2010.10.26.18.44
ガキとは本来、六道輪廻 (Desire Realm) のうちのひとつ、餓鬼道 (Preta Realm) から産まれた概念であって、それはそのまま12世紀 (12th. Century) に成立した『餓鬼草紙 (Gaki Zoshi [Scroll Of Hungry Ghosts])』でヴィジュアライズ化されている。
やせ細った手脚、濁った眼孔に飢えて大きくあいた口腔、そして異様に膨らんだ腹部。
ガキとは、その様なものである。
しかし、いつの頃からか、幼少の子供の事をガキと言い習わす様になる。『Yahoo! 翻訳』で"ガキ"や"餓鬼"を翻訳させてみたら、そのまま"kid"と出た。
その理由は、彼らのどん欲な食欲にある様だが、いずれにしろ、10歳に満たない児童の蔑称として、定着しているのである。
...と、書き進めようと思った矢先に、その例証を頭に思い浮かべようとしても、意外と、相応しいものはない。少なくとも、オフィシャルな場ではあまり聴かれない様な気がする [オフィシャルな場ってなんだと、ここでは突っ込まない様に]。
勿論、ダウンタウン (Downtown) の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (Downtown no Gaki no Tsukai ya Arahende!!)』や餓鬼レンジャーやラーメンガキ大将といった言葉は思い浮かぶと言えば浮かぶ。しかし、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (Downtown no Gaki no Tsukai ya Arahende!!)』の番組スタートは1989年だし、餓鬼レンジャーの結成も1994年だ。ラーメンガキ大将の創業年は解らないけれども [ってことで会社概要を調べたら会社設立は平成元年でした]。
もしかして、この20世紀末 (End Of Century) を期して、ガキという蔑称は死語になったのだろうか。
否、死語ではないかもしれないけれども最近の報道を観るにつけ、教育の現場で、一方の当事者がもう一方の当事者をガキ呼ばわりしたら、忽ち、問題視されかねない様な雰囲気も濃厚だ。
以前、こちらでちばてつや (Chiba Tetsuya)のそのものズバリのタイトル作品『餓鬼』について触れたけれども、この作品が発表された1970年には、もうひとつの決定的な作品が産まれている。
谷岡ヤスジの『ヤスジのメッタメタガキ道講座
』である。
そして、この『餓鬼』と『ヤスジのメッタメタガキ道講座
』二作品と同じくして、言葉の真の意味でのガキ、餓鬼道 (Preta Realm) や『餓鬼草紙 (Gaki Zoshi [Scroll Of Hungry Ghosts])』そのままの世界を描いた作品も発表されている。それは、ジョージ秋山 (George Akiyama) の『アシュラ
』だ。
この暗合を、どの様に解釈したらいいのだろう。この三作品の間に振幅するモノが、当時のガキという理念だったのだろうか。
勿論、この三作品が世に顕われる前から藤子不二雄 (Fujiko Fujio) は、土管の並んだ空地の支配者であるガキ大将を登場させて来たし、1968年には本宮ひろ志は、そこからオトナ世界に挑むガキ大将=戸川万吉を『男一匹ガキ大将
』という作品に誕生させていた。
でも、そんなにもマンガという表現の中で、ガキが戯れれば戯れる程、その当時、実際にガキと呼ばれるべきぼく達は、ガキだったのかというと、とても心許ないのである。
藤子不二雄 (Fujiko Fujio) 等が描く、子供達の永遠の解放地だった土管の並んだ空地は次第に喪われ、そこの絶対的な統治者である筈のガキ大将も次第に姿を消して行ったからだ。
あえて書けば、藤子不二雄 (Fujiko Fujio) と並ぶ、トキワ荘出身のギャグ・マンガの巨匠、赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 作品を観てみると、その過程はさらに濃厚だ。本来ならば、タイトル・ロールである筈の『天才バカボン
(The Genius Bakabon)』のバカボン (Bakabon) も『もーれつア太郎
