2009.07.21.19.29
説話文学 (Setsuwa) の定型。中でも、平安時代末期に成立した『今昔物語集 (Konjaku Monogatarishu)』の定型である。
「今は昔 (A Long Time Ago)」と語り起こし、「となむ語り伝へたるとや (And They Lived Happily Ever After)」で結ぶ。
この定法に乗っとる事によって、定法の中に挟み込まれた"物語"、この中で語り伝えられているモノゴトの姿を定形しているのである。
文頭の「今は昔 (A Long Time Ago)」、つまり"今となっては昔となってしまった出来事である"という言説は、ふたつの事柄を顕わしてる。
ひとつは、時制が過去である事。そしてもうひとつは[こっちの方が大事なのだけれども]、事実であるという事。
つまり、「今は昔 (A Long Time Ago)」以降に続く物語は、虚構ではなくてノン・フィクションなのだという宣言なのである。これから物語る物語は、如何に荒唐無稽 (Illusion-promoting) であったり怪力乱神 (Were-extraordinary Things, Feats Of Strength, Disorder, And Spiritual Beings) が登場しようとも、かつて現実に起こり得たモノゴトなのである、という事である。
ここまではまぁ、いいでしょう。
ところが、その文頭「今は昔 (A Long Time Ago)」を前提に読み進めると、最期の最期にこれがひっくり返される。その言葉が文末の「となむ語り伝へたるとや (And They Lived Happily Ever After)」である。
文法的に解読していくと。
「と」:格助詞。連用格を示す。
「なむ」:係助詞。結びの活用語を連体形にして文意を強調する。
「語り」:他動詞。ラ行四段活用「語る」の連用形。
「伝へ」:他動詞。ハ行下二段活用「伝ふ」の連用形。
「たる」:助動詞。ラ行変格活用「たり」の連体形。"完了"の意を表す。
「と」:格助詞。連用格を示す。
「や」:係助詞。疑問を表す。
と、なる筈だ。
また、格助詞「と」 + 係助詞「や」は、「と」が受ける内容の疑わしさを指摘する用法である。"~とかいうそうだ"、"~とからしい"という意。
受験生的には、文末に省略されている語句[例:「言ふ」]が存在している可能性を指摘する必要がある事と、その省略されている語句が、係助詞の存在によって、係り結びの法則に則り、連体形になる事に注意が必要である。
これを踏まえて口語訳すると、"~と語り伝えたということだ"とか"~と語り伝えたらしい"となる。
つまり、伝聞推量の型になるのである。
どういうことかというと、文頭で「今は昔 (A Long Time Ago)」と、さぁ実際にあった事件を物語ますよと語り起こしながら、最期になってそれまで語っていた"物語"の信憑性や、その"物語"を物語る話者の責任を放棄しているのだ。
いいかげんだなぁ~と想うのならば、例えば次の様な事例は想定出来ないだろうか。
これから物語る"物語"は、現実に起こった事件であり、また話者もその当事者もしくは関係者のひとりである。そして困った事に、この事件には、為政者や権力者が加担しているのだ。
と、なれば話者が己の身を護ると同時に、この"物語"を物語る方法はこれしかない。
己が事件の当事者でも関係者でもないと主張する事だ。さらに安全策をとるならば、時制を現在から過去に改変してしまえばいい。
それが、「今は昔 (A Long Time Ago)」の「となむ語り伝へたるとや (And They Lived Happily Ever After)」に結実する。
ところで最期に、この伝聞推量の話法でもって、語り手自身の体験を物語る"物語"の傑作をひとつ、ここで紹介したい。
しかも、古典文学ではなくて、マンガである。

楳図かずお (Kazuo Umezu) 作『わたしは真悟
(My Name Is Shingo)』といいます。
小学6年生である悟とまりんの愛と、ふたりの愛の結果として、産業用ロボット (Industrial Robot) である"モンロー"が"真悟"として誕生し死を向かえるその顛末を、"モンロー"="真悟"の主観で描く作品だといいます。
