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2007.09.24.19.28

ふがくさんじゅうろっけいかながわおきなみうら

葛飾北斎(Katsushika Hokusai)の代表作のひとつ、『富嶽三十六景(36 Views of Mount Fuji)』シリーズの中でも、最も有名な作品のひとつ、それがこの『神奈川沖浪裏The Great Wave at Kanagawa)』です。

江戸時代Edo period)に流行った庶民信仰の富士山信仰Another Mt.Fuji in Tokyo)を受けて、葛飾北斎(Katsushika Hokusai)が放ったのが、富士山(Mt.Fuji)を様々なシチュエーションで様々なトリミングから観てやろうという連作ですが、さすがは葛飾北斎(Katsushika Hokusai)とも言うべきは、信仰の対象たる霊峰富士を描写するのではなくて、当時の風俗や生活を斬り取る、そのエクスキューズとして富士山(Mt.Fuji)を"利用"しているところ。
製造途中の大樽から覗かせてくれたり[尾州不二見原Bishu Fujimigahara)]、 湖面に映り込む異なる季節の逆さ富士を魅せてくれたり[甲州三坂水面Koshu Misaka suimen)]、紅く燃え上がる様な赤富士Red Mt.Fuji)を魅せてくれたり[凱風快晴Mount Fuji in Clear Weather aka Red Fuji)]と、ありとあらゆる趣向で楽しませてくれる。

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そして、この『神奈川沖浪裏The Great Wave at Kanagawa)』では、大嵐に翻弄される舟々の遥か彼方に、まるで、大浪に呑み込まれ様とするかの如く富士山(Mt.Fuji)を、ちいさな藻屑の様に描いている。

と、ここまで書いて来てアレだけれども、ここで僕は葛飾北斎(Katsushika Hokusai)という希代の"映像作家"について語るつもりも、『富嶽三十六景(36 Views of Mount Fuji)』の美学論を行うつもりもありません。あしからず。そおゆうモノをお望みの方は、申し訳ない、ここここここここを観て下さいね?

実は、この作品を初めて体験した事をここに書いておきたいのです。否、正確に言えば、それ以前に、百科事典かなんかで観ているかもしれないのだけれども、この作品を通じて体験したある事を記しておきたいのです。

それは、僕が幼かった頃に連れて行ってもらったある水族館での事です。その水族館は、ある大学研究機関かなんかの付属水族館として、当時、最新鋭の設備を備えて建設されたばかりのものでした。それ以前は、水族館と言えば、日曜日まるまる一日を費やしてやっと行き還り出来る様な、遠くにありました(新しいその水族館は、自家用車で30分もかかりません)。その代わりに、その遠く離れた水族館では、イルカDolphin)やアシカSea Lion)のショーやパフォーマンスがあって、夏の暑い盛りに行けば、照りつける陽光とそれに呼応するかの様な、蒼い水の迸りを楽しめる様な、明るい光に満ちている場所でした。

ところが、その時連れて行ってもらったその水族館はちょっと、勝手が違ったのです。
館内に入場してしばらく進むと、突然、大きな部屋に出ました。当時通っていた小学校の体育館くらいの広さのあるスペースに、高さも、これもやっぱり体育館の屋根をぶち抜いたくらいの高さがありました。その中に、大きなおおきな水槽があったのです。体育館くらいの広さのスペースを殆ど独占して、体育館の屋根をぶち抜いたくらいの高さにある天上まで聳える、大きなおおきな水槽がありました。
その大きなおおきな水槽の中を、数限り無い種類の、ありとあらゆる魚々が、ゆったりと回遊していたのでした。まるで、海の底に横たわって、海上を仰ぎ観る様な視点でした。
しかも、水族館ならばどこでもそうですが、水中内を見学 / 観察しやすい様に、館内の照明は極力落とされています。人々のいる場所は暗く、その一方で、魚々の世界は、光に満ちているのです。
勿論、その大きなおおきな水槽のあるスペースも暗く、しかも、そのスペースの大部分を大きなおおきな水槽が占めているわけですから、水自身が放つ、不思議な透明感のある光が暗い館内を仄かに輝やかせています。

そして、その水槽の対面にある大きなおおきな壁一面には、『神奈川沖浪裏The Great Wave at Kanagawa)』が、仄かな水の輝きの中に、描かれて、ありました。

その時の、恐怖感にも似た感慨は、今でもよく憶えています。その場に、あの作品を掲げた製作者の意図は推し量りかねるけれども、海上で荒れ狂っている大浪と、眼前を悠々と回遊する魚々との間で、僕自身のちっぽけさやさびしさを強く感じた様です。
それ以来、休日の適当なタイミングや、小学校の学外授業とかで、その後、何度も脚を運んだけれども、それ以来、大きなおおきな水槽のあるそのスペースでは、極力、己の背後で逆巻いている筈の、大浪を極力、観ない様にしていました。
さかまく荒浪に己の乗っている小舟が翻弄されて、その挙げ句に、大浪に呑み込まれ、今、己が観ている水槽の中と寸分違わない、深い深い海底に引き込まれてしまうのではないか、そんな空想をしていたのでしょうか...。

次回は「」。
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