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2023.08.01.08.19

すりーぴーほろう

1799年の物語である。その物語を映画化し公開した年の200年前だ。だが、それだけの事なのだろうか。
この年は世界史 (World History) 的にはフランス革命 (Revolution francaise) [178917991799年] の終焉とされている。そして、この物語の発端はアメリカ独立戦争 (American Revolutionary War) [17751783年] 当時の事件である。近代的な思想や理念が国家と謂う形式に則って顕現し、そしてそれが軌道に乗りつつあった時であると同時に、それに反動する勢力が擡頭した時代、すなわちナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte) の登場である。
ただ、その事自体が物語に波及しているとは思えない。しかし、物語に於ける幾つもある対立軸の、その最も大きなモノをその事が主導している様にも、思える。
また、この年、視点を科学史 (History Of Science) に移せば、アレッサンドロ・ボルタ (Alessandro Volta) による電池 (Electric Battery) の発明があった年でもある。
そしてさらに余談めいた顔をしてこっそりと囁けば、最期の魔女狩 (Witch-hunt) と呼ばれるセイラム魔女裁判 (Salem Witch Trials) [16921693年] からおよそ100年が経過している。


映画『スリーピー・ホロウ (Sleepy Hollow)』 [ティム・バートン (Tim Burton) 監督作品 1999年制作] は、短編小説『スリーピー・ホローの伝説 故ディードリッヒ・ニッカボッカーの遺稿より (The Legend Of Sleepy Hollow)』 [ワシントン・アーヴィング (Washington Irving) 作 1820年 短編集『スケッチ・ブック (The Sketch Book Of Geoffrey Crayon, Gent.) 所収] を原作としていると謂う。確かにその短編小説の登場人物達、イカバッド・クレーン (Ichabod Crane)、カトリーナ・ヴァン・タッセル (Katrina Van Tassel)、ボールタス・ヴァン・タッセル老人 (Baltus Van Tassel)、ブロム・ヴァン・ブラント (Brom Van Brunt) そしてハンス・ヴァン・リッパー (Van Ripper) [日本語表記が映画上のそれと一致していないのは、その短編小説の吉田甲子太郎 (Kinetaro Yoshida) による翻訳 [1957年] に従ったからである] はそのままその映画に登場している。勿論、その短編小説の真の主人公、首なし騎士 (Headless Horseman) も、だ。
それらの人物達の地位や身分、そしてその結果発生する相関図は、短編小説でのそれをそのまま踏襲してあるかの様ではあるが、その代わりに著しく異なる点も多々ある。
単純に考えれば、短編小説での設定を換骨奪胎 (Adaptation) して、そこに新たな物語を誕生せしめたと謂えるだろう。
猶、その短編小説の翻案作品は本映画が初めての事ではない。初の映像化作品と謂れる、イカボッド・クレーン (Ichabod Crane) [演:ウィル・ロジャース (Will Rogers)] とカトリーナ・ヴァン・タッセル (Katrina Van Tassel) [演:ロイス・メレディス (Lois Meredith) が登場する映画『首なし騎士 (The Headless Horseman)』 [エドワード・D・ヴェントゥリーニ (Edward D. Venturini) 監督作品 1922年制作] を初め、諸作品がある。しかしながら、ぼくはそれらの作品は未体験であるのだ。

本映画を観て、先行するふたつの映画を想い出す。勿論、本映画に先行する短編小説の映画化作品ではない。
映画『インディ・ジョーンズ / 魔宮の伝説 (Indiana Jones And The Temple Of Doom)』 [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1984年制作] と映画『薔薇の名前 (The Name Of The Rose)』 [ウンベルト・エーコ (Umberto Eco) 原作 ジャン=ジャック・アノー (Jean-Jacques Annaud) 監督作品 1986年制作] である。
と、謂うのはそれぞれの物語には、それぞれ独特の大きな謎が封印されていて、その解決にあたるのが探偵役 (Detective) の青年男子とその弟子 (Disciple) の様な助手 (Asistant) の様な地位にある少年 (Boy) であり、彼等の活動に謎の美少女 (Mysterious Girl) が大きく絡むからだ。
と、謂っても、共通するのはそこまでで、それ以降の物語の構造は3者3様 (Each Different) なのである。

