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2024.02.13.07.54

ぞうひびょう

こんな描画だった。
女性がひとり、シャツ1枚をはおって寝台の上、そこに膝をたてて座っている。髪はながく若い。痩せ細った上半身もその証左のひとつだ。なぜか天をあおぎ嘆いている。何故なら、腰からしたが異様なのだ。彼女の両脚はその胴よりもふとく、そして酷く爛れている。

象皮病 (Elephantiasis) と謂う疾病は、そこで初めて知った。確か御丁寧にも、その描画の片隅には阿弗利加象 (African Bush Elephant) も描かれていた筈だ。
そしてその疾病とそれを題材とした描画は、ぼくの心的外傷 (Psychological Trauma) のひとつとなっている。

その描画は幼い頃、ある少年漫画雑誌でみた筈だ。その雑誌のモノクロ・グラビア頁の見開き上部に描かれてあったと思う。雑誌名も掲載年も解らない。そんな記事を企画しそうなのは大伴昌司 (Shoji Otomo) だが、後年発売された、彼の仕事を纏めた幾冊かの書籍にはそれはない。
憶えているのは、それが奇病や難病を特集した記事であって、その巻頭にあったのはひとりの少年、しかしその顔貌はどうみても老人のそれの写真だ。早老症 (Progeroid Syndromes) と思われる。その記事には他に骨形成不全症 (Brittle Bone Disease) と思われる嬰児に関する記事があったと思うが、それ以外の事はとんと記憶にない。恐らく、記憶の片隅から抹殺してしまったからだろう。と、謂うのは、その記事がぼくは恐ろしかったからだ。
下手な怪談や恐怖譚よりも辞典『家庭の医学 (Excerpts from a Family Medical Dictionary)』[1949年初版 保健同人社 (Hokendohjinsha) 刊行] の方が怖い。それを地でいっている様だが、本当に怖かったのだ。せめてもの幸いは、その特集が冒頭の少年を除けば総て、挿画であった事だ。これがもし彼以外の症例も実際に罹患、発症した人物の写真だったらもっと怖しかっただろう。恐らく、衛生博覧会 (Health And Hygiene Exposition) の様な光景が紙面に出来する事になるのではないか。
だがその恐怖とは別の恐怖をぼくが抱いた事も否定出来ない。描画であるが故にぼくの想像を異なる方向へと刺激していたのも事実なのだ。
例えば冒頭の描画で謂えば、患者であるその女性を実際の彼女よりもさらに美しいと、ぼくは思っているだろう。それ故に、彼女の疾病の重篤さがより強調されるばかりか、彼女を襲う悲劇も殊更におおきな存在に思えてしまうのだ。

そして、都合よくその疾病と描画は忘れ去っていたのである。当時のぼくには憶えなければならない事も多い代わりに、忘れ去らねばならない事も多かった。幼児から児童にかけてのその時代、それは当然の事だと思う。しかも、愉しい事や嬉しい事ならいざ知らず、怖い事は次から次へと忘却していく事に越した事はない。

だが、それを憶い出さずにはいられない事に遭遇する。
とは謂え、ぼくがその疾病に罹患した訳でも、ぼくの周囲の誰かが発症した訳でも、ぼくがその患者に遭遇した訳でもない。
拙稿はひたすら、この疾病との出逢いを綴っていく訳だが、そのどれも創作もしくはそれに類似する類いのモノなのだ [だから安心して欲しい?]。

マンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)} [手塚治虫 (Osamu Tezuka)) 作 19731983週刊少年チャンピオン (Weekly Shonen Champion) 連載] 第59話『にいちゃんをかえせ!! (I Want My Brother Back!)』[1975年掲載] は、その疾病を題材としている。しかし、その治療が必ずしも主題と謂う訳でもない様だ。兄タカオ (Takao) [演:関五本松 (Seki Gohonmatsu)] の発症により抱いてしまった弟ユキオ (Yukio) [演:どろろ (Dororo)] の妄想に対する対処こそが題材なのである。弟ユキオ (Yukio) の、常日頃おもっていた彼に対する失望が彼の発症を機とした、兄に対するいらざる誤解こそがその原因なのだ。

images
スーツアクター (Suit Actor) である兄タカオ (Takao) は発症によって、その両下肢が自身が着用して演技している怪獣ゴーラス (Goras) [演:ボラー (Bora)] と同様の爛れて肥大した脚と化してしまっている。それをみた弟ユキオ (Yukio) は、自兄が怪獣へと変身してしまう、否、既に変心してしまったと盲信してしまうのだ [上掲画像はこちらから]。

