類型がある様な気がする。それに、己の所属する白ひげ海賊団 (The Whitebeard Pirates) から離れて独り旅する兄の姿は、得体の知れない [!?] 仲間達と徒党を組んで蔓んでいる弟よりも、遥かに主人公らしいあり様ではないだろうか。

そのモンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) の、その兄とは別に、彼の仲間である麦わらの一味 (The Straw Hat Pirates) 達はそれぞれが、物語の主人公たりえる大きなドラマと大きなカルマや大きなトラウマと大きな野望を抱えている。だから、モンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) の物語からちょっと視点をずらせば、いくつもの変奏が誕生しても不思議ではないのだ。
個人的には、精神的な弱さと幼さを克服しさえ出来れば、トニートニー・チョッパー (Tony Tony Chopper) が、麦わらの一味 (The Straw Hat Pirates) 最強の戦士になり得るとも思っているから、彼が主役というのは充分にあり得るのだ。また、能力者でもない上に、武術や体術にも習熟していないナミ (Nami) やウソップ (Usopp) を主人公に据えた物語であっても、この作品の魅力は決して半減しないだろう。
とやこう、わざわざ書き連ねなくても、この物語のファンはそれぞれの視点でそれぞれのキャラクターからの視点を設けて観た、それぞれ独自の物語を育んでいるのだ、とは思うのだけれども。

だからこそ、何故、麦わら帽を被ったゴム人間 (A Rubberman) を、尾田栄一郎 (Eiichiro Oda) は主人公に据えたのか? と常に思えるのだ。

勿論、尾田栄一郎 (Eiichiro Oda) には、ゴームズことミスター・ファンタスティック (Mr.Fantastic) [『宇宙忍者ゴームズ』 [NET系で1969年に放映] こと『ファンタスティック・フォー (The Fantastic Four)』 [コミック版は1961年よりマーベル・コミック (Marvel Comic) で連載 映画版は ... まぁ各自適当に調べてくれたまえ] や『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [藤子不二雄 (A) (Fujiko Fujio (A)) 作 マンガ版は1965少年画報にて連載 アニメ版は1968TBS系列で放映 実写リメイク版は ... まぁ各自適当に調べてくれたまえ] へのオマージュやらリスペクトもあるだろう。

例えば、『宇宙忍者ゴームズ』 [NET系で1969年に放映] こと『ファンタスティック・フォー (The Fantastic Four)』 [コミック版は1961年よりマーベル・コミック (Marvel Comic) で連載 映画版は ... まぁ各自適当に調べてくれたまえ] という視点から観れば、ゴームズことミスター・ファンタスティック (Mr.Fantastic) のチームの一員、ファイヤーボーイことヒューマン・トーチ (The Human Torch) は、同じくメンバーのスージーことインヴィジブル・ウーマン (The Invisible Woman) の弟なのである。そう、つまり、モンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) とポートガス・D・エース (Portgas D. Ace) が兄弟であるという設定は、ここからの発想なのかもしれない。

少なくとも外形的には、別名「ゴムの帯の幾何 (Rubber-band Geometry)」とも呼ばれるトポロジー (Topology) の視点で観れば、モンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) と怪物太郎 (Tarou Kaibutsu) のフォルムは、全く同じものとして語れるのだ。半ズボンや帽子は言うまでもなく、モンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) の眼の下の傷と怪物太郎 (Tarou Kaibutsu) の頬の三本線までもが。
そして、麦わらの一味 (The Straw Hat Pirates) の船員と怪物太郎 (Tarou Kaibutsu) に付き従って来た従者たちも、同じくトポロジー (Topology) の論理展開で語れるのに違いなく、それはもう既にどこかで誰かがやっているのではないだろうか。

あぁ、オマージュやらリスペクトという意味ならば、ツクダオリジナル伸縮自在 驚異の肉体 ミスターXも作者の念頭にあったかもしれない。

ひとつ思えるのは、少なくとも物語の発端では、ゴム人間 (A Rubberman) であると言う事は、その攻撃力よりも防御力の方に重きを置いた結果ではないか、という事だ。
徒手空拳の少年が独り、己の身体よりも大きな野望を持って大海原へと旅立つ、そんな彼にひとつ作者が与えられるものがあるとすれば、それはなにか。
それは打たれ強さではないだろうか。
精神的な面は勿論、肉体的な面でも"折れない"。
そのシンボルが、ゴム独自の弾性なのではないだろうか。

と、結論づけたいのはやまやまだけれども、モンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) 自身は、ゴム人間 (A Rubberman) である特性を、防御力よりも強い攻撃力の方に発揮させている。
ゴムゴムの銃とかゴムゴムのバズーカとか ね。

むしろ、作品タイトルでもある『ワンピース(ひとつなぎの財宝)』の象徴と考える方がいいのではないだろうか。物語の中で、様々な形で描かれる、仲間とか絆とか友情とか [嗚呼、週刊少年ジャンプだなぁ]。
それらが決して切れたりしないで、いつまでもどこまでも差し伸ばされているという象徴としての、ゴム人間 (A Rubberman) であるモンキー・D・ルフィ (Monkey D. Luffy) の、掌なのではないかと。

次回は「」。

images
ゴムゴムの実 (The Gum-Gum Fruit) の、納得のいく画像をついぞ発見出来出来なかったので、今回掲載するのは、現実にあるパラゴムノキとその実 (Rubber Tree / Hevea brasiliensis) [from "Kohler's Medizinal-Pflanzen / Kohler's Medicinal Plants" by Franz Eugen Kohler]。
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