2010.10.19.18.59
横浜美術館 (Yokohama Museum Of Art) ではこの秋、『ドガ展』が開催されて、エドガー・ドガ (Edgar Degas) の名作『踊りの花形 / エトワールまたは舞台の踊り子 (L 'etoile ou La danseuse sur la scene)』が初来日し、連日賑わいをみせていると言うが、今回はそれとはあまり関係ない。
エドガー・ドガ (Edgar Degas) の小品の二枚のパステル画 (Pastel Drawing) が、物語全体を牽引して行く、TVドラマ『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
』について書く事にする。
1971年制作の『刑事コロンボ (Columbo)』シリーズの一篇で、ぼく個人はこのドラマをリアルタイムで観て、エドガー・ドガ (Edgar Degas) と言う画家の存在を印象づけられた。
そして、言うまでもなく、シリーズ屈指の名品とされている作品である。
『刑事コロンボ (Columbo)』シリーズをご存知の方々にはあえて言うまでもないが、犯人は最初から判明している。
犯人が犯す犯罪の一部始終は物語冒頭にきちんと描写されて、犯人が己の罪状とその犯跡を巧妙に隠していく過程も充分に描かれている。
そして、このシリーズの舞台はロサンゼルス (Los Angeles) 。そして、犯人は、その地で功を成し財を得た、社会的な地位のある人物、まぁ、ありっていに言えば、セレブである。
そのセレブが、己の地位も名誉も財産も喪いかねない犯罪に手を染めて、必死に隠蔽工作を行った後に、出逢う人物が、ピーター・フォーク (Peter Falk) 演じる、ロサンゼルス市警 (Los Angeles Police Department) 殺人課 (Homicide Unit) の警部補 (Lieutenant)、コロンボ (Columbo) なのである。
と、いう様な形でこのシリーズは展開し、『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
』の物語もその通りに進んでゆく。
つまり、倒叙型ミステリ (Howdunit Mystery) の定型に則って、如何に犯人=主人公が、この風采の上がらない貧相な警部補 (Lieutenant) に追いつめられてゆくか、その推理の過程を我々視聴者が、味わうのである。
では『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
』という作品に於いて、表題に顕われているエドガー・ドガ (Edgar Degas) の小品は、どの様な役割を演じているのか、というのが本論の主題である。
物語の中では、盛大な美術コレクションを有する富豪が射殺されて、そのコレクションの中から喪われるのが、二枚のエドガー・ドガ (Edgar Degas) のパステル画 (Pastel Drawing) という設定になっている。
しかし、物語を追って行けば解る様に、その盗まれた絵が、エドガー・ドガ (Edgar Degas) の作品でなければ物語が展開しない、という様なものでもない。
番組名の原題『スータブル・フォー・フレーミング (Suitable For Framing)』を観れば解る様に、そこにはエドガー・ドガ (Edgar Degas) という言葉はない。『スータブル・フォー・フレーミング (Suitable For Framing)』は直訳すると「額装するにはちょうど良い」「額にはぴったり」「額にきちんと収める」という様なものになると想う。しかし、それと同時に「フレーミング (Flaming)」という語句には「罠 (Trap)」という意味もあるのだ。そして、このふたつの意味を持つタイトルが、物語の種明かしになっている。
もちろん、それが実際にどんな種明かしなのかは、ネタバレになるから書かない。書かないけれども、次の様な指摘はしておく。
文字通り、この物語では犯人が警部補 (Lieutenant) によって、「フレーミング (Flaming)」されるのであり、その一瞬を堪能する作品なのである。
実際に、この物語はシリーズの中で、物語のオープニングから犯行に至るまでの過程が、最短であるという。犯人が犯行に及ぶまでの動機は、殆どあらかじめ呈示されていないのだ。