そして、このマンガとの出逢いから数年後に知ったのが、ジョゼフ・メリック (Joseph Merrick) である。尤も、彼の醜悪な外観は必ずしもこの疾病が原因ではない様だが、彼の生前事での診断結果がそうだと謂うのだ。そして彼の別名もしくは蔑称がエレファント・マン (The Elephant Man) であるが故に、その疾病との連想を断つ事は出来ないのだった。

ぼくが彼の存在を知ったのは、映画『エレファント・マン (The Elephant Man)』 [デヴィッド・リンチ (David Lynch) 監督作品 1980年制作] よりも前、その原作である戯曲『エレファント・マン (The Elephant Man)』 [バーナード・ポメランス (Bernard Pomerance) 作 山崎正和 (Masakazu Yamazaki) 訳 1977年 ハムステッド劇場 (Hampstead Theatre) 初演] によってだ。
1980年のブース劇場 (The Booth Theatre) 公演でその主役ジョン・メリック (John Merrick) を演じたのは、デヴィッド・ボウイ (David Bowie) である。当時の彼への取材記事 [恐らく雑誌『ロッキング・オン (Rockin' On Magazine)』に掲載されていたモノだろう] にそれへの言及があった。そして、その記事の巻頭を飾ったのが、その戯曲公演の為の宣材写真、舞台衣装を着装した彼だった。瀟洒なヴィクトリア調 (Victorian Style)、そのスーツを脱いだベスト姿の彼は、奇妙なかたちに身体を捻じ曲げ、右掌にした杖でその異様な身体を支えていた。
記事全体の内容が必ずしもその公演と演技に関するモノでなかった筈なので、その作品やその主題たるエレファント・マン (The Elephant Man) に関しては隔靴掻痒 (Being Frustrated) のモノだった。第一に彼の容姿が判明しない。ただ、そこで知り得た事が幾つかある。
俳優はジョン・メリック (John Merrick) の仮装をしない。素のままで演技する。その代わりに実在したジョゼフ・メリック (Joseph Merrick) 同様に、常に背筋を歪める [雑誌掲載の宣材写真はその姿勢を撮影したモノだ]。その様に異常な体勢でいる事から常に医師の帯同と診察を必要とする。しかも、これらは脚本によってあらかじめ総て指定されているのだ。
以上の事は後に出版される日本語版戯曲にも明記されてあったと思う。
そしてぼくはこうおもったのだ。疾病やその患者を描く事は決して主題ぢゃあないんだな、と。

だから、後にこの戯曲が映画化されると聴いて、ぼくは驚いたのだ。主人公ジョン・メリック (John Merrick) の風貌はどうするのだろうか、と。演劇、舞台上であれば、ジョゼフ・メリック (Joseph Merrick) の仮装をしなくても観客にそれを想像させる事は出来る。だけれども映画ではそれは難しいだろう、と。
そして完成したその映画『エレファント・マン (The Elephant Man)』でのジョン・メリック (John Merrick) [演:ジョン・ハート (John Hurt)] は、実在の彼、ジョゼフ・メリック (Joseph Merrick) の容貌や身体をそっくりそのまま再現していると謂う。だから、嗚呼、戯曲とは全くべつのモノになるんだな、ぼくはそう思った。第一にその映画監督は映画『イレイザーヘッド (Eraserhead)』 [デヴィッド・リンチ (David Lynch) 監督作品 1976年制作] を制作した人物ぢゃあないか [と、当時その映画を未見でもあるのにも関わらずそう思ってしまった]。
やだなぁ。
だからぼくはその映画の無視を決め込んだのだが当時、偶然観たその映画の予告編で、また異なる驚きをする事になる。闇の中、ある人物だけが浮かび上がり、驚愕の表情をすると共にその眼に涙が浮かんでいる。画面の向こうから、懸命の声、悲痛の訴えの様なことばが聴こえてくるのだ。
その結果、ぼくはまたべつの理由でがっかりしてしまうのだった。
やだなぁ、と。

そんな経緯を経て、さらにその数年後、ぼくはこちらで紹介した写真『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』[オスカー・G・メイソン (Oscar G. Mason) 撮影 1878年] に出逢う。象皮病 (Elephantiasis) と謂う疾病、そしてそれに罹患した患者の身体に美や聖を見出さざるを得ない作品である。

