2023.09.05.08.13
街を歩いていると不意にある音楽が聴こえてくる。有線や店内BGM (Cable Broadcasting) ではない。ストリート・ミュージシャン (Street Musician) の演奏でないのは当然で、どこかのだれかのヘッドフォン (Headphones) から漏れてくるモノでもない。
ぼくの脳内で勝手にある音楽が聴こえてくるのだ。
それがぼくの大好きな音楽ならばなんの問題もない。そうではない。どこのだれの演奏だか解らない。だから歩きながらその楽曲名、そうでなければ演奏者を捜し出そうと考える。
そして、その正体が判明しなければ当分はもやもやとわだかるばかりだし、判明すれば判明したでやはりわりきれないモノがそこに遺る。なんでいま、この楽曲なのだ、と。
先日の事である。
都営大江戸線都庁前 (Tochomae Station, Toei Oedo Line) を出て目的地まで向かうその途中、やはりある音楽が鳴り出す。ギター (Guitar) を主体とする下降するリフ (Riff) だ。そしてそのオブリガート (Obbligato) の様な役割で手拍子 (Hand Clappings) が鳴る。不穏な雰囲気がそこにはあるが、歩くぶんにはちょうど良いリズムだ。
なんだろう。ずっと考える。そのリフ (Riff) に続くであろうヴォーカル (Vocal) が聴こえる様で聴こえてこない。
そのフレーズ (Phrase) に続いて、素っ頓狂な雄叫びが響く。どうやら別の楽曲に接続した様だ。痴呆化した様な男性コーラス (Male Choir) が続く。能天気な楽曲だ。このあたりでようやく正体が判明してくる。ほら、やっぱり、あのコード・カッティング (Cutting Cords) だ。

アルバム『ロジャー・ジ・エンジニア (Roger The Engineer)』 [1966年発表]、正式名称『ヤードバーズ (Yardbirds)』はいまのぼくにとってその様な位置にある。
最初に聴こえてきたのはその収録楽曲のひとつ、楽曲『悲しきさだめ (He's Always There)』で、その後に素直に収録順に記憶が追走しても良さそうなのに、何故かその2曲前の楽曲『ホット・ハウス・オブ・オマガラーシッド (Hot House Of Omagararshid)』が始まる。そしてそこから後は収録順に従って楽曲『ジェフズ・ブギー (Jeff's Boogie)』へと接続しているのだ。
と、その時に脳内再生された楽曲の正体は判明したけれども、その理由はやはり解らない。
単純に歩くテンポに丁度良い、それだけが理由なのだろうか。
と、謂う疑問は放置したまま、このアルバムに関して綴ってみる。
アルバム名 (Name Of The Album) がふたつあるのは、ひとつにはアルバムのアートワーク (Art Work Of The Album) にある。そこに描かれてあるのは、本作のエンジニア (Recording Engineer) であるロジャー・キャメロン (Roger Cameron) の肖像で、それを描いたのは、その作品の主人公、ヤードバーズ (The Yardbirds) のひとり、クリス・ドレヤ (Chris Dreja) である。だけれども、これはあくまでも通称名であり、正式名称は、先に綴った様にアルバム『ヤードバーズ (Yardbirds)』である。彼等のセカンド・アルバム (The Second Album) にあたる。第1作はライヴ・アルバム (The Live Album) 『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ (Five Live Yardbirds)』 [1964年発表 こちらを参照の事] であり、そこでのリード・ギタリスト (Lead Guitarist) はエリック・クラプトン (Eric Clapton) だ。
彼の脱退とその結果としての音楽性の変更、否、逆だ、音楽性の変更のその結果としての彼の脱退である。それを受けて、ジェフ・ベック (Jeff Beck) が加入した最初の作品が本作である [しかも結果的に最期の作品となってしまう]。この前後、数種類の作品は発表されているがどれもシングル・ナンバー (The Single Nuimbers) 等で構成された編集盤なのである。
ジェフ・ベック (Jeff Beck) の脱退の結果としてその後任となったジミー・ペイジ (Jimmy Page) がイニシアティヴ (Initiative) を発揮したアルバム (Album)『リトル・ゲームズ (Little Games)』 [1967年発表]も本国では当時未発売、米国 (United States) のみの発売の作品なのである。
だから、当時の思惑からすれば、本作は初のスタジオ収録作品 (The Studio Recording Album) であり、それだからこそ、バンド名をそのまま作品名としたのだろうが残念な事に、現在の視点からみれば、唯一のスタジオ収録作品 (The Studio Recording Album) なのである。
ぼくがこの作品を購入したのはある意味で代償 (Substitution) でしかない。
