2010.03.23.18.06
『平成モスラ三部作 (Rebirth Of Mothra Trilogy)』は未見なので、これから書こうとする事は、視点に偏りがあるかもしれない。
ぼくが初めて観たモスラ (Mothra) は、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
(Godzilla Vs. The Sea Monster)』 [1966年公開] で、これは劇場で観た。以降、『怪獣総進撃
(Destroy All Monsters)』 [1968年公開] をリアル・タイムに劇場で観、『モスラ対ゴジラ
(Mothra Vs. Godzilla)』 [1964年公開] は1970年のリバイヴァル上映「東宝チャンピオンまつり」で体験した。そしてそれと前後する形で、テレビ放映された『三大怪獣 地球最大の決戦
(Ghidorah, The Three-Headed Monster)』 [1964年公開] や、モスラ (Mothra) の原点である映画『モスラ
(Mothra)』 [1961年公開] を体験するのである。
ぼくの記憶に間違いがなければ、その原点を体験したのが、最も遅い時期だったと想う。
[上に挙げた作品のうち、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
(Godzilla Vs. The Sea Monster)』 [1966年公開] のみが福田純 (Jun Fukuda) 監督作品で、残りは総て本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品である]
この順番でモスラ (Mothra) を体験した事がどういう意味を持っているかというと、実はあまり意味はない。
と、言うのも、それぞれの映画においてモスラ (Mothra) が演ずる役割にさほどの異同がないからだ。
例えば、ゴジラ (Godzilla) の様に、核の脅威や大自然の怒りのメタファー (Metaphor) が、いつのまにやら正義の怪獣や人類の味方になってしまったというコペルニクス的な転回 (Kopernikanische Wende) はないのだから [だからそれまで正義の味方であるゴジラ (Godzilla) に慣れ親しんでいたぼく達は『モスラ対ゴジラ
(Mothra Vs. Godzilla)』 [1964年公開] を観て、その悪役然とした佇まいのゴジラ (Godzilla) の方にむしろ吃驚させられたのだった。]。
幼いぼくにとっては、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
(Godzilla Vs. The Sea Monster)』 [1966年公開] で、双子の小美人 (Shobijin : Mothra's Fairies) を演じるのがペア・バンビ (Pair Bambi) だと知るのはかなり後の事で、上記の作品総てに登場する双子の小美人 (Shobijin : Mothra's Fairies) は、ザ・ピーナッツ (The Peanuts) が演じているとばかりに思い込んでいた程だ。
逆に言えば、それだけ原点『モスラ
(Mothra)』 [1961年公開] の印象が当時、未だその作品を体験していないぼくにさえ強く影響を及ぼしていたのだ。

それは何故かというと、上記の作品が劇場公開される度に、怪獣図鑑
や雑誌などの記事でモスラ (Mothra) を紹介するスチール写真が、公開作品のそれではなくて、『モスラ
(Mothra)』 [1961年公開] からのものだったからに違いない。
中でも、完成したばかりの東京タワー (Tokyo Tower) に糸を吹きかけて蛹化 (Pupa) するシーンは、何度となくそれらの媒体に掲載された様に思う。
なぜならば、蟲のごとく変態 (Metamorphosis) する怪獣、それがモスラ (Mothra) のアイデンティティー (Self Identity) なのだから。
どの雑誌かは憶えていないのだけれども円谷英二 (Eiji Tsuburaya) の追悼記事冒頭の写真が、繭 (Cocoon) から羽化 (Emergence) したばかりのモスラ (Mothra) だと憶えている [今想えば、円谷英二 (Eiji Tsuburaya) 昇天の意を込めたのだろうか]。
この項続く。
次回は「ら」。
ぼくが初めて観たモスラ (Mothra) は、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
ぼくの記憶に間違いがなければ、その原点を体験したのが、最も遅い時期だったと想う。
[上に挙げた作品のうち、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
この順番でモスラ (Mothra) を体験した事がどういう意味を持っているかというと、実はあまり意味はない。
と、言うのも、それぞれの映画においてモスラ (Mothra) が演ずる役割にさほどの異同がないからだ。
例えば、ゴジラ (Godzilla) の様に、核の脅威や大自然の怒りのメタファー (Metaphor) が、いつのまにやら正義の怪獣や人類の味方になってしまったというコペルニクス的な転回 (Kopernikanische Wende) はないのだから [だからそれまで正義の味方であるゴジラ (Godzilla) に慣れ親しんでいたぼく達は『モスラ対ゴジラ
幼いぼくにとっては、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
逆に言えば、それだけ原点『モスラ

それは何故かというと、上記の作品が劇場公開される度に、怪獣図鑑
中でも、完成したばかりの東京タワー (Tokyo Tower) に糸を吹きかけて蛹化 (Pupa) するシーンは、何度となくそれらの媒体に掲載された様に思う。
なぜならば、蟲のごとく変態 (Metamorphosis) する怪獣、それがモスラ (Mothra) のアイデンティティー (Self Identity) なのだから。
どの雑誌かは憶えていないのだけれども円谷英二 (Eiji Tsuburaya) の追悼記事冒頭の写真が、繭 (Cocoon) から羽化 (Emergence) したばかりのモスラ (Mothra) だと憶えている [今想えば、円谷英二 (Eiji Tsuburaya) 昇天の意を込めたのだろうか]。
この項続く。
次回は「ら」。
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