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2023.11.28.07.43

いけにえ

手塚治虫 (Osamu Tezuka) の短編作品にそれを題名とした作品がある。
SF短編連作集『ザ・クレーター (The Crater)』 [手塚治虫 (Osamu Tezuka)19691970週刊少年チャンピオン (Weekly Shonen Champion) 連載] 第16話『生けにえ (The Sacrifice)』 である。
タイムリープ (Time Travel) が発端ではあるが、サイエンス・フィクション (Science Fiction) と謂うよりもファンタジー (Fantsy) に近い。諺 (Proverb) にある 邯鄲の夢 (Life Is Nothing But A Dream) をダークに解釈したモノ、そう理解しても良いだろう。
拙稿の主題はその弟子筋、藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio) の作品である。

東京 (Tokyo) 上空に巨大な未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) が浮遊している。そんな日常、SF短編マンガ『いけにえ (Ikenie : Sacrifice)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio)1980週刊漫画アクション増刊 (Manga Action Extra Number) 掲載] はその情景の描写から始まる。
それまでの経緯、その存在が異常事態である光景すなわち、ある日突然に未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) が飛来し、未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) への虚しい地球 (The Earth) 側の対応、そしてそこから産まれる幾つもの憶測、非日常が日常へと変転するまでを物語の主人公である浪人生 (A Student Who Failed To Enter A University) 池仁平 (Nihei Ike) と彼の恋人ミキ (Miki) との会話を通じて描写されていく。
だが、その未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) は飛来し、そこに停泊して以降、なんの反応も意思表示もこれまでにないのだ。
それ故に、そこに暮らすヒトビトにとっては、なんの関心も示す必要もない程の、存在へと化している。

しかし物語は、池仁平 (Nihei Ike) が人身御供 (Human Sacrifice) として未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) へ提供されねばならなくなった、その顛末へと舵をきる。
彼等の要求は地球人 (Earthian) 1個体の提供なのである。

その時点でぼく達が想像する様な物語展開をこの短編マンガは選択しない。
物語の常套句は常に登場するのだが、それが本来果すべき機能が一切、剥奪されている様な結構なのだ。それを期待し得る人物が登場しないではないが、登場するや否や、池仁平 (Nihei Ike) に現状を伝えるのみで抹殺されてしまう。
だから本作に向かう読者にとっては、不条理 (Absurd) な作品とみえるのかもしれない。
そんな断罪を下して匙を投げて (Give Something Up As Hopeless) しまおうとする読者にとって、唯一の救済となるのが、次の会話ではないだろうか。

images
このふたりの主張のいずれに与するか、その判断は難しい、と思う [上掲画像はこちらから]。
彼等がこうもはっきりと自身の見解を主張出来るのは、その結論を出さねばならない当事者同士だからである。
思わず書き忘れてしまったが、「一個の生命 (The One Life)」云々を主張するのが池仁平 (Nihei Ike)、すなわち、人身御供 (Human Sacrifice) として未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) へ身体生命未来を委ねねばならないその本人であり、「何十億個の生命 (The Billions Life)」云々するのが未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) からの要求を実行しなければならない政府側の人物である。
もし仮にこれが平時であるのならば、どこまでも水掛け論 (Dialogue Des Sourds) であって、議論の為の議論に時間を浪費するだけの事にしかならないだろう。
だが、そう謂えるのは、ぼく達の暮らすこの国の政治体制、経済体制があるからでもある。そのふたつの体制が全く異なる地域や社会、国家ならば、なんの疑問も抱く必要もない、机上の空論 (Be Nothing But Talk) にしかならない筈だ。
そして、手塚治虫 (Osamu Tezuka) の同名作は、そんな地域や社会、国家にあった日常の描写から始まるのだ。

と、ここまで綴っておいて謂うのもなんだが、このふたりの主張、実は、作品全体に占める重要度と謂うのはさして大きくはないのだ [そう謂いながらも、あとで蒸し返す事にはなるんだけどね]。

