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2010.12.21.18.57

にじおとこ

映画『天国と地獄 (High And Low)』 [黒澤明 (Akira Kurosawa) 監督作品 1963年制作] には、次の様なシーンがある。

街全体を見おろす丘の上にある権藤金吾(Kingo Gondo) [演:三船敏郎 (Toshiro Mifune )] 邸から観える,一本の煙突から、突如として紅い煙が上る。
それを発見した捜査陣は、色めき立つ。
何故ならば、この煙こそ、戸倉警部 (Chief Detective Tokura) [演:仲代達矢 (Tatsuya Nakadai)] 等が待ち望んでいたものだったからだ。身代金 (Ransom) 強奪犯が奪った鞄、身代金 (Ransom) が収められていたふたつの鞄に仕掛けてあった罠が起動したのだ。鞄を燃やせば紅い煙を発煙する。そんな秘密の仕掛けが施してあったのだ。
つまり。
あの紅い煙の下に、犯人がいる!

映画は、この紅い煙の登場によって、視点が見事に切り替わる。これまで、誘拐 (Kidnapping) 犯が如何に身代金 (Ransom) を手際よくせしめ得るのかという物語から、その犯人を如何に追いつめて行けるのかという物語へと [この作品に関しては、以前にこちらでも紹介しています]。

ところで、この映画、モノクロ作品にも関わらず、この紅い煙だけに、マスキング合成 (Masking) して、紅く着色してあるのだ。

なぜ、どうして、という疑問も沸くが、それ以上に、公開当時、このシーンの映像がどの様に、観客に観えたのだろうか。

今回の記事は、そういうところからアプローチしてみます。

現在の視点で観れば、紅い筈の煙をモノクロームの画面で、どうやって実際に紅く観せれば良いのか、その試行錯誤の苦渋の選択だったんぢゃあないんだろうか、と思えてしまう。
と、いうのも、ぼく達が黒澤明 (Akira Kurosawa) 作品ならではの、全編にみなぎるリアリズムに圧倒されているからに他ならない。モノクロの映像作品なのだから、総てモノクロの世界で表現してしまうのではないのか、表現出来てしまうのではないか、と勘ぐってしまうからなのだ。
そして実際に、黒澤明 (Akira Kurosawa) 作品の映像美は、黒と白の世界であるにも関わらず、様々な彩りに満ちたもの、豊穣な光と影の世界を魅せてくれているのだ。

にも関わらずに、実際に紅く着色した紅い煙を観せてしまう。

そこで考えてみる。

もしかしたら、モノクロの映像美を巨きなスクリーンで堪能していた当時の人々には、もっと、違うものが観えてしまったのかもしれない。
そして、勿論、黒澤明 (Akira Kurosawa) も、それを狙って、物語のリアリズムを破綻させてまで [と、解釈するのは現在のぼく達の視点だけれども] 紅く着色された煙を呈示したのかもしれない。

そんな推測をするのには、理由がある。
江戸川乱歩 (Rampo Edogawa) の少年探偵団シリーズの一冊『仮面の恐怖王』 [雑誌『少年1959年連載] のあるシーンの描写だ。

その映画館では『黄金仮面』 [原作の小説版は雑誌『キング19301931年連載] が上映されていた。
黄金仮面の跳梁と跋扈、そして名探偵明智小五郎 (Kogoro Akechi) との対決、さらにはその悲劇的な幕切れ。かつて実際に帝都東京を恐怖のどん底に貶めたその物語が映画化されていたのである。勿論、当時の事だから、その映画はモノクロ作品だった。
にも、関わらずにその時、上映されていたスクリーンには、モノクロの画面に大きく映し出された黄金仮面の唇から一筋、紅い鮮血が溢れ出たのだ。
その瞬間。映画館内は騒然として、悲鳴や怒号に満ち溢れた。

このシーン、すなわち混乱する映画館の描写でもって、戦後から再興なった首都東京に黄金仮面の復活が華々しくも告げられるのだ。
しかも、この時の描写が、実に生々しく、そして、美しいのだ。江戸川乱歩 (Rampo Edogawa) ならではの筆致が冴えに冴え渡り、この小説の白眉といっても良い。

と、同時に、モノクロの世界に浸って、そこで演じられている物語に没入していると、突然の着色は、ぼく達の想像以上に、当時の観客達にとっては、刺激的でショッキングでセンセーショナルなものかもしれない、と思えてしまう。

