fc2ブログ

2023.08.29.08.33

ごろうとごろー

「甲状腺ホルモンのバランスがくずれて異常な発育を示すことがわれわれ人間の場合にもあります。そうです。ここはすべてのバランスがくずれた恐るべき世界なのです。これから30分、あなたの眼はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです」[『ウルトラQ伝説 (The Legends Of Ultra Q)』 [ヤマダ・マサミ (Masami Yamada) 著 1998株式会社アスキー (ASCII Corporation) 刊行] より引用]

images
特撮TV番組『ウルトラQ (Ultra_Q)』 [1966TBS系列放映] 第2話『五郎とゴロー (Goro And Goroh)』 [金城哲夫 (Tetsuo Kinjo) 脚本 円谷一 (Hajime Tsuburaya) 監督 有川貞昌 (Sadamasa Arikawa) 特技監督] での、上掲の石坂浩二 (Koji Ishizaka) のナレーションが聴けるこの場面は怖い。
自身が搭乗しているロープウェイ (Ropeway) の行手を阻む様に、1匹の巨大な猿 (Giant Monkey) が出現し、そればかりかそのロープウェイ (Ropeway) が託している索条 (Rope) にぶらさがるからだ。彼の一挙手一投足 (Any Move) によって自身も揺れる。そんな不安定な乗客の視線がそのまま画面上に顕れる [ぼく達がまるでロープウェイ (Ropeway) の乗客であるかの様だ]。
しかも、ナレーションは今ここにあるこの不安な視線、すなわち視覚上のバランスの喪失がこれから語られる物語のほんの導入部にしかならない事を示唆している。
[上掲画像はこちらより。画面中央で、窓の向こうに覗く巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) に怯えているのはロープウェイ・ガイド (Female Tour Guide on Ropeway) [演:矢野陽子 (Yoko Yano)] である。]

だけれども、そんな恐怖感を抱えたまま画面に魅入っているぼく達に語られるのは、それとは全く異なる物語だ。

第2話に関して語るべき事、その最も重要な観点に関しては既にこちらで書き尽くしてしまっているのかもしれない。
そこでの主題、特撮TV番組『ウルトラQ (Ultra_Q)』の第12話『鳥を見た (I Saw A Bird)』 [山田正弘 (Masahiro Yamada) 脚本 中川晴之助 (Harunosuke Nakagawa) 監督 川上景司 (Keiji Kawakami) 特技監督] の主人公、三郎少年 (Saburo , The Boy) [演:津沢彰秀 (Akihide Tsuwaza)] と1羽の鳥、クロオ (Kuroo) に関する記述をそっくりそのまま、第2話での主人公、五郎 (Goroh) [演:鈴木和夫 (Kazuo Suzuki) と巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) に差し替えて読んでもらえば、なんの遺漏もない様な気がする。
ふたつの物語の差異は、三郎少年 (Saburo , The Boy) はその1羽の鳥クロオ (Kuroo) が古代怪鳥ラルゲユウス (Larugeus, Ancient Monster Bird) である事を知らないが、五郎 (Goroh) はゴロー (Goro) が巨大化してしまった事を知っている、その点だけだ。
だけれども、それが五郎 (Goroh) にとって果たしてどんな意味があるのだろう。大きかろうと小さかろうと、五郎 (Goroh) にとっては巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) は自身が可愛がって面倒をみているゴロー (Goro) でしかない筈だ。動物を愛玩し、自身で飼育した事のあるヒトにとって、この事はきっと理解出来るに違いない。もしもそれができないのだとしたら、愛玩する、飼育する、その意味がきっとどこかで喰い違っているのだろう。五郎 (Goroh) の中にある愛玩もしくは飼育と謂う語句が意味するモノと、あなたの中にある愛玩もしくは飼育と謂う語句が意味するモノが、全く異なるモノなのである、ただ、それだけの事なのだ。

