2010.08.24.20.54
太田螢一 (Oota Keiichi) 描くぐにょぐにょとした人物が妖しく闇に浮かぶそのアルバムは、"テクノポップ (Technopop or Techno Pop)"のふりをして音楽シーンに登場して来た彼らの、化けの皮が剥がれた (Give Oneself Away) ...、いやいやいや、己の本性を曝け出し (Reveal The True Character) 始めた最初の作品である。
もっともヒカシュー (Hikashu) というバンド自体、デヴュー当時から"テクノポップ (Technopop or Techno Pop)"という範疇から遠い位置にあったし、それ以前に当時、"テクノポップ (Technopop or Techno Pop)"と表象されていた殆どのバンドやアーティストは、"テクノポップ (Technopop or Techno Pop)"ではさらさらなくて、世の中を欺き世の中に己らを浸透させる為の方便として、便宜上"テクノポップ (Technopop or Techno Pop)"を名乗っていた筈だ。
ピー・モデル (P-Model) 然り、イエロー・マジック・オーケストラ (Yellow Magic Orchestra) 然り。
そういう意味では、真の意味での"テクノポップ (Technopop or Techno Pop)"は、プラスチックス (Plastics) になるのだけれども、それを書き出すと、語るべきハンス(Hans) の事が語りきれなくなってしまうから、ここではそおゆうもんだと思って頂きたい。
ヒカシュー (Hikashu) の『うわさの人類 (Uwasa No Jinrui)
[『うわさの人類 (Uwasa No Jinrui)
物語の粗筋は次の様なものである。
みよりのない筈の若者に、ある日、莫大な遺産が転がり込んで、若者はあっという間にセレヴの仲間入り。しかし、その遺産に眼を付けたある人物が、己の恋人を巻き込んで、若者を亡き者にしようと色仕掛けで迫って来る。それに気づいた若者は、"仲間"と協力して、彼らに復讐を誓う。
『白雪姫 (Schneewittchen)』に似ている様でもあり、『猿蟹合戦 (Battle Of The Monkey & The Crab)』に似ている様でもあり、しかし、それらの先行の物語とは、完全に逆転した舞台設定が設けられ、逆転した物語が展開される。
あえて指摘すれば、この物語は現代版『跳び蛙 (Hop-Frog)』 [エドガー・アラン・ポオ (Edgar Allan Poe) 著] とも言えるが、これだって、エドガー・アラン・ポオ (Edgar Allan Poe) 独自の視点で、メルヒェン
莫大な遺産を相続するみよりのない筈の若者は、通常ならば、薄幸の美少女もしくは美少年だけれども、この物語ではハンス (Hans)。小人 (Midget) である。
舞台は、数多くのメルヒェン
所謂、健常者は殆どが登場しない。
外見が健常者に観えるモノは、こころの中が健常者から逸脱している。だからこそ、ハンス (Hans) の遺産も狙うし、ハンス (Hans) の純情を利してそれを踏みにじろうとする。
そしてその一方で、ハンス (Hans) の物語とは別のところで、このサイド・ショウ (Sideshow) を舞台とした様々なエピソードが綴られてゆく。その殆どが、ブラック・ユーモア (Black Humor) の領域さえも越境した、無垢で純粋なヒトビト (Freaks) のつつましやかな生活から産まれる素朴な笑いとして、提供されてゆく。
あえて言えば、この物語は復讐譚のふりをした、ハンス (Hans) も含めてのサイド・ショウ (Sideshow) の住人達を主人公とするドキュメンタリーなのである。
つまり一方でサイド・ショウ (Sideshow) の住人達の"日常"が描写され、その他方でハンス (Hans) が得た遺産を巡る陰謀の画策と、その陰謀を覆す復讐劇が綴られていくのである。
[常にもまして、もって廻った言い方をしているのは、ぼくが書こうとしている文章の端々に浮かぶある言葉を、言い淀んでいるからである。お察し願いたい。]
ヒカシュー (Hikashu) のアルバム『うわさの人類 (Uwasa No Jinrui)
多分。
さて、この『フリークス
丸尾末広 (Suehiro Maruo) のマンガ『少女椿
物語を日本に移し、あるサイド・ショウ (Sideshow) ...否、この言い方ではまずいな...、見世物小屋 (Japanese Freak Show) を舞台として繰り広げられる。時代設定は恐らく昭和初期 (1930s In Japan) であろうし、その見世物小屋 (Japanese Freak Show) は東北辺りを巡演しているに違いない。そこは多分に、寺山修司 (Shuji Terayama) 的な世界であるし、その印象をより強くする小道具や大道具が散見される。
主人公は、身寄りのないみどり (Midori)、所謂、薄幸の美少女である。見世物小屋 (Japanese Freak Show) の住人達の世話係の様な役割を与えられた彼女は、見世物小屋 (Japanese Freak Show) の住人達から虐げられた日々を送っているが、映画『フリークス
そんな彼女の許に、ハンス (Hans) [的な存在である人物] は、ワンダー正光 (Wonder Masamitsu)という名前で、彼女の救い主 (?) となって登場するのだ。

上に掲載するのは、ダイアン・アーバス (Diane Arbus) 撮影の『1OO番街のあるリヴィング・ルームに集まったロシア系の小人仲間、 ニューヨーク市 (Russian Midget Friends In A Living Room On 100th St, NYC 1963)』。画面左の老人が、ハンス (Hans) を演じたハリー・アールズ (Harry Earles) の老いた姿だと言う。
一緒に写っているふたりの女性は、彼と共に、ダンシング・ドールズ [アール・ファミリー] (The Doll Family) として活動を共にした、彼の姉妹なのかもしれない。
次回は「だ」。
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