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2011.03.01.21.32

ころんぶすのたまご

ふと思い立って「コロンブスの卵」を検索してみる。どんな検索エンジンでアクセスしてもいいのだけれども、いずれにしたって、こういう場合は ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) での掲載を捜してみるのが、ぼくのいつもだ。
と、思ってGoogle 日本で「コロンブスの卵」と検索をしてみると、いつもの様にずらずらと文字情報が並んでいるが、当面の捜索物件である「コロンブスの卵 - Wikipedia」がない。
ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) 上では、その語句は「クリストファー・コロンブス - Wikipedia」の一項目でしかないのであった。

まぁ、それはよい。とりあえずその項目「コロンブスの卵」にアクセスすると、なんとまぁ、短い叙述しかない。
その言葉を産み出した挿話の紹介と言葉本来の意味、そしてその言葉の"本当の"出自が記載されているのみなのである。

こういう場合はこれまでの経験上、多々あるので、別の方法を考えてみる事にする。

クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus) という海外の人物、しかも歴史上の大人物の名が冠されている以上、その原語もしくは彼の母語をあたるべきなのだろう。と、思いながら、先程の「コロンブスの卵」の検索結果が顕われているGoogle 日本の頁を眺めていると、次の様な一文が目に入った。

日本人がよく耳にする『コロンブスの卵」(Columbus's Egg』は、 欧米人にとってはあまり耳慣れない言葉らしい。

早速、その一文が書かれたサイトの頁『*「コロンブスの卵」について』を読んでみると、ふむふむと得心がつくものもあれば、腑に落ちないところもある。前者はともかく置いとくとしても、後者に関して言えば、"Columbus's Egg"という英語 (English Language) 表現のみの論述に終始している点だ。

クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus) と言えば、出身地とされているのはイタリア (Repubblica Italiana) のジェノヴァ (Genova / Zena)、彼の大航海に出資したのはスペイン (Reino de Espana) のイサベル1世 (Isabel I de Castilla)、そして、先の ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) で言葉の"本当の"出自を発表しているのはヴォルテール (Voltaire) とされている。ヴォルテール (Voltaire) がフランス人 (Franceais) であるのは言うまでもない。
つまり、「項目「コロンブスの卵」」の原語に関しては、少なくとも英語 (English Language) の他に、イタリア語 (Lingua italiana)、スペイン語 (Idioma espanol)、フランス語 (Franceais) の可能性があると推理出来る。

途中を端折る。

はそれぞれの言語では次の様な表記になる。
Egg [英語 (English Language)]
Uovo [イタリア語 (Lingua italiana)]
Huevo [スペイン語 (Idioma espanol)]
Oeuf [フランス語 (Franceais)]

そして『コロンブスの卵』は、以下の様な表記になるのだ。
Egg of Columbus [英語 (English Language)]
Uovo di Colombo [イタリア語 (Lingua italiana)]
Huevo de Colon [スペイン語 (Idioma espanol)]
Oeuf de Colomb [フランス語 (Franceais)]

さらに、大事な点は、それぞれの言語における『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』は、各言語版でのウィキペディア (wikipedia)では、独立した項目として扱われている点だ。
と、なると、先にみた『*「コロンブスの卵」について』の叙述から受ける印象と若干の隔たりを感じなくもない。

だけれども、それをもってどうこうする必要はないし、すべきではない。

先ず、そのサイトで調べられた"大冊の英米辞書"と各言語版でのウィキペディア (wikipedia)の編集方針の違いという点は、考えなければならない。
しかし、それ以上に、ぼく自身が『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』の各言語での受容の歴史を語る知識も資格もないのだ。ここでは事実のみを指摘して、口をつぐんでいるべきだろう。
これ以上声高に語りたいのであるならば、少なくともぼく自身が、上記の四言語で書かれた『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』のウィキペディア (wikipedia)を読破する必要はあるのだ。
と偉そうに論じてみても、勿論、そんな語学能力はぼくにはないのである。
だから、ここでは沈黙するにしくはない。

