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2010.09.14.19.10

ひゃくめ

妖怪百目。またの名を眼魔、もしくはガンマー

今期放送中の、NHK連続テレビ小説 (NHK Asadora) 『ゲゲゲの女房』で、うじきつよし演じる貸本漫画出版の元社長が、食い入る様に観ていたブラウン管の中に顕われた筈なのが、この妖怪。
そう、水木しげる (Shigeru Mizuki) マンガ初のテレビ化作品『悪魔くん』 [テレビ朝日 (TV Asahi Corporation) 系列 19661967年放送] の栄えある第一回目に登場したのがこの妖怪。
水木しげる (Shigeru Mizuki) の貸本漫画『墓場鬼太郎』貸本漫画『河童の三平』を出版するものの事業に失敗。うじきつよし演ずる富田書房 [兎月書房がモデル] の富田盛夫は、貸本漫画というメディアの終焉を身をもって体現すると同時に、水木しげる (Shigeru Mizuki) の成功が、己の全く関わりえないテレビという媒体によってもたらされた事を、表象するである。

ところでこの妖怪、後に水木しげる (Shigeru Mizuki) の『図説 日本妖怪大全』等に何度となく紹介されている。
曰く"太陽の出ている昼間はまぶしいので主に夜に出歩くことが多く、人が百目に出会うと無数の目の一つが飛び出し、後をついて来る"。
その一方で、彼のブロンズ像水木しげるロードにあるなど、水木しげる (Shigeru Mizuki) 作品の中ではメジャーな存在ではあるのだけれども、では、その出典はと問われれば、突然におぼつかなくなる。
誰も水木しげる (Shigeru Mizuki) 本人には尋ねないだろうし、また、水木しげる (Shigeru Mizuki) 本人も語らないだろうけれども、恐らく、妖怪百目は、彼の完全なる創作であろう。
では、その源泉はどこにあって、そこからどこへ向かったのか、というのがこの拙文の主旨である。

前者の問いを後回しにして、後者を先に語ろう。つまり、妖怪百目の発展系を提示してみよう。
それは、例えば、『超人バロム・1 (Barom One)』 [日本テレビ (Nippon Television Network Corporation) 系列 1972年放送] の第22話『魔人ヒャクメルゲが目をくりぬく』に登場したヒャクメルゲであり、『仮面ライダーストロンガー (Kamen Rider Stronger)』 [毎日放送 (Mainichi Broadcasting System, Inc.)TBS (Tokyo Broadcasting System Television, Inc.) 系列 1975年放送] の第17~23話に登場した、所謂、百目タイタンである。
彼らは、この文章の後半で再び登場する。だから、よく憶えておいて欲しい。

その一方で、前者の問い、すなわち、妖怪百目の源泉を捜すとなると、ちょっと苦心しなければならない。
例えば、鳥山石燕 (Toriyama Sekien) 描く、目目連(Mokumokuren) [『今昔百鬼拾遺 (Konjaku Hyakki Shui)』より] や百々目鬼(Dodomeki) [『今昔画図続百鬼 (Konjaku Gazu Zoku Hyakki)』より] や手の目 (Tenome)[『画図百鬼夜行 (Gazu Hyakki Yako)』より:これはちょっと違うか!?] 等、多数の眼球の集合した妖怪が登場するのだけれども、残念ながら、彼らに妖怪百目のオリジンを求めるには、ちょっと勇気がいる。

むしろ、日本国内の妖怪よりも、ギリシア神話 (Greek Mythology) に登場する巨人アルゴス (Argos Panoptes) に、その範を求めたい。
アルカディア (Arcadia) で牡牛の怪物を退治し、ペロポネソス (Peloponnesos) でエキドナ(Echidna) を退治して、勲功をあげた彼である。もしくは、ヘラ (Hera) の命によって牝牛と化したイオ (Io) を監視していたが、イオ (Io) を奪還せよというゼウス (Zeus) の密命を帯びたヘルメス (Hermes) の術策によって暗殺されてしまう彼、そのアルゴス (Argos Panoptes) である。
と、長々しく解説するよりも、ある世代のブリティッシュ・ロック・ファンには、こう説明した方がいいだろう。ウィッシュボーン・アッシュ (Wishbone Ash) の名盤『百眼の巨人アーガス (Argus)』の事だよ、と。