本作の主題は、コミュニケーションの困難さについて、だとぼくは思う。

それはこの作品を描いた漫画家が、初めて大人向けの作品として発表したSF短編マンガ『ミノタウロスの皿 (Minotaurus's Plate)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio)1969ビッグコミック (Big Comic) 掲載 猶、こちらを参照] と通ずるモノなのではないか。
その作品にはこうある。
言葉は通じるのに話が通じないという ……これは奇妙な恐ろしさだった (We can Speak, But We Can't Communicate Each Other ... That's The Strange And Fear.)」と。

この漫画家には、「言葉は通じるのに話が通じない (We can Speak, But We Can't Communicate Each Other.)」を主題とすると看做し得る作品が幾つかある。
SF短編マンガ『ミノタウロスの皿 (Minotaurus's Plate) 』 でのこの見解は、地球人 (Earthian) からみた異星人 (Alien) へ向けたモノではあるが、それを逆転させた作品、すなわち、異星人 (Alien) からみた地球人 (Earthian) の不可解さを題材としたモノに、SF短編マンガ『ヒョンヒョロ (Hyun Hyoro)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio)1971S-Fマガジン月臨時増刊号 (S-F Magazine Extra Editon) 掲載] とSF短編マンガ『征地球論 (Sei-Chikyu-ron :We Should Conquer The Earth)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio)1980マンガ少年 (Manga Shonen) 掲載] がある。
前者は自己の要求要望を貫徹する為に、あえて地球人 (Earthian) に理解しやすい手法を採択したのにも関わらず、それが一向に通用しない異星人 (Alien) の困惑をドタバタ・ギャグ (Slapstick Comedy) として描いた作品である。しかもその結果、地球人 (Earthian) の視点にたてば「一個の生命 (The One Life) 」と「何十億個の生命 (The Billions Life)」とを取り違えられた事態が出来する。
そして後者は、まるで本作で起こっている事象を異星人 (Alien) の視点から描いた様な物語なのである。このSF短編マンガの中での、異星人 (Alien) の観察対象となった地球人 (Earthian) の言動をそのまま本作の池仁平 (Nihei Ike) を中心とする人物達のそれに差し替えてもなんら不思議ではない、その様な作品なのだ。

だから、ここで指摘した2編のSF短編マンガと同様に、本作もこの見解の変奏と看做し得ると、思えるのである。
すなち、未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) からの要求している事柄は解る。解るが、それを要求する真意が不明なのだ。
池仁平 (Nihei Ike) を要求した時点から、池仁平 (Nihei Ike) 本人の視点からみれば自身が選択された時点から。しかもそこでこの物語は留まらず、さらなる「言葉は通じるのに話が通じない (We can Speak, But We Can't Communicate Each Other.)」要求が未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) から発せられ、この物語は終わるのである。

次回は「」。

附記 1. :
上掲画像にある池仁平 (Nihei Ike) の発言は、ダッカ日航機ハイジャック事件 (Japan Air Lines Flight 472) [1971年] に於いて、犯人達の要求を超法規的措置 (Extra Legal Measures) の名の許で呑まねばならなくなった際の福田赳夫内閣総理大臣 (Takeo Fukuda, Prime Minister Of Japan) の発言「一人の生命は地球より重い (The Life Of A Single Person Outweighs The Earth.)」として記憶されていると思う。だが、この発言は福田赳夫内閣総理大臣 (Takeo Fukuda, Prime Minister Of Japan) の専売特許 (Monopoly) では決してない。
死刑制度合憲判決事件 (The Court Case Of Declaring Capital Punishment System Constitutional) [1948年] の最高裁判決 (Supreme Court Decision) にみられるモノであり、その文章も評論『西国立志編 (Self-Help ; With Illustrations Of Character And Condu』 [サミュエル・スマイルズ (Samuel Smiles) 著 1859年刊行 中村正直 (Masanao Nakamura)1871年刊行] に於ける、翻訳者が執筆したその序文にある「一人の命は全地球より重し (The Life Of A Single Person Outweighs The Earth.)」からの引用であると謂う。
さらに謂えば、こちらの指摘を信用すれば序文にあるその語句は、『新約聖書 (Novum Testamentum)』中の『マタイによる福音書 (Evangelium secundum Matthaeum第16章第26節 (16 - 26) によるのだそうだ。
ある意味で普遍的な問題ではあるのだろう。
だが、これも上で既に指摘した様に、現在の体制があってこそ、議論となり得るモノなのではある。