しかし、そんなにもの凄い効果なのだろうか、とも訝ってしまう。
天国と地獄 (High And Low)』 [黒澤明 (Akira Kurosawa) 監督作品 1963年制作] が公開された当時、カラー映画作品とモノクロ映画作品の公開比率というか、どれだけの人々がカラー映画に親しんでいたのか、どれだけの人々がモノクロ映画に魅入っていたのか、という様な資料は、ないのだけれども。
少なくとも、着色された映像は『天国と地獄 (High And Low)』 [黒澤明 (Akira Kurosawa) 監督作品 1963年制作] が初めてではない事だけは指摘出来る。一応、書いておくとハリウッド大作映画の殆どはカラー作品だったし、国内映画でさえも最初の長編カラー映画は『カルメン故郷に帰る (Carmen Comes Home)』 [木下惠介 (Keisuke Kinoshita) 監督作品 1951年制作] だ。

と、言う事は、むしろ、カラーかモノクロかという問題ではなくて、画面のサイズの問題なのだろうか。
それとも、人々の生活における映画[という娯楽] の比重の大きさの問題なのだろうか。
と、なると、映像表現云々という枠を越えて、映画という文化そのものにも肉迫しなければ、解読出来ないテーマとなってしまう [3D映像 (3D Movie) の可能性とその限界というシュミレーションも出来るかもしれない]。

いずれにしろ、そんな映像のマジックそのものを主軸として創られたのが、映画『虹男 (Nijiotoko aka The Rainbow Man)』 [牛原虚彦 (Kiyohiko Ushihara) 監督作品1949年制作] だ [下に掲載するのが、番宣用のスティール写真だ]。
ある一族を襲う謎の連続死を描く、モノクロームのサスペンス・ドラマに突如として七色の虹が、濁流の如くスクリーンに躍るのである。

大映 (Daiei Motion Picture Company) の特撮 / 幻想映画を総覧した『ガメラ画報:大映秘蔵映画五十五年の歩み』では、ガメラ・シリーズ (Gamera Series) や大魔神シリーズ (Daimajin Trilogy)、お盆興行の怪談映画 / 怪猫映画の嚆矢として位置づけられている作品である。
と、同時に、円谷 / 東宝 (Tsuburaya / Toho) の変身人間シリーズ (Toho's "Mutant" Trilogy) や同じく円谷プロ (Tsuburaya Production) の『怪奇大作戦』、天地茂扮する明智小五郎 (Kogoro Akechi) で御馴染みの『江戸川乱歩の美女シリーズ』 {テレビ朝日系列 19771994年放映] の源流なのかもしれない。

images
呪われた一族、摩耶家に謎の男、虹男が顕われてひとりずつ殺戮してゆく。彼に遭遇するモノは皆、「虹だ!虹男だ!」という不可解なメッセージを遺して死んで逝く。

原作は、推理小説というジャンルでは江戸川乱歩 (Rampo Edogawa) と同時代に活躍した、角田喜久雄同名小説『虹男』
事前に書き上げられた小説版を映画化したものなのか、映画用の脚本を新たに小説へと書き下ろされたものなのかは、ちょっと調べきれなかった。いずれにしろ、原作小説は永きに渡り絶版の憂き目にあっていて、入手困難なものとなっている様だ。

しかも、肝心の映像作品に置いても、現在では、オリジナルのフィルムが散逸してしまった結果、当時の関係者の証言に基づいて再編集したヴァージョンしか遺っていないと言う。だから、現在、観る事が出来る作品が、その総てを顕わしているかというと疑問符をつけなければならないし、それ以上に、現在の映像の奔流に慣れ親しんでいるモノの視点で見れば、この映画で描かれる虹男の恐怖は、理解し難いだろう。
でも、『天国と地獄 (High And Low)』 [黒澤明 (Akira Kurosawa) 監督作品 1963年制作] の紅い煙や『仮面の恐怖王』 [雑誌『少年1959年連載] での黄金仮面からの類推からすれば、当時の映像表現の水準でいえば、相当な恐怖演出だったのかもしれないとも、空想を逞しくしてしまうのだ。
そしてそれと同時に、現在の映像表現と映像技術でもって、この作品をリメイク出来るのかと問えば、それもまた難しいだろうなぁとも、思えてしまう。
と、いうのは虹男は、虹男を観る事が出来るモノの眼前にしか、顕われないのだ [と、禅問答の様な物謂いをしてしまうのは、それを語る事が物語の核心に触れる事になるからだ。想像力を逞しくして、この映像作品そのものに触れてもらいたい]。

ところで、この映画を創った大映 (Daiei Motion Picture Company) は、その約20年後、新たな虹の恐怖を魅せるのだ。
それは、漆黒の闇の中に、天駆ける七色の虹。それはあらゆるモノを破壊し尽くす、殺人虹だ。

映画『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン (Gamera vs. Barugon)』 [田中重雄監督作品 1966年制作] で、その美しさを確認するといい。
川内康範原作の『愛の戦士 レインボーマン (Rainbowman)』 [マンガ版は小島利明作画で週刊少年マガジン連載 TV版はNET : 現テレビ朝日系列。19721973年にそれぞれ連載 / 放映] は残念ながら、無関係だ。

次回は『』。
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