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2010.04.11.23.25

万国の吉里吉里人 蒼ざめよ!:追悼井上ひさしに代えて

忘れた頃に、とでも言おうか、それとも、思い出した頃にとでも言おうか、父は、文芸誌 (Literary Magazine) を買って来た。それは年末年始の長期休暇で暇を潰す為でもあったろうし、幼い息子の買い物につきあわされて入った書店で閑をもて余した結果でもあった。
文芸誌 (Literary Magazine) とはこの場合、『オール讀物』とか『小説新潮』の事であって、間違っても『海燕』だったり『月刊カドカワ』だったり『野性時代』の事ではない。それらを買って来ていたりしたら、タイム・パラドックス (Time Travel And Paradox) に陥るか、時代考証 (A Historical Verisimilitude Research) のつじつまが逢わなくなってしまう。
時は今、1970年代も中盤。ぼくが中学生になるかならないかの頃の話である。

買って来た父は、それらの雑誌の数編の短編を読み終わったら、いつも適当な場所に抛らかしていた。それは、夏場ならば扇風機が据えられた辺りだったろうし、冬場だったのならば、買い置きしてあった蜜柑の詰まった段ボールの辺りだった。
つまりそれは、おれはもう、どうでもいいよ、捨てるなり読むなり、好きにしてくれ、とでも言いたげな風情だった。
それとも、お前も読めとでもいいたかったのだろうか、そこには当時大河ドラマとして放送されていた子母沢寛の『勝海舟』や、完結編が映画化ばかりの五味川純平の『戦争と人間』等も一緒になって、放り出されていたのだ。

だから、ぼくは興味のないふりをして、それらを読んだものだった。なにせ、扇風機だったり蜜柑箱だったり、だ。食卓の己のいつもの場所に座って、手を伸ばせば簡単に手が届く。夕食前のほんのひとときや、観たいTV番組が始る前の手遊びな状態では、なにも考えずとも食指が動く。

母は、一方の母は、あまり読ませたくなかったらしい。子供にはまだ早いと。
何編かには性描写もあるだろうし、ベタなコラム欄には下卑た笑いも溢れているし、グラビアにはヌードもあるかもしれない。

そんな母のことを慮って、読みたくて読んでいるんぢゃあないよ、たまたまそこにあってぼくは閑だったから手にしているんだ、という雰囲気を漂わせながら、漫然と頁を括っていたのだ、いつも。

そんな訳だから、最初は東海林さだおとか秋竜山とか加藤芳郎なんかのマンガから始って、コラム記事やらエッセイといったヴォリューム感の少ないものから漁ってゆく。それが終われば、読切りのミステリーとか推理小説に手を出すのだ。
作家では選ばない、というか、選べる程、作家を知っている訳ではない。
狐狸庵先生どくとるマンボウウイスキーのボトルを抱えた作家はTVのCMで有名だったけれども、小説家と呼べる人種は、何故か割腹自殺したり、ガス自殺してしまった時代だ。そして、ぼくの同級生達は星新一 (Shinichi Hoshi)筒井康隆 (Yasutaka Tsutsui)小峰元 (Hajime Komine) に夢中だった様だけれども、ぼく自身はと言えば、なぜか、彼らには興味を抱けていなかった。
[その頃、井上ひさし (Hisashi Inoue) はどこにいたのかというと、TVのCMに出ていた訳でもないし、自殺していた訳でもない。『ブンとフン』や『ドン松五郎の生活』を発表した頃だから、あの辺りの作家と一緒くたにされていた筈だけれども、当時、ぼくの周囲で彼の作品を愛読していた輩は、ひとりもいなかった。]

だから、短いものからあたるを幸いにして読んでゆく。そうして、ついに行き詰まる。何故ならば、それらの雑誌には、幾編かの連載小説も掲載されていたのだ。
物語は、途中から始っているし、それに構わずに読み進めてゆけば、絶対に、中断される。もちろん、父が翌月号を買ってくる保証はない。と、いうか、先ず、買わない。

