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2007.06.16.23.10

試論:映画『羅生門』をリメイク出来るのか?(最終部)

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云うべき事は殆ど、前回で言い尽くしていて、ここから先は蛇足蛇足大百足の様なものです。

また、今回もここにこれまでの論考を列挙しておくので、お閑な方は、そちらも参照願います。


試論:映画『羅生門』をリメイク出来るのか? 第一部
試論:映画『羅生門』をリメイク出来るのか? 第二部
試論:映画『羅生門』をリメイク出来るのか? 第三部
試論:映画『羅生門』をリメイク出来るのか? 第四部
試論:映画『羅生門』をリメイク出来るのか? 第五部



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前回、何の気無しに、"例えば、ここに「罪」と「罰」の物語性を加えてもよいのではないか?"なんて書いてしまったから、ラスコーリニコフ物語の様なリメイク案をひねり出すべきだろうけれども、それはそれで、凄まじい労力と時間を必要とする作業になるのだから、ここでは、その可能性だけを示唆して行方知れずになってしまおうと思う。
つまりは、映画『羅生門Rashomon)』での「薮の中」で激突した三人各々にも、「羅生門」でその謎を語り尽した三人各々にも"「罪」と「罰」の物語性"を発見出来るという事。前回呈示した「杣売を主人公としたリメイク案」は、そのお粗末な回答のひとつでしかありません。



と、云う訳で、映画『羅生門Rashomon)』のリメイク案のもうひとつの?可能性を示唆して、この長ったらしい拙文に幕引きをしたいと思います。

●作家の苦悩を導入した作品。
芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)のふたつの"原作"の成立年代をもう一度みてみる。『羅生門』が1915年で、『薮の中』が1922年。ちなみに前者は芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)にとっての処女作であり、後者の発表の5年後の1927年、自ら命を絶っている。前者を発表した後まもなく夏目漱石Natsume Soseki)の門下に入って、小説『』を師に絶賛される等、作家としての絶頂にあり、後者では神経衰弱やそれに伴う?胃病、腸カタル等を発病する。
否、因縁話をここでしようと言うのではない。
初期の作品『羅生門』や『』や『芋粥』は、非常に知的に構成されて、小説としてみれば、硬質な結晶体の様な純度を保っている。逆にみれば、作品の中に芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)という個人の存在、作家の主観的な言説は感じられない(それだからこそ、この作家は凄まじいのだけれども)。その一方で、晩年になるに従って、物語の構築性は崩れると同時に、芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)という作家の向こうにいる主体が自己主張しはじめる。例えば厭世的な『河童』や悪夢的な描写だけが延々と続く『歯車』。この様な作風の変遷の結節点にちょうど『薮の中』という小説が位置しているのだ。
薮の中』という小説をもう一度観てみると、各々の証言者の"主観に満ちた”もしくは"主観のみの"証言を、客観的に並記しているだけである。しかも、その主観の証言を、構築する手際には、作家芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)ならでは「編集」の鋭さがある。ここに、もしかしたら芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)という小説家自身の結節点があるのかもしれない、つまりはそういうことだ。
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中世から近世にかけて文学として成立したモノから、現代の日本にあい通じるテーマを発見する、もしくは、その逆に、現代日本のあるモノを明瞭に描写する為の借景としてかつての時代のモノを利用する、これがかつての芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)の手法だとしたら、もう少し、己ののっぴきならない状況に押し出される様に、イヤイヤをしながらも、作風が変わって行く。芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)が遺書に遺した「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」というものの正体を、もしかしたら、かいま観る事が出来るかも知れない。作家自身が好むと好まざるとに関わらず、この『薮の中』以降、物語を構築する事をあえて放棄する方向に作家が指向したと解釈する事も出来なくはないのだ。
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だからこそ、ここで、その指向の変転をもたらしたものはなんだったのだろうか?と問うてみては如何だろう?
もしかすると、映画『バートン・フィンクBarton Fink)』[コーエン兄弟The Coen Brothers)監督作品]や映画『裸のランチNaked Lunch )』[デビッド・クローネンバーグDavid Cronenberg)監督作品]の様に、作家が作品を産み出す苦闘や悪夢的な感興をテーマとした、映画『羅生門Rashomon)』の可能性も、あるのではないだろうか?
「羅生門」の説話の中に「薮の中」の説話を投じたのが、黒澤明(Akira Kurosawa)の映画『羅生門Rashomon)』であるとしたら、それをさらに芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)が説話から小説を紡ぎ出す物語を反映させて、「説話」と「小説」と「映画」を廻る「物語」にしてみせる、そんな離れ業めいた作品が誕生してもいいんぢゃないんだろうか?
と、ほくそ笑んでみたりしているのです。



この拙い論考を書くきっかけを与えてくれた『不知火検校』の丸義さんに感謝します。ありがとうございました。


ものづくし(click in the world!)55.:羅生門<参考資料>



映画『羅生門』
 DVD / 作品解説/criyique / IMDb / Trailer / Sound Tracks
小説『羅生門』 文庫 / on web / 解説
小説『薮の中』 文庫 / on web / 解説
今昔物語『羅城門登上層見死人盗人語(羅城門に登り死人を見る盗人の話)
 文庫 / 現代語訳 on web / 原文 on web
今昔物語『具妻行丹波国男於大江山被縛(妻と伴い丹波の国へ行く男が大江山で縛られる話)
 今昔物語集 全4冊セット―岩波文庫 / 現代語訳 on web / 原文 on web
映画『生きる』
 DVD
/ IMDb / 解説 / trailer

映画『ゴジラ』
 DVD / IMDb / 解説 / trailer
映画『七人の侍』
 DVD / IMDb / 解説 / trailer / Sound Tracks

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羅生門

羅生門羅生門*羅生門(らせいもん、らしょうもん)は、平安京の大門羅城門の後世の当て字。羅城門は近代まで羅生門と表記されることが多かった。*羅生門(らしょうもん)は、観世信光作の謡曲。羅生門に巣くう鬼と戦った渡辺綱の武勇伝を謡曲化したもの。

2007.07.25.12.35 |from ゆうなのblog

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