逆に言えば、犯行に至る動機を克明に描く事によって、犯人の人物像を明らかにし、彼ないしは彼女のこころの闇を描いて、物語の厚みを設ける...そんな、設定をこの物語は要求していないのである。つまり、この物語には警部補 (Lieutenant) の鮮やかな手口だけが描かれれば良いのであって、シャイロック (Shylock) は不要なのだ。
序でに書いておけば『スータブル・フォー・フレーミング (Suitable For Framing)』という言葉を観ると、かの地の音楽ファンはスリー・ドッグ・ナイト (Three Dog Night) の1969年発表のセカンド・アルバム『融合 (Suitable For Framing)
』を想い出すかもしれない。それが、物語に影響を及ぼすか否か、もしくは、全く無関係だとしても。
話を元に戻す。
盗まれた絵画が、なんでもいいという訳にはいかない。
名作Aという仮名や、物語の中だけに通用する架空の存在でよいのか、というと、必ずしも、そうではないだろう。
と、思う。
例えば、シャーロック・ホームズ・シリーズ (Canon Of Sherlock Holmes) の『六つのナポレオン (The Six Napoleons) 』 [『シャーロック・ホームズの生還
(The Return Of Sherlock Holmes
)』 アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) 著 収録] という作品がある。シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) とジョン・H・ワトスン (John H. Watson) が、ナポレオンの石膏像 (Napoleon Plaster) を追跡してロンドン (London) 中を駆け回り、ナポレオンの石膏像 (Napoleon Plaster) を発見する度に、それを粉々に砕いてまわる...そんな(!?) 短編だ。
彼らが活躍したパクス・ブリタニカ (Pax Britannica) の時代、ナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte) という存在がどういう意味を持っていたのかを考えてもらいたい。英国人
(John Bull) にとって仏国
(Marianne) の存在がどういう意味を持っていたのかを考えてもらいたい。
もしも、破壊される胸像がジュリアス・シーザー (Julius Caesar) やジョージ・ワシントン (George Washington) だったら、少なくとも作品発表時の読者達にとって、その面白さというのは半減していたのではないか。
と、いう事を踏まえると、この物語にエドガー・ドガ (Edgar Degas) の小品が登場し得る理由は、いくつかあると思う。
1. 当時のロサンジェルスや米国で活動しているコンテンポラリーな芸術家ではないこと。歴史的に評価が定まった芸術家であり故人である事。
2. 米国外の作家が望ましい事。と、同時に、米国人
(Uncle Sam) にとっても発音しやすい名前である事。
3. 作品の点数が数多く遺されている事。そして、その数の多さが作品の価値を低くさせていない事。
4. 警備の厳しい美術館などに寄託されるべき重要作品でも天文学的な価格をもつ程の作品ではない事。美術コレクターの自宅で展示 / 公開されていても、そこに違和感を与えない様なものである事。
つまり、被害者であるエドガー・ドガ (Edgar Degas) の絵の所有者や犯人が、その画家との接点を持っていない事を要求されていて、その上、誰もが知る名画家である事。そして、さらに大事なのは、画面に登場する作品のちいささと、にも関わらずにその作品が有する作品の価値=価格の大きさを満足させる必要があったのではないか、と、ぼくは考える。
さらに言えば、『踊りの花形 / エトワールまたは舞台の踊り子 (L 'etoile ou La danseuse sur la scene)』もパステル画 (Pastel Drawing)。ある程度、美術を齧った事があるヒトにとっては、エドガー・ドガ (Edgar Degas) のパステル画 (Pastel Drawing) は、素描や習作以上のものであると推測出来るに違いない。

掲載画像は、『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
』の中で"実際に"盗まれた作品のひとつ。その証拠映像はこちらで観る事が出来る。
