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2023.11.21.09.04

りきっどすかい

その映画には何度も何度もエンパイア・ステート・ビルディング (Empire State Building) が登場する。
描かれている物語の遠景として、もしくはその物語の舞台となる場所を暗喩 (Metaphor) する為に。それならばそうなのだろう。だけれども、その登場回数はあまりに多くないか。しかも映画の語る物語の終了を告げるクレジットタイトル (Credit Title) に映し出されるのは、その建築物の定点観測 (Fixed-point Observation) の映像なのである。
もしかすると、この作品は実験映画『エンパイア (Empire)』 [アンディ・ウォーホル (Andy Warhol) 監督作品 Slava Tsukerman) 監督作品 1965年制作] への献辞 (Hommage) なのではなかろうか。

映画『リキッド・スカイ (Liquid Sky)』 [スラヴァ・ツッカーマン (Slava Tsukerman) 監督作品 1982年制作] が公開された際に、こんな紹介をみた記憶がある。
物語の舞台がニューヨーク (New York City) にある最先端のクラヴ・シーン (Club Scene)、最先端の流行の場、だが実は一風変わった、吸血鬼映画 (vampire Movies) なのだ、と。
最新流行のクラヴ (Club) を舞台に吸血鬼 (Vampire) が暗躍する作品ならば後年、映画『ヴァンプ (Vamp)』 [リチャード・ウェンク (Richard Wenk) 監督作品 1986年制作] が登場する。だけれども、その映画はクラヴ (Club) も吸血鬼 (Vampire)も登場するが、一皮剥けばボーイミーツガール (Boy Meets Girl) の物語なのである。

この映画に登場するのは、吸血鬼 (Vampire) と謂うよりも吸精鬼 (Vampire) に近い [後者に関してはこちらを参照の事]。

ある日、マンハッタン (Manhattan) のペントハウス (Penthouse) に未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) が飛来する。そして、そこに搭乗する宇宙人 (Alien) は、性絶頂を味わう人物の脳内に発生するある物質の収奪を試みる。その為の媒介として、ペントハウス (Penthouse) の住人、マーガレット (Margaret) [演:アン・カーライル (Anne Carlisle)] の肉体を起用する。以来、彼女と性向を試み絶頂に達した人物は、宇宙人 (Alien) によるその物質の収奪の結果、死亡する事になる。

本映画の骨子を書き出してみると、上の様な文章にはなるのだろうが、そこから想像出来る様な物語には決してならない [だからと謂って、その詳細を読んだところで、映画そのものを理解する事は出来ないのだ]。

飛来した未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) の傀儡が、世間とは隔絶した世界でひとりまたひとりと犠牲にしていく映画『吸血鬼ゴケミドロ (Goke, Body Snatcher From Hell)』 [佐藤肇 (Hajime Sato) 監督作品 1968年制作] や、人間の生命エネルギーを蒐集する宇宙野人 ワイルド星人 (Alien Wild) が登場する特撮TV番組『ウルトラセブン (Ultraseven)』 [19671968TBS系列放映] 第11話 『魔の山へ飛べ (Fly To Devil Mountain)』[金城哲夫 (Tetsuo Kinjo) 脚本 満田かずほ (Kazuho Mitsuta) 監督 的場徹 (Tooru Matoba) 特殊技術] や、宇宙空間を浮遊する未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) から発見された謎の全裸美女が地球全土を吸血鬼 (Vampire) によって支配してしまおうとする映画『スペースバンパイア (Lifeforce)』[コリン・ウィルソン (Colin Wilson) 原作 トビー・フーパー (Tobe Hooper) 監督作品 1985年制作] へと、ぼくの想像が向かうのだが、その様な映画では決してないのである [この2作品の他には小説『精神寄生体 (The Mind Parasites)』[コリン・ウィルソン (Colin Wilson) 作 1967年刊行] も映画『ブレイン・スナッチャー 恐怖の洗脳生物 (The Puppet Masters)』 [ロバート・A・ハインライン (Robert Anson Heinlein) 原作 スチュアート・オーム (Stuart Orme) 監督作品 1994年制作] もあげられるだろう、否、それよりも相応しいモノはいくつもあるのに違いない]。
寧ろ、マーガレット (Margaret) を狂言廻し (Major Supporting Role) として、その独特の世界とそこに暮らす異様な住民達を描きたいのでは、とも思う。

だけれども、それならそれで、映像に映える斬新な映像とそれを彩る独特の意匠や衣装が次から次へと繰り出されるのか、と謂うと、そういう映画でもない。
画面に映える表層を眺めているだけでも、なぜかこころに、おもくのしかかるモノがあるのだ。