"The King Will Come" from the album "Argus" performed by Wishbone Ash

さてと。
話を元に戻すと、先程"ちょっと勇気がいる"と書いたのだけれども、それは、こうだ。妖怪百目の、百あると言われている眼球を備えている、その肉体の事なのである。ぶよぶよとした、腐乱死体の様にも、水死体の様にも観える、その肉塊は、目目連(Mokumokuren) [『今昔百鬼拾遺 (Konjaku Hyakki Shui)』より] や百々目鬼(Dodomeki) [『今昔画図続百鬼 (Konjaku Gazu Zoku Hyakki)』より] や手の目 (Tenome)[『画図百鬼夜行 (Gazu Hyakki Yako)』より:これはちょっと違うか!?] よりも、同じく鳥山石燕 (Toriyama Sekien) 描くぬっぺらぼう (Nuppeppo) [『画図百鬼夜行 (Gazu Hyakki Yako)』より] の方によく似ている。
もう少し、発想を飛躍させると『ウルトラマン (Ultraman)』 [TBS (Tokyo Broadcasting System Television, Inc.) 系列 19661967年放送] 『第5話 ミロガンダの秘密 (Episode 05 Treasure Of The Miloganda)』に登場したグリーンモンス (Greenmons) や『ウルトラセブン (Ultra Seven)』 [TBS (Tokyo Broadcasting System Television, Inc.) 系列 19671968年放送] 『第35話 月世界の戦慄 (Episode 35 Shivers On The Moon)』に登場したペテロ (Petero) にも似ている。ちなみに、彼らは植物から派生した怪獣だ。
そしてさらに言わせてもらえば『ゴジラ対ヘドラ (Godzilla Vs. The Smog Monster)』 [坂野義光 (Yoshimitsu Banno) 監督作品 1971年制作] の一方のタイトル・ロール、ヘドラ (Hedorah) にも似ているのだ。
さてここでヘドラ (Hedorah) の双眸を思い出して頂きたい。彼が登場したその作品の企画段階で"女性器のような"と表現された、屹立したふたつの瞳だ。
そして、この瞳は何故だか、ヒャクメルゲの巨大な瞳と相通じるものがある。

余談で、しかも蛇足だけれども、一応、念の為に、補足しておく。
パクった / パクられたという瑣末を主張したいんぢゃあない。
単純に、眼球というイメージが産み出すものと、その逆に、眼球へと想像を結ぶイメージと、その両方の秘密を探りたいだけなのだ。

それを踏まえて、もうひとつの神話を語ろうか。

仮面ライダーストロンガー (Kamen Rider Stronger)』 [毎日放送 (Mainichi Broadcasting System, Inc.)TBS (Tokyo Broadcasting System Television, Inc.) 系列 1975年放送] の百目タイタンは、仮面ライダーストロンガー (Kamen Rider Stronger) に一敗地にまみれた一つ目タイタンを強化して産まれた、新しいタイタンの姿なのだ。

一に対する百。欠損に対する過剰。百に抗う一。過剰に抗う欠損。
その対比でしかないのかもしれないのだが、水木しげる (Shigeru Mizuki) 作品にも、やっぱり一に対する百がある。と、いうか、この拙文での論旨に従えば、その逆だ。百に抗う一がる。

つまり、『ゲゲゲの鬼太郎 (Ge Ge Ge No Kitaro)』 [フジテレビ (Fuji Television Network, Inc.) 系列 19681969年放送] に登場する、目玉親父 (Medama-oyaji) [演:田の中勇] の事だ。

そうして、さらに眼球と言えば、当時、ぼくらを魅了した、もうひとつの眼球の事を指摘しておこう。
"これから30分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです。 ("For the next 30 minutes, your eyes will leave your body and enter inside this fantasy time.)" [ナレーション:石坂浩二]

つまり、この『ウルトラQ (Ultra Q)』 [TBS (Tokyo Broadcasting System Television, Inc.) 系列 1966年放送] 冒頭のオープニングで謳われている事は、とりもなおさず、ぼく達自身が眼球である事の宣言であったのである。

単眼のみの存在である目玉親父 (Medama-oyaji) [演:田の中勇] が智慧の宝庫であり、彼が所有している英知によって、幾度となく、鬼太郎 (Kitaro) の危難を救った事。
そして、当時"一枚の絵は一万字にまさる" [週刊少年マガジン グラビア『劇画入門』 1970年] と週刊少年マガジン大伴昌司が高らかに謳った様に、観る事がすなわち知る事となった時代が、やって来たのだ。

その日以来、ぼくたちもまた、己の躯にある、好奇心 (Curiosity) と言う名の、百の眼球を、あちらこちらに飛ばしていたのである。

次回は「」。
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