蛇足かも知れないけれども、ロサンゼルス (Los Angeles) にあるゲッテイ美術館 (J. Paul Getty Museum) には、エドガー・ドガ (Edgar Degas) の作品が57点も収蔵されている様だ。
次回は「が」。
ところで、著名な美術作品を盗み出す事によって、犯罪の向こうにビジネスが成立する可能性がある事を教えてくれたのも、この作品である。
もしも、この物語がなければ、アルセーヌ・ルパン (Arsene Lupin) が奇巌城 (L'aiguille Creuse) をそうさせた様に、また、怪人二十面相が都内某所をそうさせた様に、盗まれた美術作品は永遠に秘匿され、盗んだ本人の眼を愉ませる事しか出来ない、そんな認識のままに、今でもいただろう。
だから、有名絵画作品が盗み出される度に、ぼくはこの作品を想い出すのだ。いずれ盗まれた作品は、どこからかふいに姿を顕わすに違いない、と。
エドガー・ドガ (Edgar Degas) の小品の二枚のパステル画 (Pastel Drawing) が、物語全体を牽引して行く、TVドラマ『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
1971年制作の『刑事コロンボ (Columbo)』シリーズの一篇で、ぼく個人はこのドラマをリアルタイムで観て、エドガー・ドガ (Edgar Degas) と言う画家の存在を印象づけられた。
そして、言うまでもなく、シリーズ屈指の名品とされている作品である。
『刑事コロンボ (Columbo)』シリーズをご存知の方々にはあえて言うまでもないが、犯人は最初から判明している。
犯人が犯す犯罪の一部始終は物語冒頭にきちんと描写されて、犯人が己の罪状とその犯跡を巧妙に隠していく過程も充分に描かれている。
そして、このシリーズの舞台はロサンゼルス (Los Angeles) 。そして、犯人は、その地で功を成し財を得た、社会的な地位のある人物、まぁ、ありっていに言えば、セレブである。
そのセレブが、己の地位も名誉も財産も喪いかねない犯罪に手を染めて、必死に隠蔽工作を行った後に、出逢う人物が、ピーター・フォーク (Peter Falk) 演じる、ロサンゼルス市警 (Los Angeles Police Department) 殺人課 (Homicide Unit) の警部補 (Lieutenant)、コロンボ (Columbo) なのである。
と、いう様な形でこのシリーズは展開し、『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
つまり、倒叙型ミステリ (Howdunit Mystery) の定型に則って、如何に犯人=主人公が、この風采の上がらない貧相な警部補 (Lieutenant) に追いつめられてゆくか、その推理の過程を我々視聴者が、味わうのである。
では『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
物語の中では、盛大な美術コレクションを有する富豪が射殺されて、そのコレクションの中から喪われるのが、二枚のエドガー・ドガ (Edgar Degas) のパステル画 (Pastel Drawing) という設定になっている。
しかし、物語を追って行けば解る様に、その盗まれた絵が、エドガー・ドガ (Edgar Degas) の作品でなければ物語が展開しない、という様なものでもない。
番組名の原題『スータブル・フォー・フレーミング (Suitable For Framing)』を観れば解る様に、そこにはエドガー・ドガ (Edgar Degas) という言葉はない。『スータブル・フォー・フレーミング (Suitable For Framing)』は直訳すると「額装するにはちょうど良い」「額にはぴったり」「額にきちんと収める」という様なものになると想う。しかし、それと同時に「フレーミング (Flaming)」という語句には「罠 (Trap)」という意味もあるのだ。そして、このふたつの意味を持つタイトルが、物語の種明かしになっている。
もちろん、それが実際にどんな種明かしなのかは、ネタバレになるから書かない。書かないけれども、次の様な指摘はしておく。
文字通り、この物語では犯人が警部補 (Lieutenant) によって、「フレーミング (Flaming)」されるのであり、その一瞬を堪能する作品なのである。
実際に、この物語はシリーズの中で、物語のオープニングから犯行に至るまでの過程が、最短であるという。犯人が犯行に及ぶまでの動機は、殆どあらかじめ呈示されていないのだ。