次回は「」。

と、ここで本文を終えても決して問題とはならないだろうが、もう少し続ける。

拙稿冒頭に掲載した引用文が掲載されている書籍『ウルトラQ伝説 (The Legends Of Ultra Q)』を筆頭に、第2話に登場する巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) と映画『キング・コング (King Kong)』 [メリアン・C・クーパー (Merian C. Cooper)、アーネスト・B・シュードサック (Ernest B. Schoedsack) 監督作品 1933年制作] に登場するキング・コング (King Kong) の近似性を指摘する文章が幾つか散見される。そして、それを持って、その作品に関しての言及は事が足りているとする文章も少なくない。そんな文章が証拠として提出しているのが、着ぐるみとしての巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) の頭部が映画『キングコングの逆襲 (King Kong Escapes)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1967年制作] に登場した大怪力怪獣キングコング (King Kong, Giant Ape) のそれからの流用である事だ。
それで一件落着として良いのだろうか。
映画『キング・コング (King Kong)』云々で論を展開したいのならば、その映画から派生した作品群、その中でもふたつの作品に関して言及すべきだろう。
ひとつは映画『コングの復讐 (Son Of Kong)』 [アーネスト・B・シュードサック (Ernest B. Schoedsack) 監督作品 1933年制作]、もうひとつは映画『猿人ジョー・ヤング (Mighty Joe Young)』 [アーネスト・B・シュードサック (Ernest B. Schoedsack) 監督作品 1949年制作] である。
そこにそれぞれ登場する1匹の巨大な猿 (Giant Monkey)、前者ではリトル・コング (Little Kong) であり、後者ではジョー・ヤング (Joe Young) であるが、彼等の性質や気質と巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) とのそれらとの類似点を先ず指摘すべきなのだ。キング・コング (King Kong) だけがひとり、荒々しくも猛々しいだけで、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) を含むこの3匹はどれも友好的で穏やかな気質の持主だからだ。この点をもってキング・コング (King Kong) との差異を認識すべきではないだろうか。
そして彼等がその様な性質だからこそ、リトル・コング (Little Kong) は沈みゆく故郷、髑髏島 (Skull Island) と運命を共にせざるを得なかっただろうし、ジョー・ヤング (Joe Young) は故郷、コンゴ (Congo) への帰参が叶うのである。巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) の物語はこのふたつの物語の融合を試みた、そう謂えるのではないだろうか。つまり、第2話の終焉部は五郎 (Goroh) の視点に立てば映画『コングの復讐 (Son Of Kong)』の終焉部と然程変わらない悲劇的色彩を帯びているが、第三者からみれば、映画『猿人ジョー・ヤング (Mighty Joe Young)』の再演に他ならない。巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) はいずれ彼と同様に青葉くるみ (The Drug Helypron Crystal G) を喰して巨大化した猿 (Giant Monkey) の棲むイーリアン島 (Irian Island) へ送致されるだろうが、五郎 (Goroh) ひとりだけがその事情を知らないのだ。今の彼からみれば、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) は毒殺された様にしかみえず、しかもその毒薬は彼が彼に与えた飼料の中に混入されていたのだから。

[前段に登場したみっつの映画を比較するとこんな事が解る。
映画『キング・コング (King Kong)』は美女と野獣の逸話 (La Belle et la Bete) の変奏である。その逸話の本来の構成に則れば、美女 (Belle) も野獣 (Bete) も自身が得べかるべき環境とそれを共有する愛人、すなわち一方が他方を得て物語は幸福に包まれて終わる。だけれども、この映画では野獣 (Bete) だけが破滅する。そしてその原因は彼が一方的に美女 (Belle)、アン・ダロウ (Ann Darrow) [演:フェイ・レイ (Fay Wray)] を愛してしまったからである。
映画『コングの復讐 (Son Of Kong)』もそれと同様の展開となる。しかも美女 (Belle)、ヒルダ・ピーターソン (Hilda Petersen) [演:ヘレン・マック (Helen Mack)] は野獣 (Bete) の破滅があったればこそ、本来自身が得るべき、真の愛人に出逢う。
そして映画『猿人ジョー・ヤング (Mighty Joe Young)』はふたつの映画とは一転し、ジル・ヤング (Jill Young) [演:テリー・ムーア (Terry Moore)] の物語は、本来の美女と野獣の逸話 (La Belle et la Bete) へと回帰している様にみえる。]

