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2010.11.23.19.52

こんふゅーじょんうぃるびぃまいえぴたふ

擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』とは、キング・クリムゾン (King Crimson) のデヴュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿 (In The Court Of The Crimson King)』 [1969年発表] に収録された楽曲『エピタフ [墓碑銘] 理由なき行進 明日又明日 [Epitaph including March For No Reason and Tomorrow And Tomorrow』に登場する一節である。

1970年代のロックを知らないモノが観れば、仰々しくて物々しい、物騒な、しかしソレと同時に非常に甘美な美辞麗句が舞い踊っている様に観えてしまうかもしれないが、そういうモノが当たり前だった時代 [もしくは当たり前にならざるをえない時代] だったのである。
澁澤龍彦 (Tatsuhiko Shibusawa) や日夏耿之介 (Hinatsu Konosuke) や蓮實重彦 (Shigehiko Hasumi) の様に、特異な文体を弄する作家の作品の様に、一見様お断りの様な、目眩に陥るかの様な独特の話法の様なものである。慣れ親しんでしまえば、逆に、彼らの語法を無視して己自身の文体を構築する事は不可能となってしまう。まるで阿片窟の住人が阿片なしで活きられない様に、澁澤龍彦 (Tatsuhiko Shibusawa) や日夏耿之介 (Hinatsu Konosuke) や蓮實重彦 (Shigehiko Hasumi) のバッタもんの様な文章を、手ずから弄してしまうのだ。

という木乃伊取りが木乃伊になってしまったかの様な饒舌はこの辺にしておいて、本題へ入ろうと思う [っていうか、上の比喩的な言い回しって比喩として成立していない様な気がする]。

ぼくが、このフレーズを知った [と言う事はこの曲を知ってこの曲を演奏したバンドの存在を知ると同時にこの曲が収められたアルバムを知っったという事なのだが] のは、1977年頃だと思う。
バンドは、その頃何度目かの解散状態にあった。

その数年前に発表されたアルバム『レッド (Red)』 [1974年発表] が、当時の彼らの最終作で、そのラスト・ナンバー『スターレス (Starless)』には、次の様なフレーズが登場する。
スターレス・アンド・バイブル・ブラック(Starless And Bible Black)』。この一節をどういう風に日本語で再構築すればいいのかは悩むところだけれども、ヒントはある。
元々は、ディラン・トマス (Dylan Thomas) の詩劇『アンダー・ミルク・ウッド (Under Milk Wood)』に登場する言葉だ。
そしてそれ以前に、バンドの前作のタイトルが『暗黒の世界 (Starless & Bible Black)』 [1974年発表] であり、同名のインストゥルメンタル・ナンバー『暗黒の世界 (Starless And Bible Black)』も存在している。
個人的には、『擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』で始ったバンドの物語が『スターレス・アンド・バイブル・ブラック(Starless And Bible Black)』で幕引かれたと解釈出来る様な気がするが、どうなんだろう。
沈鬱な墓碑銘を手ずから書きあげた人物が、最終的に到達する意思のありどころ、という訳だ。

バンドとしてのアイデンティティは、結成時から現在までの唯一のオリジナル・メンバーである、ロバート・フィリップ (Robert Fripp) にある。
だから、『擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』と『スターレス・アンド・バイブル・ブラック(Starless And Bible Black)』は相似形を成して、互いにあい呼応する調べと解釈するのには、それ程には無理はない。

ただ気になるのは、前者の言葉を紡いだ作詞者と、後者の言葉を放った作詞者が別人である、という事だ。この作詞者が交代した時期が、バンドにとっての第一回目の解散時期に当たる。そして、バンドを知るモノにとっては自明の事だけれども、この第一回の解散によって、ロバート・フィリップ (Robert Fripp) を除く、他の総てのメンバーも一新されて、その音楽性も大胆な変革を遂げたのだ。