ヤードバーズ (The Yardbirds) と謂う名称はかなり前から知っていた。それは、ザ・ビートルズ (The Beatles) を聴けば当然、その人脈からエリック・クラプトン (Eric Clapton) と謂うギタリスト (Guitarist) が登場し、彼の経歴を語ればそこで黙っていようとも、このバンド (Band) 名は登場してくるのだ。そして、そこを起点にして彼を含めての三大ギタリスト (The Guitarists, The Big Three) [遺りの2名はジェフ・ベック (Jeff Beck) とジミー・ペイジ (Jimmy Page) である] と謂う形容はいやでもついてまわる。そして当時は、その3名が3名ともそれぞれ独自の手法と技術でもって、音楽シーンに話題と刺激を与えていた時季でもあったのだ。
ヤードバーズ (The Yardbirds) と謂う名前は知っている。しかし、実際にその作品や楽曲を聴く事はなかなか出来ない。
そんな当時に、彼等の音楽を教えてくれたのはエアロスミス (Aerosmith) と渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) だ。
前者は彼等の楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』 [尤もこの楽曲の作者はタイニー・ブラッドショー (Tiny Bradshaw) とロイス・マン (Lois Mann) の2人 1951年発表曲である] を独自の解釈で演奏した楽曲『ブギウギ列車夜行便 (Train Kept a Rollin')』 [アルバム『飛べ!エアロスミス (Get Your Wings)』 [1974年発表] 収録] によって、後者は自身がMCを担うラジオ番組 (Radio Program) 『ヤングジョッキー (Young Jocky)』 [1976~1978年 NHK FM放送] で彼等の楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』をオン・エア (On Air) した事によって、である。
そう、この2曲でぼくはヤードバーズ (The Yardbirds) に興味を抱いたのである。
だけれども、どこにいってもその2曲を収録した作品はない。当時、国内盤として流通していたのは、本作と日本編集のベスト盤 (Best Album)『メモリアル・アルバム (The Yardbirds)』 (1976年発売] だけなのだ。現行の本作には楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』が追加収録されているが当時流通していたLP盤にはその様な余裕はないし、後者はベスト盤 (The Beat Album) を自称している癖に、収録楽曲を個別に眺めるとその様な面差しは一切ない。否、それ以前に楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』も楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』も収録されていない。
ついでに綴っておけば、ヤードバーズ (The Yardbirds) が演奏する楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』自体を当時、ぼくは聴けてもいない。エアロスミス (Aerosmith) のヴァージョン (Version) だけを聴き知っているだけだ。後に、渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) が自身のラジオ番組 (Radio Program)『サウンドストリート (Sound Street)』 [1978~1987年 NHK FM放送] 等でその同曲異名の楽曲『ストロールオン (Stroll On)』 [ハービー・ハンコック (Herbie Hancock) 名義のサウンドトラック盤『欲望 (Blow Up)』[1966年発表] 収録] を聴かせてくれた事はあったが、それはおそらくそのヴァージョン (Version) でジミー・ペイジ (Jimmy Page) が演奏しているからであろう。第一に楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』を選曲した理由も、ジミー・ペイジ (Jimmy Page) 参加楽曲だからなのだろう [渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) とジミー・ペイジ (Jimmy Page) 並びにその彼が主導して結成されたレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) との関係について綴るべきなんだろうが、冗長になるばかりなのでここではしない]。もひとつついでに綴っておけば、楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』の素晴らしさを気づかせてくれたのはトッド・ラングレン (Todd Rundgren) である。彼のアルバム『誓いの明日 (Faithful)』 [1976年発表] にその楽曲の完璧なコピー・ヴァージョン (Copy Version) である楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』が収録されている。
さて、何について、ぼくは綴ろうとしていたのだっけ?