登場人物達のほとんどは、自らの意思というよりも、周囲の状況、そこからの反響だけに呼応して刹那的に生きている様にみえる。主人公であるマーガレット (Margaret) さえそうなのだ。
だが、そんな彼等とは異なり、ふたりだけ、自身の目的をもって行動している人物達がいる。
ひとりはホフマン博士 (Dr. Johann Hoffma) [演:オットー・フォン・ヴァーンヘル (Otto von Wernherr)] である。彼は、未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) を研究、追跡しており、その為にドイツ連邦共和国 (Westdeutschland) からここ、ニューヨーク (New York City) へと渡来してきたのだ。それ故に彼の行動指針は一切、ぶれはしない [テレビプロデューサー (TV Produce) のシルビア (Sylvia) [演:スーザン・ドゥーカス (Susan Doukas)] の誘惑も意に介さない] のだが、その一方で思う様な成果をあげにくい状況にはある。所詮、彼は部外者にすぎないのだ。
もうひとりはエイドリアン (Adrian) [演:ポーラ・E・シェパード (Paula E. Sheppard)] である。マーガレット (Margaret) の同居人であり、バイセクシャル (Bisexual) である彼女の恋人でもある彼女は、ドラッグ (Drug) の売人でもある。作品名に掲げられたリキッド・スカイ (Liquid Sky) とはヘロイン (Heroin) の謂いであり、彼女の商売道具でもある。マーガレット (Margaret) との性向によって誕生した遺骸の処理を、彼女に対し決断し共に実行出来たのも、そんな彼女なのだから、なのだ。
それ故に、彼女を中心としたちいさな共同体が形成され、そのなかに於いてはある意味、彼女の謂うがままなのである。なにか事があるにしろ、ないにしろ、その都度、それに関して彼女は自身の見解を表明するのだ。猶、彼女の態度、指針は映画の中で彼女が歌唱する楽曲『ミィ・アンド・マイ・リズムボックス (Me And My Rhythm Box)』 [歌詞はこちら] そのものでもある筈だ。

ホフマン博士 (Dr. Johann Hoffma) とエイドリアン (Adrian) をそれぞれの指標と看做す事が出来るのならば、彼等の眼を通じて、映画が語る物語が描かれているとみて良いだろう。閉塞的なその世界を外部からは前者によって、その内部に於いては後者の視点が存在しているのだ。
だから、マーガレット (Margaret) 自身も、ふたつの視点が凝視める点景のひとつでしかない。

その彼女が真の主人公となるのは、自身の肉体に起きる変異、否、彼女と性的な交渉をもつ事によって、その当事者の一方が死亡してしまう、その事実に驚かされてからの事である。
この時点からようやく、ぼく達は彼女の内面、その存在に気づかされるのである。

images
物語の後半は、マーガレット (Margaret) の自室における撮影の光景である。そこではモデルとなる彼女ともうひとりの男性モデル、ジミー (Jimmy) [演:アン・カーライル (Anne Carlisle)] が被写体だ。
その撮影のあいま、小競り合いがふたりの間に起こり [この2人は当初から周知の関係にあり、映画の冒頭でもその自室に於いてつまらぬ喧嘩をしている]、撮影班が待機するなか、ジミー (Jimmy) に対しマーガレット (Margaret) が強姦 (Rape) まがいの行為に移るのだ [上掲画像はこちらから] 。その際、何故、ジミー (Jimmy) はその行為をこばもうとするのだろう。もしかすると外観とは異なる自身の性差が暴露されてしまうのだろうか [そうい謂うえば、先の喧嘩の際に、ジミー (Jimmy) は室内にあるマーガレット (Margaret) の衣装をはおってみせるのだ]。
映画の中では、マーガレット (Margaret) がジミー (Jimmy) の尺八 (Blowjob) をしゃぶり、その結果、絶頂に達した彼は死亡と同時にその肉体が消失する。ただそれだけの事だ。
だが、そこで映し出される物語の外では、マーガレット (Margaret) とジミー (Jimmy) は一人二役 (Dual Role) [それ故に時折、ぼくは彼女なのか彼なのか、みあやまってしまう時がある]、アン・カーライル (Anne Carlisle) が演じている。すなわち、この映画では女優でもあり男優でもあるアン・カーライル (Anne Carlisle) にとっては自慰 (Masturbation) に耽るのと等しい。これは一体、なにを意味しているのか。
そして、マーガレット (Margaret) とともに絶頂してしまう人物は死亡してしまうのである、この時点でマーガレット (Margaret) 自身、その行為に耽る事によって相手が死亡してしまう事は、既に自明だ。彼女はジミー (Jimmy) の生命を奪う為に、尺八 (Blowjob) をしゃぶるのだ。
と、謂う事は、アン・カーライル (Anne Carlisle) の視点からみればそれは、自分殺し (Autoinfanticide) である、そんなみかたもできてしまうのだ。と、謂う事は?