逆に言えば、犯行に至る動機を克明に描く事によって、犯人の人物像を明らかにし、彼ないしは彼女のこころの闇を描いて、物語の厚みを設ける...そんな、設定をこの物語は要求していないのである。つまり、この物語には警部補 (Lieutenant) の鮮やかな手口だけが描かれれば良いのであって、シャイロック (Shylock) は不要なのだ。
序でに書いておけば『スータブル・フォー・フレーミング (Suitable For Framing)』という言葉を観ると、かの地の音楽ファンはスリー・ドッグ・ナイト (Three Dog Night) の1969年発表のセカンド・アルバム『融合 (Suitable For Framing)
話を元に戻す。
盗まれた絵画が、なんでもいいという訳にはいかない。
名作Aという仮名や、物語の中だけに通用する架空の存在でよいのか、というと、必ずしも、そうではないだろう。
と、思う。
例えば、シャーロック・ホームズ・シリーズ (Canon Of Sherlock Holmes) の『六つのナポレオン (The Six Napoleons) 』 [『シャーロック・ホームズの生還
彼らが活躍したパクス・ブリタニカ (Pax Britannica) の時代、ナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte) という存在がどういう意味を持っていたのかを考えてもらいたい。英国人
もしも、破壊される胸像がジュリアス・シーザー (Julius Caesar) やジョージ・ワシントン (George Washington) だったら、少なくとも作品発表時の読者達にとって、その面白さというのは半減していたのではないか。
と、いう事を踏まえると、この物語にエドガー・ドガ (Edgar Degas) の小品が登場し得る理由は、いくつかあると思う。
1. 当時のロサンジェルスや米国で活動しているコンテンポラリーな芸術家ではないこと。歴史的に評価が定まった芸術家であり故人である事。
2. 米国外の作家が望ましい事。と、同時に、米国人
3. 作品の点数が数多く遺されている事。そして、その数の多さが作品の価値を低くさせていない事。
4. 警備の厳しい美術館などに寄託されるべき重要作品でも天文学的な価格をもつ程の作品ではない事。美術コレクターの自宅で展示 / 公開されていても、そこに違和感を与えない様なものである事。
つまり、被害者であるエドガー・ドガ (Edgar Degas) の絵の所有者や犯人が、その画家との接点を持っていない事を要求されていて、その上、誰もが知る名画家である事。そして、さらに大事なのは、画面に登場する作品のちいささと、にも関わらずにその作品が有する作品の価値=価格の大きさを満足させる必要があったのではないか、と、ぼくは考える。
さらに言えば、『踊りの花形 / エトワールまたは舞台の踊り子 (L 'etoile ou La danseuse sur la scene)』もパステル画 (Pastel Drawing)。ある程度、美術を齧った事があるヒトにとっては、エドガー・ドガ (Edgar Degas) のパステル画 (Pastel Drawing) は、素描や習作以上のものであると推測出来るに違いない。

掲載画像は、『二枚のドガの絵 (Suitable For Framing)
蛇足かも知れないけれども、ロサンゼルス (Los Angeles) にあるゲッテイ美術館 (J. Paul Getty Museum) には、エドガー・ドガ (Edgar Degas) の作品が57点も収蔵されている様だ。
次回は「が」。
ところで、著名な美術作品を盗み出す事によって、犯罪の向こうにビジネスが成立する可能性がある事を教えてくれたのも、この作品である。
もしも、この物語がなければ、アルセーヌ・ルパン (Arsene Lupin) が奇巌城 (L'aiguille Creuse) をそうさせた様に、また、怪人二十面相が都内某所をそうさせた様に、盗まれた美術作品は永遠に秘匿され、盗んだ本人の眼を愉ませる事しか出来ない、そんな認識のままに、今でもいただろう。
だから、有名絵画作品が盗み出される度に、ぼくはこの作品を想い出すのだ。いずれ盗まれた作品は、どこからかふいに姿を顕わすに違いない、と。
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