2010.12.07.19.04
1976年に発表された"童謡"『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] は、その前年の『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] に続く、"童謡"の大ベストセラーとなった。
『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] がフジテレビ系列の『ひらけ! ポンキッキ』から誕生した曲である様に、『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] もまた、NHK『みんなのうた』で放送されて世に出た。
『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] の化け物の様なセールス [450万枚以上] はともかくとしても、『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] も累計150万枚以上という数字を誇っている。
これは、"童謡"というジャンルにおいては破格のもので、"童謡"を主たる音楽として愛聴する購買層以外の層も巻き込んだ上での売上げだ [と、まだるっこしい言い方をしてみたけれども、要は、”童謡”とは縁も所縁もないオトナ達が聴いた / 買ったという事だ]。
日本の音楽業界は十年に一度くらいの割合で、ひょんなところからこんな大ヒットを産み出してしまうのだけれども、その分析は今日はやらない。
興味のある方は、『おもちゃのチャチャチャ』 [作詞:野坂昭如 補作詞:吉岡治 作曲:越部信義] とか『だんご三兄弟』 [作詞:佐藤雅彦 作曲:内野真澄・堀江由朗] とかをお聴き下さい。
何故、オトナ達がこんな"童謡"に購買欲をそそられたのか、というのは発売当時、随分、いろいろなところで意見が交わされた様だ。
その証拠に当時、ぼく達の担任が授業中に、嬉々として『およげ! たいやきくん』論を語っていた記憶がある。
いいか、みんな。あれは子供向けの歌なんかぢゃあない。脱サラ
の歌なんだ、と。
そうかぁ、脱サラ
かぁ。ところで、昨日オープンした角のタイヤキ屋の鯛焼、尻尾にあんこは詰まっているかなぁ....、と、まぁ、ぼく達のリアクションはこの程度だったけども。
『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] が脱サラの歌なのかどうかはともかく。
昨日オープンした角のタイヤキ屋のあんこの具合はともかく。
やっぱり『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] のヒットの理由は、議論されたに違いない。
当時、大人気の子役だった斎藤こず恵が唄っていたからだとか。山口ツトム君という具体的な人称が歌詞中に登場するからだとか。山口ツトム君の言動に一喜一憂するユミちゃん [彼女の名はそのアンサーソング『ユミちゃんの引越し』 [作詞作曲:みなみらんぼう] で判明] のほのかな愛情が愛おしいからだとか。
まぁ、挙げてゆくとキリがない。
でも、それらは一理あると同時に、実は違うのだ。
当時、レコード会社各社から発売された競作盤の中の一作で、斎藤こず恵は歌唱しているものの、NHK『みんなのうた』での歌唱は彼女ではない。そこでは川橋啓史 [当時NHK東京児童合唱団所属] が唄っているのだ。
斎藤こず恵が唄って話題となったのは、その前年に放送された連続テレビ小説『鳩子の海』での「日本よ日本、愛する日本、緑の日本、青い海 / 日本よ日本 わしらがお国 / まだ 守れるぞ 時間はあるぞ / ドドンがドン!」だ。
と、ひとつひとつ反証を挙げてゆく事も出来るが、煩わしい。
大体、歌の主題自体は、当時全盛だった四畳半フォークを子供の世界に持ち込んだ様なものなのだ。だからこそ流行ったとも言えるし、冷静に考えれば作者みなみらんぼう自身の出自が、その四畳半フォークと言えなくもない。それは自然なものだし当然の帰結とも言える [蛇足で補足しておくと、マーケティング (Marketing) の帰結として、四畳半フォークを模した作歌であって、それが大ヒットしたのだったら、やってらんないんだけども]。