本映画と映画『インディ・ジョーンズ / 魔宮の伝説 (Indiana Jones And The Temple Of Doom)』との共通点は、物語のもつ語り口の変転である。緩急自在と謂っても良いだろう。その圧倒的スピード感に翻弄され酔い痴れていると不意に急停止する。そしてそこに笑いが生じる。先行作に笑いが生じるのはそもそもインディ・ジョーンズ (Indiana Jones) [演:ハリソン・フォード (Harrison Ford)] とその助手、ウィリー・スコット (Willie Scott) [演:ケイト・キャプショー (Kate Capshaw)] と同行を共にする女性、ショート・ラウンド (Short Round) [演:キー・ホイ・クァン (Ke Huy Quan)] が単なる巻き添えであるからなのだろう。本来ならばいる必要のない彼女がいる、それだけで事態は急転し深刻なモノにもなる一方でその逆、思わぬ形で好転してしまう場合がない訳ではない。真の意味で彼女は狂言回 (Trickstar) なのである。
一方の本映画に於いて、その笑いの発生原因は主人公イカボッド・クレーン (Ichabod Crane) [演:ジョニー・デップ (Johnny Depp)] の失神 (Syncope) である。首が幾つ飛ぼうが、何人斬殺され様が、鮮血が吹き溢れようが、彼の失神 (Syncope) で一旦、そこでその勢いは押し留められる。そして、事態は新たな展開をみせるのだ。

本映画と映画『薔薇の名前 (The Name Of The Rose)』との共通点は、全体を覆い尽くす雰囲気である。どちらも異様な環境下で起きる連続殺人事件 (Serial Murders) とその解決を主題とし、さらにその関係者達の異様な風采と容貌の有り様が先ず、そっくりなのである。そして、映画『薔薇の名前 (The Name Of The Rose)』ではその謎とは別にもうひとつの大きな謎がある。否、その謎は物語のそれではなくて、その映画の主人公、ウィリアムの弟子メルクのアドソ (Adso Of Melk) [演:クリスチャン・スレーター (Christian Slater)] にとっての謎である [この映画の探偵 (Detective) はバスカヴィルのウィリアム (William Of Baskerville) [演:ショーン・コネリー (Sean Connery)] ではあるが物語の主人公はその弟子 (Disciple) である彼なのだ]。それは、唯一無名な農民の少女 (The Girl) [演:ヴァレンティナ・ヴァルガス (Valentina Vargas)] なのである。彼女の存在、そしてそれとの今後と謂うモノがこの映画でのもうひとつの関心事なのである。
本映画もそれと同様、と謂えば同様だ。連続殺人事件 (Serial Murders) とは別にイカボッド・クレーン (Ichabod Crane) が出逢う少女、カトリーナ・ヴァン・タッセル (Katrina Van Tassel) [演:クリスティーナ・リッチ (Christina Ricci)]、彼女の行為がもうひとつの謎となって物語を牽引していく。

上にも綴った様に、この物語はある村で起きる不可解な連続殺人事件 (Serial Murders) の解決に、主人公が赴く事から実質的に始まる。彼がそこへ派遣されるのは、彼の日頃の発言、科学的捜査 (Forensic Science) への彼の理念があったからであり、しかもそれが評価されての事ではない。それが煙たがられたが為なのである。体のいい左遷 (Regurated) と謂う事も出来る。つまり、そんなにおまえがそういいはるのなら、その方法でこの難事件を解決してみろ、と謂う訳なのである。
そして、現地に赴いた彼を迎える、村の要人達もまた、同様なのだ。彼等は村に古くから伝わる首なし騎士 (Headless Horseman) の伝承が顕在となったと主張するばかりなのである。

と、謂う様な物語展開はどこかで観た記憶がある。はて、どこだっけ? どれだっけ? と謂っていると幾らでもおもいついてしまいそうだ。しかし、だからと謂って実は、そのどれとも似ても似つかぬ方向へと物語が展開していく。
この種の物語はここでおおきくふたつに別れる。
ひとつは、村の伝承を巧みに利用した、現実の人間による連続殺人事件 (Serial Murders) である。本映画でもブロム・ヴァン・ブラント (Brom Van Brunt) [演:キャスパー・ヴァン・ディーン (Casper Van Dien)] が首なし騎士 (Headless Horseman) に偽装してイカボッド・クレーン (Ichabod Crane) を襲ったのと同様の趣向だ。それ故に、その物語はミステリー (Mystery) へと移行する。
もうひとつは、村の伝承は超常現象 (Paranormal) として実際に存在し、その解決に向かった探偵 (Detective) も同様にその犠牲者の一人となる物語である。その結果、その物語はホラー (Horror) へと推移するのだ。
つまり、現実的な認識もしくは科学 (Science) 的な推論とそれらの実行を認めるのか認めないのか、超常現象 (Paranormal) の存在を信ずるのか信じないのか、それがこれから語られる物語の、結構の分岐点である、と謂う訳なのだ。