つまり、本当に聴きたい楽曲2曲はどうしても入手出来ない、それに気づいたぼくは、半ば仕方なく本作を購入した訳である。
当時、本作はジェフ・ベック (Jeff Beck) がイニシアティヴ (Initiative) を発揮する2曲を前面に主張していたと思う。
すなわち彼がリード・ヴォーカル (Lead Vocal) を担当する楽曲『いつも一人ぼっち (The Nazz Are Blue)』と、彼のギター・プレイ (Guitar Paly) で構成されたインストゥルメンタル・ナンバー (Instrumental Number) である楽曲『ジェフズ・ブギー (Jeff's Boogie)』だ。
そして、代償 (Substitution) だとかなんだか謂いながら最終的に購入した理由も、そこにある。そこと謂っても前曲ではない [ジェフ・ベック (Jeff Beck) がリード・ヴォーカル (Lead Vocak) を執る楽曲は、ヤードバーズ (The Yardbirds) 脱退後の彼のソロ名義のシングル『ハイ・ホー・シルバー・ライニング (Hi Ho Silver Lining)』 [1967年発表] を含めてごく僅かだと思う。少なくとも自身のバンド、ジェフ・ベック・グループ (The Jeff Beck Group) 結成以後は、ギタリスト (Guitarist) である事に専念する] 。後曲だ。つまり、彼の演奏をコピー (Copy) したかったからである [そしてその結果どうなったのかはも、ここでは綴らない、主題はあくまでも本作、アルバム (Album) 自体にあるからだ]。
本作は、スラッピー (Slappy) で印象的なベース・ランニング (Bass Running) が主導する楽曲『ロスト・ウィメン (Lost Woman)』から始まり、絵に描いた様な竜頭蛇尾 (End In An Anticlima) な構成 [だって荘重なコーラス・ワーク (Chor Works) で始まり、始まったかと思うと鼻を摘まれたまま終わってしまうからだ] の楽曲『愛がなければ (Ever Since The World Began)』で幕を閉じる。
ポップ (Pop) と謂えばポップ (Pop) だし、サイケデリック (Psychedelic) と謂えばサイケデリック (Psychedelic) だし、グレゴリオ聖歌 (Gregorian Chant) もあるぞと指摘されればうんそうだよねと同意せざるを得ない。そして、ぼく達が主人公視したいジェフ・ベック (Jeff Beck) は好き勝手に奔放な演奏を展開するし、その結果、キース・レルフ (Keith Relf) のヴォーカル (Vocal) のナィーヴ (Naive) さが耳をついてしまう。
当然と謂えば当然の話だが、前作『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ (Five Live Yardbirds)』 と本作とではまるっきりバンドの指向が異なっている [それだからこそエリック・クラプトン (Eric Clapton) は脱退した訳だが、だからと謂って前作の延長線上には、彼等の将来と謂うモノはまるでみえない]。だけれども、明確なヴィジョン (Vision) がそこにある訳でもない。ただ、今、ここにある瞬発力をそのまま発揮しているだけの様におもえる。
だけれども、いや違う、だからこそ、この作品はいつまで経っても新鮮なのだと思う。
時代の徒花的にもとれる編曲がそこかしこにあるのも否定できないが、それをそのまま咀嚼してしまえる事自体が魅力なのだ。
ジェフ・ベック (Jeff Beck) と謂うアーティスト (Artist) にとってここは単なる通り道でしかない。
だけれども、彼同様に、本作でサイモン・ネピア=ベル (Simon Napier-Bell) と共に与ったプロデュース (Music Produce) と謂う工程に於ける自身の成果をもってその後、プロデューサー (Music Producer) に転向したポール・サミュエル・スミス (Paul Samwell-Smith) にとっても本作は通過点のひとつだ。
本作のエンジニア (Recording Engineer)、ロジャー・キャメロン (Roger Cameron)を素描した本作がおそらく処女作となるであろうクリス・ドレヤ (Chris Dreja) もバンド (Band) 解散後は写真家 (Photographer) への道を選ぶ。
キース・レルフ (Keith Relf) とジム・マッカーティ (Jim McCarty) が歩むルネッサンス (Renaissance) 〜イリュージョン (Illusion) と謂う異なる音楽性を兼ね備えたバンドの遍歴も、ここでのいくつかの実験が端緒となったのかもしれない。
