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2009.09.29.19.02

せをはやみいわにせかるるたきがわのわれてもすえにあわむとぞおもふ

11566月3日のことである。
その数日前から、時の権力者である鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) は病に倒れ、己の極楽往生を祈念する御万歳の沙汰を行っていた。そして、それにあわせるかの様に、武士団 (Samurai) が宮中の警備に就く。
その日、鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) の長子、崇徳上皇 (Former-Emperor Sutoku) が見舞いに訪れたが、何故か法皇 (Cloistered Emperor) は面会を拒絶する。

その時に崇徳上皇 (Former-Emperor Sutoku) によって詠まれたのがこの歌である。
と、解釈したいぐらい、怒りにも似た激しい感情の迸りを感じる歌なのだが、史実はそうはいかない。

images
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ (Though a swift stream is / Divided by a boulder / In its headlong flow, / Though divided, on it rushes, / And at last unites again.)


この歌は、崇徳上皇 (Former-Emperor Sutoku) 自身の命によって、1151年に編まれた『詞花和歌集 (Shika Wakashu)』に既に収められている。
尤も、父である鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) に疎んじられ、彼の傀儡政権として天皇となり (Cloistered rule)、そして今又、己の意思の介在せざる処で退位させられた彼である。その不遇に想いを馳せれば、単なる恋の歌と、詠む事も出来ない。
己の恋さえも己の介せざるところで処し決せられている。
それでもなお、否、それだからこそ「逢はむとぞ思ふ (And at last unites again)」という様に、どうしても詠めてしまう。

が、しかし、もう少し、鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) に面会を拒まれた崇徳上皇 (Former-Emperor Sutoku) の行く末を辿ってみよう。

その約一ヶ月後の7月2日鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) が崩御。報せを受けた崇徳上皇 (Former-Emperor Sutoku) は院御所に向かうが、ここでも拒絶に逢う。生前よりの指示だという。そして葬儀も側近のごく少数のモノによって執行されてしまう。

その結果、鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) に疎まれ続けていた崇徳上皇 (Former-Emperor Sutoku) と、鳥羽法皇 (Former-Emperor Toba) から実質的に権力を引き継いだ後白河天皇 (Emperor Go-Shirakawa)、この兄弟を対立軸とした権力闘争に火がつき、旧勢力である摂関家 (Fujiwara Clan) と擡頭久しい新勢力である武家 (Samurai) 勢力を巻き込んだ、保元の乱 (Hogen Rebellion) が興るのである。

次回は「」。
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