ここに書かれている様に、この歌が作者の実体験から産まれたものだからこその、リアリティが共感を産んだかもしれない。
いや、それ以前に、実体験云々以上にそこで唄われている、ユミちゃんの山口ツトム君への視線と、山口ツトム君から彼の母への視線、このふたつのいじましさがオトナ達に受け入れられた、と言えるのかもしれない。
でも、違うのだ。
オトナ達はそんなヴィジョンでこの曲を聴いていたのかもしれないが、当の子供達はきっと違う。
ユミちゃんの放つ一言「つまんないナ」。
これがこの曲の総てである。
当時のぼく達はホントに「つまんないナ」だったのだ。学校や家庭やテレビやマンガやなんやかや、その局面局面では眼を輝かし、こころときめかし、時には涙する事はあっても、その基底のどこかに「つまんないナ」が横たわっていた。そんな記憶がある。
厭きているのか、追われているのか、逃げているのか、流されているのか。眼前で繰り広げられているモノゴトに即座に反応したり対応したりしながらも、どこかでそこにはいない己自身があって、醒めた目線でそれらを観ているのだ。
後になってその視線は、不安 (Anxiety) とか虚無 (Nihilism) とか疎外 (Entfremdung) とか鬱 (Melancholie) とか呼ばれるモノだと教えられるが、当時はそんな言葉も知らないし、知っていたとしてもそれが「つまんないナ」の正体だとは気づかなかったろう。
ただ、ぼく達が知っていた事は、「つまんないナ」は喜怒哀楽というストレートな感情表現とは別のところに向かった内心だと言う事だ。
嬉しいけど「つまんないナ」。腹が立つけど「つまんないナ」。悲しいけど「つまんないナ」。愉しいけど「つまんないナ」。
当時は、そんなぼく達の事をオトナ達はシラケ世代とも三無主義とも呼んでいたし、後々には、もっと別の名称で呼ばれるのだけれども。

上記画像は、バズコックス (Buzzcocks) が1977年に発表した4曲入りEP『スパイラル・スクラッチ (Spiral Scratch EP)』。彼らの初期の代表曲『ボアダム (Boredom)』が収録されている。終始、『退屈だ退屈だ (Boredom - Boredom) 』と叫ぶ、ただそれだけの歌だけれども、パンク・ムーヴメントを支えた初期衝動を描いた、代表的な一曲だ。
次回は『な』。
『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] がフジテレビ系列の『ひらけ! ポンキッキ』から誕生した曲である様に、『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] もまた、NHK『みんなのうた』で放送されて世に出た。
『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] の化け物の様なセールス [450万枚以上] はともかくとしても、『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] も累計150万枚以上という数字を誇っている。
これは、"童謡"というジャンルにおいては破格のもので、"童謡"を主たる音楽として愛聴する購買層以外の層も巻き込んだ上での売上げだ [と、まだるっこしい言い方をしてみたけれども、要は、”童謡”とは縁も所縁もないオトナ達が聴いた / 買ったという事だ]。
日本の音楽業界は十年に一度くらいの割合で、ひょんなところからこんな大ヒットを産み出してしまうのだけれども、その分析は今日はやらない。
興味のある方は、『おもちゃのチャチャチャ』 [作詞:野坂昭如 補作詞:吉岡治 作曲:越部信義] とか『だんご三兄弟』 [作詞:佐藤雅彦 作曲:内野真澄・堀江由朗] とかをお聴き下さい。
何故、オトナ達がこんな"童謡"に購買欲をそそられたのか、というのは発売当時、随分、いろいろなところで意見が交わされた様だ。
その証拠に当時、ぼく達の担任が授業中に、嬉々として『およげ! たいやきくん』論を語っていた記憶がある。
いいか、みんな。あれは子供向けの歌なんかぢゃあない。脱サラ
そうかぁ、脱サラ