そんな形で、非常に歯がゆい形で出逢ってしまったのが、井上ひさし (Hisashi Inoue) の『吉里吉里人』なのである [と、いうわけでようやくここから本題になるわけだ、しかも短い]。
数ヶ月に一回の割合で父が買ってくる『小説新潮』には、いつも掲載されていた様な記憶がある。物語も随分進んでしまったろうなぁと思いながらも数行読み進めると、実は、あんまり進んでいない。

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何故だろう、と思いつつも、忘却の彼方にこの小説が消えてしまいそうになった頃に、『吉里吉里人』完結のニュースとともに、その謎が一挙に氷解したのである。
完結したその小説の単行本は安野光雅 (Mitsumasa Anno) の装画で、電話帳よりも厚く、文章は二段組でぎゅうぎゅうに詰められて、あまつさえも、日本語 [東北地方の話し言葉] に日本語 [標準語] のルビが振られていたのだ [あれ、逆だったかな!?]。

こんな膨大な情報量を濃縮した物語って、いままでに、遭遇しただろうか。どうして、こんなに過剰に言葉が乱舞しているのだろうか。なぜ、ありとあらゆる万物や森羅万象が網羅されているのだろうか。

この作品に出逢う前のぼくの認識では、削りに削り、しのぎにしのぎに結果、選りすぐられた、最小限の言葉で綴られる文章が、美しいもの素晴らしいものとされていた。例えば芥川龍之介 (Ryunosuke Akutagawa) の様に、例えば志賀直哉 (Naoya Shiga) の様に。フョードル・ドストエフスキー (Fyodor Dostoyevsky) やヴィクトル・ユーゴー (Victor Hugo) 等はもっての他で、エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) やサキ (Saki) やアンブローズ・ビアス (Ambrose Bierce) の様な、極限にまで研ぎすまされた短さが重要だった。

吉里吉里人』の過剰さや濃密さは、異常であると同時に、痛快だった。日本語 [東北地方の話し言葉] に日本語 [標準語] のルビが振られている [もしくはその逆の] 様に、ひとつの描写やある人物の行動といった、物語の総ての事象に二重の意味が見出せる。
ひとつが笑いであればひとつは真実、ひとつが下ネタならばひとつは宗教である様な。

もしもこの作品に出逢わなければ夢野久作 (Yumeno Kyusaku) の『ドグラ・マグラ (Dogra Magra)』や小栗虫太郎 (Mushitaro Oguri) の『黒死館殺人事件』や沼正三 (Shozo Numa) の『家畜人ヤプー (Yapoo - Il bestiame umano)』やローレンス・スターン (Laurence Sterne) の『トリストラム・シャンディ (The Life And Opinions Of Tristram Shandy, Gentleman)』やジェイムズ・ジョイス (James Joyce) の『ユリシーズ (Ulysses)』に出逢わなかったかもしれない。例え、逢えたとしても、もっともっと遠回りして遭遇したのではなかろうか。
その代わりといってはなんだが、『吉里吉里人』の主人公である三文小説作家古橋健二が作品内で執筆したとされる小説の元ネタであるところのマルセル・プルースト (Marcel Proust) の『失われた時を求めて (A la recherche du temps perdu)』は未だ読まずじまいなのだけれどもね。

故人のご冥福をお祈り致します。

追伸:故人の初期作品である『ひょっこりひょうたん島』や『ネコジャラ市の11人』を、リアル・タイムで観て育った世代に属するぼくだけれども、当然の様に当時は井上ひさし (Hisashi Inoue) という人物は知らない。ドン・ガバチョ藤村有弘であり、博士中山千夏であり、ガンバルニャン熊倉一雄であり、ヤマチュー納谷悟朗である事は知っていても、これらの作品が教育批判や体制批判に通じる作品だとは、幼いぼくは、全くもって関知できていない出来事だ。ただただ、登場人物達が巻き起こす事件と登場人物が巻き込まれる災難を甘受していただけである。だから、気づかないうちに、故人の送り出す風をそのまま無邪気に浴びていたのかも知れない。そう、『吉里吉里人』に出逢うかなり前から、故人の影響を受けていたのだ。
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