ここで終わるのではなくて、あくまでも、そして誰にとってもここから始まるのが、本作だ。
次回は「あ」。
附記:
楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』の同曲異名の楽曲『ストロールオン (Stroll On)』は映画『欲望 (Blowup)』 [ミケランジェロ・アントニオーニ (Michelangelo Antonioni) 監督作品 1967年制作 こちらを参照の事] の中で、ヤードバーズ (The Yardbirds) が演奏したヴァージョンである。権利関係から発生する諸問題を回避する為に、歌詞に変更を試みたのだと謂う。
そして、その映画に彼等が出演したのはザ・フー (The Who) の代演だと謂う。だからこそ、ジェフ・ベック (Jeff Beck) が自身の楽器を破壊するシーンがある。
映画上での物語の展開として演奏者による自身の楽器破壊は必須のモノだったのだろう。
だけれどもそれを忘れても、ザ・フー (The Who) もしくはヤードバーズ (The Yardbirds) が出演しなければならない理由はある様な気がする。
それは映画が制作された今、ロンドン (London) と謂う土地で半ば日常的に起こっている光景が必要だったからだろう。その体現者としてザ・フー (The Who) の起用を試み、結果的にヤードバーズ (The Yardbirds) が起用されたのだと思う。
と、謂う事を反転してみれば、ヤードバーズ (The Yardbirds) と謂うバンドが当時、どの様な存在として認識されていたのかが、解るのだ。
ぼくの脳内で勝手にある音楽が聴こえてくるのだ。
それがぼくの大好きな音楽ならばなんの問題もない。そうではない。どこのだれの演奏だか解らない。だから歩きながらその楽曲名、そうでなければ演奏者を捜し出そうと考える。
そして、その正体が判明しなければ当分はもやもやとわだかるばかりだし、判明すれば判明したでやはりわりきれないモノがそこに遺る。なんでいま、この楽曲なのだ、と。
先日の事である。
都営大江戸線都庁前 (Tochomae Station, Toei Oedo Line) を出て目的地まで向かうその途中、やはりある音楽が鳴り出す。ギター (Guitar) を主体とする下降するリフ (Riff) だ。そしてそのオブリガート (Obbligato) の様な役割で手拍子 (Hand Clappings) が鳴る。不穏な雰囲気がそこにはあるが、歩くぶんにはちょうど良いリズムだ。
なんだろう。ずっと考える。そのリフ (Riff) に続くであろうヴォーカル (Vocal) が聴こえる様で聴こえてこない。
そのフレーズ (Phrase) に続いて、素っ頓狂な雄叫びが響く。どうやら別の楽曲に接続した様だ。痴呆化した様な男性コーラス (Male Choir) が続く。能天気な楽曲だ。このあたりでようやく正体が判明してくる。ほら、やっぱり、あのコード・カッティング (Cutting Cords) だ。

アルバム『ロジャー・ジ・エンジニア (Roger The Engineer)』 [1966年発表]、正式名称『ヤードバーズ (Yardbirds)』はいまのぼくにとってその様な位置にある。
最初に聴こえてきたのはその収録楽曲のひとつ、楽曲『悲しきさだめ (He's Always There)』で、その後に素直に収録順に記憶が追走しても良さそうなのに、何故かその2曲前の楽曲『ホット・ハウス・オブ・オマガラーシッド (Hot House Of Omagararshid)』が始まる。そしてそこから後は収録順に従って楽曲『ジェフズ・ブギー (Jeff's Boogie)』へと接続しているのだ。
と、その時に脳内再生された楽曲の正体は判明したけれども、その理由はやはり解らない。
単純に歩くテンポに丁度良い、それだけが理由なのだろうか。
と、謂う疑問は放置したまま、このアルバムに関して綴ってみる。
アルバム名 (Name Of The Album) がふたつあるのは、ひとつにはアルバムのアートワーク (Art Work Of The Album) にある。そこに描かれてあるのは、本作のエンジニア (Recording Engineer) であるロジャー・キャメロン (Roger Cameron) の肖像で、それを描いたのは、その作品の主人公、ヤードバーズ (The Yardbirds) のひとり、クリス・ドレヤ (Chris Dreja) である。だけれども、これはあくまでも通称名であり、正式名称は、先に綴った様にアルバム『ヤードバーズ (Yardbirds)』である。彼等のセカンド・アルバム (The Second Album) にあたる。第1作はライヴ・アルバム (The Live Album) 『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ (Five Live Yardbirds)』 [1964年発表 こちらを参照の事] であり、そこでのリード・ギタリスト (Lead Guitarist) はエリック・クラプトン (Eric Clapton) だ。