』のア太郎 (A-taro) も、次第に主役の座を奪われてゆく。前者で言えば、彼の父親とその奇妙な友人達が織り成すシュールなナンセンスが演じられ、後者を観れば、主人公の棲む街角に潜む奇妙な動物達の破壊的なギャグの応酬が見て取れる。
当初の設定であった、落語の与太郎的な惚けた物語も、親を喪った少年の細うで繁盛記も、どこかへ逝ってしまったのである。
オトナ達がガキ化した世界と、擬人化された動物達がガキ化した世界が広がって行くのである。しかも、そのどちらにも、本来ならばガキである筈の世代は、介入しえないのだ。
そして、テレビ・アニメ化された藤子不二雄 (Fujiko Fujio) 作品や赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 作品等に登場するガキとガキ大将を観るその前後で、放送されていた報道番組やドキュメンタリー番組を観ると、尚更に、その想いが募っていたのだ。
ぼく達と同世代でありながらも、ぼく達とは全く異なった生を営んでいた少年や少女がいつも、映し出されていたからだ。
戦禍に曝される子供達、飢餓や病疫に悩まされる子供達、...、そんな"特別な環境"の少年少女達でなくとも、発展する経済と政治の波に呑込まれながらも、己の親と同様、否、それ以上に労働に勤めている子供達の姿は、いつも観る事が出来た。
なかでも、番組挿入歌として起用してダニエル・ブーン (Daniel Boone) の『ビューティフル・サンデー (Beautiful Sunday)』と言う大ヒットを誕生させた『おはよう720』を、登校直前に観ていたぼくは、朝ののほほ~んとは別の空気の、そんな少年少女の棲む世界を垣間観せられていた。
確か、キャスターの五木田武信や見城美枝子辺りが、ブラウン管の中の彼らを、彼らは"ちいさなオトナ"とも"子供の顔をしたオトナ"と、呼んでいたと思う。
彼らは例え、現地のオトナ達からガキ呼ばわりされようとも、彼らの言動を報道するキャスター達は、彼らに敬意を払って、そう呼んでいたのだ。

『ジプシー・チルドレン (Gypsy Children Kissing)』 by アンドレ・ケルテス (Andre Kertesz)
今でも、テレビにスイッチを入れれば、剛田武や磯野カツオや野原しんのすけは、ぼく達の前に姿を顕わしてくれるのだけれども、決して、彼らは現実とは陸続きの地平にいない。
どこかノスタルジックで、どこかメルヘンチックだ。
もしかしたら今の子供達、本来ならばガキと蔑称される筈の彼らは、ぼく達が『水戸黄門』や『大岡越前』を観ていた様なまなざしで、剛田武や磯野カツオや野原しんのすけを観ているのかも知れない。
次回は「き」。
やせ細った手脚、濁った眼孔に飢えて大きくあいた口腔、そして異様に膨らんだ腹部。
ガキとは、その様なものである。
しかし、いつの頃からか、幼少の子供の事をガキと言い習わす様になる。『Yahoo! 翻訳』で"ガキ"や"餓鬼"を翻訳させてみたら、そのまま"kid"と出た。
その理由は、彼らのどん欲な食欲にある様だが、いずれにしろ、10歳に満たない児童の蔑称として、定着しているのである。
...と、書き進めようと思った矢先に、その例証を頭に思い浮かべようとしても、意外と、相応しいものはない。少なくとも、オフィシャルな場ではあまり聴かれない様な気がする [オフィシャルな場ってなんだと、ここでは突っ込まない様に]。
勿論、ダウンタウン (Downtown) の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (Downtown no Gaki no Tsukai ya Arahende!!)』や餓鬼レンジャーやラーメンガキ大将といった言葉は思い浮かぶと言えば浮かぶ。しかし、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (Downtown no Gaki no Tsukai ya Arahende!!)』の番組スタートは1989年だし、餓鬼レンジャーの結成も1994年だ。ラーメンガキ大将の創業年は解らないけれども [ってことで会社概要を調べたら会社設立は平成元年でした]。
もしかして、この20世紀末 (End Of Century) を期して、ガキという蔑称は死語になったのだろうか。