そして、マーガレット (Margaret) の異様な能力によってジミー (Jimmy) はおろかエイドリアン (Adrian) さえも死亡、消失してしまったその後に、ようやく彼女の眼前にホフマン博士 (Dr. Johann Hoffma) が登場し、事実を告げるのだ [ここでようやく内部の物語と外部の物語は結合出来る]。その能力は未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object)、それに搭乗する宇宙人 (Alien) の仕業である、と。
だが、その忠告に耳を貸しもしないでホフマン博士 (Dr. Johann Hoffma) を殺してしまった彼女は、未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) に願うのである。つれていってほしい、と。

その光景を観たぼくはこんな事をおもう。転倒した赫耶姫 (Kaguya-hime) ではないだろうか、と。
誰もが知る様に、彼女を主人公に据える物語『竹取物語 (The Tale Of The Bamboo Cutter)』 [作者不詳 平安時代 (Heian Period) 前期成立] では、自身を迎えに来た使者達に、帰参を固辞するのである。そればかりではない、彼女は迎えに来る人物には、假令、それが天皇 (Emperor Of Japan) であっても固辞する。誰ひとりに対して、連れて行ってくれ、迎えに来てくれとは謂わないのだ。
だがこの映画の、その時点で花嫁 (Bride) 紛いの白装束をまとったマーガレット (Margaret) は発進しようとする未確認飛行物体 (UFO : Unidentified Flying Object) に対し、まったく逆の意思表示をするのだ。

ところが通常は、こうゆう展開をある物語がすると、殆どの場合、その願望は受け入れてもらえないモノの様に、ぼくには思える。
何故ならばそれはある意味で、ないものねだり (Crying For The Moon)、無意識の逃避、無自覚な逃亡、そして、『ここではないどこか (Somewhere, Not Here)』[萩尾望都 (Moto Hagio) 作 2006年より 月刊フラワーズ (Monthly Flowers) 掲載] への憧憬でしかないからだ。

鹿ケ谷の陰謀 (Shishigatani Incident) [1177年] の首魁と看做されて鬼界ヶ島 (Kikai-ga-shima) に遠島 (Penal Transportation) となった俊寛 (Shunkan) を題材とした能 (Noh)の演目『俊寛 (Shunkan)』[作者不詳 室町時代 (Muromachi Period) 成立] もそうだし、特撮TV番組『ウルトラQ (Ultra Q)』 [1966TBS系列放映] 第28話『あけてくれ! (Open Up!)』 [1967年放映 小山内美江子 (Mieko Osanai) 脚本 円谷一 (Hajime Tsuburaya) 監督 川上景司 (Keiji Kawakami) 特技監督] の主人公、沢村正吉 (Masakichi Sawamura) [演:柳谷寛 (Kan Yanagiya)] もそうだ。
だから、その時点でぼくの脳裏に浮かぶのは、絶対の孤独者となってしまったマーガレット (Margaret) の姿なのである。

ところが実際の、この映画は違うのだ。その後の彼女、その運命やその生存が保証されているとは謂い難いのは事実ではあるが、彼女の願望はそっくりそのまま受け入れられてしまうのだ。

そして、ここでぼくは悩む。
この結末をどう理解していいのか、と。
もしかしたら、映画監督の出自に起因するのだろうか。何故なら、スラヴァ・ツッカーマン (Slava Tsukerman) と謂う映像作家はソヴィエト社会主義共和国連邦 (USSR : Union of Soviet Socialist Republics) 出身でありイスラエル (State Of Israel) を経てアメリカ合衆国 (USA : United States Of America) へと亡命 (Exile) してきた人物だからだ。
またその一方で、映画の中で、幼少時の彼女の写真が幾点も映し出された後に語られるマーガレット (Margaret) の半生も気になる。恐らくそれは、彼女を演じたアン・カーライル (Anne Carlisle) の半生をそっくりそのまま虚構として語ったモノなのだろう。と、謂う事は、この結末はアン・カーライル (Anne Carlisle) 自身が求めたモノとも謂えるのだ。彼女は映画の脚本執筆にも参画しているのだから。

とおくからでて、ここニューヨーク (New York City) までようやく来た。
そして、ここから先は ... 。

そして、その為の象徴として、エンパイア・ステート・ビルディング (Empire State Building) の映像が随所に登場するのだ、と。

こんな結論で良いのだろうか。
最終的に古典的な、作家主義 (Politique des auteurs) 的な見地で表明してしまう事が出来るこの結論で。

次回は「」。
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