彼の脱退とその結果としての音楽性の変更、否、逆だ、音楽性の変更のその結果としての彼の脱退である。それを受けて、ジェフ・ベック (Jeff Beck) が加入した最初の作品が本作である [しかも結果的に最期の作品となってしまう]。この前後、数種類の作品は発表されているがどれもシングル・ナンバー (The Single Nuimbers) 等で構成された編集盤なのである。
ジェフ・ベック (Jeff Beck) の脱退の結果としてその後任となったジミー・ペイジ (Jimmy Page) がイニシアティヴ (Initiative) を発揮したアルバム (Album)『リトル・ゲームズ (Little Games)』 [1967年発表]も本国では当時未発売、米国 (United States) のみの発売の作品なのである。
だから、当時の思惑からすれば、本作は初のスタジオ収録作品 (The Studio Recording Album) であり、それだからこそ、バンド名をそのまま作品名としたのだろうが残念な事に、現在の視点からみれば、唯一のスタジオ収録作品 (The Studio Recording Album) なのである。
ぼくがこの作品を購入したのはある意味で代償 (Substitution) でしかない。
ヤードバーズ (The Yardbirds) と謂う名称はかなり前から知っていた。それは、ザ・ビートルズ (The Beatles) を聴けば当然、その人脈からエリック・クラプトン (Eric Clapton) と謂うギタリスト (Guitarist) が登場し、彼の経歴を語ればそこで黙っていようとも、このバンド (Band) 名は登場してくるのだ。そして、そこを起点にして彼を含めての三大ギタリスト (The Guitarists, The Big Three) [遺りの2名はジェフ・ベック (Jeff Beck) とジミー・ペイジ (Jimmy Page) である] と謂う形容はいやでもついてまわる。そして当時は、その3名が3名ともそれぞれ独自の手法と技術でもって、音楽シーンに話題と刺激を与えていた時季でもあったのだ。
ヤードバーズ (The Yardbirds) と謂う名前は知っている。しかし、実際にその作品や楽曲を聴く事はなかなか出来ない。
そんな当時に、彼等の音楽を教えてくれたのはエアロスミス (Aerosmith) と渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) だ。
前者は彼等の楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』 [尤もこの楽曲の作者はタイニー・ブラッドショー (Tiny Bradshaw) とロイス・マン (Lois Mann) の2人 1951年発表曲である] を独自の解釈で演奏した楽曲『ブギウギ列車夜行便 (Train Kept a Rollin')』 [アルバム『飛べ!エアロスミス (Get Your Wings)』 [1974年発表] 収録] によって、後者は自身がMCを担うラジオ番組 (Radio Program) 『ヤングジョッキー (Young Jocky)』 [1976~1978年 NHK FM放送] で彼等の楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』をオン・エア (On Air) した事によって、である。
そう、この2曲でぼくはヤードバーズ (The Yardbirds) に興味を抱いたのである。
だけれども、どこにいってもその2曲を収録した作品はない。当時、国内盤として流通していたのは、本作と日本編集のベスト盤 (Best Album)『メモリアル・アルバム (The Yardbirds)』 (1976年発売] だけなのだ。現行の本作には楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』が追加収録されているが当時流通していたLP盤にはその様な余裕はないし、後者はベスト盤 (The Beat Album) を自称している癖に、収録楽曲を個別に眺めるとその様な面差しは一切ない。否、それ以前に楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』も楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』も収録されていない。