だけれども、この映画はそのどちらへも舵をきる事なく、その両義を兼ね備えたままの物語であろうと進展する。村の伝承の顕現である首なし騎士 (Hessian Horseman) [演:クリストファー・ウォーケン (Christopher Walken)] は、現実としてイカボッド・クレーン (Ichabod Crane) の眼前に登場し、彼に致命傷 (Critical Injury) に近い傷跡を遺す。だけれども、それと同時に、彼による彼曰くの科学的捜査 (Forensic Science) はそのまま続行されていくのだ。
そして、それはひとつにカトリーナ・ヴァン・タッセル (Katrina Van Tassel) が与えた大きな謎、彼女が描いた魔法陣 (Magic Circle) があるからでもある。

そう、首なし騎士 (Hessian Horseman) が育む謎の殆どは解明したが、彼女が彼に与えた謎は遺されている。そしてその謎が解明されて初めて、物語はクライマックスへと突入するのだ。

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For The Protection Of A Loved One Against Evil Spirits

科学 (Science) と魔術 (Magick) は本来は対立概念だ。だけれども、そのふたつの間に疑似科学 (Pseudoscience) と謂う概念を据えれば、その介入によってあい対立すべきふたつは相対的なモノとなる。
映画に於ける殆どの人物達、首なし騎士 (Hessian Horseman) 自身をも加えて、その存在を信ずる村の人々は皆、魔術 (Magick) の側に与している。そこからひとり抜け出そうとするのが、弟子 (Disciple) の様な助手 (Asistant) の様な地位にある少年 (Boy) となるマスバス・ジュニア (Masbath) [演:マーク・ピッカリング (Marc Pickering)] である。彼は、科学 (Science) を信奉するイカボッド・クレーン (Ichabod Crane) に協力しようとする。だけれども、彼の謂う科学 (Science) もまた、現在のぼく達の眼からみれば、どこまで科学 (Science) と呼べるモノだろうか [そしてかつて科学 (Science) と信奉されていた幾つものモノが既に当時、魔術 (Magick) と看做されている筈なのである]。ある意味で彼の行為や信念は、もうひとつの魔術 (Magick) を召喚しようと務めている様にもみえる [少なくとも物語の中の大部分、魔術 (Magick) に与する村の人々にはそうみえた筈だ]。
そうした魔術 (Magick) やら科学 (Science) やらがあい争っている渦中で、カトリーナ・ヴァン・タッセル (Katrina Van Tassel) の行為はあまりにも幼稚にして純真無垢である [おまじない (Charm) とヒトは呼ぶかもしれない]。
そして、そんな彼女の行為こそがかつて、魔女 (Witch) と謂う蔑称を呼び起こし、恐れられていたのである。魔女狩 (Witch-hunt) で処刑された殆どの女性達もおそらくそうだ。
[本映画ではそれをおもてだって弾劾はしていない。でもぼく達に、科学 (Science) と魔術 (Magick) それぞれが何処から来て、何処へ行こうとしているのかを告げてはいる様である。]
そして、彼女の描いた魔法陣 (Magic Circle) とおなじモノが、現実的な存在としてイカボッド・クレーン (Ichabod Crane) の危難を救った事だけを語っているのである。
尤も、それは映画『荒野の1ドル銀貨 (Un dollaro bucato)』 [カルヴィン・ジャクソン・パジェット (Calvin Jackson Padget) 監督作品 1965年制作] を筆頭にあまりにも常套的な便法ではあるのだが。