その端境期にあるのが『アイランズ (Islands)』 [1971年発表] という作品だ。
擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』と記した作詞者ピート・シンフィールド (Pete Sinfield) が関わった、最期のキング・クリムゾン (King Crimson) 作品である。この作品で描かれる繊細で穏やかな世界観に触れると、先に語られた語彙から生じるモノとは、全く違った印象をも抱いてしまう。
この作品でキング・クリムゾン (King Crimson) というバンドが完全な終焉を迎えたとしたら、と想像してみるといい。
擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』と嘆かずにはいられなかった詩人が、表題曲『アイランズ (Islands)』において『風が波を孕み とこしえの平安へと至る おおぞらの海の下 島々が連なるのだ (Beneath the wind turned wave / Infinite peace / Islands join hands / 'Neathe heaven's sea.)』と絶海の孤島で独り遊ぶその姿を。
己の墓碑銘 (Epitaph) とは全く異なった静謐で豊穣な世界に迎え入れられているのだ。
涅槃 (Nirvana)? そうかもしれない。
このバンドの長い歴史と多くの作品の中で、この作品だけが異彩を放っているのだから。

と、言う様に『擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』を発端としていくらでも、己のヴィジョンを拡大出来てしまう訳だけれども、それは、この言葉を収めた楽曲『エピタフ [墓碑銘] 理由なき行進 明日又明日 [Epitaph including March For No Reason and Tomorrow And Tomorrow』が、様々な方向へと大きく振幅しているからに違いない。
誇大妄想的でもあるし、美意識過剰でもあるし、それと同時に、自閉的でもある。聴くモノのこころの揺れ幅を赴く方向へと大きく逸脱させて、その中へと埋没出来るのだ。逆に言えば、こころにその芽がなければ、あまりに情緒的で自己憐憫で、トゥー・マッチなモノでもある。


だからなのだろうか。何故だか、日本人アーティストの、しかも歌謡曲と呼ばれるジャンルのシンガーがこの曲をこぞってカヴァーしている。ザ・ピーナッツ (The Peanuts) や西城秀樹 (Hideki Saijo)、フォーリーブス (Four Leaves) のカヴァーを、Youtubeで発見出来る [上記掲載画像は、ザ・ピーナッツ (The Peanuts) による『エピタフ』、アルバム『IT'S TOO LATE~ザ・ピーナッツ・オン・ステージ』 [1972年発表] で入手可能だ。その他はこちらこちらでお聴き下さい]。

ところで、先に記した様にぼくがこの言葉を知ったのは1977年。そのぼくから観れば、この言葉は当時セックス・ピストルズ (Sex Pistols) が放った『ノー・フューチャー・フォー・ユー (No Future For You)』や『プリティ・ヴェイカント (Pretty Vacant)』と違いはなかった [いずれも『勝手にしやがれ!! (Never Mind The Bollocks Here's The Sex Pistols)』 [1977年発表] で聴く事が出来る]。それぞれの言葉の底にあるネガティヴィティの表出は、全く同じモノなのだ。
違いがあるとすれば、その言葉を裏付ける物語が必要なのか否かという事。
擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』から、物語性を除いてしまえば、単なる演歌にも艶歌にも怨歌にさえも、なり得ない。エマーソン・レイク・アンド・パーマー (Emerson, Lake & Palmer) のライヴ盤『レディース・アンド・ジェントルメン (Welcome Back My Friends To The Show That Never Ends - Ladies And Gentlemen)』 [1974年発表] の中でのメドレー『戦場~エピタフ (Battlefield including Epitaph)』で聴く事の出来る、このフレーズの陳腐さに辟易するのはぼくだけではないだろう [一応補足しておくけど、このバンドのメンバーであるグレッグ・レイク (Greg Lake) こそが当時のキング・クリムゾン (King Crimson) において『擾乱こそ我が墓碑銘 (Confusion will be my epitaph.)』と歌唱した当のリード・ヴォーカリストなのだ]。

勿論、『ノー・フューチャー・フォー・ユー (No Future For You)』や『プリティ・ヴェイカント (Pretty Vacant)』も絶対の存在ではない。常套句にもなるし、いずれは陳腐となる。メッセージとしての有効性は次第に色あせてしまう [実際に色あせてしまった]。
それは、この言葉以降に登場した多くのバンドやアーティストによって放たれた幾つもの言葉を捜せば、解るだろう。ここでそれらを列挙してもいいけれども、どうせ陰々滅々となるに決まっているから、採り上げる気力は、今のぼくにはない。
あえてひとつだけ記せば、『ネヴァーマインド (Nevermind)』 [1991年発表] に収録されたニルヴァーナ (Nirvana) の『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット (Smells Like Teen Spirit)』で聴く事の出来る、言葉にもならないうめき声の様な『ハロー・ハウロー (Heello, How Low?)』で、充分だろう。
物語も喪失して意味さえも喪ってしまったかの様な、虚ろなメッセージだ。

次回は「」。
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