ところで、第2話は幾つもの問題を孕んでいる様に思える。

その物語が放映される1週間前、つまり特撮TV番組『ウルトラQ (Ultra_Q)』第1話『ゴメスを倒せ! (Defeat Gomess!)』 [千束北男 (Kitao Senzoku) 脚本 円谷一 (Hajime Tsuburaya) 監督 小泉一 (Hajime Koizumi) 特技監督] には2匹の怪獣達 (Kaijus)、すなわち原始怪鳥リトラ (Litra, Prehistoric Bird) と古代怪獣ゴメス (Gomess, Ancient Monster) が登場し、熾烈な争いを展開する。そこでぼく達は怪獣の中には良い怪獣 (Beneficial Kaijus) と悪い怪獣 (Pest Kaijus) が存在する事を知る。総ての、ありとあらゆる怪獣 (Kaiju) を退治し掃討すれば事足りる、そんな単純な世界ではないとぼく達は、この2匹の闘いを観て、おもいしらされるのだ。
だけれども、ここで謂う良い怪獣 (Beneficial Kaijus) と悪い怪獣 (Pest Kaijus) とは、益虫 (Beneficial Insects) 対害虫 (Pest Insects) とか益鳥 (Beneficial Bird) 対害鳥 (Pest Birds) とか益獣 (Beneficial Animals) 対害獣 (Pest Animals) とかと同じ発想なのである。敢えて謂えば、益怪獣 (Beneficial Monsters) 対害怪獣 (Pest Monsters) と謂う分類だ。しかもそれは単に、自己都合、すなわち人間であるぼく達にとっては、と謂う意味なのである。
そしてその発想をそのまま通用させて良いのだろうか、そんな問いが包含されているのが、例えば第2話なのである。
何故ならば、第一に巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) は人間の自己都合の被害者であるからだ。彼が巨大化した原因の青葉くるみ (The Drug Helypron Crystal G) とは人間が開発した、しかもそれは戦争目的の薬品であるのだから。そして第二に、彼には善悪の分類とは無縁のところ、無垢とか純粋と謂う評価が下されるべき地平にあるからだ [第2話に於ける巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) と同様の前例として、映画『モスラ (Mothra)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1961年制作] に於ける巨蛾モスラ (Mothra, Giant Moth) を挙げる事は出来ると思う]。何故ならば、物語の中の彼の行動は、決して巨大化したからこその行為ではなくて、例え巨大化しなくても行ったであろう蜘蛛猿 (Atelidae) としてのふるまいから一切、逸脱していない様にみえるからだ。大きかろうと小さかろうと、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) は蜘蛛猿 (Atelidae) のゴロー (Goro) なのである。

そして人間達が採った結論、そしてそれを実現化させる為の行為は果たして正しいと呼べるのだろうか。
巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) は、既に上に綴った様に彼と同様の理由で巨大化してしまった猿 (Giant Monkey) の棲むイーリアン島 (Irian Island) へ送致される。そこで先ず浮上する点が幾つかある。
ひとつは彼等の食餌の問題。彼等を養うに足る豊富な食材がそこにあるのだろうか。そんな問題は後に映画『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス (Daigoro vs. Goliath)』 [飯島敏宏 (Toshihiro Iijima) 1972年制作] での、ハラペコ怪獣ダイゴロウ (Daigoro, Hungry Monster) の飼育と謂う問題となって顕れている。そこで描かれている物語と同様の問題がいずれ勃発するであろう。
ひとつは、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) と彼が出逢うであろうもう1匹の巨大猿 (Giant Monkey) との性差の問題である。第2話では巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) の性別に関してばかりか、もう1匹についても言及されてはいないと思う。だけれども、この2匹がひとつがいの巨大猿 (A Pair Of Giant Monkeys) であるのならば、これから浮上する問題は陽の目にも明らかだ。マンガ『巨人獣 (The Colossal Beast)』 [石川球太 (Kyuta Isikawa) 作 1970週刊少年キング連載] から類推すれば良い。その作品は、あるひとりの成人男性が1昼夜にして巨大化してしまったところから始まる。しかもそれは彼ひとりではない。もうひとりの巨大化した女性が出現し、その彼女が妊娠しているところから物語は最凶のモノへと転ずる。それと同様の結末が、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) 達を待っている可能性がないとは決して謂えないのだ。
だからと謂って、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) 達が同性であれば良いのだろう、と謂う事でもない。短編マンガ『いとしのモンキー (Itoshi No Monkey : Beloved Monkey)』 [辰巳ヨシヒロ (Yoshihiro Tatsumi) 作 1970週刊少年マガジン掲載] の様な結末をみてしまう事になるのかもしれないのだ。そのマンガでは障碍者となった主人公が飼育していた (Macaque) を動物園 (Zoo) の猿山 (Monkey Hill) に解放してしまう事からその (Macaque) が悲劇的な死を迎えるのだ。猿山 (Monkey Hill) の猿達 (Macaques) からみれば、その (Macaque) は異物でしかない、敵と呼んでも良い存在だ。だからこそ彼等は彼を虐殺する。主人公はそれをまのあたりにし、自身の視野狭窄の思考の非を知ると同時に、障碍者である彼が迎えるであろう社会的な抹殺を予見する。イーリアン島 (Irian Island) に解放された巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) がその (Macaque) と同様の結末を迎えないとは誰が謂えるのであろうか。