次回は「」。

附記 1. :
本映画の最初の被害者、ピーター・ヴァン・ギャレット (Peter Van Garrett) を演じたマーティン・ランドー (Martin Landau) は映画『エド・ウッド (Ed Wood)』[ティム・バートン (Tim Burton) 監督作品 1994年制作] でベラ・ルゴシ (Bela Lugosi) を演じていて、演じられた本人であるベラ・ルゴシ (Bela Lugosi) は映画『魔人ドラキュラ (Dracula)』 [ブラム・ストーカー (Bram Stoker) 原作 トッド・ブラウニング (Tod Browning)、カール・フロイント (Karl Freund) 監督作品 1931年制作] で主役のドラキュラ伯爵 (Count Dracula) を演じている。念の為に附せば映画『エド・ウッド (Ed Wood)』では、イカボッド・クレーン (Ichabod Crane) を演じるジョニー・デップ (Johnny Depp) がその映画の主人公、エド・ウッド (Ed Wood) を演じている。
と、謂う事に気づいてしまうと、そこからさらにこんな事までも気づいてしまう。
ニューヨーク市長( Burgomaster) を演じたクリストファー・リー (Christopher Lee) とジェイムズ・ハーデンブルック書記 (Notary Hardenbrook) を演じたマイケル・ガフ (Michael Gough) は映画『吸血鬼ドラキュラ (Dracula)』 [ブラム・ストーカー (Bram Stoker) 原作 テレンス・フィッシャー (Terence Fisher) 監督作品 1958年制作] に出演している。前者が主演のドラキュラ伯爵 (Count Dracula) を演じ後者がアーサー・ホルムウッド (Arthur Holmwood) を演じている。
しかも、その映画の原作者によるもうひとつの映画『ピラミッド (The Awakening)』 [ブラム・ストーカー (Bram Stoker) 原作 マイク・ニューウェル (Mike Newell) 監督作品 1980年制作] でリヒター医師 (Dr. Richter) を演じたイアン・マクダーミド (Ian McDiarmid) は本映画に於いて、トーマス・ランカスター医師 (Doctor Lancaster) を演じている。
本映画は、ブラム・ストーカー (Bram Stoker)トリビュートなのだろうか?

附記 2. :
そんな事を謂っていると、クリスティーナ・リッチ (Christina Ricci) は映画『アダムス・ファミリー (The Addams Family)』 [チャールズ・アダムス (Charles Addams) 原作 バリー・ソネンフェルド (Barry Sonnenfeld) ) 監督作品 1991年制作] でのウェンズデー・アダムス (Wednesday Addams) であり、ジョニー・デップ (Johnny Depp) は映画『シザーハンズ (Edward Scissorhands)』[ティム・バートン (Tim Burton) 監督作品 1990年制作] で主人公、エドワード・シザーハンズ (Edward Scissorhands) を演じている。エドワード・シザーハンズ (Edward Scissorhands)  とは、すなわち映画『フランケンシュタイン (Frankenshtein)』 [メアリー・シェリー (Mary Shelley) 原作 ジェームズ・ホエール (James Whale) 監督作品 1931年制作] の末裔ではある。
そして、そんな暗合はもっと他にもあるだろうと、謂う気がして仕様がない。

附記 3. :
上の文章で映画『荒野の1ドル銀貨 (Un dollaro bucato)』云々と謂う語句が登場しているが、本映画は常套句めいた技法や物語構成は少なくない。それは映画的引用云々と謂う以前のモノである。だが、何故かそれが非難に値するモノとはなっていない。寧ろその逆、安心していられる、娯楽として供す事を可能としている。本映画を観るぼく達の眼前で一体、幾つの首が飛んだだろう。一体どれ程の鮮血が飛び散っただろう。本来は、それは恐怖にもなるし、映画への批判にも繋がるべきモノだろう。だけれども、ぼく達は飛び交う首や吹き出す血を愉しんでしまうのだ。それは、イカボッド・クレーン (Ichabod Crane) をはじめとする登場人物達の人物設定にもよるのかもしれないが、本映画に登場する数多の常套句のせいなのかもしれない、そんな気すらするのだ。
何故っていいかい? 映画の骨子は、古典的な居住まいのままでいるボーイ・ミーツ・ガール (Boy Meets Girl) の話なんだぜ?
たまたま、くちづけしてしまった異性を真剣に愛してしまう少女の話さ。

附記 4. :
本映画の原作である短編小説について慌ててつけたすべき事は次の様な事である。
恐怖小説としてみると、それほど恐ろしい物語ではない。寧ろ、主人公イカバッド・クレーン (Ichabod Crane) の描写から滑稽譚の様な趣きすらある。だが、そこで語られている恐怖の1夜があけ、その後日譚めいた口調で附記されている「あとがき ニッカボッカー氏の手記より (Postscript - Found In The Handwriting Of Mr. Knickerbocker)」を読むと途端に、妙に居心地が悪くなってしまう。果たしてそれはなぜか?
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