2010.04.13.18.12
中原中也 (Chuya Nakahara) の詩『月夜の浜辺』は、詩人にとっての第二詩集であると同時に、彼の死後に発刊 [1938年]された遺作集でもある『在りし日の歌
』に収められている。
この詩を含め、詩人に浄書された作品群は、詩人から小林秀雄 (Hideo Kobayashi) に、その突然の死の一ヶ月前である1937年9月に託されたものである。
詩集は、サブ・タイトルに「亡き児文也の霊に捧ぐ」とある様に、1936年にわずか二歳で亡くなった彼の長男に捧げられた作品群である。
しかしそれが、発刊前の詩人の死。そしてそれを追う様にして逝った次男、愛雅の死によって、謀らずも、二重とも三重ともとれる挽歌 (Lament) となった。
中原中也 (Chuya Nakahara) の詩は、この詩に限らず、必ずどこかで音楽が聴こえる。
発語して読む、もしくは、こころの中で黙読する。
いずれにしても、そこに書かれていることばが、次第に紡ぎ紡がれて、主旋律を奏で出すと、それと同時にもうひとつのメロディが聴こえてくる。
そしてそれはまた、今、己がここにいる不具合と不都合を思い知らされると同時に、沸き上がる求めても求めえない新境地への想い、しかし、とは言うものの、今、ここにいる己自身に訣別できぬやるせない心持ちに陥らざるを得ないのである。
中原中也 (Chuya Nakahara) の書く詩とは、そんな詩ばかりである。
人口に膾炙 (be well‐known) されている『朝の歌』は、詩人が迎えたその朝を、一旦、過去のものとして [もしくは「ゆめ」として] 追憶の彼方へと抛り投げる事によって、誰もが身に覚えのある、ある朝となる。
この『月夜の浜辺』も、そうなのだ。
拾った「ボタン」を捨てるに忍びず、月にも浪にも抛るに抛れず、だからと言って、「ボタン」本来の目的に役立てようとも思えない。落ちていた「ボタン」に非があったのか、それとも、それを拾った「僕」が不明だったのか。
ただ、その辻褄をあわせる為に、「僕はそれを、袂に入れた」。
拾ったのは「僕」だったのか。拾われたのが「僕」だったのか。それとも、「ボタン」が「僕」を拾ったのか。
「ボタン」と「僕」の想いがひとつになって、月夜の晩に、心に沁みるのだ。

『月夜の浜辺』も、彼の他の詩の様に音楽が聴こえてくるのだけれども、残念ながら、友川カズキ (Kazuki Tomokawa)の唄う『月夜の浜辺』の様なメロディは、ぼくには聴こえて来ない。
その詩の世界を思い浮かべようとすれば、エコー&ザ・バニーメン (Echo & The Bunnymen) のシングル『キリング・ムーン (The Killing Moon)』 [1984年発表。アルバム『オーシャン・レイン (Ocean Rain)
』収録] の様な光景が浮かぶのだけれども、彼らの奏でる音楽もまた、ぼくの『月夜の浜辺』とは違うのだ。
次回は「べ」。
―月夜の浜辺― 中原中也
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
この詩を含め、詩人に浄書された作品群は、詩人から小林秀雄 (Hideo Kobayashi) に、その突然の死の一ヶ月前である1937年9月に託されたものである。
詩集は、サブ・タイトルに「亡き児文也の霊に捧ぐ」とある様に、1936年にわずか二歳で亡くなった彼の長男に捧げられた作品群である。
しかしそれが、発刊前の詩人の死。そしてそれを追う様にして逝った次男、愛雅の死によって、謀らずも、二重とも三重ともとれる挽歌 (Lament) となった。
中原中也 (Chuya Nakahara) の詩は、この詩に限らず、必ずどこかで音楽が聴こえる。
発語して読む、もしくは、こころの中で黙読する。
いずれにしても、そこに書かれていることばが、次第に紡ぎ紡がれて、主旋律を奏で出すと、それと同時にもうひとつのメロディが聴こえてくる。
そしてそれはまた、今、己がここにいる不具合と不都合を思い知らされると同時に、沸き上がる求めても求めえない新境地への想い、しかし、とは言うものの、今、ここにいる己自身に訣別できぬやるせない心持ちに陥らざるを得ないのである。
中原中也 (Chuya Nakahara) の書く詩とは、そんな詩ばかりである。
人口に膾炙 (be well‐known) されている『朝の歌』は、詩人が迎えたその朝を、一旦、過去のものとして [もしくは「ゆめ」として] 追憶の彼方へと抛り投げる事によって、誰もが身に覚えのある、ある朝となる。
この『月夜の浜辺』も、そうなのだ。
拾った「ボタン」を捨てるに忍びず、月にも浪にも抛るに抛れず、だからと言って、「ボタン」本来の目的に役立てようとも思えない。落ちていた「ボタン」に非があったのか、それとも、それを拾った「僕」が不明だったのか。
ただ、その辻褄をあわせる為に、「僕はそれを、袂に入れた」。
拾ったのは「僕」だったのか。拾われたのが「僕」だったのか。それとも、「ボタン」が「僕」を拾ったのか。
「ボタン」と「僕」の想いがひとつになって、月夜の晩に、心に沁みるのだ。

『月夜の浜辺』も、彼の他の詩の様に音楽が聴こえてくるのだけれども、残念ながら、友川カズキ (Kazuki Tomokawa)の唄う『月夜の浜辺』の様なメロディは、ぼくには聴こえて来ない。
その詩の世界を思い浮かべようとすれば、エコー&ザ・バニーメン (Echo & The Bunnymen) のシングル『キリング・ムーン (The Killing Moon)』 [1984年発表。アルバム『オーシャン・レイン (Ocean Rain)
次回は「べ」。
―月夜の浜辺― 中原中也
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
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