否、死語ではないかもしれないけれども最近の報道を観るにつけ、教育の現場で、一方の当事者がもう一方の当事者をガキ呼ばわりしたら、忽ち、問題視されかねない様な雰囲気も濃厚だ。
以前、こちらでちばてつや (Chiba Tetsuya)のそのものズバリのタイトル作品『餓鬼』について触れたけれども、この作品が発表された1970年には、もうひとつの決定的な作品が産まれている。
谷岡ヤスジの『ヤスジのメッタメタガキ道講座
そして、この『餓鬼』と『ヤスジのメッタメタガキ道講座
この暗合を、どの様に解釈したらいいのだろう。この三作品の間に振幅するモノが、当時のガキという理念だったのだろうか。
勿論、この三作品が世に顕われる前から藤子不二雄 (Fujiko Fujio) は、土管の並んだ空地の支配者であるガキ大将を登場させて来たし、1968年には本宮ひろ志は、そこからオトナ世界に挑むガキ大将=戸川万吉を『男一匹ガキ大将
でも、そんなにもマンガという表現の中で、ガキが戯れれば戯れる程、その当時、実際にガキと呼ばれるべきぼく達は、ガキだったのかというと、とても心許ないのである。
藤子不二雄 (Fujiko Fujio) 等が描く、子供達の永遠の解放地だった土管の並んだ空地は次第に喪われ、そこの絶対的な統治者である筈のガキ大将も次第に姿を消して行ったからだ。
あえて書けば、藤子不二雄 (Fujiko Fujio) と並ぶ、トキワ荘出身のギャグ・マンガの巨匠、赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 作品を観てみると、その過程はさらに濃厚だ。本来ならば、タイトル・ロールである筈の『天才バカボン
当初の設定であった、落語の与太郎的な惚けた物語も、親を喪った少年の細うで繁盛記も、どこかへ逝ってしまったのである。
オトナ達がガキ化した世界と、擬人化された動物達がガキ化した世界が広がって行くのである。しかも、そのどちらにも、本来ならばガキである筈の世代は、介入しえないのだ。
そして、テレビ・アニメ化された藤子不二雄 (Fujiko Fujio) 作品や赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 作品等に登場するガキとガキ大将を観るその前後で、放送されていた報道番組やドキュメンタリー番組を観ると、尚更に、その想いが募っていたのだ。
ぼく達と同世代でありながらも、ぼく達とは全く異なった生を営んでいた少年や少女がいつも、映し出されていたからだ。
戦禍に曝される子供達、飢餓や病疫に悩まされる子供達、...、そんな"特別な環境"の少年少女達でなくとも、発展する経済と政治の波に呑込まれながらも、己の親と同様、否、それ以上に労働に勤めている子供達の姿は、いつも観る事が出来た。
なかでも、番組挿入歌として起用してダニエル・ブーン (Daniel Boone) の『ビューティフル・サンデー (Beautiful Sunday)』と言う大ヒットを誕生させた『おはよう720』を、登校直前に観ていたぼくは、朝ののほほ~んとは別の空気の、そんな少年少女の棲む世界を垣間観せられていた。
確か、キャスターの五木田武信や見城美枝子辺りが、ブラウン管の中の彼らを、彼らは"ちいさなオトナ"とも"子供の顔をしたオトナ"と、呼んでいたと思う。
彼らは例え、現地のオトナ達からガキ呼ばわりされようとも、彼らの言動を報道するキャスター達は、彼らに敬意を払って、そう呼んでいたのだ。

『ジプシー・チルドレン (Gypsy Children Kissing)』 by アンドレ・ケルテス (Andre Kertesz)
今でも、テレビにスイッチを入れれば、剛田武や磯野カツオや野原しんのすけは、ぼく達の前に姿を顕わしてくれるのだけれども、決して、彼らは現実とは陸続きの地平にいない。
どこかノスタルジックで、どこかメルヘンチックだ。
もしかしたら今の子供達、本来ならばガキと蔑称される筈の彼らは、ぼく達が『水戸黄門』や『大岡越前』を観ていた様なまなざしで、剛田武や磯野カツオや野原しんのすけを観ているのかも知れない。
次回は「き」。
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