2009.12.22.18.01
映画『明日に向って撃て!
(Butch Cassidy And The Sundance Kid)』 [ジョージ・ロイ・ヒル (George Roy Hill) 監督作品 1969年制作] は、その映画を観る前に、それをノヴェライズした小説を先に読んだ。
1969年のアメリカ映画だから、公開時にリアル・タイムに観る事は当然無理な話で、多分、ブッチ・キャシディ (Butch Cassidy) を演じたポール・ニューマン (Paul Newman) とザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) を演じたロバート・レッドフォード (Robert Redford)、この二人が同じ監督の下に再び共演した『スティング
(The Sting)』[ジョージ・ロイ・ヒル (George Roy Hill) 監督作品 1973年制作] を観たのが、この映画とそのノヴェライズに触れるきっかけになったのだと思う。
『スティング
(The Sting)』[ジョージ・ロイ・ヒル (George Roy Hill) 監督作品 1973年制作] のノヴェライズも勿論読んだけど。
映画の中では、この作品を支える時代そのものに関しては、詳しくは触れられていなかったと思う。
しかしノヴェライズでは、その時代背景を知る事が、彼らと彼らの軌跡を理解する事なのだと言わんばかりに、詳細に語られていた[と、いうかぼくの記憶の中ではそれが強く印象づけられている]。
それは、彼ら二人と彼らに同道するザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)] の恋人エッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] が遅れて来たモノ達であるという点である。
つまり、彼らが生き、そして物語として描かれたその時代が、拳銃が支配する無法の時代が終焉を向かえ、法と裁きが支配する秩序ある時代へと変転しだした時代であるという事なのである。
ワイルド・ビル・ヒコック (Wild Bill Hickok) は1876年8月2日、Aと8のツーペア (Dead Man's Hand)を握りしめたまま、背後から射殺される。
短い生涯に21人を殺害したとされるビリー・ザ・キッド (Billy The Kid) は1881年7月14日、脱獄した彼を追う保安官パット・ギャレット (Pat Garrett) に射殺される。
世界初の銀行強盗と呼ばれるジェシー・ジェームズ (Jesse James) は1882年4月3日、10,000ドルの賞金に眼がくらんだ仲間に射殺される。
ワイアット・アープ (Wyatt Earp) ~ドク・ホリデイ (Doc Holliday) がクラントン兄弟 (The Clantons) を亡き者にしたOK牧場の決闘 (Gunfight At The O.K. Corral) でさえ、1881年10月26日だ。
そして、バッファロー・ビル (Buffalo Bill) が『ワイルド・ウェスト・ショー (Buffalo Bill's Wild West Show)』と銘打って、"西部劇 (The Western)"という興行を開始したのがこの時代なのだ。
ブッチ・キャシディ (Butch Cassidy) [演:ポール・ニューマン (Paul Newman)] とザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)]、そしてエッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] の物語は、そんなかつての英雄達がこの世を去り、彼らアウトロー達の活き場所が喪われつつある時代、と同時に、新しい時代が押し寄せて来た世紀の変わり目に展開されている。
にも関わらずに、彼らは、爆薬の量を間違えて貨車までも爆破して札束をばらまいてしまったり、追っ手に追われて泳げもしないくせに渓谷の濁流に飛び込んだり、新天地を求めて言葉も碌に通じないボリビア (Bolivia) にまで逃避行してしまうのである。
そして遂に逃げ場を喪って、追いつめられた二人の口から出た言葉が、これである。
「オーストラリア (Australia) へ行こう。あそこならば英語が通じる」
映画は西部劇 (The Western)と言うレトロスペクティヴな様相をまとい、登場する主役達の考える事も行う事も、常に後ろ向きで現実逃避している。
にも関わらずに、ぼく達が彼らに向ける視線には、愛おしさがある。
バート・バカラック (Burt Bacharach) 作曲でB. J. トーマス (B. J. Thomas) が唄った『雨にぬれても (Rain Drops Keep Falling On My Head)』のシーンが、名品であるのは、そんな理由からである。
ザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)] と共に過ごした夜が明け、朝が訪れるとブッチ・キャシディ (Butch Cassidy) [演:ポール・ニューマン (Paul Newman)] がエッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] を誘い出す。そして二人は自転車遊びに興じるのだ。
例えばこれが、エッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] とザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)] の組合せだったならば台無しだし、二人が乗るのが自転車ではなくて馬だったら、やっぱりぶち壊しだ。
そして、勿論、歌の内容に合わせて小雨が降り注いでいたり、それとは逆に、朝の歌が唄われても、そぐわない。
何故ならば、夢や空想は現実とはズレているからだ。そんな事は誰もが知っている。
夢を追いかけても現実はひたひたと憑いてくるし、例え夢を手に入れたとしても、それは現実でしかない [新たな夢がそこで産まれる]。
だからぼく達は夢と現実、そのズレを抱えてゆかざるを得ない。
そして彼らの様に、夢と現実の狭間を縫って、活きてゆく。
邦題の『明日に向って撃て!