ついでに綴っておけば、ヤードバーズ (The Yardbirds) が演奏する楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』自体を当時、ぼくは聴けてもいない。エアロスミス (Aerosmith) のヴァージョン (Version) だけを聴き知っているだけだ。後に、渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) が自身のラジオ番組 (Radio Program)『サウンドストリート (Sound Street)』 [1978~1987年 NHK FM放送] 等でその同曲異名の楽曲『ストロールオン (Stroll On)』 [ハービー・ハンコック (Herbie Hancock) 名義のサウンドトラック盤『欲望 (Blow Up)』[1966年発表] 収録] を聴かせてくれた事はあったが、それはおそらくそのヴァージョン (Version) でジミー・ペイジ (Jimmy Page) が演奏しているからであろう。第一に楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』を選曲した理由も、ジミー・ペイジ (Jimmy Page) 参加楽曲だからなのだろう [渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) とジミー・ペイジ (Jimmy Page) 並びにその彼が主導して結成されたレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) との関係について綴るべきなんだろうが、冗長になるばかりなのでここではしない]。もひとつついでに綴っておけば、楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』の素晴らしさを気づかせてくれたのはトッド・ラングレン (Todd Rundgren) である。彼のアルバム『誓いの明日 (Faithful)』 [1976年発表] にその楽曲の完璧なコピー・ヴァージョン (Copy Version) である楽曲『幻の10年 (Happenings Ten Years Time Ago)』が収録されている。
さて、何について、ぼくは綴ろうとしていたのだっけ?
つまり、本当に聴きたい楽曲2曲はどうしても入手出来ない、それに気づいたぼくは、半ば仕方なく本作を購入した訳である。
当時、本作はジェフ・ベック (Jeff Beck) がイニシアティヴ (Initiative) を発揮する2曲を前面に主張していたと思う。
すなわち彼がリード・ヴォーカル (Lead Vocal) を担当する楽曲『いつも一人ぼっち (The Nazz Are Blue)』と、彼のギター・プレイ (Guitar Paly) で構成されたインストゥルメンタル・ナンバー (Instrumental Number) である楽曲『ジェフズ・ブギー (Jeff's Boogie)』だ。
そして、代償 (Substitution) だとかなんだか謂いながら最終的に購入した理由も、そこにある。そこと謂っても前曲ではない [ジェフ・ベック (Jeff Beck) がリード・ヴォーカル (Lead Vocak) を執る楽曲は、ヤードバーズ (The Yardbirds) 脱退後の彼のソロ名義のシングル『ハイ・ホー・シルバー・ライニング (Hi Ho Silver Lining)』 [1967年発表] を含めてごく僅かだと思う。少なくとも自身のバンド、ジェフ・ベック・グループ (The Jeff Beck Group) 結成以後は、ギタリスト (Guitarist) である事に専念する] 。後曲だ。つまり、彼の演奏をコピー (Copy) したかったからである [そしてその結果どうなったのかはも、ここでは綴らない、主題はあくまでも本作、アルバム (Album) 自体にあるからだ]。
