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2010.03.30.18.29

らうんどあばうとみっどないとをめぐって

ラウンド・アバウト・ミッドナイト (Round About Midnight)』はセロニアス・モンク (Thelonious Monk) の作。19401941年頃に作曲されて、セロニアス・モンク (Thelonious Monk) 自身の演奏は『セロニアス・ヒムセルフ (Thelonious Himself)』等で聴ける。
クーティ・ウィリアムス (Cootie Williams) が共作者として書き加えられている場合もあるが、それは1944年に彼の楽団がこの曲を『ザ・ビッグ・バンド・アット・サヴォイ vol. 1 (The Big Bands At The Savoy, Vol. 1)』で初録音しているからである [その際に実際に、手を加えたという説もある。
そして、この曲にバーニー・ハニゲン (Bernie Hanighen) が歌詞をつけて発表するのだが、何故か、その際のタイトルが『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』。
その原因はどうやら、メロディにことばをのせていく際に、どうしても歌詞に『ラウンド・アバウト・ミッドナイト (Round About Midnight)』が音韻的にのらなかったかららしい。
なので、これ以降、この曲はヴォーカル・ナンバーとして演奏される際には『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』、インストルメンタル・ナンバーとして演奏される際には、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト (Round About Midnight)』として表記される様になった。

これで、めでたしめでたしならば、ジャズの世界にはよくある事。
こちらにも書いたがチャーリー・ミンガス (Charles Mingus) ならば『グッドバイ・ポーク・パイ・ハット (Goodbye Pork Pie Hat)』と『レスター・ヤングのテーマ (Theme For Lester Young)』は同名異曲ならぬ異名同曲だし、ケニー・クラーク (Kenny Clarke) の『シャプタル街 (Rue Chaptal)』をソニー・ロリンズ (Sonny Rollins) とジョン・コルトレーン (John Coltrane) がセッションすれば『テナー・マッドネス (Tenor Madness)』になってしまう。
それぞれがきちんと棲み分けしてくれれば、多少の混乱は生じるかもしれないが、気に病む事ではない。
だけれども、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) はこの曲を『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』とネーミングしてレコーディングしてしまうのだ。彼はトランペット・プレイヤーなのに。しかも、その収録アルバムの作品名を『ラウンド・アバウト・ミッドナイト ('Round About Midnight)』 [1956年発表] としてしまうのだ。
なんだかなぁ [(C) 斉木克巳]。

おそらくマイルス・デイヴィス (Miles Davis) の意図したところは、こういうところにあるのではないか。
唄う様に演奏した」と。

例えば、彼の師匠筋にあたるレスター・ヤング (Lester Young) は『歌詞を忘れたら、演奏できない』といったという[この台詞はもう一度登場するから忘れない様に]。

例えば、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) 自身の発言をひくと、『ポーギー&ベス (Porgy and Bess)』 [1958年発表] のレコーディングに一番苦労したのは「ベス、ユー・イズ・マイ・ウーマン (Bess, You Is My Woman Now)」という台詞を8回も意味を変えて吹き分けなければならなかったからだ、となる。
つまり、ヴォーカル・ナンバーとしてのこの曲を、歌詞の意味を噛み締めながら、演奏したのだという主張が、この曲のタイトルを『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』とさせたのではないだろうか。
それでも、アルバム・タイトルを『ラウンド・アバウト・ミッドナイト ('Round About Midnight)』 [1956年発表] とした理由は解らないのだけれども。

ところで、このマイルス・デイヴィス (Miles Davis) による『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』には、もうひとつのエピソードがある。
それは"アレ" [(C) 中山康樹] の存在である。
この曲は、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) のミュート・ソロ (Muted Trumpet Solo)から始まり、その孤高とも寂寥ともいえる雰囲気に浸っていると、突如として"アレ" [(C) 中山康樹] が始るのだ。
ダッダッダ~ンダッダ、ダッダ~ダ、ダアアア~ン、と。
この激しいブリッジ (Bridge) を境に、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) からジョン・コルトレーン (John Coltrane) のソロへと切り替わるのだが、このアレンジの正否を巡って、中山康樹寺島靖国との間に、意見の相違があるのだ。
両者の見解をここで紹介したい気にもなるけれども、残念ながら、双方の一次資料となる引用元が、手許にはない。各自であたってもらい、そしてその主張を聴いていずれの見解が正しいのか、判断してもらいたい。