次回は「や」。
「今は昔 (A Long Time Ago)」と語り起こし、「となむ語り伝へたるとや (And They Lived Happily Ever After)」で結ぶ。
この定法に乗っとる事によって、定法の中に挟み込まれた"物語"、この中で語り伝えられているモノゴトの姿を定形しているのである。
文頭の「今は昔 (A Long Time Ago)」、つまり"今となっては昔となってしまった出来事である"という言説は、ふたつの事柄を顕わしてる。
ひとつは、時制が過去である事。そしてもうひとつは[こっちの方が大事なのだけれども]、事実であるという事。
つまり、「今は昔 (A Long Time Ago)」以降に続く物語は、虚構ではなくてノン・フィクションなのだという宣言なのである。これから物語る物語は、如何に荒唐無稽 (Illusion-promoting) であったり怪力乱神 (Were-extraordinary Things, Feats Of Strength, Disorder, And Spiritual Beings) が登場しようとも、かつて現実に起こり得たモノゴトなのである、という事である。
ここまではまぁ、いいでしょう。
ところが、その文頭「今は昔 (A Long Time Ago)」を前提に読み進めると、最期の最期にこれがひっくり返される。その言葉が文末の「となむ語り伝へたるとや (And They Lived Happily Ever After)」である。
文法的に解読していくと。
「と」:格助詞。連用格を示す。
「なむ」:係助詞。結びの活用語を連体形にして文意を強調する。
「語り」:他動詞。ラ行四段活用「語る」の連用形。
「伝へ」:他動詞。ハ行下二段活用「伝ふ」の連用形。
「たる」:助動詞。ラ行変格活用「たり」の連体形。"完了"の意を表す。
「と」:格助詞。連用格を示す。
「や」:係助詞。疑問を表す。
と、なる筈だ。
また、格助詞「と」 + 係助詞「や」は、「と」が受ける内容の疑わしさを指摘する用法である。"~とかいうそうだ"、"~とからしい"という意。
受験生的には、文末に省略されている語句[例:「言ふ」]が存在している可能性を指摘する必要がある事と、その省略されている語句が、係助詞の存在によって、係り結びの法則に則り、連体形になる事に注意が必要である。
これを踏まえて口語訳すると、"~と語り伝えたということだ"とか"~と語り伝えたらしい"となる。
つまり、伝聞推量の型になるのである。
どういうことかというと、文頭で「今は昔 (A Long Time Ago)」と、さぁ実際にあった事件を物語ますよと語り起こしながら、最期になってそれまで語っていた"物語"の信憑性や、その"物語"を物語る話者の責任を放棄しているのだ。
いいかげんだなぁ~と想うのならば、例えば次の様な事例は想定出来ないだろうか。
これから物語る"物語"は、現実に起こった事件であり、また話者もその当事者もしくは関係者のひとりである。そして困った事に、この事件には、為政者や権力者が加担しているのだ。
と、なれば話者が己の身を護ると同時に、この"物語"を物語る方法はこれしかない。
己が事件の当事者でも関係者でもないと主張する事だ。さらに安全策をとるならば、時制を現在から過去に改変してしまえばいい。
それが、「今は昔 (A Long Time Ago)」の「となむ語り伝へたるとや (And They Lived Happily Ever After)」に結実する。
ところで最期に、この伝聞推量の話法でもって、語り手自身の体験を物語る"物語"の傑作をひとつ、ここで紹介したい。
しかも、古典文学ではなくて、マンガである。

楳図かずお (Kazuo Umezu) 作『わたしは真悟
小学6年生である悟とまりんの愛と、ふたりの愛の結果として、産業用ロボット (Industrial Robot) である"モンロー"が"真悟"として誕生し死を向かえるその顛末を、"モンロー"="真悟"の主観で描く作品だといいます。
次回は「や」。
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