と、謂う事は、写真『猩紅熱のために象皮症に罹った若い女性 [メイソン衛兵司令撮影 / 1878年] (Bellevue Venus : Oscar G. Mason’s Portrait Of A Woman With Elephantiasis)』が秘奥している美や聖をべつなかたちで具象化したモノが、ジョゼフ・メリック (Joseph Merrick) 自身と彼に取材した戯曲『エレファント・マン (The Elephant Man)』 [そしてその映画化作品『エレファント・マン (The Elephant Man)] であると看做す事も出来てしまうのだろうか。

次回は「」。

附記 1. :
象皮病 (Elephantiasis) に限らず、皮膚病 (Skin Disease) に潜む怖しさを 第59話『にいちゃんをかえせ!! (I Want My Brother Back!)』が指摘している様に思える。何故なら患者を観た人物が、疾病による外観の変異が内面にその影響を及ぼしている、もしくは外観どおりに異常、異形の内心がそこに潜んでいる、そう信じてしまうからだ。
弟ユキオ (Yukio) は兄タカオ (Takao) が好きなのだ。思慕もしているし、信頼もしている。しかし、それが揺らぐ。何故なら彼が罹患した結果、異様な肢体となったばかりか、怪獣ゴーラス (Goras) そっくりな下肢になってしまったからだ。つまり、みためと同様に兄タカオ (Takao) も変身 = 変心してしまったと思い込んでしまったのだ。だからもし、罹患による変化が兄に正義の味方ビックマスク (Big Mask) そっくりの姿をもたらせたら、より重篤なモノではあっても逆に、弟は歓喜したかもしれない。すこし大袈裟な妄想がこの1文には稼働しているが、皮膚病 (Skin Disease) の第三者に与える影響の怖しさとはそう謂うモノだろう。
そして、もしかしたらこの作品のマンガ家自身はこの事に気づいていないかもしれない。と謂うのは、第59話の中では、弟の無知や誤解を正す事もなく、寧ろ、彼の誤解を援用して事態をブラック・ジャック (Black Jack) は回収してしまうのだ。

附記 2. :
そしてエレファント・マン (The Elephant Man) ことジョゼフ・メリック (Joseph Merrick) の物語が感動を与えるのだとしたら、外観の変容が決してその内心を侵犯しない。寧ろ、異様なる外観のなかにこそ、純真とか無垢とも呼びうるものが潜んでいる、その可能性にこころを震わせているのではないだろうか。

附記 3.:
手塚治虫 (Osamu Tezuka)) 作品には総て、スターシステム (Star System) が稼働している。だから第59話でも、実質的な主人公である弟ユキオ (Yukio) を演じているのはどろろ (Dororo) [初出演作はマンガ『どろろ (Dororo)』 [19671968週刊少年サンデー (Weekly Shonen Sunday) 連載]] だし、その兄タカオ (Takao) を演じているのは関五本松 (Seki Gohonmatsu) [初出演作はマンガ『地球を呑む (Swallowing The Earth)』[19681969ビッグコミック (Big Comic) 連載]] である。
そしてそれと同様にぼくには怪獣ゴーラス (Goras) もしくは着ぐるみゴーラス (Goras) を演じているのはボラー (Bora) ではないかと思う。
彼はマンガ『鉄腕アトム (Mighty Atom)』 [手塚治虫 (Osamu Tezuka)) 作19521968年 雑誌少年 (Monthly Magazine Shonen) 連載] 第55話『地上最大のロボット (The Greatest Robot On Earth)』[19641965年 雑誌少年 (Monthly Magazine Shonen) 連載] に出演し、その逸話での実質的な主人公プルートウ (Pluto) を打倒したロボット (Robot) である。つまり、表題に掲げられた "地上最大のロボット (The Greatest Robot On Earth)" とは結果的に彼の事になるのだろうか。そして主人公プルートウ (Pluto) の全身が鋭角的なデザインであって、それに象徴される様に、獰猛で攻撃的で頑強にみえる一方で、彼はその真逆の鈍重で蒙昧で脆弱にみえるのだ。これは主人公プルートウ (Pluto) と彼が対照的な存在である事によって、その逸話で語られる物語に説得力を与えさせているのだと思う。
そしてそんな存在であるボラー (Bora) が怪獣ゴーラス (Goras) もしくは着ぐるみゴーラス (Goras) を演じるのだ。そして本来ならば人造物である彼が生命体もしくはそれを模した衣装になる事によって、象皮病 (Elephantiasis) の罹患者、兄タカオ (Takao) の下肢と同様の身体であると弟ユキオ (Yukio) によって看做されてしまうのだ。
マンガ家であると同時に医師でもある手塚治虫 (Osamu Tezuka)) の、象皮病 (Elephantiasis) への認識がここに滲み出ている様な気がする。
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