これ以上、この件を追求するのならば、恐らくは、学際的には、比較言語学 (Comparative Linguistics) とか比較文化学 (Comparative Cultural Studies) あたりの課題になるのではないだろうか。その辺りの研究者のきちんとした論を読んでみたい気もするが、だからと言って、今、すぐここにその現物がある訳ではないのだ。

images
上に掲載しているのは、ウィリアム・ホーガス (William Hogarth) による『コロンブスの卵 (Columbus Breaking The Egg / Colombo con l'uovo e gli elementi serpentini. di hogarth william / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb)』。各言語で『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』の解説への挿画として、もしくはウィリアム・ホーガス (William Hogarth) の代表作として紹介されている。

とりあえず、『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』のこの四言語が使われている国々で、今現在、どの様に扱われているのかは、置いとくとしても、 ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) での扱いの小ささには、もう一度、驚いてもいいだろう。

と、いうのも、『*「コロンブスの卵」について』で書かれている事を裏付ける様に、ぼく自身がこの言葉を知った時期が、小学校低学年だったからである。

夏休みのある日だったと思う。親か誰かに買ってもらった児童向けの伝記集『いじんのはなし』 [著者・出版社ともに不明です] に、それが登場したのだ。一挿話として登場したばかりではない。そのシーンが表紙のイラストとして描かれていたのである。
ヨーロッパ中世期の様な扮装の男女が、たった独りの若い男性を除き、驚きの顔をもって卓上のある一点を凝視している。そこには一個の卵が直立しているのだ。そしてその驚きの中に一人、若い男性は、周囲の顔々を眺めながらにこやかに誇らしげな笑みを浮かべている。
『いじんのはなし』 [著者・出版社ともに不明です] 自体は、世界各国の偉人のエピソード集で、彼らの若き日 [というか少年少女時代] が主に綴られていた。
宮沢賢治 (Kenji Myazawa)ジャン=フランソワ・ミレー (Jean-Francois Millet)、キュリー夫人 (Marie Curie)、牛若丸 (Minamoto no Yoshitsune)、...、その中の一人としてクリストファー・コロンブス (Christopher Columbus) も採り上げられていたのだ。
彼らの中から何故、クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus) を表紙にしたのかという疑問はさておき、彼の"新大陸発見 (Discovering America)"時やその道程 (The Voyage Of Columbus) の航海時のイラストではなくて、『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』のシーンを表紙に持って来たという点が、興味深い。
つまり、この『いじんのはなし』 [著者・出版社ともに不明です] の筆者もしくは編集者は、彼らがなにをなしたかではなくて、なした彼らの原動力や発想や、彼らを育んだ幼少時の環境やそこでの体験を主眼に置いているのである。

現時点で、 ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) の扱いの小ささを説明しようと試みてみると、以下の様になるのではないか。

『いじんのはなし』 [著者・出版社ともに不明です] で紹介されている様なかたちで『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』という語句に出逢った人々が、その後の経験とそこで得た知識や情報で、この言葉に失望したからではないか。
曰く「実話ではない」曰く「別人のエピソードだ」曰く「しかもそれがそのまま剽窃されている」
それと同時に、クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus) が行った"新大陸発見 (Discovering America)"という歴史的事件の評価も様変わりしていくし、その一方で彼が行ったとされる"卵を立てる"という行為の意味も様変わりする。
それよりもなによりも、『コロンブスの卵 (Egg of Columbus / Uovo di Colombo / Huevo de Colon / Oeuf de Colomb )』で謳われた発想方法をついぞ実際に試みる機会は、顕われなかった。そんな己自身への失望もあるのかもしれない。

そんなルサンチマン (Ressentiment) が、 ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) 上での扱いの小ささに繋がっているのではないか。

そんな気もしているのです。

次回は「」。

p.s.:上で「"卵を立てる"という行為の意味も様変わりする」と記した、その様変わりするあり様は、いつかどこかでこの続きとして書いてみるつもりだ。語義的な意味だけを追跡して行く過程の中で、面白い事象にいくつか出逢ったのだ。
勿論、あの大々的な『コロンブスの卵』の実験 (Tesla's Egg Of Columbus) にも。
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