そして、同じ事は五郎 (Goroh) にも謂えるのだ。

彼は巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) と共にイーリアン島 (Irian Island) へ向かうのだろうか。そしてそこでどの様な境遇を得るのだろうか。
いろいろな可能性を考える事は出来るが、例えば、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) は同病相憐むべき (Misery Loves Company)、巨大な猿 (Giant Monkey) を得る事が出来るかもしれぬが、その結果、五郎 (Goroh) は巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) を喪う事になりはしないだろうか。
そしてもし、五郎 (Goroh) が巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) と決別し、この国に留まるとしたら、どうなるだろうか。かつての職場にそのまま復職し、そのまま巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) の巨大化する前の生活に戻れるのかもしれない。だけれども、そうした場合、ぼくにはどうしてもマンガ『いとしのモンキー (Itoshi No Monkey : Beloved Monkey)』 の主人公と同種の境遇に彼が追い込まれてしまう様にしか思えないのだ。

次回は「」。

附記 1. :
こちらにも綴ってあるが、特撮TV番組『戦え! マイティジャック (Fight! Mighty Jack)』 [1968フジテレビ系列放映] 第16話『来訪者を守りぬけ (Protect The Escape Visitors)』 [金城哲夫 (Tetsuo Kinjo) 脚本 東條昭平 (Shohei Tojo) 監督 佐川和夫 (Kazuo Sagawa 特殊技術] にも巨大化した宇宙猿パッキー (Pakki, Space Primate) が登場する。彼が巨大化する原因も甲状腺ホルモン (Thyroid Hormone) の異常である。そして、それをもって宇宙猿パッキー (Pakki, Space Primate) は殺害される。
ここで着目すべきは、どちらの作品も脚本を金城哲夫 (Tetsuo Kinjo) が担っている事である。
同じ理由で瑕疵が出来した現象を、一方では友好的に軟着陸な結末へと収斂せしめ、他方では暴力的な方法で解決せしめている。
良い悪いの話をしたいのではない。
第16話で巨大な猿 (Giant Monkey) が殺害されたのは、その後に彼と同様の理由を持って地球 (The Earth) に贈呈された1羽の鳥が殺害されるその逸話を語りたかったが為である。
第16話の主題は、防衛 (Defensiveness) とは何か、ではないかとぼくは考えている。

附記 2. :
第2話の本案作品と看做す事の可能な作品に映画『大蛇大戦 (Da she wang)』 [シュー・ユールン (Hsu Yu-Lung) 監督作品 1984年制作] がある。
ティンティン (Tingting) [演:蘇慧倫 (Tarcy Su)] が飼育していた1匹の蛇 (Snake)、その名もモスラ (Mothra) が巨大化してしまうのだ [だからと謂って決してこの作品は映画『モスラ (Mothra)』の翻案ではない]。
モスラ (Mothra) が巨大化してしまう原因は、彼が投入された飼育器に瑕疵があったからだが、その瑕疵は、ある国の戦術的な謀略が遠因としてある。つまり、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) にとっての青葉くるみ (The Drug Helypron Crystal G) がモスラ (Mothra) にとっては飼育器に該当する。
モスラがどこまで巨大化しようとも、彼へのティンティン (Tingting) の愛は変わらない。彼の行動や存在が自身の身体や生命に危難をもたらそうとも一向に省みもしない。彼が軍隊によって討伐されても、彼女の嘆きや叫びは総てモスラ (Mothra) に向けれている。彼女は、巨大猿ゴロー (Goro, Giant Monkey) にとっての五郎 (Goroh) と同様の存在なのだ。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/3842-53bf9012

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here