一応、書いておくと、中山康樹がどう言おうと寺島靖国がどう言おうと、"アレ" [(C) 中山康樹] の無いアレンジで演奏されたヴァージョン [例えばこれ] も多いし、"アレ" [(C) 中山康樹] のあるアレンジで演奏されたヴァージョン [例えばこれ] も多い。
なお、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) 自身は、本作品発表以降、いつの時代にあっても、"アレ" [(C) 中山康樹] のあるアレンジで演奏させた。
マイルス・デイヴィス (Miles Davis) 自身の演奏で、"アレ" [(C) 中山康樹] の無いヴァージョンを聴いてみたければ、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) がこの曲を初レコーディングした『コレクターズ・アイテムズ (Collectors' Items)』 [1955年発表] やミッシェル・ルグラン (Michel Legrand) のジャズ・オーケストラに客演した『ルグラン・ジャズ (Legrand Jazz)』 [1958年発表] にあたると良い。

ちなみに、このアレンジはギル・エヴァンス (Gil Evans) によるものである。
ぼくが想うに、ギル・エヴァンス (Gil Evans) がこのアレンジを用意したのは、先ずは二管の対比の美しさ、次にそれぞれの演奏者に自由を与える為、ではないのだろうか。つまり、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) に最も相応しい場を提供すると同時に、それに続くサックス・プレイヤー [本作品でいえば、ジョン・コルトレーン (John Coltrane)] に最も相応しい場を提供する、その為の"アレ" [(C) 中山康樹] なのだ。

先ず、トランペット・プレイヤーが楽曲のメロディに従って、その世界観を呈示してゆく。それは、さっきも書いた様な感覚、一言でいえば孤独、である。その世界観を踏襲してそのまま、己の世界を形成するのは、サックス・プレイヤーには至難の術である。前の演奏者と同じ事は出来ないし、だからと言って、その世界観を継承すると同時に、それを乗り越える新たな世界を呈示するのは、さらに難しい。
だから、トランペット・プレイヤーが描いた孤独の呪縛から解き放つ為の、あのアレンジではないのだろうか。
あのブリッジ (Bridge) を越えればきっと、サックス・プレイヤーが描くべき新しいモチーフがみつけられる。

そして、『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』と言えば、忘れてはならないのが、ベルトラン・タヴェルニエ (Bertrand Tavernier) 監督による映画『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』 [1986年公開] である。
バド・パウエル (Bud Powell) のパリでの逸話を基に、破滅的な人生を歩むサックス・プレイヤーを描いた作品である。バド・パウエル (Bud Powell) をそのまま描かなかったのは、ピアニストは映像的に地味になるというのと、かのレスター・ヤング (Lester Young) を描きたかったからと諸説あるが、それ以前に、主人公を演じたデクスター・ゴードン (Dexter Gordon) を得たから、といった方が解りがよいかも。それだけ演技以前に、彼の存在は重要だ。実際に、映画初主演でありながら、アカデミー主演男優賞 (Academy Award For Best Actor) にノミネートされた。


ところで、この映画の音楽を担当したのがハービー・ハンコック (Herbie Hancock)。その技量はこの映画ではアカデミー作曲賞 (Academy Award For Original Music Score) として讃えられているのだけれども、その前に、映画の中でタイトル曲『ラウンド・ミッドナイト (Round Midnight)』を聴いて欲しい。
映画冒頭にも聴こえるそれを演奏するのは、ロン・カーター (Ron Carter)、トニー・ウィリアムス (Tony Williams) そしてハービー・ハンコック (Herbie Hancock) の三人。つまり、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) のバックで、嫌になるほど"アレ" [(C) 中山康樹] を演奏した三人なのである [その演奏のひとつをここで聴く事が出来る]。そして、マイルス・デイヴィス (Miles Davis) もかくやと想えるメロディを奏でるのがヴォーカリストのボビー・マクファーリン (Bobby McFerrin)。
しかも、本来ならば始る筈の"アレ" [(C) 中山康樹] の前に、サックス・プレイヤーの物語へと突入するのである。

その物語の中で、そのサックス・プレイヤーもこういうのである。
歌詞を忘れてしまった」と。

次回は「」。
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