附記 2.:
ここで、上に指摘した事を前提に、ぼくの本作への解釈を示しておこう。
本作の解釈は、未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) からの要求に対する対応を解釈するにあたって、池仁平 (Nihei Ike) を対象としたモノと政府を対象としたモノ、その2点を考察する必要がある。
前者に対してはこうだ。政府に捕縛された池仁平 (Nihei Ike) に恋人ミキ (Miki) との再会が許される。その際の彼の発言は自身の身分、浪人生 (A Student Who Failed To Enter A University) である事への悔悟であった。せめて志望校合格 (Getting Accepted To The Dream School) さえしていれば [人身御供 (Human Sacrifice) になる諦めもつく]、と。それを未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) はこう解釈したのだろう。恋人ミキ (Miki) の提供によって、ここに於いて性的願望は達成される。この願望は種の保存 (Conservation Of Species) の為の本能である。では、その願望が満たされた後、池仁平 (Nihei Ike) と謂う個体は何を望むのか。観察からの解答は、志望校合格 (Getting Accepted To The Dream School) なのである。それが「一個の生命 (The One Life)」にとって、最大重要事、と謂う事になる。
後者に対しては、こうだ。池仁平 (Nihei Ike) の解放と引換に彼の志望校合格 (Getting Accepted To The Dream School) を確約させる。つまり、ここに於いて政府にとっては池仁平 (Nihei Ike) と謂う「一個の生命 (The One Life)」の代わりに志望校合格 (Getting Accepted To The Dream School) が「何十億個の生命 (The Billions Life)」と秤にかけられた訳である。前者が重いのであるのならば、それは個の優位を証明する事になり、後者が重いのであるのならば、全が優位と謂う事になる。地球 (The Earth) と謂う体制の実態がここに明かされた事になる。
そして、このふたつの分析からなにかを悟った、もしくは、さらに解らなくなった、そのいずれかだ。もしかしたらSF短編『征地球論 (Sei-Chikyu-ron :We Should Conquer The Earth)』』の様に、地球 (The Earth) に放置期間を与え、いましばらくの猶予を与えよう、そんな結論なのかもしれない。

附記 3. :
言葉は通じるのに話が通じない (We can Speak, But We Can't Communicate Each Other.)」は必ずしも、この漫画家にとっては大人向けのSF短編だけの主題ではないのだろう。
マンガ『ドラえもん (Doraemon)』 [藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio)19691997小学館の学習雑誌 (Magazines For Study Published by Shogakukan) 連載] で、ドラえもん (Doraemon) から貸与されたひみつ道具 (Gadgets) を使っていつも失敗する野比のび太 (Nobita Nobi) もそうなのだ。
彼の失敗の原因の大半は、あらかじめドラえもん (Doraemon) から指摘されていた使用上の注意 (Instructions And Directions For Use) を厳守しない事にある。
ドラえもん (Doraemon) から野比のび太 (Nobita Nobi) へも「言葉は通じるのに話が通じない (We can Speak, But We Can't Communicate Each Other.)」のだ。

附記 4. :
猶、ぼくにとっては、映画『地球が静止する日 (The Day The Earth Stood Still)』 [ロバート・ワイズ (Robert Wise) 監督作品 1951年制作] [リメイク作が2作ある様だが未見である] は「言葉は通じるのに話が通じない (We can Speak, But We Can't Communicate Each Other.)」が主題の作品である、そんな印象がある。
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