本作は、スラッピー (Slappy) で印象的なベース・ランニング (Bass Running) が主導する楽曲『ロスト・ウィメン (Lost Woman)』から始まり、絵に描いた様な竜頭蛇尾 (End In An Anticlima) な構成 [だって荘重なコーラス・ワーク (Chor Works) で始まり、始まったかと思うと鼻を摘まれたまま終わってしまうからだ] の楽曲『愛がなければ (Ever Since The World Began)』で幕を閉じる。
ポップ (Pop) と謂えばポップ (Pop) だし、サイケデリック (Psychedelic) と謂えばサイケデリック (Psychedelic) だし、グレゴリオ聖歌 (Gregorian Chant) もあるぞと指摘されればうんそうだよねと同意せざるを得ない。そして、ぼく達が主人公視したいジェフ・ベック (Jeff Beck) は好き勝手に奔放な演奏を展開するし、その結果、キース・レルフ (Keith Relf) のヴォーカル (Vocal) のナィーヴ (Naive) さが耳をついてしまう。
当然と謂えば当然の話だが、前作『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ (Five Live Yardbirds)』 と本作とではまるっきりバンドの指向が異なっている [それだからこそエリック・クラプトン (Eric Clapton) は脱退した訳だが、だからと謂って前作の延長線上には、彼等の将来と謂うモノはまるでみえない]。だけれども、明確なヴィジョン (Vision) がそこにある訳でもない。ただ、今、ここにある瞬発力をそのまま発揮しているだけの様におもえる。
だけれども、いや違う、だからこそ、この作品はいつまで経っても新鮮なのだと思う。
時代の徒花的にもとれる編曲がそこかしこにあるのも否定できないが、それをそのまま咀嚼してしまえる事自体が魅力なのだ。
ジェフ・ベック (Jeff Beck) と謂うアーティスト (Artist) にとってここは単なる通り道でしかない。
だけれども、彼同様に、本作でサイモン・ネピア=ベル (Simon Napier-Bell) と共に与ったプロデュース (Music Produce) と謂う工程に於ける自身の成果をもってその後、プロデューサー (Music Producer) に転向したポール・サミュエル・スミス (Paul Samwell-Smith) にとっても本作は通過点のひとつだ。
本作のエンジニア (Recording Engineer)、ロジャー・キャメロン (Roger Cameron)を素描した本作がおそらく処女作となるであろうクリス・ドレヤ (Chris Dreja) もバンド (Band) 解散後は写真家 (Photographer) への道を選ぶ。
キース・レルフ (Keith Relf) とジム・マッカーティ (Jim McCarty) が歩むルネッサンス (Renaissance) 〜イリュージョン (Illusion) と謂う異なる音楽性を兼ね備えたバンドの遍歴も、ここでのいくつかの実験が端緒となったのかもしれない。
ここで終わるのではなくて、あくまでも、そして誰にとってもここから始まるのが、本作だ。
次回は「あ」。
附記:
楽曲『トレイン・ケプト・ア・ローリン (The Train Kept A Rollin')』の同曲異名の楽曲『ストロールオン (Stroll On)』は映画『欲望 (Blowup)』 [ミケランジェロ・アントニオーニ (Michelangelo Antonioni) 監督作品 1967年制作 こちらを参照の事] の中で、ヤードバーズ (The Yardbirds) が演奏したヴァージョンである。権利関係から発生する諸問題を回避する為に、歌詞に変更を試みたのだと謂う。
そして、その映画に彼等が出演したのはザ・フー (The Who) の代演だと謂う。だからこそ、ジェフ・ベック (Jeff Beck) が自身の楽器を破壊するシーンがある。
映画上での物語の展開として演奏者による自身の楽器破壊は必須のモノだったのだろう。
だけれどもそれを忘れても、ザ・フー (The Who) もしくはヤードバーズ (The Yardbirds) が出演しなければならない理由はある様な気がする。
それは映画が制作された今、ロンドン (London) と謂う土地で半ば日常的に起こっている光景が必要だったからだろう。その体現者としてザ・フー (The Who) の起用を試み、結果的にヤードバーズ (The Yardbirds) が起用されたのだと思う。
と、謂う事を反転してみれば、ヤードバーズ (The Yardbirds) と謂うバンドが当時、どの様な存在として認識されていたのかが、解るのだ。
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