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2011.01.25.18.45

なるきっそす

あなたは初めて鏡を観たその時を憶えているだろうか。そこに己の世界がそのまま映し出される不思議、こちらの動きを完膚無きままに捉えて再現する神秘を。

ぼくは、初めて鏡というモノを体験した事を、いまでもしっかりと憶えている。
と、書くと、某文豪有名な小説の件の悪しきパロディにしかならないのだけれども、鏡の体験とそこで囚われた奇妙な感覚は今でも憶えているのだ。
あぁ、その記憶が、初体験に因るモノなのかは、随分と怪し気なんだけれどもね。

当時のぼく達は、四畳半一間に、父と母と三歳年下の弟、そして、ぼくの四人で暮していた。否、そうではない。もしかしたら弟が産まれる前の出来事で、親子三人が文字通りの川の字で寝暮していた頃の事かもしれない。
いずれにしろ、狭い一室に、僅かばかりの家具とその上にはちいさなポータブルのラジオ [TVはまだない] 、柱には螺子回し式の振り子時計があって、食卓といえばこれもまたちいさなちゃぶ台
そして、狭い部屋の一隅に母の為の専用のスペースがあった。鏡台だ。

その鏡台は今にして思えば、随分と古びていてこじんまりとしたものなのだけれども、当時のぼくにはひたすら巨きなものに感じられた。鏡台の殆どを占める鏡の部分は、いつもは赤茶けたカヴァーがかけてあって観る事は出来ない。その代わりに、その下の部分を占める、いくつかの抽出は自由気侭に開閉が出来た。
幼いぼくにとっては、他の家具の抽出は巨きく重く、その上に手の届かない高い位置にある。だから、その鏡台に設けられた幾つかの抽出は、ぼくが唯一、想うがままに操れる抽出だった。

その抽出でナニをするかというと、たわいもない行為だ。
例えば、抽出を一段一段、開け放って、中に入っているモノを確認する。
その中に入っているモノは不思議な動きをするものが多い。円筒形の底の部分を廻せば、その上にかぶさった蓋を押しのけて紅いべとべとした円柱が顔をのぞかせる [ややこしい表現をしたけど、それは口紅の事だ] 。
例えば、その抽出は二層に別れていて、しかも、上の抽出が小さく浅い一方で、下の抽出はそれとは逆に大きく厚かった。だから、大きく引き出した下層をえいっとしまおうとすれば、その上層が空気圧によって勢いよく飛び出して来る。
そんな様な事をしていた。

だから、抽出に飽きれば、その次の段階に進むのが当然で、それがぼくの場合、鏡だった。

赤茶けたカヴァーをなんとか外して、その鏡面を覗き込んで観る。
そこには不思議そうな顔した幼児の顔が映り込んでいて、ぼくが怪訝な顔をしたら彼も怪訝な顔をする。口を大きく開ければ、彼も口を開ける。そんな事を繰り返しているうちに、彼の顔こそがぼくの顔なんだなと理解に及ぶ。
それとも、その前に彼の顔に掌をあてようとしたら、彼もぼくめがけて掌を翳したんぢゃあないだろうか。

その辺は記憶が曖昧だ。

どうして、もしくは、どうやって。ぼくがそこに映り込んでいるのか、という疑念よりも、べつの疑惑の方が先に立って仕様がない。
己が自覚する皮膚の蠢き、己の指先が触れる顔の部署、それをひとつひとつ確認するのに、追われていたからだ。
発話してみる。「あ」とか「お」とか。「い」とか「え」とか。そして次第に意味を成すであろう単語のひとつひとつを。その度に、口許がどんな動きをするのか、顎がどんな動きをするのか、そんな事ばかりが気になって仕方ない。
そのうちに、今度は眼が気になって仕方がない。鏡の中の彼は常にぼくを見据えているからだ。ぼくが他所を凝視めている時も、彼はぼくを凝視めているだろうか。
しかし、その実証は常に失敗する。ぼくが他所を凝視めている間は、ぼく自身が彼を凝視める事が出来ないからだ。

もしも、この時点でそのまま鏡の魅力に魅入っていたら、ギリシア神話 (Greek Mythology) のナルキッソス (Narcissus) の様に、鏡の魔力に囚われていたのかもしれない。

しかし、そうはならなかった。そんな事に耽っていたら、二親のいずれかに観咎められて、鏡台の前から引き離されていただろう。なにせ母の大事な場所だ。
それ以前にそもそも、ギリシア神話 (Greek Mythology) の世界がそのまま、20世紀半ば過ぎの日本 (Japan In 1960s) で通用する訳がない。
今に腹も空くだろうし、いずれ鏡台に飽きただろう。

ただ、その前にぼくはもう一枚の鏡を発見したのだ。抽出の中にあった一枚の手鏡だ。その鏡を使って、しばらくはこれまで観る事の出来なかったモノを観ようとしていた。口吻の中は観えないだろうか。歯は生えて来ているのだろうか。鏡台の巨きな鏡とこの手鏡の間にモノを置いたら、ナニが観えるだろう。もしかしたら、今まで観る事の出来なかったぼくの後ろ姿も観えるかもしれない。

そうやって、すこしづつすこしづつ、鏡台から離れていった。
ふと観れば、ちっぽけな窓から日光が射し込んでいた。そこに手鏡を置くと、薄暗い天井の一角にちいさな陽射しが射した。

次回は「」。

images
掲載画像は、デュアン・マイケルズ (Duane Michals) の『ハイゼンベルク博士の不確定性原理に基づくマジック・ミラー (Dr. Heisenberg’s Magic Mirror of Uncertainty)』。彼には、そのものずばりの『ナルキッソス (Narcissus)』という作品もあるのだけれども、諸般の事情でこちらにしました [ご興味のある方はこちらをどうぞ]。
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