『およげ! たいやきくん』 [作詞:高田ひろお 作・編曲:佐瀬寿一] が脱サラの歌なのかどうかはともかく。
昨日オープンした角のタイヤキ屋のあんこの具合はともかく。
やっぱり『山口さんちのツトム君』 [作詞作曲:みなみらんぼう] のヒットの理由は、議論されたに違いない。
当時、大人気の子役だった斎藤こず恵が唄っていたからだとか。山口ツトム君という具体的な人称が歌詞中に登場するからだとか。山口ツトム君の言動に一喜一憂するユミちゃん [彼女の名はそのアンサーソング『ユミちゃんの引越し』 [作詞作曲:みなみらんぼう] で判明] のほのかな愛情が愛おしいからだとか。
まぁ、挙げてゆくとキリがない。
でも、それらは一理あると同時に、実は違うのだ。
当時、レコード会社各社から発売された競作盤の中の一作で、斎藤こず恵は歌唱しているものの、NHK『みんなのうた』での歌唱は彼女ではない。そこでは川橋啓史 [当時NHK東京児童合唱団所属] が唄っているのだ。
斎藤こず恵が唄って話題となったのは、その前年に放送された連続テレビ小説『鳩子の海』での「日本よ日本、愛する日本、緑の日本、青い海 / 日本よ日本 わしらがお国 / まだ 守れるぞ 時間はあるぞ / ドドンがドン!」だ。
と、ひとつひとつ反証を挙げてゆく事も出来るが、煩わしい。
大体、歌の主題自体は、当時全盛だった四畳半フォークを子供の世界に持ち込んだ様なものなのだ。だからこそ流行ったとも言えるし、冷静に考えれば作者みなみらんぼう自身の出自が、その四畳半フォークと言えなくもない。それは自然なものだし当然の帰結とも言える [蛇足で補足しておくと、マーケティング (Marketing) の帰結として、四畳半フォークを模した作歌であって、それが大ヒットしたのだったら、やってらんないんだけども]。
ここに書かれている様に、この歌が作者の実体験から産まれたものだからこその、リアリティが共感を産んだかもしれない。
いや、それ以前に、実体験云々以上にそこで唄われている、ユミちゃんの山口ツトム君への視線と、山口ツトム君から彼の母への視線、このふたつのいじましさがオトナ達に受け入れられた、と言えるのかもしれない。
でも、違うのだ。
オトナ達はそんなヴィジョンでこの曲を聴いていたのかもしれないが、当の子供達はきっと違う。
ユミちゃんの放つ一言「つまんないナ」。
これがこの曲の総てである。
当時のぼく達はホントに「つまんないナ」だったのだ。学校や家庭やテレビやマンガやなんやかや、その局面局面では眼を輝かし、こころときめかし、時には涙する事はあっても、その基底のどこかに「つまんないナ」が横たわっていた。そんな記憶がある。
厭きているのか、追われているのか、逃げているのか、流されているのか。眼前で繰り広げられているモノゴトに即座に反応したり対応したりしながらも、どこかでそこにはいない己自身があって、醒めた目線でそれらを観ているのだ。
後になってその視線は、不安 (Anxiety) とか虚無 (Nihilism) とか疎外 (Entfremdung) とか鬱 (Melancholie) とか呼ばれるモノだと教えられるが、当時はそんな言葉も知らないし、知っていたとしてもそれが「つまんないナ」の正体だとは気づかなかったろう。
ただ、ぼく達が知っていた事は、「つまんないナ」は喜怒哀楽というストレートな感情表現とは別のところに向かった内心だと言う事だ。
嬉しいけど「つまんないナ」。腹が立つけど「つまんないナ」。悲しいけど「つまんないナ」。愉しいけど「つまんないナ」。
当時は、そんなぼく達の事をオトナ達はシラケ世代とも三無主義とも呼んでいたし、後々には、もっと別の名称で呼ばれるのだけれども。

上記画像は、バズコックス (Buzzcocks) が1977年に発表した4曲入りEP『スパイラル・スクラッチ (Spiral Scratch EP)』。彼らの初期の代表曲『ボアダム (Boredom)』が収録されている。終始、『退屈だ退屈だ (Boredom - Boredom) 』と叫ぶ、ただそれだけの歌だけれども、パンク・ムーヴメントを支えた初期衝動を描いた、代表的な一曲だ。
次回は『な』。
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