』は、映画のエンディング (The Last Scene) をそのまま言語化したものだろうけれども、この映画の登場人物達は皆、明日に向けて銃弾を放ち、そのまま今日でも昨日でもないトコロ目指して一目散に逃げて逝く。
これが落語 (Rakugo) ならば、彼らの逝く先は、明後日の方向 (They don't know which way they are going to go.) に違いない。
次回は「ど」。
1969年のアメリカ映画だから、公開時にリアル・タイムに観る事は当然無理な話で、多分、ブッチ・キャシディ (Butch Cassidy) を演じたポール・ニューマン (Paul Newman) とザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) を演じたロバート・レッドフォード (Robert Redford)、この二人が同じ監督の下に再び共演した『スティング
『スティング
映画の中では、この作品を支える時代そのものに関しては、詳しくは触れられていなかったと思う。
しかしノヴェライズでは、その時代背景を知る事が、彼らと彼らの軌跡を理解する事なのだと言わんばかりに、詳細に語られていた[と、いうかぼくの記憶の中ではそれが強く印象づけられている]。
それは、彼ら二人と彼らに同道するザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)] の恋人エッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] が遅れて来たモノ達であるという点である。
つまり、彼らが生き、そして物語として描かれたその時代が、拳銃が支配する無法の時代が終焉を向かえ、法と裁きが支配する秩序ある時代へと変転しだした時代であるという事なのである。
ワイルド・ビル・ヒコック (Wild Bill Hickok) は1876年8月2日、Aと8のツーペア (Dead Man's Hand)を握りしめたまま、背後から射殺される。
短い生涯に21人を殺害したとされるビリー・ザ・キッド (Billy The Kid) は1881年7月14日、脱獄した彼を追う保安官パット・ギャレット (Pat Garrett) に射殺される。
世界初の銀行強盗と呼ばれるジェシー・ジェームズ (Jesse James) は1882年4月3日、10,000ドルの賞金に眼がくらんだ仲間に射殺される。
ワイアット・アープ (Wyatt Earp) ~ドク・ホリデイ (Doc Holliday) がクラントン兄弟 (The Clantons) を亡き者にしたOK牧場の決闘 (Gunfight At The O.K. Corral) でさえ、1881年10月26日だ。
そして、バッファロー・ビル (Buffalo Bill) が『ワイルド・ウェスト・ショー (Buffalo Bill's Wild West Show)』と銘打って、"西部劇 (The Western)"という興行を開始したのがこの時代なのだ。
ブッチ・キャシディ (Butch Cassidy) [演:ポール・ニューマン (Paul Newman)] とザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)]、そしてエッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] の物語は、そんなかつての英雄達がこの世を去り、彼らアウトロー達の活き場所が喪われつつある時代、と同時に、新しい時代が押し寄せて来た世紀の変わり目に展開されている。
にも関わらずに、彼らは、爆薬の量を間違えて貨車までも爆破して札束をばらまいてしまったり、追っ手に追われて泳げもしないくせに渓谷の濁流に飛び込んだり、新天地を求めて言葉も碌に通じないボリビア (Bolivia) にまで逃避行してしまうのである。
そして遂に逃げ場を喪って、追いつめられた二人の口から出た言葉が、これである。
「オーストラリア (Australia) へ行こう。あそこならば英語が通じる」
映画は西部劇 (The Western)と言うレトロスペクティヴな様相をまとい、登場する主役達の考える事も行う事も、常に後ろ向きで現実逃避している。
にも関わらずに、ぼく達が彼らに向ける視線には、愛おしさがある。
バート・バカラック (Burt Bacharach) 作曲でB. J. トーマス (B. J. Thomas) が唄った『雨にぬれても (Rain Drops Keep Falling On My Head)』のシーンが、名品であるのは、そんな理由からである。
ザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)] と共に過ごした夜が明け、朝が訪れるとブッチ・キャシディ (Butch Cassidy) [演:ポール・ニューマン (Paul Newman)] がエッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] を誘い出す。そして二人は自転車遊びに興じるのだ。
例えばこれが、エッタ・プレース (Etta Place) [演:キャサリン・ロス (Katharine Ross)] とザ・サンダンス・キッド (The Sundance Kid) [演:ロバート・レッドフォード (Robert Redford)] の組合せだったならば台無しだし、二人が乗るのが自転車ではなくて馬だったら、やっぱりぶち壊しだ。
そして、勿論、歌の内容に合わせて小雨が降り注いでいたり、それとは逆に、朝の歌が唄われても、そぐわない。
何故ならば、夢や空想は現実とはズレているからだ。そんな事は誰もが知っている。
夢を追いかけても現実はひたひたと憑いてくるし、例え夢を手に入れたとしても、それは現実でしかない [新たな夢がそこで産まれる]。
だからぼく達は夢と現実、そのズレを抱えてゆかざるを得ない。
そして彼らの様に、夢と現実の狭間を縫って、活きてゆく。
邦題の『明日に向って撃て!
これが落語 (Rakugo) ならば、彼らの逝く先は、明後日の方向 (They don't know which way they are going to go.) に違いない。
次回は「ど」。
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