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2009.12.29.19.10

どろろ

手塚治虫 (Tezuka Osamu) のマンガ『どろろ (Dororo) 』 [1967年~1968週刊少年サンデー連載] と言えば、ぼくが、先ず始めに想い出すシーンは次の様なものである。

辺り一面、草が生い茂っている中に、一本の細い道だけが通っている。風が強く、草はその強い風になぎ倒されるかの様に、それとも、その強い風に逆らうかの様に、大きくうねり脈打っている。
細い道の向こうに人影が観える。年若い青年の様だ。髪は風に翻弄され、着衣の独特の文様が風に怯えている。
その青年の周りを、どこから顕われたのか、数人の男どもが取り囲む。
彼らはこの近隣に潜む野盗の類か、それとも、なにかしでかしたその青年の追っ手の一群なのか。青年と彼らの関わりは描かれてはいない。
閃光が奔り、その青年の両腕それぞれから刃が顕われる。彼の腕は義手で、しかも仕込刀が施されていたのだ。
そしてその一瞬後、血飛沫が辺り一面を紅く染める。ふと観れば、男どもは総て絶命し、屍となって横たわっている。
青年はひとり、何事もなかった様に、先程と同じ。己の道を歩むだけだ。
そこで行われた一切は、強い風だけしか知らない。

images
以上のシーンは、ぼくがはじめて『どろろ (Dororo)』という物語に遭遇した、最初のシーンである。台詞はない。もしかしたら、風の音も斬る音も死ぬ音も、それらオノマトペ (Onomatopoeia)すらも描かれていなかったかもしれない。
僅か数頁にも満たないもので [もしかしたら、見開き二頁のみかもしれない]、ただ確かな事は、そのシーンが描かれた紙の、大きさと材質から、なにかの雑誌に掲載されていたものに違いない。
ここに登場する青年は、もちろん、百鬼丸 (Hyakkimaru) なのだけれども、当時のぼくはそれが誰だか皆目検討がつかない。このシーン冒頭 [もしかしたら、シーンのラストかもしれない] に大きく"どろろ"と描かれたいたので、それが作品名であろうとは思ったけれども、異様な響きを持つそのことばが、その物語の登場人物の名前だとは、当時、思えなかった。
ぼくがそのシーンから感じ取ったものは、両腕が欠損しその代わりに仕込刀 (Shikomi-katana aka Cane-sword) を装着した青年の、クールな佇まいとそれを裏付ける剣の強さである。

そして、次第に『どろろ (Dororo)』という物語の全容を知っていく。恐らく、断続的ではあるが連載されていた雑誌を読み耽っていたのだろう。
この青年=百鬼丸 (Hyakkimaru) の数奇な運命も、そして彼にまとわりつくこそ泥=どろろ (Dororo) も、知る事になる。
1969年にはアニメ化もされてTV放映もされたから、百鬼丸 (Hyakkimaru) とどろろ (Dororo) の冒険譚は毎日曜日の愉しみともなった。

が、問題はここで発覚する。秋田書店から刊行された『どろろ (Dororo)』全編を観ても、ぼくが観たあのシーンはどこにもないのだ。
単なるぼくの記憶違いなのか、それとも、物語の流れを寸断する様なエピソードなので、収録する際にカットされたのか。それとも。
このシークエンスそのものが連載予告だったのか [可能性としてはこれが一番高いのだけれども]。

但し、現在のぼくの眼でそのシーンを思い起こすと、そこには手塚治虫 (Tezuka Osamu) 的な描写は殆どない。このシーンはあまりにさいとう・たかを (Takao Saito) 的なのである。特に、『無用ノ介 (Muyonosuke)』だ。

次回は「」。
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